そもそもTVゲーム「Fallout シリーズ(1997年〜)」は「アメリカにおける父権主義と白人優越主義の黄金期」といわれる1950年代への回帰願望を思いっ切り揶揄するスタイルで爆発的人気を獲得した作品でした。
2010年代に入ると人格心理学的アプローチの崩壊と対象関係論的アプローチの台頭によって「人間は本当にアンドロイドや犬より偉いのか?」みたいな、より哲学的に深い問題に突入していきますが、まぁそれはそれ。
そして4chanや8chanやReggitに匿名で潜むオルタナ右翼(Alt-Right)に好き放題扇動されまくって実働部隊の役割を担わされている「Facebook右翼」は概ね「1950年代回帰派」でもあるという認識から出発しないと、アメリカの現状は見えてこないのです。
①そもそも父権主義と白人優越主義の黄金期といわれる「米国1950年代的価値観」とはどういう時代だったのか? まずそのイメージをしっかり固めないといけません。
- 大日本帝国敗戦後、日本を占領下に置いたGHQは全国にPTAを設置。これらの団体が中心となって米国におけるComic Code運動に連動した「悪書追放運動」を展開する。その内容的は校庭で漫画を焚書にしたり、殺人予告状を漫画家に次々と送りつけて廃業に追い込むというものだった。
- ところでComic Code運動の結果設置されたコミックス倫理規定委員会(the Comics Code Authority、CCA)は従来の映像倫理規定Hays Codeをさらに拡大解釈して実践。そこには「父権主義の称揚」とか「作品からの非白人の排除」といった現代の感覚においてはポリコレ基準と真逆の内容が含まれていたが、少なくとも一部の日本人は、そうした「女性や黒人を同じ人間として扱うのはかえって差別である」なる考え方をむしろ「先進的価値観」として喜んで自ら積極的に鵜呑みにし「ダッコちゃん撲滅運動」や「ちびくろサンボ撲滅運動」を熱狂的に展開していく。これが日本におけるポリティカル・コレクトネス(Political Correctness、略称PC)運動の起源となるからややこしい。
アメリカには「日本の市民団体はナチス並み」と考える向きがある。
*次に目をつけたのは永井豪「ハレンチ学園(1968年〜1972年)」で、この動きは「ハレンチ大戦争」と呼ばれる壮絶な展開を遂げた後に(新左翼系の若者の人気を集めていた)日活ニューアクション運動を廃止に追い込み、売上の全てをソ連を礼賛する反戦映画「戦争と人間シリーズ(1970年〜1973年)」に注ぎ込ませる事に成功する。
「野良猫ロック」と日活ニューアクションの時代/店主の誘惑
*そしてやがて「左翼大連合」が結成され「左翼にあらねば人にあらず」とさえ呼ばれた「左翼黄金期」が訪れるが、皮肉にもその動き自体が「終わりの始まり」となってしまう。
- 1950年代米国における女性に対する態度については「モナリザ・スマイル(Mona Lisa Smile、2003年)」あたりを鑑賞するのが手っ取り早い。この速品を鑑賞して「これこそ回帰すべき女性のあるべき姿」と心の底から思えるかどうかが「Facebook右翼」か否やの踏み絵となる。そして実は米国における公民権運動やヒッピー運動などにおいてもあくまで「女は男に従属する事で初めて人間となる」という立場は貫かれていた。
*これに嫌気がさして政治活動から足を洗った竹宮恵子が創立した「大泉サロン」が少女漫画に新たな息吹を吹き込む事になる。
②私自身の情報源は国際SNS上の関心空間で出会った女性アカウントや非白人系アカウントに限られるから偏っているが、それによれば多くのアカウントがFacebook上には女性や非白人のマイクロ・インフルエンサーを好んで狩る自警団の嫌がらせに遭い、これにウンザリして以降Facebookは連絡網としてしか利用しない事に決めたとしている。もちろんFacebookは公式は「そうした存在は既に摘発して駆逐し尽くした」と宣言し、マスコミもこの発言を支持している。
*奇しくも日本にソーシャル・ハラスメントの概念が普及した時期と合致するが、内容は随分と異なる。というより海外Facebookでは一人が何か問題定義するとたちまち数百人から数千人の助っ人が駆けつけるので「自警団」と映るのかもしれない。国際SNS上の関心空間成立以前、すなわち「暗黒時代(The Dark Age、2011年〜2012年前半)のTumblrにもそういう空気なら確実に存在した。
