諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

事象の地平線としての絶対他者④ 「老人系サイバーパンク」なる最終段階の輝き?

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Rock 'n' Roll精神の根幹はしばしば「高揚する精神に引き摺られる疲れ果てた肉体」と表現されます。そして、この次元において「事象の地平線としての絶対他者」は両者の橋渡しをするある種のテクノロジー、一時的に成功を夢見さえつつ最終的には究極の自滅に追い込む「悪魔そのもの」として登場してくるのです。

実は、ロックンロールとは何々だの何々は人の数だけある。そのすべてが正解であると同時に間違いだ。ロックンロールは何々だ、と言った瞬間にそれはもうロックンロールでなくなってしまうからだ。

たとえば、「ロックンロールとは貫くこと」。正解のひとつだ。しかし、もし「つらぬく」ことが目的になってしまった時点で、あるいはモットー、スローガン、生き方になってしまった時点で、それはロックンロールではない。カッコ悪いからだ。

ロックンロールはもっと柔軟でしなやかなものだ。

前述したことと多少かぶるけれど、ロックンロールとは、ロック&ロールなのであって、つまり、「揺れ転がる」。凝り固まっていない状態だ。時に応じて、貫いたり、妥協したり、クールだったり、ホットだったり。俺はこういう人間だと限界を設定しないこと。

その局面局面でズバリ正解していこうという精神の有り様だ。

その正解の物差は内なる普遍的なコモン・センス(英)、ボン・サンス(仏)、常識(日)である。常識というと、「常識を覆すことがロックンロールだ」とよく言うように、ロックンロールの対極にあるようだけれど、実はそうではない。常識というやつはもっと深いものだ。一般に人が言うところの常識とはマニュアル、規則、慣習みたいな意味であろう。だから俺はフランス語でこれをいうことにしている。ボン・サンス。良識のほうが正しい訳であろうか。そうした普遍なるボン・サンスを尺度にしているからこそ、ロックンロールはポップ・ミュージック足りうるのである。女子供を含めた万人に開かれているのである。

局面局面でズバリ正解していこうという精神の有り様、がロックンロール。つまりカッコいいのがロックンロール。
*とどのつまり「例え既存概念に逆らい善悪の彼岸に至ろうとも、己自身を内側から突き上げる衝動に誠実たらんとする(その結果大半がドラマティックな悲劇に終わる)」ロマン主義や「肉体主義=肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるフランス行動主義こそがRock 'n' Roll精神? しばしばそれはその「吸血鬼的=捕食動物的エゴイズム」故に嫌悪され、退けられると同時にスノビズムに拠って信者達から崇拝対象とされてきた。「成功を求めるミュージシャンやスポーツ選手や俳優が悪魔に魂を売る物語」はまさに「敗残者達の嫉妬」と表裏一体の関係にあった時代の産業至上主義(1960年代〜2010年代?)「神話」?

ロックンロール(Rock and Roll, Rock ’n’ Roll) - Wikipedia

1950年代半ばに現れたアメリカの大衆音楽スタイルの呼称。語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味であり、1950年代はじめには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。これを一般的に広め定着させたのは、DJのアラン・フリードであった。

  • 音楽的特徴としては、リズム・アンド・ブルースのほぼ均等なエイト・ビートや、ブルース・ジャズのシャッフル/スイングしたビート、ブルースのコード進行や音階(スケール)を応用した楽曲構成を挙げることができる。それら黒人音楽を基に、カントリー・アンド・ウェスタンを体得した白人ミュージシャンを中心として、双方のスタイルを混じり合わせ一般化した音楽であるとされる。

  • 楽器編成としては、エレクトリックギター、エレクトリックベース、ドラムスという構成が代表的だが、エレクトリックギターの代わりにアコースティック・ギターを使う例、ピアノを主体にする例、エレクトリックベースの代わりにアコースティック・ベースを使う例、ドラムスを使わない例、サックスやオルガンを加える例など多彩である。楽器編成の多彩さは、ロックンロールという音楽が様々な音楽スタイルをそのルーツとしていることを示しているとも言える。

