諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【北朝鮮】【韓国】「ブロイラーの赤眼鏡」とナショナリズム

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以前の投稿で「(「隔壁さえ落とせば民族的純度は保てる」と考える)半島・孤島型排外主義」と「(負けを認めたら確実に滅ぼされるので、敵対した相手は手段を選ばず敵を滅ぼし尽くそうとする)大陸型排外主義」について触れました。

概ね前者のケースにおいては「対話の成立」が、後者のケースにおいては「勢力の均衡」が無用な衝突を避ける鍵となります。しかしながら、ネット上での振る舞いに限るなら、不思議にしばしば真逆の展開を辿る事も。

*「対話の成立」の基調をなす国際協調路線も人道主義も貨幣数量説も、その起源はスペイン帝国サラマンカ大学まで遡る。派遣したコンキスタドール(Conquistador、征服者)がインディオを虐殺し、植民地から収奪した金銀の持ち込みによって欧州に価格革命を引き起こした当事国こそがまず真っ先にこの問題について悩まざるを得なかったし、その結果到達した「国際協調体制(ヴェストファーレン体制)」は、むしろその枠内に収められなかったフランス、スウェーデン(後にその座を帝政ロシアに譲る)、大英帝国プロイセンといった諸国に翻弄される羽目に陥ってしまうのだが。

勢力均衡(Balance of power) - Wikipedia

19世紀以降、欧州の国際秩序を維持するために各国間の軍事力に一定の等質性(パリティ)を与えることにより、突出した脅威が生み出されることを抑制し、地域不安や紛争の誘因を低下させることを目的として考案されたバランス型の秩序モデル。

  • これを特に国家戦略として用いたのが「大英帝国」と呼ばれた時期のイギリスであり、イギリスの基本的国益である独立と貿易の安定化のために、交易国たる小国の独立維持に積極的関心を強めた。イギリスは小国の独立を脅かす国はすべて敵国であるという姿勢で臨み、そのため、勢力均衡のためには自国の軍事力を高く維持するという独特な勢力均衡政策がとられたのである。

  • 19世紀のイギリス外相であったジョン・ラッセル勢力均衡について、ヨーロッパでは要するに数か国の独立を意味すると述べている。均衡関係とは必ずしも友好関係の有無やその程度を示すものではないが、このラッセルの認識は自国の存立や国益の確保のみならず、近隣諸国との相互に等質性そのものに意義を置いていることがわかる。

こうした考え方が安全保障の主流であった時代においては、世界における安全保障の中心はあくまで自国の国家、国民、領土、そして国益の確保を主な使命とする個別安全保障にあった。

勢力均衡の特徴として、一国ないしそれ以上の国々が革命的であれば逆に均衡維持が困難となる。何故ならそれは本来的には対立関係があることを前提として、対立が力関係を崩壊させることで戦争を発生させるシステムだからである。

国家間の勢力均衡が成立する要件としては、顕在的であれ、潜在的であれ敵対する国があることが第一の要件といえよう。

  • 国際的な協調体制のある地域では存在しない概念といってよく、このことから民族的・文化的・歴史的対立がそれを派生される可能性が指摘されている。

  • 不当な国に制裁を加えられる体制さえあれば勢力均衡の状態は生まれないといわれる。

戦前の歴史を見れば明らかな通り、勢力均衡は結局、戦争を食い止められなかった。こうしたことから、集団安全保障や協調安全保障といった新たな秩序体系が形成され、国際連合による集団安全保障体制が国際秩序の主流になっている。

  • 日本のネット上において「日本人が奪い尽くされ皆殺しにされ尽くすまで人類平等の理念は回復されない」式のプロパガンダに邂逅した日本人は、概ね多くが「対話は不可能。そして人道的に間違ってる相手に容赦はいらない」みたいな覚悟を決めて全面闘争モードにシフトしてしまう。
    *「半島・孤島型」は常にあらゆる状況において「一所懸命」であり「パーソナル・スペースの侵犯」に敏感だからそうなるとも。そして、それが分かってるから、こうしたプロパガンダは日本では表立っては行われない。

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  • 国際SNS上の関心空間においては、上掲の様なタイプのプロパガンダに邂逅しても、割と「植民地出身者が宗主国について考えてる事なんて大体一緒。まぁ、だからずっと野蛮人のままな訳だけど(笑)」みたいな冷やかしを入れてあっさり流してしまうケースが大半。
    *「大陸型」は「不愉快な対象には最初から意識を傾けない(立ち去れる時は立ち去る)」が基本的態度なのでそうなるとも。アメリカ人は思うより「南米諸国の反米プロパガンダ」や「急進派黒人の白人皆殺し宣言」などで、こういう論調に慣れているのである。おそらくそれは「例え肉親や友人でもゾンビに変貌したら躊躇なく殺せる」乾いたメンタリティと表裏一体の関係にある。
    :: 3/22:ヒューマニズムの居場所 | HoneyDipped ::

