君死に給う事なかれ、
旅順の城は滅ぶとも、
滅びずとても、何事ぞ、
君は知らじな、商人の
家の掟に無かりけり。
そういえば、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」に示された「商家の矜恃」すなわち「女というものはみな戦争がきらいなのです。」「何を履き違えてる? 国民が試練を生き延びた後に笑い合いながら全てを思い出に置き換えられてこその国家存続だろうが!!」の精神って映画「プライベート・ライアン(Saving Private Ryan,1998年)」の主題でもあったんですね。
「プライベート・ライアン(Saving Private Ryan,1998年)」
ノルマンディー上陸作戦を成功させたアメリカ軍だったが、ドイツ国防軍の激しい迎撃にさ曝され多くの戦死者を出してしまう。そんな中、アメリカ陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルの元に、ある兵士の戦死報告が届く。それはライアン家の四兄弟のうち三人が戦死したというものだった。残る末子ジェームズ・ライアンも、ノルマンディー上陸作戦の前日に行なわれた空挺降下の際に敵地で行方不明になったという報告が入り、マーシャルはライアンを保護して本国に帰還させるように命令する。
命令を受けたレンジャー大隊のミラー大尉は、6名の部下と、通訳として歩兵師団から引き抜いたアパム伍長を伴い、ライアンがいると思われるフランス内陸部へ向かう。本作のストーリーは、ナイランド兄弟の逸話が基になっている。
ライアン二等兵のモデルとなったフレデリック・ナイランド三等軍曹には、エドワード、プレストン、ロバートの三人の兄がいた。フレデリックはDデイ初日に、輸送機パイロットのミスで予定の降下地点からかなり離れた内陸地点に降下してしまい、なんとか原隊に復帰したところ、部隊の従軍牧師から3人の兄全員が戦死したと告げられた。国防省のソール・サバイバー・ポリシー(巡洋艦「ジュノー」に勤務していたサリヴァン兄弟が、ジュノー撃沈によって全員死亡したことを受けて制定されたルール)に基づいてフレデリックは前線から引き抜かれ、本国に送還されることとなった。
フレデリック本人はそれほど帰国したかったわけではなかったらしく、しばらくは部隊と行動を共にしていたが、従軍牧師が書類を提出してしまったため、上層部に認可された後は帰国するしかなかった。帰国後、彼は終戦までニューヨーク州で憲兵として勤務している。
映画と違いフレデリックが原隊に自力で復帰した事からも分かるように、救出隊が組織されたという事実はない。また、母親のナイランド夫人は実際には未亡人ではなかったが、息子3人の死亡通知を同時に受け取ったというのは史実らしい。なお、長兄エドワードの戦死は誤報で(実際には作戦中行方不明)、ビルマの日本軍捕虜収容所に収監されていたところを英軍に救出され、帰国後に母親との再会を果たしている。
実際、こういう話も。
日清戦争だったか日露戦争だったか、部隊全滅で村の若い男達がすべて喪われ、戦死の報が届いた村が阿鼻叫喚——ということが起きたという話を読んだ記憶がある。具体的にいつどこで起きたことだったか、どなたか知っていたら教えて下さい。 https://t.co/lAnlUoM3zS
— 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) 2017年12月8日
日本軍は徴兵した人達を地元部隊へ配属する「郷土連隊制」を採用していた。
— HAL@古き悪しき時代大好き侍 (@HAL9152) 2017年12月6日
同級生が集って同窓会になったり兄弟で同部隊に配属されたりと団結心も強まり兵士の負担も少ない。一見すると有能な制度
しかし「部隊全滅=地域の若者全滅」という洒落にならない欠点があった。実際洒落にならなかった pic.twitter.com/tEvVetmC9m
平時や訓練では合理的で有能な制度に見えても戦時では取り返しがつかない被害を生むという例
— HAL@古き悪しき時代大好き侍 (@HAL9152) 2017年12月6日
これ、第一世界大戦時の大英帝国でも同じ部隊編成してませんでしたっけ?
