諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【天気の子解析】【2020年版第04回】「それでも世界は美しい」なる別解?

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こんな情報が公開されてました。小説版後書きにあった様に、本当にRADWIMPS大丈夫」は最後の最重要ピースとして外挿的に物語全体に嵌るんだ…パイルダーオンかよ…

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 こういう分析も。

アメリカでは物語の工学化が進み、すでに創作技法は完成の域にあります(デビューするのは大学で小説の書き方を専攻した連中ばかり)。そういった技法を、実例をたくさん挙げ、有名作家へのインタビューをまじえつつ伝えています。風変りなイラストたっぷりのページもありますが、だいたいは普通に文字ばかりです。 

アメリカの場合「物語の工学化」の歴史は少なくとも20世紀初頭まで遡る訳ですが、実はあらゆるシステムがそうである様に、その完成はむしろ捕捉不可能な領域を可視化するというジレンマが。とはいえ便利っちゃ便利なのです。

この様に円運動と(必要にして十分なだけの周期性や統計的有意性の認められる数列/要素集合が数理的に容易に往復可能だと何が嬉しいって(小説や映画やアドベンチャー・ゲームの様な)原則として時系列に従って状況がマルコフ連鎖的に進行するタイプのコンテンツの物語文法の解析と進行管理が実に楽になるのです。

そもそもラブストーリーなどで主人公とヒロインの関係の変化が「状態周期」と「その前後におけるパラメーター変化」で表現される様になったのは、ルネサンス期出版革命を契機に天文観測関連知識が一般社会へも浸透し始めた近世以降と想定されよう。まさしく「天動説」が「地動説」へと置き換えられていった時代…

ところで私の新海誠監督映画「天気の子(Weathering With You, 2019年)」分析はこうした古典的物語文法論から離れ、全く別の数理を組み立て直すところから始まったのでした。

  • 一言で言うと「無限遠点を中核に抱える分散(Variance)を中心とする解析的展開」。おそらく上掲の数理の延長線上で(無限遠点との境界線をハンドリングする)MCMC(Markov chain Monte Carlo methods)や(扱うパラメーター数をハンドリング可能な範囲まで減らす)主因子分析(Main factor analysis)の類を標準で組み込む必要がありそうだが、現時点ではまるでその詳細がイメージ出来ず途方にくれている。

    「因子分析と主成分分析の混同」

  • そこで主体となる「特定キャラクターを無限遠点に配し、その描写にかなりの分散性を持たせるアプローチ」は、まず20世紀前半の黄金期パルプマガジン上で成功を納めている、ロバート・ハワードRobert Ervin Howard、1906年~1936年)の手になる「ヒロイック・ファンタジーの祖」、「英雄コナン(Conan)シリーズ(誌面発表1932年〜1936年)」。C.L.ムーアC. L. Moore, 1911年〜1987年)の「ノースウェスト・スミスNorthwest Smith, 1933年〜1940年)シリーズ」、そしてH.P.ラヴクラフトHoward Phillips Lovecraft、1890年〜1937年)やクラーク・アシュトン・スミスClark Ashton Smith, 1893年〜1961年)が主筆しつつ、上掲の二人にも幾つもの作品を手掛けた「基本設定のみを共有する1930年代Cosmic Horror作品群…まさしく「通しで順番通り読まれるとは限らないのパルプマガジンの消費形態」を逆手にとって「読者が容易には全体像を補完によって埋め尽くせない」もどかしさによって作品を印象付け様という戦略。単行本の時代にはこうした作品群は年代順に整理されて、場合によっては補足説明までつけられ再収録される形となり、当時の面影を喪失。

  • 一方この物語形式はニンフェット世代(身体の発達速度が一時的に男子を追い抜く小学校高学年の頃から、再び男子に追いつかれる中学二年生頃まで)の少女の不安定なアイデンティティ描写に向いているという考え方もある。直接のイメージ源は「なまいきシャルロットL'Effrontée=生意気娘, 1985年)」の「シャーロット・ゲーンズブルグ百面相」辺りなのだけど、この作品欠陥も多くて21世紀まで生き延びられなかった…「ニンフェット世代の現実」と「ニンフェット世代が自ら直面して克服したいとイメージしている現実」のギャップ。まぁここまで抽象化が進むと何も話をニンフェット世代に限る必要もなくなってきちゃう?

  • ちなみにジェームズ・エルロイ(James Ellroy, 1948年〜)は「暗黒のL.A.4部作(1987年〜1992年)」や「アンダーワールドU.S.A.シリーズ(1995年〜2009年)」で「各長編で共通登場人物の扱いが異なる」のを逆手に取って「読者の死角で」それぞれの作品が直接は扱わない大事件の記述を完成させるアプローチを試みているが、そこで鍵を握ってくるのが「(無限遠点の隠し場所にうってつけの)事実と虚構がないまぜのゴシップ誌」「ハッシュ・ハッシュ」の記事だったりする。ゆうきまさみ作品における「週刊パトス」、新海誠作品における「月刊ムー」にも似た様な「ディズニーランドにおけるシンデレラ城」的役割が割り振られている。

で、最近こうした2020年代の動向を占う分析作業に欠かせない作品が増えました。今月完結した椎名橙それでも世界は美しいStill world is beautiful, 2009年~2020年)」です。

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当初から「ハーレクイン文庫の世界観からの影響が色濃いが、混ぜたら危険なジャンルをガンガン混ぜてくる例えばリージェンシー系とシーク系とか)」とは感じていたんです。さらに物語はそこからさえ逸脱して「北欧人やチベット人ルサンチマン」みたいな次元に突入して…

さらに壮絶だと感じたのが、セス・グレアム=スミス高慢と偏見とゾンビPride and Prejudice and Zombies、原作1813年、映画化2016年)」もかくやと言わんばかりの「禁断の隙間埋め」。「我々を最初から最後まで存在しなかったかの様に扱うその態度自体が許せない」なる幼児の如き、フランス革命を暴走させたサン=キュロット(浮浪小作人)階層の如き純粋な魂の悲鳴。「強くなれ、強くならなければ悲鳴もあげられなくなって生きながら死ぬ事になる」。そこ氷室冴子なんて素敵にジャパネスク」シリーズみたいに逃げないんだ。「確実に死ぬぞ、そんな突入角度じゃ…」というのが正直な感想でした。

そう「奴ら」が現れるまでは…そうか、そんな「無限遠点を中核に抱える分散(Variance)の設定方法」があったとは…こいつらを倒し切るには同じオイラーの公式でもφ関数あたりを導入するしかない…まさかこんな代物を物語文法解析に投入する事になるなんて…素因数分解みたいな「我々の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」を無限遠点の向こう側に送り込むのが不可能な領域が主戦場になるなんて…

まだ解析が全然間に合ってないので、詳しくは以下続報…