こうした振る舞いは、コンラート・ローレンツ「攻撃(1970年)」「ソロモンの指環 動物行動学入門(1987年)」における「狼は狭い檻の中に一緒に閉じ込めておいても互いに殺しあわない。だが鳩はどちらか一方が死ぬまで殺し合う」という逸話を思い出させます。

ローレンツの書いた「ソロモンの指環」という本の中で、交雑品種を育成しようとしてヨーロッパキジバトとジュズカケバトを同じカゴの中に入れておいた話が出てくる。

 あくる日帰ってみると、ぞっとするような光景がくりひろげられていった。キジバトはかごの一隅の床にたおれていた。その後頭部と首のうしろ側、さらに背中じゅうが、尾のつけ根にいたるまで羽毛をむしられて丸坊主にされていたばかりでなく、一面にベロリと皮をむかれていた。この赤裸の傷口のまん中に、もう一匹の平和のハトがえものをかかえたワシのようにふんぞりかえっていた。

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ローレンツによれば、オオカミのように武器を持つ動物は「同類虐殺を防ぐ保証」、つまりは仲間に対する攻撃行動の抑制を進化的に発達させてきたが、ジュズカケバトはその必要はなかったという。

ジュズカケバトはそのような抑制を必要としない。この動物は相手を傷つける力がごく弱く、おまけに逃げだす能力がじつによく発達しているからである。したがって、ハトのようにくちばしが弱く、つっつかれても羽毛が二、三本ぬける程度の武器しかもたぬ鳥どうしなら、そのような抑制なしでも十分やってゆけるわけだ。負けたと感じたほうのハトは、相手から第二の攻撃が加えられる前に、さっさと逃げてしまう。けれど、せまいおりのように不自然な条件のもとでは、負けたハトはすばやく逃れる可能性を封じられてしまう。そこでいよいよ、このハトには仲間を傷つけさいなむことを妨げる抑制が欠けていることが、完全に露呈されてしまうのだ。

むろん、ハトは体罰も自殺もしない。しかし、逃げ場のない環境でなされる攻撃の危険性について、なにがしかの教訓は得られるだろう。

どうやら「独立戦争勝利して多大な自信をつけた国民」の多くが、その後しばしば互いを虐殺し合う悲惨な内ゲバ状態に突入してしまうのも、こうしたメカニズムによるものみたいなんです。
フランス革命を乗っとるのに成功したジャコバン派は、他派全ての粛清に手を染めたばかりかヴァンデの反乱(1793年〜1796年)鎮圧に際して「妊婦の腹を裂き、赤子を竃に放り込む」地獄部隊を投入し、フランス絶対王政下でブルジョワ的繁栄を謳歌してきたリヨンやトゥーロンの住人を霞弾で大量虐殺。しかし後世においてそうした残虐行為は全て「ナチス大日本帝国が行なったもの」と転嫁される展開を迎える。何故ならフランス革命はあくまで絶対善でなければならず、ナチス大日本帝国はあくまで絶対悪でなければならないから。こうした「自国民はあくまで一人残らず善人でなければならず、外国人は一人残らず悪人でなければならない」と考えたがる偏狭な攘夷主義的ナショナリズムもまた「大陸的思考様式」のバリエーションの一つだったりする。

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沖方丁「微笑みのセフィロト(2002年)」

暗黒時代とは誰もが楽しげに歌い踊っている明るい世界だった。なぜなら少しでも集団の和を乱す者はすかさず魔女裁判に掛けられ、偏見の極みを持って抹殺されてしまう世界でもあったからである。

  • なまじそれまで全面的に会話を拒絶され、一方的に弾圧される「弱い立場」だったが故に「自らの攻撃性を状況に応じて抑制する」必然性を一切理解してない。
    *例えば次々とイスラム過激派を生み出す母体となっているアラブ・ナショナリズムは「イスラム文明の繁栄を途中からペルシャ人やトルコ人に乗っ取られたアラビア半島内陸部住人の悲哀」抜きには語れない。ISIS団の声明にも「今度こそ我々の手でローマを屈服させる」なる一節がある。ここでいうローマとは東ローマ帝国の事であり、何よりもまず彼らは、それを滅ぼしたのが(トルコ系の)オスマン帝国であったという歴史的事実そのものが許せないのであった。
  • なまじ勝利によってその自尊心が肥大してしまったせいで「(必要に応じて)誰かや何かに妥協する」屈辱に全くといって良いほど耐えられない。
    *皮肉にも「石油の発見」によって莫大な富を獲得したアラビア半島内陸部住民は「勝利者」として振る舞う特権を獲得。これが様々な側面においてモラル・ハザードを引き起こす結果を産んでしまう。