— 40面相のくりいむ (@muhonnocream) 2017年12月7日
坂之上の雲の『1万5千の兵が、1000人になってしまいました』
— カタヤ@中国駐在武官 (@KatayaCombat) 2017年12月6日
この台詞がグッときました。 pic.twitter.com/P0etWExetn
困った事に、北海道の兵は猛烈に弱いんだな(明治陸軍の認識では)。表現をかえると「戦が下手」「戦い方を知らない」ということになる。北海道の兵が『精兵』と記憶されるのは、まさにこの日露戦争時の偏見を乗り越えた、彼ら自身による“努力”による。
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
当時最精鋭とされていたのは青森の部隊。日露戦争時も独立第八師団として沿海州作戦を単独で遂行する事を念頭に錬成していた。実際の黒溝台会戦時の主役。戦前より耐寒演習を繰り返していたのは雪中行軍の悲劇で知られるが、それだけでは無かった。
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
北海道出身者に堅く口止めされているので詳しくは書かないが、日露戦争・旅順戦に際して7Dは素人同然で戦場へと投入された。陣地戦のマニュアルが交付されたのは203高地攻撃当日の午前中。一方、それまでの担任1Dは南山戦より露軍との陣地戦の経験があった。これはひどい。
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
ということは、『弱い』は偏見と誤解を生む表現であると思う。「戦下手」という認識で、攻撃失敗の報を受けて「やっぱり」といった感じが支配的だったと思う。ただし、大損害が発生したと云う事実からは「弱兵」ではなかったと言える。
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
人間の條件を書いた五味川純平は、昭和20年満洲で根こそぎ動員の部隊でソ連軍の侵攻に直面し、最初の戦闘で所属中隊が彼を含めて生存者数名と消滅するのを目の当たりにして、作品でも描いたノモンハン戦における7Dの将兵と比較して、「無敵関東軍時代の日本兵は)本当に強かった」と回想している。
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
ノモンハンといえば23Dだと思うけれど、なんで7Dだったのかは、話の前後が思い出せないので判然としないけれど、今日では旭川師団は日本の最精鋭部隊と認識されている。作家の保阪某氏が『最強師団の宿命』として同師団の事を描いているが、内容については、評価していない。私は。
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
ふうん、五味川純平ねぇ…
>兵士の負担も少ない
— はぬる (@xiatiangushi) 2017年12月7日
そうかな…
軍隊に行っても、村の構造がすっぽりついてくるわけで
監視の強化(下手なことができない)
地元での力関係そのまま
ってならないかな?
日本社会のムラ意識のクソさ加減をなめちゃいけない。
アメリカも州兵(徴兵ではありませんが登録すると助成金や色々特典がありめったに駆り出されないので貧乏人は入っている人多いです)があるのですがアフガンである州が第二次大戦以来の出兵で村の若者&働き手が…ってのがあったようです…
— ゼファルド@デススト配達人ラルさん (@Zefarudo) 2017年12月7日
ドイツ軍みたいに4人小隊の一人でもかけたら後方に下げて補充するまで待機…みたいな制度も併存すれば良かったのかも…
— 武信貴行★ダメ人間第一号 (@take_noble) 2017年12月7日
四人…分隊運用ルール?
これはどうなんだろう。近代社会ではあり得ない感覚なんだろうが、人類史を紐解くと、そもそも社会的集団が軍隊を編成し、「敵」と戦うのが戦争なんだから、被害の極大化で共同体が崩壊するのはザラで、その結果によって社会や文明の滅亡というのは日常時ではないが茶飯事であろう。
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
宗教戦争とは宗教団体(狂信者、と呼ばれようが)を皆殺しにして、その宗派を崩壊に追い込むわけだし。だから宗教の対立は凄惨だといわれるし、やった側も(必要悪と思ったりして)正しいと思っているから止まらない。近代社会が随分と寛容となったとは言え、相互確証破壊による核戦争とは現在進行形だし
