「VRが80年代と変わっていない」という話がTLを流れてきたけれど、とんでもない。1億円必要だったものが2万円でできるようになった、というのがこの5年の変化。PCでいえば、1970年代から80年代半ばまでの15年に相当する。量的変化がいつ質的変化になるか、がポイントで、来る時はたぶんいきなり来る。
— Munechika Nishida (@mnishi41) December 23, 2018
というか、経営系の人であれば、1970年代PC市場との類似から、今後どうなるかくらいすぐ推察してほしいと思うんだが。
— Munechika Nishida (@mnishi41) December 23, 2018
東大で行なっていたCABINだと、建物の構造を変更して作ったとか。
— Moroo Jun (@moroo) December 23, 2018
表示にSGIのWS Onyx 5台でディスプレイ、制御にさらに数台のWSが必要だったんじゃなかったかな。https://t.co/dfLUaaxfJW
廣瀬先生の作られたものですね。あれはかなり大規模でしたね。複数名で比較的快適に体験できる、という意味では、当時はあれが最適解だったろうと思います。
— Munechika Nishida (@mnishi41) December 23, 2018
「さよならCABIN」 五面大型ディスプレイに集った異分野の研究者たち | 科学コミュニケーターブログ
今では使い古されたVRという言葉が生まれたのは1989年ごろ。映像技術などを使ってそこにない仮想の世界をあたかも現実のように見せます。その手段として、当初はヘッドマウントディスプレイ(HMD)を使っていました(アイバン・サザランド氏がHMDを最初に作ったと言われています)。ゴーグル部分の映像とヘッドフォン部分の音響で視覚と聴覚をハックされ、仮想現実を体験できます。
「VR50周年」というのは、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)の原型をサザランド氏が1968年に開発してから50周年ということだ。サザランド氏といえば、コンピュータのインターフェイスとして直観的に操作する「スケッチパッド」を提案した博士論文の研究で知られるが、VRの系譜としてはHMDを開発している(このHMDはパイロットのシミュレーターとして開発された、いわゆる「軍事研究」ともいえる)。なお、VR(バーチャルリアリティー)という言葉は当時はまだなく、VRという言葉と概念が広まったのは、VPL Researchを設立してHMDを初めて商用化したジャロン・ラニアーによってだ。
コンピューター科学者のジャロン・ラニアーは、「仮想現実(VR)」という言葉の生みの親ではないかもしれない。その名誉は、20世紀初頭に芸術用語としてこの言葉をつくったフランスの脚本家アントナン・アルトーのものだ。しかし、その言葉をITに援用したラニアーは、素晴らしく理想的な父親として、この概念を育て上げてきた。
ラニアーは有名なVR企業、VPL Research(1984〜1999年)の創設者としてVRという言葉を広めるとともに、1992年のSF映画『バーチャル・ウォーズ』のカッコいいヘッドセットや装置から、失敗に終わったファミリーコンピュータ専用コントローラー「パワーグローブ」まで、初期のVRに関する多くの永続的なアイコンの創出にかかわってきた。アントナン・アルトー Antonin Artaud, 1896年〜1948年)- Wikipedia
フランスの俳優・詩人・小説家・演劇家。スミルナ(現在のイズミール)出身のギリシャ人の両親の元、マルセイユで生まれる。 幼少に罹患した髄膜炎の後遺症の痛みに耐えるために一生阿片などの麻薬を服用し続けた。
1920年ごろから俳優活動をはじめ、また詩も始める。
1924年、シュールレアリスム運動に加わるも、ブルトンと衝突。1928年、除名された。『NRF』誌のリヴィエールとの交信は有名。アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である「残酷劇」を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える。
