諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「汚名挽回」の準備に余念がない「アベノセイダーズ」?

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こうして衆参同日選挙の可能性も持ち出される様になったのに「アベノセイダーズ」の面々は、相変わらず連敗記録塗り替えに向けて着々と「汚名挽回」の準備中?

売り言葉に買い言葉

さらにはこんな意見も。

 そして、こうなる…

 なんか既視感があると思ったら…

急進派共和主義者達は二月/三月革命1848年〜1849年)後に行われた四月普通選挙に大挙して立候補。「フランスをテルミドール反動(1799年)以前の時代に戻す」「どれだけ暴力を行使する事になろうとも、何人死ぬ事になろうと必ず私有財産全没収を成し遂げる」といった公約を掲げて血に飢えた労働者/失業者の群れを引率して練り歩き、かえって王党派やブルジョワの選挙戦圧勝という状況を生み出してしまう。

そして、こうしたフランス人の無理解に激怒して六月蜂起を敢行。六月暴動(1832年)を超える犠牲者を出し、主導者はまとめて国外追放となったが、この時もまたパリ市民の蜂起を誘発する事は出来なかった。それどころかむしろ「急進派共和主義は(諸派のれ生による調和を象徴する)三色旗の敵」という鮮烈な嫌悪感を後世に残し、第二帝政Second Empire Français、1852年〜1870年)を準備したとさえいわれている。

パリ・コミューン仏: Commune de Paris、英: Paris Commune、1871年3月26日〜5月28日)」も(マスコミが徹底して美化して海外に報道し、マルクス等もそれを聞いて褒めちぎったものの)その実態は政府軍との虐殺合戦に過ぎなかったという話もありますし、「ブーランジェ将軍事件1886年〜1889年)」に至っては「とにかく政府を倒すのが最優先課題」と開き直り、軍国主義者の右翼と共闘しています。

これではまるで…

というより実際は、フランスに産業革命を根付かせてその手法を南北戦争後のアメリカやドイツ帝国大日本帝国に模倣された「馬上のサン=シモン」皇帝ナポレオン3世の功績について国内では完全沈黙を守りつつ、海外にはマスコミを総動員して「こいつはフランスを悪くしてるだけで、何も生み出してない」なるプロパガンダを執拗に続けたフランス人インテリ=ブルジョワ階層こそが大源流とも。カール・シュミットの政治哲学が指摘した通り「政敵が強大で倒せないほど味方の結束は固まる逆に迂闊に倒してしまうと、その瞬間から内ゲバが始まってしまう)」という話で、そこにはある種の共依存関係が見受けられる。「アベノセイダーズ」の場合は「ナチ曽根降ろし作戦」の成功体験が?

  • 実際、皇帝ナポレオン3世の失脚後「ナポレオンノセイダーズフランスのアベノセイダーズ)」を待ち受けていた「内ゲバ」は悲惨だった。フランス人インテリ=ブルジョワ階層は、またもや復活を遂げた急進左派すなわちパリ・コミューンが「恐怖政治の続き」を始めたせいで震え上がり、なおかつその後、逆に彼らの殲滅に成功したフランス政府軍を涙を流しながら歓喜して出迎える羽目に陥ったのです。しかも後に残されたのはドイツ帝国に対する莫大な戦争補償金の支払い義務…かくして彼らのルサンチマンはさらなる迷走を遂げる展開に…そう「全部ドイツが悪かった」事にしちゃえば、フランスのあらゆる国内問題が穏便解決してしまう!!
    *要するにカンボジアクメール・ルージュポル・ポト派)が喜んで真似た真似たフランス革命がこれだった。「インテリ=ブルジョワ階層は皆殺しにしろ!!」「全てはベトナムが悪い(ベトナム系市民への民族浄化遂行)」…そして一方的に悪役とされたベトナムの侵攻を招いて自滅…

  • 革命に身を投じるのは零落階層である。搾取され抜いてきた被支配階層は状況に合わせるだけで自ら蜂起はせず、真の富裕層は状況がどう転ぼうが余裕を持って的確に対応して生き延び、新興富裕層は自らの成功体験から現政権に忠節を誓うのみ」「だから革命を起こすにはまず不逞の輩を使嗾して市民の生命と財産の安全を奪わねばならない。しかるのち、かかる不逞の輩を討伐すれば彼らの忠誠心が勝ち取れる」と看過した毛沢東はさらに賢く振る舞おうとした。それで紅衛兵を扇動して中国人の生命と財産の安全を散々脅かした後、山下郷運動(1968年〜1969年)で彼らを始末したのだった。

    日本共産党による「SEALDsStudents Emergency Action for Liberal Democracy- s=自由と民主主義のための学生緊急行動)」の利用方法も似た様なものだったが赤旗には「最近の若者は戦う気概がなく、一人の殉死者も出さなかった。だから韓国の同種の運動より全然効果が薄かったやはり日本人は駄目だ)」と総括する記事が載せられた。

     

さて日本人はこの話からどんな教訓を得るべきなのでしょうか?