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
今も昔も「全滅」『滅亡』とは紙一重でもあり、また共同体の定義が時代によっても違うので、今や昔、右や左が違うと云う事は無いのではないかとおもう。
— 服部浩洋 (@hattorie73) 2017年12月7日
同じ集落出身者の相互監視システムを活用して強かったといえばスイス傭兵とか…三河武士団とか…逆に上洛してきた有象無象を金で集めた尾張兵辺りは「指揮官の苛烈な指揮なしには」弱かったとか。
店をやっていた祖父が戦死してますが、部隊全滅だったらしく、「軒を連ねる店々にずらりと弔事を表す貼り紙(正確な名称は忘れた)が並んだ」と伯母(祖父の娘)が語ってました。商店街の主人や跡取りが軒並み亡くなったのでしょう。岩手県です。
— Ishigaminami 石神南 (@ishigaminami) 2017年12月8日
どーも、お疲れ様です。
— ブラボー6 (@VppAS1XNdgNBx1E) 2017年12月6日
アメリカ海軍でも『軽巡ジュノーの悲劇』がありましたからね。(-_-;)
アメリカではサリヴァンズの悲劇でも大日本帝国ではよくある事で済んでしまうんですかね…
— vasily (@Vasily_moriya) 2017年12月7日
てかそれ地元に友達いないやつとかいじめられてたやつからしたら地獄以外の何物でもない
— 星霜 (@everes_e6) 2017年12月7日
たぶんそういうタイプの人間は戦前には徴兵検査通らないどころか、徴兵される年齢まで生き延びられない…。
— こげぱん (@kogemayo) 2017年12月9日
この時代に生まれてよかったー
— 星霜 (@everes_e6) 2017年12月10日
そういえば横溝正史「八つ墓村(1949年〜1950年)」の元ネタとされる「津山三十人殺し事件(1938年)」 についても、発端が「虚弱で徴兵試験に合格しなかった加害者に対する村落ぐるみでの壮絶な虐め」だった可能性が指摘されてますね。
いや。徴兵制時代はどこの国も同じですから。特にヨーロッパだと同じ出身地集めないと言語さえ通じなかったりしてたんで。
— 河野悦隆 (@hijiyamafox) 2017年12月6日
当時の九州人と東北人を同じ部隊に配置したら、訛りきつくてすんなり意思疎通できるか怪しいですものね。
— ウナム日月 (@unamuhiduki) 2017年12月7日
RT @kanedaichi1 @hijiyamafox @HAL9152 @eindebelle https://t.co/LCRbDkwYPF
「同級生が集って同窓会になったり兄弟で同部隊に配属されたりと団結心も強まり兵士の負担も少ない。一見すると有能な制度」
— Kazuo Dohzono (@dohzono) 2017年12月8日
あのですねえ、たとえば当時の(おそらくは、今でも)南九州出身と東北出身の兵を同じ部隊に置いて、迅速に命令が伝達出来ると思いますか?
海軍なんか部隊に北海道から沖縄出身まで居るなんてそこまで珍しいことじゃなかったよ
— ほつこー コロナに納豆は効かない (@hottyan1944) 2017年12月8日
それに命令は「気を付け」「敬礼」ある程度文句が決まってるからそこまでの問題は無かったと思う
ただし日常会話では「もィっがい言っでくれねが」「なんで聞き取れねーと!?」ってのはあったと思うよ(笑)
父の在籍した陸軍の部隊では分隊長以下全て南九州出身者で固められていたと聞いています。
— Kazuo Dohzono (@dohzono) 2017年12月9日
陸軍の場合は駐屯する基地が全国的にあるのでそう言った人事が可能だったと考えられます。海軍基地の場合は港や訓練施設が限られるため人事シャッフルが常にありました。
— ほつこー コロナに納豆は効かない (@hottyan1944) 2017年12月9日
陸軍でも「戦車兵」「航空兵」「特殊部隊」「士官」などの訓練施設が限られる場合全国からの志願者が1ヶ所に集められることも十分あったと考えられます。
— ほつこー コロナに納豆は効かない (@hottyan1944) 2017年12月9日
こんわろはじもよんがならんとか。ぐらしかこっじゃらい。
— Kazuo Dohzono (@dohzono) 2017年12月9日
もぃっがいいっでくれねが?
