諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【オルタナ左翼】【無政府主義】「日本の一揆」と何が違うのか?

日本のリベラル層より米国の「オルタナ左翼(Alt-Left)」の方が純粋な形で共産主義Communism)を体現しているという話があります。

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Vegan Revolution

まぁ明らかに「共産主義(Communism)」というより「無政府主義(Anarchism)」で、当人達もそれを全然隠してませんが。米国のマスコミやリベラル層が擁護してるせいで、日米ともにあまり報じられる事はありません。それにしてもどんなに頑張っても「Bernie Mafia」と呼ばれてる集団との境界線が見出せない…明らかに「反資本主義=反イスラエル主義=ユダヤ人差別主義者」なんて層も混ざってるんだけど、どうやら「主義者同士は喧嘩しない」ルールが彼らの間には浸透してる様です。まぁそれで「極右との境界線が消失しつつある」なんて言われてる訳ですが。

ブラック・ブロック - Wikipedia

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http://selbstgerecht.tumblr.com/post/150275594208/from-this-short-explanation-of-what-black-bloc

まぁ共産主義者同様、彼らの「格好良い」イメージの大源流は古代ギリシャ時代のスパルタ(Sparta)なのでこうなるとも。

ラケダイモン人の国制

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国際的に「環境左翼」「反戦左翼」「人権左翼」と呼ばれてる層よりはるかに「周回遅れで現れた新左翼運動」という印象。

  • 彼らの本拠地はTumblr上にあって、C.R.A.C.のHPがTumblr上にあるのも、おそらくそれにあやかりたいから。現時点では完全に黙殺されている。

    玉井克哉(Katsuya TAMAI)(@tamai1961) 2015年9月7日 (twitter)

    jiro kokuryo 國領二郎‏(@jirok) 2015年9月7日 (Twitter)
    僕の世代はデモで要求を通そうとして、段々ヒステリックに、暴力的になっていき、孤立深める姿を見てきた。最後は大勢が殺害される惨劇まで。子供たちの世代が同じ過ちを起こさないように、その危険はちゃんと伝えたい。最後は選挙で決着が基本なので、忘れないで

    faine(‏@faine_goldman) 2015年9月7日 (Twitter)
    民主主義が機能してなくて選挙制度が意味をなしていないのが問題なのではないでしょうか。それなのに選挙で問題を解決するのですか?果たして出来るですか? 大いに疑問ですな。

    玉井克哉(@tamai1961) 2015年9月7日 (twitter)
    忘れっぽいですね。「民主主義がもはや機能していない。選挙制度など、意味をなさない。国民の声を直接聴くことこそ、真の民主主義だ」。隣国生まれの元伍長が大衆運動とともに唱えたこの主張を真に受けたドイツ人民は、地獄に堕ちましたよ。

  • 見るからに本気度が違うし、そもそも彼らみたいに本気出したら、間違いなく日本のマスコミは擁護しちゃくれない。

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    Kropotkindersurprise — October 15 2016 - After a demonstration for...

  • 実は、こうした連中がマスコミやリベラルから擁護されてるのも、所謂「オルタナ右翼(Alt-Right、集団というより4chanや8chanやRedditに匿名で潜んでる連中がファクトチェックの甘いFacebook上の保守層を扇動するシステムそのもの)」台頭の遠因の一つだったりする。

 彼らの合言葉は「Against All Authority」。

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実はこれが日本人には原則として伝統的にピンときません。まぁ「神中心主義(Theozentrismus)」と「無神論(Atheism)」や「瀆神論(Blasphemism)」は表裏一体の関係。そもそも前者が根付いてない文化圏では後者が広まる事もないとも。

一応は「婆娑羅」とか「傾奇者」なんて例外もありますが、これはむしろ前近代的身分制が内包していた矛盾の枠組み内で語るべき内容かもしれません。

すると日本の「一揆」辺りは、どんな原理で回っていたんでしょうか。

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Ratio04(2007年11月29日発行)「日本の中世」論 「日本の中世」像を更新する。本郷和人新田一郎本郷恵子+東島誠+榎本渉

