「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的体制」においては、商品経済未発達の為、芸術家は王侯貴族や聖職者の顔色を窺いながら暮らしを立てるしかありませんでした。そうした時代にユニークな題材に取り組むには、相応にユニークなパトロンを必要としたのです。
- ティツィアーノ(Tiziano Vecellio、1488年/1490年頃〜1576年)が時代を超越して数々の扇情的な(寓話性や神秘的装飾を一切排除した純粋にエロティックなだけの)絵画を残せたのは、明日をも知れぬ毎日を送る身上ゆえに本能的欲求に忠実に生き様としたコンドッティエーレ(condottiere、イタリア傭兵隊長)をパトロンに迎えたからだった。その彼らでさえ、そうした絵は閨房や(ルネサンス出版文化の産物ともいうべき)書斎といったプライベートな空間に飾っていたと考えられている。有名な「ウルビーノのヴィーナス(伊Venere di Urbino、英Venus of Urbino、1538年)もまたそうした制作環境の産物だった。
- 「フランス宮廷芸術は古代ギリシャ・ローマ時代の質実剛健さに回帰すべき」と主張する新古典派から「都落ち」を強要されたフラゴナール(Jean Honoré Fragonard、1732年〜1806年)が「ロココ様式絵画の完成者」となれたのは(王宮から縁遠く、それ故に「国王の取り巻き連中」に反感を抱いていた)田舎貴族達のパトロネージュが受けられたからだった。その一人だった好事家(足フェチ)の要請で描かれたのが、有名な「ぶらんこ(1767年頃)」。
*そんな由来のある絵を、あえて王宮に飾った「アナと雪の女王(Frozen、2013年)」制作陣の反骨精神たるや…
隠された絵と アナと雪の女王 目に留まった日経夕刊で偶然発見 ( 絵画 ) - UK MEET YOKKAICHI 日英不思議まんだら - Yahoo!ブログ
しかしもちろん、いつまでもこうした時代が続いた訳ではありません。
①歴史上、イタリア・ルネサンス晩期(1480年以降)における「ヴェネツィアの三大発明」の意義は思うより大きい。
- (携帯可能で安価で大量流通に適した)小型本。
- (カーニバル同様、重要な人寄せの観光資源でもある)豪華な劇場で上演される形式のオペラ。
- (キャンバス地に描かれ、観光客に土産物として売れる携帯可能な)絵画。
②逆をいえば、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロやラファエロが活躍したフィレンツェ・ルネサンスやローマ・ルネサンスの時代(イタリア・ルネサンス初期〜盛期)にはまだこうした便利なものは広まっておらず、従ってパトロンとの関係にあれ程振り回され続けなければならなかったともいえる。
- ヴェネツィアは別に芸術家の事を思ってこういう発明をした訳ではない。オスマン帝国にレパント海の制海権を奪われ、レパント交易に代わる収入源を至急確保する必要が生じたから次々とこういうものを生み出したに過ぎない。そこがまぁヴェネツィア的といえばヴェネツィア的な所なのだが。
- 17世紀以降、欧州経済の中心は地中海沿岸から大西洋沿岸に推移する。オランダでは画家は市民団体やブルジョワ家庭の肖像画を描くのを主な仕事とする様になった。良い意味でも、悪い意味でもカメラが発明されるまでそれが正しい在り方だったとも。
*有名なレンブラントの「夜警(De Nachtwacht、1642年)」についても「隊員を平等に目立たせなかったから支払い額が減らされた」「その後肖像画の受注が激減した」なんて伝承があったりする。実際はセレモニーで話題になって大金をせしめ、その後は制作ペースを落としたとも。
そして欧州大陸西部では大不況時代(1873年〜1896年)を通じて消費経済の担い手が王侯貴族や教会から(産業革命によって高まった製品量産力に対応した大量消費者として台頭した)ブルジョワ階層や一般階層に推移。
- ブルジョワ婦人がファンクラブを結成し、キャラクター・グッズを群がる様にして買い漁った「超絶技巧派ピアニスト」フランツ・リスト(Franz Liszt、1811年〜1886年)は、こうした時代最初の成功者だったとも。また日本には江戸時代から贔屓の芸人を後援する「連」を組織する慣習があった。
- 一方、小説家にとっては「前門の虎、後門の狼」の展開だったとも。大衆なるもの、決っして王侯貴族や教会などと比べて機嫌を取り結びやすい相手ではなかったからである。
これでは何時までたっても、多くの芸術家が望む「完全な自由」なんて到底手に入りそうもありません。それなら「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的体制」に戻りたいですか? まさにそういう環境下で現在なお制作を続けている芸術家もいるんです。
【1月31日 AFP】北朝鮮の著名な彫刻家であるロ・イクファ(Ro Ik-Hwa)氏(77)は、かつて世界で最も核を拡散させた人物として米国から非難されたパキスタン人科学者のアブドル・カディル・カーン(Abdul Qadeer Khan)氏の胸像を指さしながら「あれは個人的に依頼されて制作したものだ」と語った。
胸像が置かれているのは、北朝鮮の首都・平壌(Pyongyang)にある広大な美術工房、万寿台創作社(Mansudae Art Studio)内のロ氏のアトリエ。
