諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ロミオとジュリエット】【フランケンシュタイン博士の怪物】【吸血鬼ドラキュラ伯爵】土葬と英文学の関係について。

 

思わぬ作品の思わぬ重要な共通項…

ちなみに実はシェークスピアロミオとジュリエットRomeo and Juliet、初演1595年前後)」の舞台はイタリアの都市国家ヴェローナ、メアリー・シェリー「フランケンシュタインFrankenstein、1818年)」の主舞台(死体漁りの現場)はドイツ(あるいはスイス?)の山中、ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラDracula、1897年)」の主舞台(伯爵が眠っていた場所)は東欧の山中だから「英国における土葬の習慣の有無」との直接の関係はなかったりして。

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 ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、初演1595年前後) - Wikipedia

舞台は14世紀のイタリアの都市国家ヴェローナ。1239年に神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世の協力を得て、近隣のロンバルディア同盟諸国(パドヴァヴィチェンツァトレント)を征服し、その絶頂期にあったが、ローマ教皇グレゴリウス9世はフリードリヒ2世を反キリストであると非難して近隣ロンバルディア同盟諸国を擁護し、再破門したことから戦争となり、以来ヴェローナの支配層は教皇派と皇帝派(ゲルフとギベリン、Guelphs and Ghibellines)に分かれて熾烈な争いが繰り広げられるようになった。皇帝派(ギベリン、Ghibellines)のモンタギュー家(モンテッキ家)と教皇派(ゲルフ、Guelphs)のキャピュレット家(カプレーティ家)も、血で血を洗う抗争を繰り返すことに巻込まれていた。
*14世紀に入ってなお無意味な争いを続けるモンタギュー家とキャピュレット家の怨恨が若いカップルの悲劇を契機に和解するというのが全体の筋立て。

なお現実のヴェローナにおいても支配者がスカリジェリ家(デッラ・スカラ家)、ヴィスコンティ家、パドヴァのカッラーラ家と変遷する都度、その支配階層の間で憎しみを帯びた熾烈な闘争が勃発してきた。実際の結末は物語より味気ない。1402年にヴィスコンティが死ぬとヴェローナの同盟者のひとりであったパドヴァのカッラーラ家がヴェローナの支配権を手中に納めたが、そのカッラーラ家も3年後には滅び、ヴェローナパドヴァの両方を喪失。1405年にヴェネツィア支配下に入る形でやっと闘争の時代は終わりを告げ、以降はその状態がヴェネツィア共和国終焉まで続いたのだった。その状態においてなお(いやむしろその状態ゆえに)16世紀ヴェローナは商業また文化の中心として発展し、数多くの学校が生まれ、ヨーロッパ規模の文化的な活動が展開されたのだった。
*ただしこの世紀における人口は振幅が激しく、1511年に38,000人だった人口は1512年には25,000人に減少し、1526年には55,000人に上るが、1530年にはペストのため20,000人に減少している。
ヴェローナ - Wikipedia

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フランケンシュタイン(Frankenstein、1818年) - Wikipedia

スイス名家出身の若手学生が留学先のドイツ大学において自説を否定され、ルサンチマンを晴らすべく「(死体を使ったおぞましい実験」を続ける。

  • 優れた体力と人間の心と知性を持ち合わせた「理想の人間」の設計図を完成させ、それが神に背く行為であると自覚しながら自ら墓を暴き、人間の死体を手に入れ、これをつなぎ合わせて「怪物」を創造。盲点は筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜かった事で、そのあまりのおぞましさに絶望して怪物を残したまま故郷のスイスへと逃亡する。しかし、怪物は強靭な肉体のために生き延び、野山を越え、途中「神の業Godlike science)」 である言語も習得して雄弁になる。やがて遠く離れたフランケンシュタインの元へたどり着くが、自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ迫害され、孤独のなか自己の存在に悩む怪物は、フランケンシュタインに対して自分の伴侶となり得る異性の怪物を一人造るように要求する。怪物はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束するが、さらなる怪物の増加を恐れたフランケンシュタインはこれを拒否する(フランケンシュタイン・コンプレックス)。創造主たる人間に絶望した怪物は、復讐のためフランケンシュタインの友人や妻を次々と殺害する。憎悪にかられるフランケンシュタインは怪物を追跡し北極海まで辿り着いたがそこで客死。そして、創造主から名も与えられなかった怪物は、創造主の遺体の前に現れ、彼の死を嘆いて北極点において自らを焼いて地上から消滅させる為に北極海へと消える。

  • すなわち「犯罪者の脳を用いたから知能の低い極悪人になってしまった」とか「フランケンシュタイン博士は領主の嫡男の立場を利用して所領でおぞましい実験を続けた」「怪物は最後、領民達の手によって風車小屋に追い詰められて焼かれる」といった設定は映画版の後付けだったりする。
    フランケンシュタイン (1931年の映画) - Wikipedia 