東島 話の出発点は(前年に有力大名山名氏が倒されて室町幕府の政権が安定し、南北朝が合一され、陸奥国出羽国(今日の東北まるまる)の管轄が室町幕府から鎌倉府に移され、(室町幕府が経済的に依存する商業都市京都の)京中商人への課税権が朝廷から離れ幕府に完全移管する一方で、こうした青写真の一切を引いたと目される細川頼之が死んで三代将軍足利義満の親政が始まった)1392年でしたが、ここに至るには2つのエポックメイキングな年があったと考えられるんですね。ずばり1349年と1367年です。1349年から1350年にかけては所謂観応の擾乱があって尊氏・直義兄弟の二頭体制が終わり、鎌倉公方基氏と京都の将軍義詮兄弟の「二翼両輪」体制が始まった年、1967年はこの二人が相次いで亡くなって、新たに管領となった細川頼之が文字通り新時代をスタートさせる年。「太平記」の最終エピソードもこれとなっています。

東島 私の考えでは、この1349年という年が、天皇とそれを取り巻いて「踊る」人々の座標を決定付けた「天皇制」誕生の年ではないかと思う訳です。…「新しい人々によって、そこに天皇がいない事が発見された」そのイヴェント会場が同年6月に四条河原で開催された勧進田楽だったのです。実に多くの見物人が押しかけました。貴族・武士そして庶民が雑居して桟敷を構え、これが三重・四重に組み上げられた結果、興業の最中に重さに耐えかねて崩れ落ち大惨事となりました。「太平記」はこんな狂歌を紹介しています。「田楽の将棋倒の桟敷には王ばかりこそのぼらざりけれ」。群衆の中には将軍足利尊氏がいて、関白二条良基がいて、いろいろな人が「踊って」いるなかで「王ばかり」天皇だけがいない、そういう乱痴気騒ぎの状況です。そこには二つの読み解くべき構造がある。

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東島 一つは少なくとも百年後の寛正年間にの糺河原勧進猿楽では到底見られない様な、身分秩序が壊されている状況。文字通りの無礼講で、都市の新興民衆、地下人(官位を持たない名主や有力庶民)や商売人、関白・将軍達が芸を見て笑ってる限りにおいてはフラットである、という感覚の中で田楽が興行されている。エネルギーが充満していて、踊りを見ている観客の精神もまさに乱舞してる訳です。足利直義の様な頭のかたい古い人、伝統を重んじる人達から見るとこれは「誠にけしからん」ことなのですが、逆に尊氏をはじめとする、いわばファッションの最前線にいる人達は「こうやって身分も関係なく騒ぐのがトレンドだ」と。それは尊氏と直義の分岐点を象徴的に示すアリーナであった訳です。二条良基もそうですが、武家や地下人など、新興市民層とでもいうべき人々と新しい文化を楽しもうという、既存の権威から自由な人々の集会場だった訳ですね。南北朝時代は全てが「こき混ぜ」の文化ですから「ひっくり返る」可能性を強烈に持っていた時代なんですね。以前「江湖」という近代の自由民権家の代名詞として使われた言葉を取り上げましたが、それが最後に花開いとのも、実はこの南北朝時代なんですね。ところが実際には「ひっくり返る」事はなかった。
*「江湖(ごうこあるいはこうこ)」江西省湖南省、あるいは大きな江(川)と湖(狭義ではその代表格たる長江と洞庭湖)の並称。転じて官に対する民間、世間一般を指す言葉。中世では禅宗世界を中心に使われた。座談会参加者の東島誠氏は天皇や将軍などの権力が現出する「公」でなく、民間の「江湖」にこそ真の公共圏を求めようとしている。