以下の様な投稿もまた、こうした観点から読み返されるべきかもしれません。

これって割と「(発想が大陸型で)妥協を知らぬ北朝鮮人に負い目を感じ続けてきた(発想が島国・孤島型で)根が協調的な韓国人」という図式が背景にある様なのです。例えば戦前の朝鮮独立運動家の出身地に目を向けて見ても、大半が朝鮮半島北部出身。

  • 李承晩(1875年3月26日〜1965年)黄海道開城市近郊の平山郡馬山面大慶里(現・黄海南道峰泉郡)にて生誕。本貫は全州李氏。朝鮮独立運動家にして大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)。

  • 安重根(1879年〜1910年)黄海道の道都海州府首陽山の両班の家に生まれる。前韓国統監の伊藤博文を、1909年10月26日に北満州のロシアが権益を持つハルビン駅構内で襲撃し、殺害。ロシア官憲に逮捕されて日本の関東都督府に引き渡され、1910年3月26日に処刑される。

  • 金九(1876年〜1949年)黄海道海州出身。本貫は安東金氏。先祖は朝鮮時代中期の領議政金自点とされる。大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、首相代理、国務領(首相)などを務めた。1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、李承晩と対立して1949年6月26日に暗殺される。

さもなくば故郷の柔弱さに見切りをつけ、それをより苛烈な形で弾劾する様になった「転向者」タイプか、「(そうした変貌すら遂げられず)おそらく死ぬまでずっとどっちつかずでフラフラしたまま終わる」タイプ。

  • 金元鳳(1898年〜1958年?)慶尚南道密陽生まれだが独立運動に意義を見出し満州に渡る。義烈団・朝鮮義勇隊で活動し、大韓民国臨時政府の光復軍副司令官となる。日本の敗戦後、1948年に民主主義民族戦線(以下、民戦)などで活動しながら、金奎植・金九などと共に南北連席会議に出席した後、韓国に戻らず、北朝鮮に残留。北朝鮮社会主義政権が樹立された後は、朝鮮労働党中央委員会中央委員、最高人民会議常任委員会副委員長などを歴任した。

  • 申采浩(1880年~1936年)忠清南道大徳郡山内面於南里出身。「読史新論(1908)」「乙支文徳(1908)」「水軍第一偉人李舜臣伝(1908)」「東国巨傑崔都統伝(1909年)」「大東四千年史(1910年)」などを著して檀君に祖先を求める朝鮮民族主義史観の基礎を固めたが、それは「北朝鮮こそ正当な国家で韓国は偽物国家」という内容。

  • 呂運亨(1886年〜1947年)…京畿道楊州出身。青壮年期から独立運動に関わっていた活動家ではあったものの李承晩ほど極端な反日主義者ではなく、より現実的・建設的な日朝(日韓)提携を模索していた。気骨ある政治家で日朝双方で人気があり将来を嘱望されていたが、連合軍軍政期に暗殺された。

当事者達の分析によれば、どうやらナショナリズム云々の話というより「大陸型寄り気質の北朝鮮と孤島・半島型寄りの韓国の宿縁」とか「朝鮮王朝時代(1392年〜1910年)にすっかり文弱主義が染み付いてしまった韓国と、本国や中華王朝への反逆精神を最後まで保ち続けてきた北朝鮮の差」みたいな構図としてイメージされてる様なんです。考えてみれば帝政ローマスペイン帝国も「大陸的メンタリティ」と「島国的メンタリティ」が混在する「半島国家」であり「外縁部の聖なる野蛮」に引き摺られる傾向を有していました。
*日本でいうと「(世渡り上手の公家の本拠地たる)関西 VS (目標達成の為の非妥協的態度を基調とする武家を数多く排出してきた)関東甲信越・東北」みたいな対立図式に該当する?

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朝鮮の大陸史観 - Wikipedia

韓国の大陸史観の起源は、日本である。

  • 学界からは相手にされない民間在野史学の中で、「借地史観」または「借地論」とよばれるジャンルがあった(「古代日本史は古代朝鮮史の焼き直しであり、古代朝鮮史は古代中国史の、古代中国史古代オリエント史の焼き直しである」、というもの)。

  • それを開拓し唱導していたのは鹿島曻であったが、韓国で世に知られず埋もれていた『桓檀古記』を80年代に入手すると、それを日本の自分の出版社から発行した。その本は自説の借地史観にかなりのページを割いたもので、評判はよくなかったが、これが韓国に逆輸入されて話題になったのである。