  • 尚、主に白人ミュージシャンによるロックンロールの中で、特にカントリー・アンド・ウェスタンの要素が強くビートを強調したものをロカビリーと呼ぶ。実際には1950年代のロックンロールのうち、白人の演奏したものの大部分がロカビリーである為、特に過去の日本では“ロカビリー”と“1950年代のロックンロール”がほぼ同義語として使われることも多かった。

1960年代後半のロックンロールは進化の末にその枠を壊し、そうして新たに生み出されたサウンドの総称として「ロック」という言葉が使われる様になる。以降「ロックンロール」と呼ぶことは少なくなったが、その一方で「ロックンロール」と「ロック」は別の物として使われることもある。

これまでの投稿において私はしばしば(共産主義国家にイデオロギーとして選ばれた)科学的マルクス主義を「タコ(無政府主義的志向の強いマルクスの人間解放論)抜きのタコ焼き」と表現してきましたが、ロックンロールの世界は商業的成功と引き換えにこうした「河豚料理の毒の部分」が抜かれていく過程により敏感であったのです。

イーグルズ「ホテル・カリフォルニア(Hotel California;1977年2月) 」の歌詞解釈を巡る様々な議論

歌詞のあらましは、主人公がコリタス(サボテンの一種だが、マリファナの隠語)の香りたつカリフォルニアの砂漠エリアのハイウェイで、長時間の運転に疲れて、休むために立ち寄った小綺麗なホテル(実在しないホテル「ホテル・カリフォルニア」)に幾日か滞在し快適な日々を送ったが、堕落して快楽主義的なすごし方を続ける滞在客たちに嫌気して、以前の自分の日常生活に戻るためホテルを去ろうとしたものの、離れようにも離れられなくなった…という、一見伝奇譚的なミニストーリーであるが、歌詞の随所には言外に意味を滲ませる深みのあるものとなっているため、歌詞解釈について様々な憶測を呼び、評判となった。

On a dark desert highway,Cool wind in my hair,
暗い砂漠の高速道路で、涼しい風が髪をなびかせる

Warm smell of “colitas”、Rising up through the air,
コリタスの温かい匂いが、あたりに立ち上ってる

Up ahead in the distance、I saw a shimmering light,
頭を上げて見る彼方に、私は輝く光を見つけた

My head grew heavy and my sight grew dim,
頭が重くなり、視力がかすんできたので

I had to stop for the night.
このまま夜通し走り続けるのは不可能となった。

There she stood in the doorway,
彼女が入り口に立っているところで

I heard the mission bell
私は礼拝の鐘を聞いて

And I was thinkin’ to myself :
そして私は自分自身のことを考えた

“This could be heaven and this could be hell”
「これは天国か、それとも地獄かもしれない」

Then she lit up a candle,And she showed me the way,
すると彼女はろうそくを灯し、私に行き先を示した

There were voices down the corridor,
廊下をおりるとの声がした

I thought I heard them say
私は思った、彼らがこんなふうに言ってのが聞こえたと…

Welcome to the Hotel California,
ようこそホテルカリフォルニアへ

Such a lovely place,(Such a lovely place)Such a lovely face
なんて素敵な所(なんて素敵な所)、なんて素敵な顔

Plenty of room at the Hotel California,
ホテルカリフォルニアは部屋が豊富です

Any time of year,(Any time of year)
年中無休で(年中無休で)

You can find it here(You can find it here)
あなたはここで見つけることができます(あなたはここで見つけることができます)

Her mind is Tiffany-twisted,
彼女の心はティファニーのねじれ

She got the Mercedes Bends,
彼女の肉体はメルセデスの曲線

She got a lot of pretty, pretty boys
いつも沢山の可愛い男の子達に囲まれてて

she calls friends
彼女が友人と呼んでいる

How they dance in the courtyard,
彼らは中庭でダンスを踊っている

Sweet summer sweat
甘い夏の汗

Some dance to remember,
何人かは思い出すためにダンスを踊る

Some dance to forget
そのうち少なくとも一部は忘れる為にダンスを踊ってる

So I called up the Captain
さて、私はボーイ長(給仕長)を呼んで頼んだ

“Please bring me my wine”
「ワインを持ってきてください」

He said, “We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine”
だが彼はこう告げる。「私たちは1969年以前のスピリット(蒸留酒、魂)はここには置いていないんです」