1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。アベル・ガンス監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演(ジャン=ポール・マラー役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評されるカール・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期にジェルメーヌ・デュラック監督『貝殻と僧侶』(1927年)の脚本を書いている。
1936年、アイルランド旅行中に精神病院に収監され、1947年に退院するが、その体験を後に告発した。『ヴァン・ゴッホ』でサント=ブーヴ賞受賞。その思想はドゥルーズやデリダに影響を与え、その演劇論はピーター・ブルックらに受け継がれる。ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリがアントナン・アルトーの言葉をもとに自らの哲学的概念として展開した概念である。
全体に対して部分の持つ自由さが顕揚される。器官とは、機能に基づく生命維持のための有機体の一部分であるが(モル的)、同時に有機体としてではなく無意識における部分対象としてまったく別次元の存在(分子的)ともなる。
身体には有機体的サイクルとは別個の欲望する身体とでもいうべき「器官なき身体」が存在し、それにとって個体の生存を維持する諸器官は必要とされない。植物における成長サイクルと生殖サイクルをたとえにすれば、人間にとっては生殖器という器官は性行動にとって結果として使われるものに過ぎず、五感、全身を使って生殖活動があらゆる社交活動、創造活動へと広がってゆく。それは女性的な身体と言えるかもしれない。器官ある身体が、男性的身体、生存してゆく身体、個体を形成する身体だとすれば、器官なき身体とは、女性的な、包み込む、癒しの身体、対象を欲望し、また生み出す身体ということがいえるかもしれない。現代フランスの劇作家 A.アルトーが作った言葉で,G.ドゥルーズと F.ガタリがアンチ・オイディプスの中で再び取り上げ,一般に広まった。アルトーは,「身体は身体。器官はいらない。身体はけっして有機体ではない。有機体どもは身体の敵。人のすることは,どんな器官とも協力なしに全くひとりでに起こる」と言っているが,原義をよく伝えている。ドゥルーズらは,それを受けて個々の器官を統一する高次元の有機体,全体を支配する組織体を否定している。一般に,部分を一定の役割に閉じ込めてしまうような統一体が存在するという前提を捨てて,それぞれの部分に多様な組み合わせの可能性を開き,常に流動的で,新たな接合を求めていこうとする考えを表している。
1082夜『アンチ・オイディプス』ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ|松岡正剛の千夜千冊
まずはガタリがマシーヌとかマシニークという言葉を乱発する意図から入っていこう。
ガタリには『機械状無意識』とか『闘走機械』という本があって、しょっちゅう機械が出てくる。『アンチ・オイディプス』にも機械という単語は頻繁だ。
この機械という言葉のもつ磁場のような意味はなかなかの曲者で、たとえば「原始土地機械」「専制君主機械」「資本主義機械」などとつかわれるかとおもえば、「欲望は機械である」とか「戦争機械」とか「無意識とは機械である」とかというふうに、ギョッとするような用法になったりする。
いったい何が機械なのか、どういうことを機械的とか機械状と言っているのかというと、ここからはややマジメに解説しなければならなくなるのだが、ドゥルーズ=ガタリは、機械が何かにくっついた状態を強調したいのだ。何に機械がくっついているのかというと、この機械は身体や欲望にくっついている。逆にいえば、身体や欲望や表現や商品が機械にくっついている。
われわれは原始古代からずっと道具や器具を作りつづけてきた。その道具や器具とともに欲望や思索を開発してきたわけである。
たとえば、望遠鏡を発明して天体の謎をもっと深く解きたくなったのだし、蒸気機関車に乗ってからもっと速度を官能したくなった。ピストルがあるから離れた相手を殺したくなったのだし、カメラを手にしたから記念や証拠の写真を残したくなった。あるいは破り捨てたくなった。パソコンがあるからハッカーになれたのだし、ケータイがあるからメールをしたくなった。
そうだとすれば、こうした道具や機械とわれわれの思索や欲望や身体はくっついていると見なしたほうがいい。ドゥルーズ=ガタリはそのように人間の活動と道具や機械がつながっている状態になっていることを「欲望機械」とか「機械状」とかと名付けた。
これが、ドゥルーズ=ガタリが「機械」という用語を駆使する理由だった。ときに二人によってマシニスム(機械状主義)といわれる。まあ、わかりやすくいえば「みんな機械仕掛けになっている」という意味だ。