万寿台は、核開発を続ける北朝鮮の外貨獲得を制限する目的で、新たに国連(UN)制裁の対象となった。昨年12月初めに全会一致で採択された国連安全保障理事会(UN Security Council)による決議文には、国連加盟国が万寿台から彫像類を購入することを防ぐための条項が盛り込まれている。主にアフリカ諸国への巨大な記念碑の輸出を対象としたものだ。
この分野で最も卓越した存命の芸術家の1人であるロ氏は、平壌市内で最も有名ないくつかの記念碑の制作に携わってきた。ロ氏がカーン氏の胸像を請け負ったのは、カーン氏本人が平壌市内にある国立墓地「大城山革命烈士陵(Revolutionary Martyr's Cemetery)を訪れた際、そこに眠る故人をしのんで作られた大型のブロンズ像に感銘を受け、制作を依頼してきたためだという。
自身のアトリエでAFPの取材に応じたロ氏は、「同じような大きさと形状のものでと言われたので、胸像を制作した」ところ、「いたく気に入ってくれ、今度は全身像を作ってほしいと写真を送って来たので、高さ2メートルの像を作った」と語った。
多くのパキスタン人から「核開発の父」と崇敬されるカーン氏は2004年、イランやリビア、北朝鮮に核技術を秘密裏に供与していたことを認め、その後、発言を撤回。米国務長官だったヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)氏には当時、「世界でおそらく最も核を拡散させた」と評された人物だ。
実質的な統括者は金正恩氏の妹
カーン氏の像は、万寿台が国外で手掛けてきた数百万ドル規模の記念碑制作プロジェクトと比較すれば、大きさと価格の面では微々たるものだ。万寿台が携わったプロジェクトの中には、2010年にセネガルの首都ダカール(Dakar)郊外に建立された高さ50メートルの「アフリカ・ルネサンスの像(African Renaissance Monument)」もある。
北朝鮮への制裁をめぐる国連の決議案が採択された翌日、米財務省は、「万寿台国外事業(MOP)」を「北朝鮮の違法行為を支援」する事業団体として「ブラックリスト」に追加した。
万寿台に関する権限は宣伝部トップの金起南(Kim Ki-Nam)氏に与えられているが、ウェブサイト「北朝鮮リーダーシップ・ウオッチ(North Korea Leadership Watch)」を運営しているマイケル・マッデン(Michael Madden)氏によると、収益を上げている万寿台に同国の最高権力者、金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)朝鮮労働党委員長も特別に目をかけているという。
「勤労請負業者と輸出会社としては突出した存在であることから、実質的に統括しているのは正恩氏の妹の金与正(キム・ヨジョン、Kim Yo-Jong)氏だ」とマッデン氏は指摘する。宣伝扇動部の副部長を務める与正氏は、大きな影響力を持つと専門家らにみなされている現在の地位まで異例の昇進を遂げてきた。与正氏は今月、北朝鮮政府による弾圧に関与したとして、米財務省から制裁対象に加えられたばかりだ。
MOPの収益に関する詳細は明らかにされていないが、同事業団体がもたらす外貨は年間推定500万~1300万ドル(約6億~15億円)。
「収益という観点で言えば、かなり小規模だ」とマッデン氏。「だが『最上位の』支援を受けていることは言うまでもないが、その存在意義と有名な団体であることから、売上高を伸ばすのに苦労はしていない」という。
明確なヒエラルキーの下で格付けされた700人の芸術家
万寿台は、小さな村ほどの規模を持つ広大な施設で、コンクリートの広大な建物の中にある多数の作業場では4000人近い人々が働いている。
1959年に故・金日成(キム・イルソン、Kim Il-Sung)国家主席が創設したこの施設の正門をくぐると、馬に乗った金日成氏とその息子で後継者の故・金正日(キム・ジョンイル、Kim Jong-Il)総書記の巨大な像が訪問客を出迎える。
工房では総勢700人の芸術家が雇われており、彼らは明確なヒエラルキーの下で格付けされている。最上位を占めるのは、ロ氏のように「人民芸術家」に分類される約30人の人々で、外国旅行を許されたり、施設内で専用のアトリエを提供されたりするなど、多くの恩恵を享受できる。
北朝鮮の芸術界は厳しく統制されており、一流の芸術家といえども、給与には作品の売却価格はほとんど反映されず、月給制だ。また、抽象芸術は当局から反革命的とみなされているため、扱われていない。
北朝鮮のアート市場の特殊性に精通していない人々は、作品の来歴に疑問を抱くかもしれない。一流の芸術家たちは、自身の作品がより多くの人々の目に触れるよう、人気が高い作品のレプリカを複数制作することも多く、また同業者にそれらを模造させることもある。
彫刻の価格はさまざまだが、トップクラスの「人民芸術家」の大きな作品になると数万~数十万ユーロする。
北朝鮮の芸術は今も極めてニッチな市場で、収集家による売買が定期的に行われている数少ない場所の一つが中国だ。万寿台から直接購入することも可能だが、経済制裁がそれを難しくしている。
まさしく薄氷を踏む思いで毎日を過ごしている気がします。
迂闊に資本主義社会は手放さない方が良い見本?