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東島 そこに読み取るべきもう一つの構造があって、それが桟敷に王がいないという状況という事なんですね。つまり一見、身分制を解体するような方向性を持っていながら、王=天皇だけが例外となっているのです。この「気がつけば天皇だけがいなかった」という状況が可視化されるのが約百年後の糺河原での座敷配置です。そこには将軍足利義政日野富子の夫妻がいて、あとは百年前と同じ様なメンバーです。関白がいて宮門跡がいて幕閣の主だった者がいる。指定座席になっていて、将軍夫妻の真ん中にある空席、それはもちろん天皇の席なのですが、これを残しながらだいたい身分が高い方から低い方に序列化して座る。もはや「らんちき騒ぎ」じゃないんですね。実にお行儀がいい。当時の記録を見ると実際には民衆達も見に来ているのですが、完全に桟敷外に置かれている状況です。そういう風にして百年前は「おう、天皇はいないぜ」くらいのノリだったものが、今や天皇の席を来場がない事を前提に設えている。まさに天皇=空虚な中心ではないですけれども、天皇が存在し続けると同時に、日本に世界がひっくり返るような革命が起こらなかった、その理由が歌詞的に見える場所がこの劇場だと思ったのです。

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本郷(和)天皇制の真の成立がそこに見えるということですか。

東島 これは結局「主体」というものの立ち現れ方の問題なんですね。人々の集合の仕方とか、責任の取り方のお話なんです。中世後期には国人から農民に至るまで様々な階層が一揆を結成しましたが、この一揆契状、一味神水といういかにも中世的な集合の仕方が問題なんですね。
一揆契状…「一揆する」とは元来、人々が力を合わせ事を為そうとする事で、そうして形成された集団が「一揆」と呼ばれた。中世にはまず武家がこれを形成し、やがて百姓もこれに続く。また一揆を結ぶ時に作成される、仲間への協力を神仏に誓った文書を一揆契状と呼んだ。

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それは古い民衆闘争史観的に言うと、新しい時代を作るとか、その後の社会史の文脈でも「徳政の鐘」を鳴らして時間を区切るのだといわれてきました。ですが、一揆というのは基本的に人を糾合、集める事は出来ても、既存のシステムは解体する事が出来ないんです。惣村は結局は上部権力の下請けに過ぎないし、それどころか人々から税金を取る下位権力にもなっていく訳で、一揆という集合の仕方は決っして社会というのを大きく「ひっくり返えす」力までは至らない。これは構造上の問題だろうと思うのです。一揆契状の傘連判も中心は空虚ですよね。これはさっきの座時期の座敷の取り方と同じなんです。人々の責任の取り方として、当事者自身ではなくて、例えば神を持ち出してくる。八幡大菩薩とかね。ここにアナロジーとしての天皇制が成立する。そういう責任放棄の思想が武士から農民まで等しく行き渡ったのが、室町時代の文化の色々な場面に見える。人々の一期的所作であると思っています。
*傘連判一揆を構成するメンバーの署名の仕方。平面的に名前を列挙すると端に署名した者が首謀者と解釈されてしまうので円を描いて名を連ね、上下関係を示さない方法がとられた。

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*こうした歴史は日本における匿名性の歴史や「南都北嶺(南都興福寺比叡山延暦寺)」の強訴に遡れそうだったりする。

これはむしろ比較対象が以下ですね。

  • 古代アテナイにおけるディオニューシア祭(Dionysia) …海上帝国繁栄の対価として、内陸部の果樹園地主層が外国人商人や工房主や水夫達に妥協。
    アテナイ人の国制

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  • ヴェネツィアにおけるカーニバル(Carnevale di Venezia)…貴族層はあくまで裏方に徹しつつ新興富裕層と政略結婚を続け、船主や水夫は無礼講を楽しんだ。のちに観光資源として利用される。

    face〜仮面〜

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  • 江戸幕藩体制下において庶民の間に広まった花見の習慣…「身分階層の違いを忘れる無礼講」が階層間の緊張緩和に役立ち、むしろ身分制維持に役立つ。一方、当時の日本は英国などと同様に消費経済の担い手が王侯貴族や宗教団体からブルジョワ階層や庶民に推移しており、経済振興の役割も担わされていた。

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意外と「(商業)システムにきっちり組み込まれた無礼講」だったりするという…これじゃ「革命の原動力」になんてなりっこない?

そもそも日本は中世そのものがこういう国でしたね。