  • さらに映画版続編「フランケンシュタインの花嫁Bride of Frankenstein、1935年)」においては「真の創造主」たるメアリー・シェリーと「(怪物の要請に従ってフランケンシュタイン博士が創造した存在なのに、怪物をその醜さから拒絶する怪物の伴侶」が一人二役を演じるという複雑なメタ構造が採用された。
    フランケンシュタインの花嫁 - Wikipedia

実は、映画におけるフランケンシュタイン博士の供給源は、途中からH.P.ラブクラフト死体蘇生者ハーバート・ウェストHerbert West–Reanimator、1922年)」のハーバート・ウェストになってるとも。

ハーバート・ウェスト(Herbert West) - Wikipedia

ラヴクラフトの小説「死体蘇生者ハーバート・ウェスト(Herbert West–Reanimator、1922年)」において初登場した不道徳な医学者。その後、他のクトゥルフ神話のキャラクター同様、別のフィクション作品にも登場。この作品においてウェストが所属する架空の大学「ミスカトニック」も初登場した。

  • 死者蘇生実験を研究し、死者に対する恐れを抱かない人物として描かれるマッドサイエンティスト。上記の作品において唯一の友人とされる人物の助手が語り部として彼の行動を読者に解説する体裁を取る。
    *助手の本名は不明。物語は彼の一人称で語られる。17年間、共に人体蘇生の実験を取り組んでいた。ウェストが友人と呼べるのは助手だけ。助手の両親はイリノイに住んでいる。ウェストの実験に最初は興味を持っていたが、次第にウェストの実験に恐怖し、そして己もまた実験体とされる危機を感じはじめていた。ウェストの失踪後、ボストン警察に尋問を受ける。

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  • 体格は、小柄、金髪、薄い青い目をしており、眼鏡を掛けている。物静かな印象を受けるが、鋭敏な頭脳の持ち主。ミスカトニック大学医学部に在籍時に人工的に死を克服することが可能であると公言したことや、後述する蘇生実験から、教授や周りから嫌われていた。

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  • 実験の過程でついに人間で実験を行おうとしたが、ミスカトニック大学医学部長アラン・ハルゼイから実験の禁止を言い渡されたので助手の手引きでミドウ・ヒルにあるチャップマンの所有する廃屋を手に入れ、ボストンや大学から(カモフラージュをつけて)道具を持ち出した。しかし新鮮な死体を求めて警察や病院を訪ねたが空振りに終わる。代わって共同墓地で防腐剤を撒かれていない死体が埋められたことを聞いて掘り出し実験した。1度目は、失敗し、2度目は、処方液を変えようと考えていたが死体が突然復活して叫びだしたため逃げた。

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  • その後は、経験の恐怖から一時中断したが、実験を再開するために大学に死体を提供することを頼んで断られた。最後の夏季講習でアーカムチフスが蔓延し、大学に多くの患者が運ばれたため、どさくさに紛れて死体を盗み解剖室に持っていって実験したが、死体は、復活せず焼却した。8月にハルゼイが過労死し、その死体を使って実験したところ肉体のみが復活し、知性が戻ることはなかった。

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  • 医師免許を獲得した後、コテージで外科医として医療所を開き、繁盛したそのかたわら、近くにあった墓地から新鮮な死体を取ってきては実験をしていた。裏ボクシングで黒人バック・ロビンソンが死亡した際、事態のもみ消しを条件に死体を引き取り実験したが、復活の予兆もなく墓に入れた。しかしロビンソンは、墓からよみがえって子供を襲い、ウェストは「彼」を射殺した。

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  • 1910年7月、助手がイリノイに帰っている間にウェストは、人工鮮度保存法を知り、セント・ルイスのローバット・リーヴィットと町中で出会った際、彼が突然心臓発作で倒れたことで新鮮な死体を入手した。1910年7月18日の夜にリーヴィットの死体を使って実験し、復活したが絶叫して再び死亡した。この時、一時的に復活したリーヴィットの口からウェストがリーヴィットを薬で殺害していた事が判明。

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  • 1915年に第一次世界大戦の最中、死体入手のために死体蘇生術の弟子モーアランド卿の手引きにより、助手と共に軍医として従軍。助手は、フランドルのカナダ連隊所属の大尉となった。3月の夜にそのモーアランド卿が飛行機でサンテロワに移動中、対空砲を浴びて墜落。他の死体は酷いが、モーアランドの死体は新鮮なものだったので、首と胴体を切り離して実験に使ったが、ドイツ軍の空爆で失敗に終わった。しかし助手は、空爆の直前、蘇ったモーアランドの首が叫ぶのを聞いていた。
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  • 戦後、ウェストと助手は、ボストンの墓地近くの怪しげな地下室がある館に住み実験を繰り返した。この時に召使を雇っている。ある日ウェストは、助手と共に新聞でハルゼイが入院させられているセフトン精神病院に蘇生された一団がやって来て、それらがハルゼイを救出したという記事を見て恐怖した。そしてウェストの館にモーアランド卿の首が入った箱が届く。ウェストは、箱を地下で焼却したが、その夜に地底からモーアランド卿の胴体に率いられた死体たちが現れてウェストを八つ裂きにし、そして蘇生させて地底に連れ去った。

