諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「欧州史のパサージュ(Passage)」としてのベルギー

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シュルレアリスム絵画の大家ルネ・マグリットRené François Ghislain Magritte, 1898年〜1967年) を生んだベルギーは、ある意味「欧州史のパサージュPassage)」と呼ぶべき存在とも。ここでいうパサージュ(Passage)とは、ある意味後期ウィントゲンシュタインいうところの言語ゲームSprachspiel)の視覚化されたバージョンで「語られ言語化される」過程に代わり「散歩の過程で目に飛び込んでくる風景の連続」過程を経て認識者の認識上に顕現するという次第。

①元来は「西フランク王国東フランク王国の緩衝地帯」として栄えたフランドル地方の一部。中世に栄えたブルッヘ/ブリュージュフラマン語Brugge、仏語Bruges、英語Bruges、全盛期12世紀~15世紀前半)は一旦、その座をアントウェルペン/アントワープオランダ語Antwerpen、フランス語Anvers、英語Antwerp、全盛期15世紀後半~16世紀)やアムステルダムAmsterdam、全盛期16世紀後半~18世紀)に引き渡したものの、産業革命の時代に入るとブリュッセルフランス語Bruxelles、オランダ語Brussel、ドイツ語Brüssel、英語Brussels)が国際的に有望な投資先として急浮上してきた。

②北方ルネサンスの中心地の一つ。ルーベンスレンブラント。そして「象徴主義詩人の父ボードレールが晩年を過ごした場所。

ベルギー革命1830年)を可能とし、ベルギーワッフルを名物としたのは「砂糖と製鉄の伝統」。そして産業革命時代に国際投資が集中したのはその製鋼業と鉄道敷設事業のせいだった。

④「大日本帝国憲法1889年)」に一番大きな影響を与えたのは「ビスマルク憲法Bismarcksche Reichsverfassung、1871年)」とされるが、そのさらなる大源流に「ベルギー憲法1831年)」が位置している。共通する最大の特徴は議会が機能しない場合への備えの充実で、ベルギーの場合は(今日なおしばしば「無政府状態」を生み出し続けているワロン語圏とフラマン語圏の伝統的対立、プロイセン / ドイツの場合は(制限選挙によって議会の議席を独占し既得権益墨守を最優先に振る舞うブルジョワ階層への不信感、大日本帝国の場合は(まさに憲法発布によって初めて組織される)新米の議会と議員に対する不信感がその根拠とされていた。

⑤そして欧州全体を巻き込む大戦が勃発すると、必ず「通り道」として利用される。そういえば第二次世界大戦中のマーケットガーデン作戦を扱った「遠すぎた橋A Bridge Too Far、原作1974年、映画化1977年)」の舞台でもあった。

遠すぎた橋(A Bridge Too Far、原作1974年、映画化1977年) - Wikipedia

なまじポルトガルやフランスや英国やオランダの様な分かり易い興亡史を築いてこなかったせいで独自の集-立(Ges-Tell)システム(後期ハイデガーいうところの「特定目的完遂の為に手持ちリソースを総動員しようとする体制」)抽出が難しい一方、隣接する大国の集-立(Ges-Tell)システムには概ね絡んできた不思議な歴史…まぁそこがパサージュ(Passage)と目に映る所以とも。