And still those voices are calling from far away,
そして、まだ彼らの声が遠くから呼んでいる

Wake you up in the middle of the night
あなたは夜中に目を覚ます

Just to hear them say:
ほら聞こえるだろ、彼らが言っていることが…

Welcome to the Hotel California,
ようこそホテルカリフォルニアへ

Such a lovely place,(Such a lovely place)Such a lovely face
なんて素敵な所(なんて素敵な所)、なんて素敵な顔

They’re livin’ it up at the Hotel California,
彼らはホテルカリフォルニアで生きてくのさ

What a nice surprise,(What a nice surprise)Bring your alibis
なんて素晴らしい驚き(なんて素晴らしい驚き)それが貴方の存在証明

Mirrors on the ceiling,The pink champagne on ice,
天井のミラー、氷の上のピンクシャンパ

and she said:“We are all just prisoners here, of our own device”
そして彼女は打ち明けた。「私たちはみんなここの囚人、私たちが作り上げた所」

And in the master’s chambers They gathered for the feast,
またもや支配人の部屋に彼らは祝宴を開催する為に集まる。

They stabbed it with their steely knives,
彼らは磨かれたナイフでそれを刺そうとするが、

But they just can’t kill the beast
決して獣を殺すことは出来やしないのだ。

Last thing I remember, I was running for the door,
私が覚えている最新の出来事。ドアに向かって走ってた。

I had to find the passage back to the place I was before,
以前居た場所への通路を見つけなければならない。

“Relax,” said the night man, “We are programmed to receive,
「落ち着いて」と夜警の男たちは言った、「私たちはこの状況の保守要員です。」

You can check out anytime you like… but you can never leave”
「あなたは、好きな時にチェックアウトできますが、立ち去る事だけは二度と出来ないんです!」

  • 作詞者の3人が属するウエストコースト・ロックひいてはロック産業の退廃を揶揄しているという解釈から、カリフォルニア州キャマリロにあったカリフォルニア州立精神病院を描写しているという解釈、さらには全汎的にアメリカ社会ないし現代文明のひずみに対する憂いを表現しているという解釈まで、聴き手に様々な印象を与える歌詞となっている。

  • 特に主人公がホテルのボーイ長に対して(自らを取り戻して理性的になる為に)注文した「自分の(好みの銘柄の)ワイン」がなく「We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine…(そのような酒はこちらにはご用意しておりません,1969年以来…)」と返答された、という一節はあまりにも有名。spirit (スピリット)という言葉を「(蒸留)酒」と「魂」との掛けことばに用いて、当時のロック界を揶揄したものであると解釈されることが多い。これは、いわゆる ウッドストック・フェスティバルなどの大規模なコンサートが1969年以来行われるようになり、これ以降のロック界は いわゆる産業ロックと言われる商業至上主義に転向してゆき、各アーティストが求める表現の発露としての演奏ではなく、いかに好まれ大衆が購買し大量集客できるかを第一義においた曲の演奏を強制させられる時代となり、アーティストのスピリット(魂)など失われてしまった、と暗喩していると解釈するものである。そして同年12月、ロック界にとって外すことの出来ない事件「オルタモントの悲劇」が起こる。また、アメリカがベトナムから最初に撤退を始めた年でもある。

  • 「彼女の心はティファニーのねじれ、彼女はメルセデスの曲線を持っている(Her mind is Tiffany-twisted, She got the Mercedes Bends,)」の部分は、「ニューヨーク5番街の有名な宝飾店ティファニーの洗練されたデザイン、高級車メルセデスベンツの美しいライン」に象徴される内面的な気品と「女性の持つ腰のくびれやボディラインが高級品のようにゴージャス」という1930年にまで遡る流線型信仰の様なアメリカの古い伝統的価値観を想起させる(the Mercedes Bendsはthe Mercedes Benzのもじり・洒落)。そして同時にジャニス・ジョプリンJanis Joplin、1943-1970)が最初に歌ったサンフランシスコのサイケデリックバンド、ビッグブラザーホールディングカンパニーBig Brother and the Holding Company)に影響を与えたティファニーシェード(Tiffany Shade)とジャニス・ジョプリンの曲「メルセデスベンツ」を連想させジャニス・ジョプリンへのオマージュともとれる。だからこのホテルはそんな女性を中心とした、かわいい少年たちが踊り、「思い出す」「忘れる」という過去に囚われる一種のコロニー(女王に支配された蜂や蟻の巣)として描かれる訳である。しかしそうしたサイケデリック・ムーブメントによる自由な共同体という意識が、当時の若者の間でピークに達した年は衰退の始まった年でもあり、ジャニス・ジョプリンも1970年に亡くなる。

