諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ネオナチの少女】それはもうネオナチではないのでは?

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原書はこれですかね。この記事からして「ネオナチ」なる単語を使いまくってますが(実際、最新のネオナチ事情についても大分触れているらしい)原題からして「Ein Deutsches Mädchenドイツの少女)」…

ちなみに、このサイトにおいて何度も繰り返して投稿きたナチズムに関する、日本人のそもそもの誤解…

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  • 良くも悪くも革命によってアンシャン・レジーム放棄に成功したフランス同様、明治維新を迎えた途端「版籍奉還1869年)」「廃藩置県1871年)」「藩債処分1876年)」「秩禄処分1876年)」を連続達成してあっけなく「江戸幕藩体制清算問題」を片付けた大日本帝国は、理論上ファシズムやナチズムを台頭させた「国民分断問題」から最も程遠い存在といえる。

  • また現実のナチズムは支離滅裂なイデオロギーの寄り合い所帯に過ぎず、むしろその結果として「(気に入らない勢力の殲滅を黙殺する領民と領主の暗い密約関係」が暴走してヒトラー独裁体制が強化されていった側面が強く見受けられる。

  • つまり、原則としてはどちらのニュアンスでも(当時とは環境の変わってしまった)現在のドイツでそのままの形で継続するのは困難かつ無意味といえる。

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こうした歴史が、皮肉にも次世代に現れるべき体制として、ディズニーランドの様な「ファルス(体制側暴力)が現実の諸勢力の相互衝突を抑制する権威体制」を浮上させる訳ですが…

それってゴビノー伯爵が提唱し、レヴィ=ストロースが継承した「メタ・レイシズム」なる概念とも表裏一体の関係にあるからややこしいのです。

一方、リベラル論客達は「幼少時からの教育を徹底すれば我々はレイシズムと無縁な人道主義者に成長し得る」と主張してきた訳ですが…

そうした努力の結果が「フクシマは既に汚染され尽くしているのだから、誰かが我々の視野外あるいは効力を発しない程度の弾劾下で全農産物の出荷を停止して現地被爆者も感染防止の為に徹底隔離可能なら族滅すべき」と主張する人々しか産まなかったのだとすれば、もはや「ナチズムの真の意味での継承者」と指摘されても仕方ありません。

 彼らにとってはこういう姿勢こそが「人道主義と人権生得論の保証する権利の行使」。この意味合いにおいてはナチズムとはまさしく「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマを構成する事になるという次第…