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その後、世間ではウェストの失踪に助手が関与したと疑っている。そして助手も抗弁もできぬまま、己が狂気で幻覚を見たのか、それとも正気でいつか死体たちが再来するのかを、どちらにしても恐れている。

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*ちなみに国際SNS上の関心空間においては「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」の映画版「ゾンバイオ/死霊のしたたり(Re-Animator、1985年)」は「 フランケンフッカー(FRANKENHOOKER、1990年)」とセットで語られる事が多い点。

最低映画館〜フランケンフッカー

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吸血鬼ドラキュラ(Dracula、1897年) - Wikipedia

そもそも吸血鬼文学の起源は、神聖ローマ帝国オスマン帝国を押し返してその所領を東欧方面に大幅に広げた結果、現地のエスニックな伝承が欧州に大量に流れ込んだのを起源とする。
*屍蝋が生じやすい風土だったが故に「生者を呪う遺体を討伐する」伝承が生まれ、かつ暴虐な領主が死亡すると「二度と蘇れない様に」領民が深夜密かに墓を暴いて心臓に鉄杭を打ち込む慣習が存在した。後者は今日では観光資源となり「吸血鬼の里」のトレードマークに。

ブルガリア国立歴史博物館館長のボジダル・ディミトロフ(Bozhidar Dimitrov)氏は、「中世の異教信仰では、タブーとされる行為を犯した人物は死後、吸血鬼へと変身し、生者を苦しめると考えられていた」とロイター通信の取材に語っている。また、12~14世紀のブルガリアでは異教信仰が広がっており、現世で悪行を働いた人間は死後に吸血鬼となって蘇ると考えられていたという。遺体に鉄の棒などを打ち込む行為は、吸血鬼への変化を防ぐために行われた。

イタリア、フィレンツェ大学の法医考古学者マッテオ・ボリニ氏によると、東ヨーロッパで盛んだった吸血鬼信仰は、17世紀末ごろから西ヨーロッパにも浸透していったという。同氏は2009年にベネチアで、吸血鬼と疑われて口をレンガでふさがれた16世紀の女性の骨を発掘している。

当時のブルガリアでは、吸血鬼と疑われる人の扱いについて独自の考えと儀式はあったものの、吸血鬼の概念についてはヨーロッパに広くあったものと大きな違いはなかったとボリニ氏は話す。「背景としては東欧全域でほとんど同じだった。吸血鬼の概念自体は同じで、違いがあったのは吸血鬼が人を攻撃する方法と、その攻撃を止めるために用いられたエクソシズム悪魔払いの方法だけだ」。

ジェンキンス氏は前掲書で、吸血鬼のように死者が人肉を食べるという考えはヨーロッパでは17世紀まで現れないと述べている。しかし、ソゾポルの一方の遺体から歯が抜かれていたことは、ブルガリアではその考えがさらに数百年前から存在した可能性を示唆している。

その関係から、当初舞台に選ばれたのは(19世紀に入ってからの独立戦争オスマン帝国から独立したギリシャだったりする。

ブラム・ストーカーが再発見した「串刺公ヴラド・ツェペシュ関連文献は、実は実録というよりルネサンス期における出版技術の進歩を受けた政治的プロパガンダ用小冊子(パンフレット)の残滓だった。当時ハンガリー国王だった「正義王」マーチャーシュ1世(I. Mátyás, 在位1458年〜1490年)は神聖ローマ帝国皇帝の座を伺う野心家でもあった為、オスマン帝国との対決は避けたい方針だった。そこで(オスマン帝国の侵攻に対して徹底抗戦を誓う)ワラキア公ヴラド3世を捕縛して幽閉してその悪逆非道ぶりを喧伝する一方(事実上オスマン帝国の傀儡たる弟の)美顔公ラドゥを後釜に据えている。ちなみにその後もワラキアは(当時から始まったオスマン帝国的中央集権制の導入を積極的に推進し続け、その果てに登場したのがルーマニア大統領チャウセスクの専制だったりする。
*ちなみに「将来スルタンとなるメフメトの若い頃の愛人としての美顔公ラドゥ」は、トルコの歴史ドラマにおいては屈指の人気キャラの一人とも。

マーチャーシュ1世(I. Mátyás, 在位1458年〜1490年) - Wikipedia

早すぎた埋葬」といえばエドガー・アラン・ポーですが、彼はあくまで「米国人作家」という位置付けなので、このレギュレーションにおいてはお呼びでない様です?