  • 主人公のホテル滞在中に繰り返し聞こえ幻聴とも思われる「Welcome to the HotelCalifornia…(ようこそホテル・カリフォルニアへ…)」の言葉の本質は何を意味するのか? また、従業員または滞在客が言った「We are all just prisoners here、 of our own device…(しょせんみんなここの囚人だ、自分の意思で囚われた…)」の意味は?(リンダ・ロンシュタットのバックバンドとして共にカリフォルニアでデビューした経緯と商業主義とセックス・ドラッグ&ロックに堕ちてゆく自分達の事か?)さらに、大広間の祝宴に集まった滞在客らが鉄製のナイフで刺し貫けるものの決して殺すことのできない「その獣(けもの)」(the beast )とは何のことを指すのか?(これは、歌詞のsteely knives(複数の鉄製ナイフ)がスティーリー・ダンを、the beastが音楽業界を指し、スティーリー・ダンをもってしても商業主義の音楽業界に立ち向かえなかったと揶揄している節がある。アルバム「ホテル・カリフォルニア」が発売される以前、スティーリー・ダンは自グループの曲中に(イーグルスの)うるさい曲をかけろと揶揄したことがあり、その当てつけに書き込んだとも)。

  • 「I had to find the passage back to the place I was before…(前いた場所に戻る道筋を探さなければならなかった…)」の意味するところは? 歌詞の最後は、こんな環境に居続けると自分がダメになると気づいた主人公が、出口を求めてホテル館内を走り回っていた際に警備員にたしなめられ「We are programmed to receive. You can checkout any time you like、 but you can never leave!(受け入れるのが運命(さだめ)なんだよ、好きなときにチェックアウトはできるが、決して立ち去ることは出来ないんだ!)」という印象的な言い切りの言葉で終わり、直後に続くフェルダーとウォルシュによるツイン・ギター・リフと そのフェイドアウト効果により、聴き手に深い余韻を与える構成となっている。

  • ちなみにcheckout (チェックアウト)は、北米口語でしばしば「自殺する」の婉曲表現に用いられるため、この一節は「死ぬまで逃げられない」と掛け言葉になっていると解釈することもできる。

日本のエンタメ業界にとっても1969年は「日常系元年」として忘れられない年だったする。白土三平の忍者物が畏敬の対象から嫌悪の対象に変貌してアニメ放映枠も急遽「ワタリ」から「サザエさん」に変更された年、TVシリーズでは当時の股旅物を凋落を象徴して最終回でハブに噛まれて死んだ柴又帝釈天の寅さんが「男はつらいよ」シリーズの主人公として奇蹟のカムバックを果たした年、そして「梅干しデンカ」「21エモン」と連続して外した藤子不二雄が「ドラえもん」でやっと長期連載を勝ち取った年…おそらくこうした一連の動きの背景には東京大学安田講堂陥落(1969年1月)や同年の東大受験中止、それを契機としての一般人の学生運動に対する評価の暗転などがあった。