しかし、その機械状なるものがわれわれの思索や欲望と切っても切れないものになっているとして、そのことを表明することがどうして「資本主義と分裂症」という奇怪な統合標題があらわすためのホットワードになっているのかというと、これについてはもう少し深入りして説明する必要がある。まして「無意識は機械である」というような言いかたを理解するには、ドゥルーズ=ガタリとともにこのことをしばらく考えてみる必要がある。
まず、分裂症(スキゾフレニー)が大きな問題として扱われていることから解いておく。
ドゥルーズは、ガタリと『アンチ・オイディプス』を共著作業する4年ほど前の1968年に、『差異と反復』という記念碑的な本を刊行した。ここにアントナン・アルトーが出てくる。アルトーはシュルレアリスムにかかわったフランスの詩人で、異能の演出家でも役者でもあったのだが、1930年代後半から8年にわたって精神病院に入っていて、退院してパリに戻ってから2年後の1948年に、癌のまま人知れず死んでしまった。ただ、そのあいだに、文章やデッサンや演劇やカーニバルのプランをいろいろ書いた。生前はほとんど知られていなかったのだが、死後に『演劇とその分身』が発表されると、みんなが圧倒された。
その思考の跡はどんな領域にも収まりきらないもので、それをトレースしてみると、むしろ多様な境界を次々に侵食していくような、これまでにない根源的な思考の進みかたをあらわしていた。
このアルトーの思考の進みかたはあきらかに分裂症に関係がある。ドゥルーズは『差異と反復』でそのようなアルトーに注目して、そこに思考することの衝動のすさまじさを発見し、この衝動こそがあらゆる種類の分岐を通りすぎつつ、さまざまな固定した思想の中心を崩壊させ、亀裂させ、そのうえで新たなものを結びつけていく力なんだということに気がついた。そして、その衝動の発現が「器官なき身体」というものから出ていると見た。
ここに登場してきた、これまた奇妙な「器官なき身体」という概念は(ドゥルーズは概念を考えることが一番好きな哲学者なのだ)、アルトーが使っていた用語をそのまま流用したもので、ドゥルーズの説明では、ヨーロッパの歴史と社会の深層の危機を告げる拠点にあたるものだとされた。
そのイメージはアルトーの次の詩に暗示されている。皮膚の下の体は過熱した工場である
そして外では病者が輝いている
彼はきらめくあらゆる毛穴を炸裂させてまさに分裂症の渦巻く衝動を綴っている。ドゥルーズはしかし、この衝動を本物ととらえたのである。意識の本来の正体はこういうものだとピンときた。
そして、このような分裂症的な衝動(すなわち欲望)こそが思索の本来を貫くものとなり、さらには社会の滞留点をどんどんぶっこわしていくものになるのではないかと推理した。ただし、そこにニセの主体性やニセの精神分析による制御が加わらないかぎり…
こうした内容をもつ『差異と反復』の発表のあと、1968年のおわり近く、ドゥルーズはガタリと初めて出会う。ガタリはまさに精神病を研究している現場の精神科医だった。そしてパリが五月革命で燃え上がった劇的な舞台の片隅でドゥルーズ=ガタリとなった。
話を戻して、なぜ「資本主義と分裂症」という統合標題がついたかということだが、ドゥルーズ=ガタリは分裂症の本質には、衝動や欲望が内部にむかって押し潰されているところがあると見なした。そして、そのようになっているのは資本主義社会のせいではないかと考えたのだ。いや、資本主義というものはもともとそういう本質をもっているのではないかと考えた。
なぜならひとつには、今日のような精神分裂症のひどい広がりは古代はむろん、中世近世にも、少数をのぞいて蔓延しているとは想定できない。どうも資本主義の発達と定着にしたがってふえたと考えられる。そうだとしたら、資本主義というものは欲望を内部に溜めてしまう欲望機械であり、分裂症は資本主義社会で自分の欲望に走ろうとしているかぎりは、だれにとっても発症しうるビョーキだということになる。
ここからはいろいろの見方が出てくる。フランソワ・リオタールのように、これをリビドー経済学ととらえて、経済がたえず欲望を隠蔽し、排除し、変形しているというふうにも解釈できるし、ピエール・クロソウスキーのように、経済の構造は情動(欲望でもいいのだが)の副次構造にすぎないとみなすこともできる。