— ほつこー コロナに納豆は効かない (@hottyan1944) 2017年12月9日
横からごめんなさい。基本的な原則は「郷土連隊に所属」なんですが、中で兵学校に行って成績優秀だと色々な場所に飛ばされます。今で言うと地方公務員が国家公務員扱いになるようなもの。母方の祖父は、善通寺→台北→仙台→高田→虎林とウロウロして、最後はビルマで郷土連隊に合流。終戦を迎えました
— Kei Uchioki (@PASONEKO) 2017年12月8日
まさに!メリットに説得力あって誰もデメリットに気付かなかったのですかね…多分(;´д`)
— 中村ぱうりぃ🐾冬ごもり (@Kazhoudini) 2017年12月7日
全滅なら7割残るから……
— 翔天龍 (@Xian_Tien_Lung) 2017年12月8日
「日本陸軍は、」「本籍地の、」ですね。
— たるぼとる (@tarubotoru) 2017年12月10日
補充は、死者・負傷者が属した聯隊区司令部で、同じような特徴(例えば職業等)のある人に、令状を出して補充します。だから、聯隊区司令部勤務者は、非常に多数の人の特業を暗記していました。こうしないと、それこそ、被害の負担が均等にならないわけです。
私がお会いした、旧静岡聯隊区司令部勤務のご経験のある方(故人)は、「私は覚えが悪いほうで約5万人しか覚えていなかった」と語られて驚愕しました。出身市町村・特業・年齢を御記憶で、負担の均等化に尽力したとのことでした。
— たるぼとる (@tarubotoru) 2017年12月10日
巻き込まれたので来ました^_^;
— ねお少佐(RN6) (@kakaratto3) 2017年12月7日
まぁ、地域を離れて嫁ぐとかも当時からありましたしそもそも長男さんは古来温存されてきましたから、民族血統や家系が途切れるってのはないにしても
まあ男手がなくなるのは日本でも海外でもキツかったやろなあ、と思いはしましたよ。
勝つ時は士気団結の構成が容易で安定する、等のメリットがありますが
— ねお少佐(RN6) (@kakaratto3) 2017年12月7日
やっぱり負け始めちゃうと…ね。
まあ分散しようが何をしようが、全滅、あまつさえ玉砕なんかしようものなら
その国の若いメンズがガクッと減ってしまうのは事実でしょう。
全滅ありきで語るのもなんですが^_^;
戦争終わったあとに地域が経済的に終わりますな。
— 苔むす。 (@bug20366002) 2017年12月7日
一方、戦後の陸上自衛隊は60年安保の頃は出身県への配属は無かった。
— クリスマス・ピポ (@christmaspipoSG) 2017年12月8日
最大の理由は、やはり予測(懸念)された治安出動の際の同郷相撃を避けたのだろうと・・・80年代以降、この縛りは無くなった模様。
これは興味深い指摘。後に再引用するかも。
しかも、兄弟を同じ部隊に配属してた関係で部隊全滅=後継ぎがいなくなり大問題になる家が続出したと・・。
— 野良猫さん (@as681700) 2017年12月7日
アメリカは兄弟は別々の部隊に配属させる配慮はしてたんですけどね。
生まれは何処で在ろうと戸籍に記載されている本籍地の連隊から赤紙がくるので。
— ライダー神風 (@raida_kamikaze) 2017年12月8日
もう死んでおれへんけど、昔大阪の行きつけのジーンズ屋の大将が産まれの育ちも大阪やのに高岡の連隊へ出頭したよと言って居たよ。
原則は、だからねえ。栃木から都内に出てたうちの爺様は、徴兵で近衛に配備され、大正天皇の大喪の礼で寒くて交換も無しなのでブーツ内に小便をしたのと、江ノ島でサーベルでショーウィンドー割って高くついた話してた
— wacky㌠ ふれんず (@wacky141) 2017年12月8日
息子が全員死んじゃう母親がいっぱいでますね。プライベートライアンって映画思い出しちゃった。
— mon mal (@monmal65) 2017年12月7日
どんな優れたシステムにも弱点はあるという当たり前の教訓ですな
— anamochi (@anamochi_twit) 2017年12月8日
別ルートで、旧軍では様々な地域の出身者が集い、それぞれのお国話や郷土料理に接する機会が生まれ、地方への旅行もままならなかった時代には、他地域の文化に接する良い機会だった、って話も耳にしたんですが、あれは演習とかの話だったのかな。それとも海軍?
— ma08s@フォロー外からごめんなさい (@bygzam_ma08s) 2017年12月9日
ふと思い出したのが江戸幕藩体制下においては全国規模で参勤交代を遂行する為に交通インフラが整備され、その結果「株仲間」すなわち全国を結ぶ富農富商のネットワークが構築されて全国各地の大名と癒着して自給自足型地方経済を構築してきた御用商人が駆逐されてしまった話。
とはいえ(中世から続く)全国各地の伝統的地方共同体が本格的崩壊期を迎えるのはあくまで近代に入ってからであって、近世とはあくまでそれと中央集権的官僚制や市場貨幣経済に立脚する資本主義システムが併存して独特の関係を保っていた時代だったのです。いや下手をしたら近代に入ってなお、そういう側面が…
はからずしも、今年のこのブログの主題と深く関わってきた様です。以下、続報…