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  • (おそらく完全にラリった状態で周囲に誰も居ない荒野のハイウェイを飛ばしていた)語り手は、冷たい風のせいで一瞬だけ我に返り「このままでは事故死は免れ得ない」と考えて近場のホテルに一時退避。「ここは天国鍛かそれとも地獄か?」と哲学的考察に入りそうになるが「彼女」が現れて案内を始めたのでその機会を失う。
    *欧米のヒネたアニメ漫画GAMEファンはここで日本人に問いかけてくる。「教会の鐘の音をBGMに現れ/蝋燭の炎で導く事で私から思考能力を奪い/捻れたティファニーの心とメルセデス曲線の肉体を備えた/沢山の男の子達を従えて踊るが全員友達に過ぎない女。さて日本人には誰に見えましたか?」と。例えば「ゆるゆり」には「これは永遠に高校生になる事も、男の子達と出会う事もない女子中学生達が、決して最期まで成就する事のない恋愛ごっこを永遠に続ける素晴らしい物語なんだよ」と、登場人物がメタ視点で語る恐怖回が存在する。欧米のアニメ漫画GAMEファンも「ゆゆ式がコカインなら、ゆるゆりはヘロイン」という微妙な褒め方をする。
  • ホテルの宿泊客は「解放されたくて」時々支配人の部屋に集まり「獣」を殺そうとするが、決して成功はしない。何故なら確かにそこが自分達で自分達のために用意した監獄に他ならないからだ。
    *欧米のヒネたアニメ漫画GAMEファンはここで日本人に聞いてくる。「獣の姿がどう見えましたか? デュラララ!!の折原臨也? サイコパス槙島聖護? それとも宮崎駿監督? 虚淵玄
  • 文学史を辿ると、そもそもラブコメやら日常系といったジャンル自体がナポレオン戦争下、フランスからの「危険思想」流入を相互監視の徹底によって抑え込もうとしていた英国でジェーン・オスティンが「既に時代後れとなって怖さを失ったゴシック・リバイバル小説」を当世風にアレンジする事で生まれたという側面がある。
    *つまり最初からラブコメは起源を恐怖小説と同じくするディストピア小説の派生ジャンルなのであり(だからレトリック的に必ず「社交界」とか「学園」とか「職場」といった(外側と対比される)主舞台としての枠を必要とする。少なくとも「1348年のペスト大流行を忌避して篭城した様々な人達の暇つぶしの語り合い」という体裁を選んだボッカチオの「デカメロン(1348年~1353年)」まで遡れる伝統)、何故か作者がそうした歴史に自覚的であればあるほど内容が冴えるのである。おそらく何をすべきで何をすべきでないか明瞭に見えてくるせいであろうが、その世界が完璧に近付けば近付くほど、背後で暗躍する「獣」の不気味な不死性も高まっていくという訳である。

どうやらアメリカ西海岸には「心の底から明るい作品は、心の底から暗さに染まった人間にしか生み出せない」という伝統的思考様式が存在する模様。その起源はもしかしたら移民ラッシュを背景とする1920年代の「サンフランシスコ・ボヘミアン運動」なのかも。このムーブメントは芸術活動の傍ら「巣を張るクモよ、来るべからず」というシェークスピア真夏の夜の夢』からの引用をモットーとするボヘミアン。クラブ・オブ・サンフランシスコで毎晩乱痴気騒ぎを繰り広げた。しかしアンブローズ・ビアス(「悪魔の辞典」で有名だが、実はクトゥルフ神話におけるハスターの考案者で「月明かりの道」は芥川龍之介「藪の中」の元ネタとされる)がメキシコに赴いて失踪し、ジョージ・スターリングが20代で青酸カリ自殺を遂げるとあっさり終焉してしまう。その残党が「千夜一夜物語」や「ヴァセック」の幼少時からの愛読者で小泉八雲にも熱中し(要するに異国情緒好き)米国文学史にはボードレール詩の英訳者として名を残すクラーク・アシュトン・スミスだった。ラブクラフトと交遊し1929年から1937年にかけてクトゥルー系小説を集中的に発表したのは彼にとってキャリアのほんの一部に過ぎない。そもそも画師でもあってホラー・ジャンル小説における挿絵に決定的影響を残した人でもあるのだ。それ以降も「移民への入口」米国西海岸はビーチボーイズイーグルスを、P.K.ディックやK.W.ジーターといった複雑な人々を生み出し続ける。