しかし、ここにはさらにもうひとつの問題が裏打ちされている。それは、そのように資本主義がつくった精神のビョーキを、フロイト以来の20世紀の精神分析学はかえって封印するか、歪んで取り出してしまったのではないかという問題だ。この問題は資本主義の問題よりも、ばあいによってはもっと大きな問題である。ドゥルーズ=ガタリは、もしそのような問題があるのなら、それは、精神分析学というものが本来の欲望の動向が示すものが何かを見届ける前に、そこに"健全な主体性"というものを設定して、そこからずれるものを心の病いにしてしまったのが原因になっているのではないかと見た。それなら、これを告発するぞと決めたのだった。
総じてフロイト心理学というものは、無意識がうまくコントロールされずに外にはみ出してしまった心理現象をもって、これを精神病と規定した学問である。
もともとは、ヒステリーや神経症がキツネや魔女や悪魔などのせいではなく、また本能や遺伝や家系などのせいでなく、幼児期などに受けた心の抑圧が要因になって、それがさまざまに体にあらわれて病いのかっこうをとっているとしたのだが(このようにしたからフロイト心理学は医学という科学になりえた)、しだいにその心のモデルが整理されるうちに、精神のビョーキは無意識(エス)、自我、超自我といった自己規定型の概念でことごとく説明されるようになっていった。
こうなると、ビョーキの説明概念が人間の心の説明概念にとって代っていく。
たとえばフロイトによれば、われわれが眠っているときに見る夢は目的が果たされなかった願望の充足や補足なのである。子供は食べたいキャンディが食べられなくて、夢のなかでキャンディに会う。ただし大人は願望を満たせない自分というものも知っているから(それを超自我という)、夢のなかでもその検閲をおこなって、そのかわりに願望の対象を別のものに代替させて調整をとっている。本当かどうかは知らないが、女性は性欲をネックレスの夢に、男性は果たせぬ性欲をネクタイにする(逆でもいいけれど)。
平たくいえば、そういう解釈になっていった。これでは無意識を超自我がそうとう巧みにコントロールしないかぎり、いつもビョーキ寸前ということになる。
しかし、ドゥルーズ=ガタリに言わせると、この超自我の設定がニセの主体性の設定なのである。すなわちこのように分析して病名を決めてしまうから、本来の欲望が歪んだままになる。つまりここにはフロイトに始まる心理機械とでもいうものがはたらきすぎて、いわば無意識をも心理分析機械と切り離せないものにしてしまったのだ。「無意識は機械である」にはこのような意味がひそんでいる。ドゥルーズ=ガタリにしてみれば、コンプレックス(観念のつながりぐあい)は、「器官なき身体」がもたらす情動の霰走りであるはずなのだ。
それはアルトーの溢れるような発想になっていくはずのものであって、それをどこかで中断させたり、資本主義的な欲望にすり替えようとすれば(資本主義的な欲望なんてキリないものだから、そこにも必ず中断があるのだが)、病名としては分裂症というふうになってしまうだけなのである。
すでにレヴィ=ストロースやミルチャ・エリアーデが解明していたように、神話時代にはそのような発想は分裂症とはならず、商品購買やその私有ともならず、次々にイコンや物語や図像世界に向かって広がっていった。『アンチ・オイディプス』にはドゴン族の話もとりいれられているのだが、そこでは「私は母の息子であり、兄弟であり、夫である」というような、それこそフロイト心理学からすれば必ずやビョーキと裁断される幻想が翼をのばしている。
ドゥルーズ=ガタリは資本主義を否定したのだろうか。分裂症を肯定したのだろうか。そのどちらでもない。狭すぎる学問というものが作り出す意識や存在の規定が、ついに社会にこびりつくまでに至っていることを告発したのである。バーチャル・リアリティバーチャル・リアリティ(virtual reality)という単語は元々アルトーが造語した芸術用語であったが、「バーチャル・リアリティの父」と呼ばれるジャロン・ラニアーらにより仮想現実を意味する言葉として援用された。
その後、1992年に米イリノイ大学の研究グループが周囲をスクリーンで取り囲み、そのスクリーンにプロジェクターで映像を投影して仮想空間を作る「CAVE」を開発。このような「没入型ディスプレイ」と呼ばれる新しい手法が注目を浴びました。
これを進化させて日本に持ち込んだのが、CABINです。東京大学の廣瀬通孝教授らが開発して、1997年に東大に設置しました。
CAVEは四面を囲むものでしたが、CABINは床面も含めた五面構成(名前の文字数が面数に対応しているそう。ちなみに、その後岐阜県が開発した六面没入型ディスプレイの名前は「COSMOS」)でした。
画質とレイテンシーと軽量化の両立は80年台では1億円でも無理だったかもしれない、というのもあります。psvr 25000円!