- インフルエンサー・マーケティング分野におけるソーシャル・スコアリング設定競争の過熱との関連性は不明。ただ同時進行で起こった出来事ではある。
- 人数的にはインスタグラムへの脱出者の方が圧倒的多数を占め(Tumblr会員が約2億人、Pinterest会員が約1億人なのに対してInstagramの会員は約5億人)、インフルエンサー・マーケティングの主戦場もそちらに推移した。
- こうして4chanや8chanやReggitに匿名で潜むオルタナ右翼(Alt-Right)達がFacebook上に最後まで残留した1950年代回帰派を扇動する基本構造が準備されたとも。ただしマスコミはスポンサードの兼ね合いから、4chanや8chanやReggitやTwitter上で暗躍するオルタナ右翼(Alt-Right)達に宣戦布告して徹底弾劾を誓いながら、実際に扇動によって暴力事件を起こす「Facebook右翼」については今日なお報道管制を敷いたままである。
*マスコミがオルタナ右翼を本気で叩けば叩くほど暴力事件が増加する悪循環は、こうした「オルタナ右翼とFacebook右翼の強いWin-Win関係」に支えられている。これに対抗すべく「オルタナ左翼(サンダース候補を見限った無政府主義者達)」は現在「トランプ候補に投票した人間を一人残らず炙り出してリンチにかけろ」運動を積極的に展開中。しかし「主義者」故に扇動に強い彼らは、それ故に一般人をまるで扇動出来ないジレンマを抱え、苛立っている。
- そもそも欧米でサイバー倫理学(Cyberethics)が提唱された背景には、この状況が放置されている事への義憤の高まりがあった。
こうして全体像を俯瞰していくと、2016年大統領選挙において得票数としてはヒラリー候補がトランプ候補を上回った事自体が奇跡だった事が明らかになってきます。なにしろこうした基本構造に加えて以下の様な追撃まであったのですから。
- 民主党は「トランプ候補を応援してるのは白人貧困層」なるマスコミの誘導に盲従して、本来は民主党の支持基盤たるこの層に対して徹底的なネガティブ・キャンペーンを展開。その多くを絶望のあまり投票放棄に追い込むという「大戦果」を挙げる。
- サンダース候補を見限った無政府主義者達も積極的に第三党への投票キャンペーンを展開して「大戦果」を挙げる。
さらに将来は「極右と極左が共闘していく流れ」が見られるかもしれないという指摘も。おそらくそうなったら4chanや8chanやReggitに匿名で潜みながら「Facebook右翼」を扇動してきたオルタナ右翼(Alt-Right)はFade Outしてしまうに違いありません。
そうした層も、国際SNS上の関心空間に組み込まれた穏健派男子アカウントも「常にJokeを飛ばし続け、自分をHighな状態に保とうとしているが、その実何も信じてないニヒリスト」という人間としての本質的部分は一緒。
そして、まさにこの部分がFalloutシリーズの荒廃した景色と重なってくる次第。
ある意味、ジョージ・ロメロ監督のゾンビ映画(1968年〜)とか、ランボー第1作(1982年)なんかの延長戦に生じた世界感ですが、そのセンスが(第二次世界対戦や朝鮮戦争を良き戦争と懐かしむ)1950年代回帰派とか、元ヒッピー層といった「自分の悩み事だけて手一杯の層」にずっと黙殺され続けてきた新世代により虚無色の強い状態で継承されてる状況そのものが、様々な問題を引き起こしてる様にも見える訳です。
最近になって少しは状況が変わってきた様です。「彼らは危険なほど明るい(They're dangerously bright.)」。ええ、まさにこれ。良い意味でも悪い意味でも。
これは面白い。ユダヤ系米人から見たアメリカのオルタナ右翼と、トランプ氏参謀のSteve Bannon。左翼の反ユダヤ主義よりはよっぽどマシ、ということらしい。https://t.co/KDPVQeg9vQ
— Masayoshi Nakamura (@masayang) 2016年11月19日
たしかにガチの反ユダヤなら娘夫婦がユダヤ教の大統領など応援せんわな。
さて翻って日本。日本の場合はこの部分、一体どうなってるんでしょうか?