まさにこうした(「事象の地平線としての絶対他者」との邂逅が生み出した)ヒッピー文化の闇の部分こそが K・W・ジーター「Dr. Adder(執筆1974年頃、刊行1984年)」やデヴィッド・クローネンバーグ監督「スキャナーズ(Scanners,1981年)」といった作品の大源流であり、そしてまさにこの混沌状態から「TV系サイバーパンク」なるジャンルが派生したという次第。
*Dr. AdderにおいてはTV放映網こそが没入(Jack in)の対象となる一方で、P.K.ディックを揶揄したDJが海賊ラジオで流し続けるオペラ「ヴォツェック(Wozzeck、1925年)」がムードメーカーとなる。パソコンやインターネット登場以前の時代に電話体験とラジオ体験とテレビ体験とドラッグ体験を総動員して構築された「テクノロジーの進化が引き起こしたパラダイムシフトによって選択肢から外れた」未来ビジョンの一つ。

ヴォツェック - Wikipedia

しかしながらパソコンやインターネットが普及して一般人の意識にまでパラダイムシフトを引き起こすのは1990年代に入ってから。このタイムラグが様々な展開を引き起こすのです。

  • まず不変の要素について。それはドラッグ体験の導師として出発しながら、パソコン普及が始まった1980年代にはあっけなく「コンピューターとのマン=マシン・インターフェスを通じての人間の脳の再プログラミングの可能性」に乗り換えたティモシー・リアリーが提唱した「Turn on Tune in Drop out」の理念。
    *そして当時の人々はこれを(シンセサイザーヴォコーダーを駆使した)電子音楽体験やアーケードゲーム体験やTVゲーム体験と結びつけて考えたのだった。

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  • 日本における展開では、ドラッグ体験が希薄だった分を1960年代末より始まった「怪奇/オカルト/超能力/UFO/超古代文明/サイキック・ブーム」が補った。

    代表作としてはSF作家平井和正と漫画家石森章太郎との共作に始まった「幻魔大戦シリーズ(1967年〜、アニメ映画化198年)」、フランスのバンド・デシネ作家メビウスジャン・ジロー)の影響を受けた大友克洋童夢(1983年)」「AKIRA(1983年〜1993年、アニメ映画化1988年)」、士郎正宗攻殻機動隊(1989年〜、アニメ化1995年〜)」辺り。ここで興味深いのが、大友克洋が当時のインタビューに答える形で「社会変革は(現在の社会に完全に組み込まれている)大人達でなく、その枠外に追い出された子供や老人が起こすのです」と預言している点。あとチンピラ。伝統的巨大犯罪結社「ヤクザ」に入れない半端者達の一世一代の大博打。

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    *この流れがVRゲーム体験に拠った超越主義によって世界を変えていこうとする(その決断を下した時点で「被害者代表」主人公キリトが「加害者」茅場晶彦の共犯者に変貌する)河原礫「ソードアートオンラインSword Art Online、Web連載2001年〜、単行本化2009年〜、アニメ化2012年〜)」の大源流にはある。この作品の世界観はJ.P.ホーガン「仮想空間計画(Realtime Interrupt、1995年3月、邦訳1999年)」に多くを負っているが、その一方で「親世代となって保守化し、中年夫婦における倦怠期問題や不倫問題を主題に選ぶ様になった」「それにも関わらず反体制的立場に留まり続ける事に執着し続ける」TV系サイバーパンク文学やハイファンタジーからその部分を一掃する事によってサイバーパンク文学のリニューアルに成功した点において国際的に重要な意義を備えるに至る。

こうして「大人達」が自滅し、「子供達」が「大人達に一方的に好き放題搾取されるカモ」から脱却してコンピューターとインターネットに立脚する新しい時代への適応を始めた結果(パンドラの箱に最後まで残ったのが「希望」だった様に)このジャンルにおいては「老人」だけが「高揚する精神に引き摺られる疲れ果てた肉体の所有者」にして「事象の地平線としての絶対他者」として残ったのです。

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  • 上掲の様な歴史を振り返ると、その大源流に「ゲーテファウスト(Faust、第一部1808年、第二部1833年)」が浮上してくる。著者が老境に入ってから上梓された作品で、全生涯を研究に費やしてしまった老学者が悪魔に魂を売って実人生の謳歌をやり直そうとする物語。本国ドイツでは完全に黙殺されたが、フランスのロマン主義者達の間で高い評価を得てエクトル・ベルリオーズファウストの劫罰(légende dramatique "La damnation de Faust"、1846年)」や、フランスの作曲家がシャルル・グノーの「ファウスト(Faust、1859年初演)」の様なドラマティックなオペラ形式作品も製作されている。