— (パララッ)クマ (@parallaxma) December 23, 2018
これまでの投稿と照会してみましょう。
- ここでいう「器官なき身体(corps sans organes)」を巡る「(四方に錯綜する)情動の機械状構造」と「(恣意的分析基準に基づいてこれを正常と異常に振り分ける)精神分析的/資本主義的態度」の対峙は、私のこれまでの投稿では後期ハイデガーにおける「駆動因(Stellen)」と「集-立(Ge-stell)システム(特定の意図に従って手持ちリソースを強制的に総動員しようとする(逆に他の利用法も有用である事を否定したり、制限しようとする)体制)」のダイナミックな変遷過程に該当する。
- それは水平面においては勢力拮抗によってしか克服し得ない「究極の自由主義は先制の徹底によってしか達成し得ない」ジレンマとして現れる。
私は人間がその生きて行く状態を一人一人に異にしているのを知った。その差別は男性女性という風な大掴おおづかみな分け方を以て表示され得るものでなくて、正確を期するなら一一の状態に一一の名を附けて行かねばならず、そうして幾千万の名を附けて行っても、差別は更に新しい差別を生んで表示し尽すことの出来ないものである。なぜなら人間性の実現せられる状態は個個の人に由って異っている。それが個性といわれるものである。健すこやかな個性は静かに停まっていない、断えず流転し、進化し、成長する。私は其処に何が男性の生活の中心要素であり、女性の生活の中心要素であると決定せられているのを見ない。同じ人でも賦性と、年齢と、境遇と、教育とに由って刻刻に生活の状態が変化する。もっと厳正に言えば同じ人でも一日の中にさえ幾度となく生活状態が変化してその中心が移動する。これは実証に困難な問題でなくて、各自にちょっと自己と周囲の人人とを省みれば解ることである。周囲の人人を見ただけでも性格を同じくした人間は一人も見当らない。まして無数の人類が個個にその性格を異にしているのは言うまでもない。
一日の中の自己についてもそうである。食膳に向った時は食べることを自分の生活の中心としている。或小説を読む時は芸術を自分の生活の中心としている。一事を行う度に自分の全人格はその現前の一時に焦点を集めている。この事は誰も自身の上に実験する心理的事実である。
このように、絶対の中心要素というものが固定していないのが人間生活の真相である。それでは人間生活に統一がないように思われるけれども、それは外面の差別であって、内面には人間の根本欲求である「人類の幸福の増加」に由って意識的または無意識的に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。
- だが、こうした主体側の抱える問題にはまた別次元の処方箋が存在する。無意識中の「駆動因(Stellen)」が「機械状(Machinic)」に構成されているというのなら(それぞれが如何なる器官やデバイスやコミュニケーション要求に由来しているかに関わらず)これに最も効率的にアクセスするマン=マシン・システム(Man-Machine System)が想定可能な筈という着眼点。全体像など、どうでも有り得る。むしろ、それに適応する為の運転席をどう最適化すべきかという課題の持ち方…
そしてこうしたアプローチはコンピューター工学の次元において独自に「CUI(Character User Interface=キャラクタ・ユーザ・インタフェース)」から「GUI(Graphical User Interface、グラフィカル・ユーザ・インタフェース)」への変遷を経て「VR(Virtual Reality)上の統合的作業空間」という発想に向かいつつある。
なるほど、これが「古典的自由主義 VS 社会的自由主義の概念対峙」の最前線…
これまで私は世界商品の変遷を「香辛料(最初に世界史レベルで現れた駆動因(Stellen))→砂糖(人体を駆動する物理的カロリー源のコモデティ化)→綿織物(生産過程の機械式工場制への移行は、以降のOffice AutomationやAutomated Agriculture and Fishingの大源流でもある)→国際物流網樹立(あらゆる商品を量的に世界商品化して消費の主体を王侯貴族や聖職者といった伝統的インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層から新興産業階層にスライドさせる)→紙(印刷革命とメモリ低廉化を経てインターネットのリッチメディア化とスマートフォンのFirst Screen化に到達)」という段階論で説明してきましたが、その次の段階に位置付けられそうなのがこの流れ?