一世を風靡した鹿島曻の借地史観も、初期の頃は八切止夫の亜流の域を出ないものであった。八切止夫のネタ元は戦前の「スメル学会」(シュメールやバビロニアの資料と日本神話の共通点を指摘し、日本人や皇室の起源はオリエントにあると主張した人々)であり、さらに詳細に歴史をみると借地史観という形での歴史解釈の元祖は木村鷹太郎のようである。

そして「科学的マルクス主義理論に基づく清く正しい高度成長」なる幻想が崩壊した北朝鮮においては国民を懐柔し鼓舞する為に「いざ聖戦が始まれば、精強なる我々は劣等人種たる韓国人や日本人を好き放題に出来るのだ!!」と繰り返し刷り込み続けているという話。要するにナポレオン戦争にまでその起源を遡る「戦争によって戦争を養う」式の思考様式。

そういえば狭い檻の中でまとめて育てられるブロイラーには「最後の一匹になるまで一番傷ついて弱った仲間を集団で虐め殺し続ける」習性があるので、それを防ぐ為に「赤い眼鏡」をつけられた状態で育てられるとか。「死ぬのは日本が先であるべき」なる発想の大源流?

ブロイラー(英語: broiler)

食肉専用・大量飼育用の雑種鶏の総称。短期間で急速に成長させる狙いで作られた品種である。具体的品種としてはチャンキー、コッブ、アーバーエーカなどが主なものとなる。

  • 生育がとても早く、数週間で最大2kg前後の肉が取れることで知られている。ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4〜5か月かかるところをブロイラーは40〜50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。心臓にも負担がかかり、100羽に1羽は心臓疾患で死亡する。

  • もともとはアメリカの食鶏規格の用語で、孵化後2か月半(8-12週齢)以内の若鶏の呼称である。ブロイル(broil)とは、オーブンなどで丸ごと炙り焼きすることの意味で、ブロイルして売るのに適した大きさの鶏であるためこう呼ばれた。日本には第二次世界大戦後にくいだおれ創業者の山田六郎によってアメリカから導入された。

毎年、日本では6億羽のブロイラーが出荷されている。

  • 日本の採卵用鶏の養鶏方法の95%がバタリーケージ(ワイヤーでできたケージの中へ鶏を収容し、それを何段かに重ねて飼育する方式)であるが、肉用鶏のブロイラー養鶏は99.9%が平飼いである。

  • オールイン・オールアウトといって、同一の鶏舎には同じ孵化日の雛(採卵鶏と違い雛の雌雄鑑別は行われない)だけを入れ(オールイン)、これを育ててすべて出荷する(オールアウト)方法が主流である。

  • 経済性を追求するために、合理化された大規模な密閉型の鶏舎の中に収容され、通常他の生産システムより高い飼養密度で飼養されている。年々ブロイラーの飼養戸数が減少を続けているのに対し、1戸当たりの飼養羽数は着実に増加しており、一般的に1m2当たり16羽前後の過密飼いとなっている。

  • 4〜7日齢でデビーク(くちばしの切断、ビークトリミングとも呼ばれる)が行われる。過密飼いにより、お互いに相手の羽毛をくちばしでつついて傷つけたり殺したりすることを防ぐため。「デビーカー」と呼ばれる機械や、デビーキング用の熱したナイフなどで無麻酔で実施される。なお日本ではごく一部でしか行われていない。

  • 鶏は気嚢を持っており、その大きさは成鶏で肺の約9倍あり、酸素消費量は豚・牛と比べて3倍以上である。そのため有害物質(鶏の排泄物から発生したアンモニアなど)の鶏舎内での滞留は鶏の健康に悪影響を及ぼす。

  • 雛は羽毛の発達が未完成で、放熱されやすいため寒さに弱い。その一方で、鶏には汗腺が殆どなく呼吸によって体熱を放散させるため、高温下に長時間置かれると過呼吸となり熱射病になる。特にブロイラーは短期間で大型に成長するよう改良されていることや、高密度での飼養によって床面付近の温度が上昇しやすいことなどから熱射病にかかりやすい。

  • 照明時間を長くすることで、摂食行動を活発にさせ増体を促進させる、また雛に飼料や給水器の場所を覚えさせるためなどに、24時間点灯、夜間点灯、23時間点灯・1時間消灯などの光線管理が行われる。日本のブロイラー養鶏では約90%が光線管理を行っており、一般的に暗期の設定は行われていない。

生後51〜55日、体重2.5〜3㎏で出荷される。ブラジルが最大の生産国で、その生産量のおよそ5割を占め、日本が最大の輸出国である。

そもそもブロイラーの普及自体、日本で「カレーライス」「デミグラハンバーグ」「クリームシチュー」「オムライス」「生卵や納豆といった生鮮食品」が一般家庭の常食となった「1960年代における食の工業化」と密接な関係がある訳で…果てさて一体、どうなとめたらいいのやら…