  • TV系サイバーパンク文学者を廃業に追い込んだ最大の要因は「現実のコンピューター工学についての無理解」。その問題がなかったジェイムズ・ティプトリー・Jr.は「(「接続された女」を収録する短編集)愛はさだめ、さだめは死(Warm Worlds and Otherwise、1975年)」「たったひとつの冴えたやりかた(The Starry Rift、1986年)」といったタナトス(死への誘惑)に満ちた作品群を残して1987年に自死し、(物理学者にして凄腕ハッカーでもある)ルディ・ラッカー(何と哲学者のヘーゲルの5世孫!!)の「ウェア四部作(1982年〜2000年)」の冒頭を「高齢化して全土が老人ホーム化したカリフォルニア州に幽閉されたヒッピー世代の若者達に対する復讐」から始め、本業はテクニカル・ライターのテッド・チャン (Ted Chiang、姜峯楠) は「(自らが育てた娘の夭逝を冷徹に見守る)あなたの人生の物語(Story of Your Life、1999年)」、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロは「(若者が生体移植による老人の延命の為の素材としか考えられないディストピアを描いた)わたしを離さないで(Never Let Me Go、2005年)」を上梓する。
    *この様に欧米の老人方は決して「赤いちゃんちゃんこ」を着せられて引退などせず(あるいは深沢七郎楢山節考(1957年、映画化1958年、1983年)」に登場する老人の様に「(神風特攻隊の様に)自ら嬉々として自発的に」姥捨山に向かう訳でもなく)自世代の既得権益拡大の為に延々と努力を続けるのだった。

  • 日本においても、本人の意思と無関係にサイバーされて暴走した老人を老ハッカー集団が救済する「老人Z(1991年)」が大友克洋江口寿史のコンビによって製作されている。この物語において若者は(「ひるね姫」の主人公達と同様に)単なる狂言回しを演じるに過ぎない。
    老人Z - Wikipedia


おや、20世紀に入るまでにいつの間にか「親子関係における親側の優位宣言」なんて代物が「老人側」に合流してしまっていますね。その一方でデジタル・ネイティブ世代のサイバー環境への観点はそれまでの世代と全く異なっていて「事象の地平線としての絶対他者に対するアンヴィバレントな姿勢」を備えておらず、むしろ「老人側」全体をそれと認識するのです。その一方で「老人側」は次第に「若者側」に対して同様の態度を剥き出しにする様に。
*滅多に使われない漢字熟語「絶天地通」は、まさにこういう状況を指す。原義は「その境界線から曖昧な緩衝領域が失われ華夷の峻別がはっきりする事」といった内容だが、ここでは相互が対等の立場からそれを敢行するという辺りが興味深い。

こうして世界を俯瞰する姿勢は次第に「(主体性確保をめぐる)老人と若者のハルマゲドン(最終決戦)」なる新たな次元に突入していったとも。その過程でいつの間にか「老人系サイバーパンク文学」は想像力が尽きて「若者に一方的に権利を侵害される被害者として復讐を誓う善良無垢な老人達(老人側の立ち位置)」の大軍勢の中に埋もれていってしまったのかもしれません。いずれにせよカズオ・イシグロ「わたしを離さないで(Never Let Me Go、2005年)」の時点でもはや彼らは「(自分達が生き延びる為に)若者の生きる権利を一方的に搾取する加害者」としてしか表されなくなっていました。ある意味老人側が「事象の地平線としての絶対他者に対するアンヴィバレントな態度」を手放し「(自分が優位な状態における)身分制の固定の様なもの」を積極的に求める様になった当然の帰結とも?

 そういえば肉体労働の現場においては、最新技術導入によって「性別を問わず溶接やフォークリフト油圧ショベルなど免許獲得者の方がより稼ぐ」なる新ルールが生まれ、男女格差が若干解消されました。最近では強化外装の研究が盛んに行われ、実用間近となっていますが、こうした技術の進歩は両者の対立関係に果たしてどんな影響を与えていくのでしょうか?
*この対立軸においてはあくまで「まだまだ未発達の年端もいかない少年少女」と「後は身体が衰える一方の老人達」が等価に置かれるのが興味深い。

 

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