諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【事象の地平線としての絶対他者】ならば哲学とは何か?

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最近の私の投稿では「事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容し切れなくなった部分の切り捨てのサイクル」なる概念が気に入って、その応用可能範囲を確かめる為の試行という側面が強まっています。

特にスコラ神学やデカルト哲学の機械的宇宙論や仏教における「縁起の世界」概念(華厳経における「海印三昧の境地」概念はその発展形)をオブジェクト指向並列処理言語によって記述されるのが相応しい内容とし「メモリを満たす(それぞれの継承関係と同期関係が互いにカプセル化された)オブジェクト・インスタンスの集合体」として語り得るとした部分は屈指の最先端。先例との比較の積み重ねによってその内容をより一層具体的にイメージ可能とし続けなければならない状態に置かれているのです。
5分で絶対に分かる:5分で絶対に分かるオブジェクト指向 (5/6) - ITmedia エンタープライズ

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こうなるともう「スコラ学的=デカルト象限的な因果関係に基づく機械論的(Mechanique)宇宙観から、「千の高原」によって構成される機械状(Machinique)宇宙観へ」なる立場を採択した「ポストモダンの旗手ドゥルーズ=ガタリについて触れずには済まされません。
1082夜『アンチ・オイディプス』ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ|松岡正剛の千夜千冊

というのも、実際のオブジェクト指向並列処理言語によるプログラミングが「名前空間の適切な設定によるクラス継承とカプセル化の最適化」を志向するのに対し、少なくとも歴史上の現時点においては「世界全体を単独で説明可能な数理を発見しようとする姿勢」そのものは国際的に科学主義(Scientism)と蔑まれ、タブー視されているからです。その大源流は一般に「(人間に認識可能な)物(独Ding、英Thing)の世界」と「(その先に広がる)物自体(独Ding an sich、英Tthing-in-itself)の世界」を峻別したカント哲学とされますが、まさにこの問題について数多くの洞察を積み重ね21世紀につながる「哲学の新次元」を切り拓いたのがドゥルーズ=ガタリである事実は動かし様がないからなんですね。
ポストモダンのススメ | Cut The Corner

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そこでとりあえず、これ。

イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年〜1804年)はどちらかというと「色々な事に取り組み過ぎて晩年になるまで自分の考えをまとめ切れなかった人」というのが正しいのかもしれません。

  • リスボン地震(1755年)に衝撃を受けて同年(正規に出版されたものとしては)最初の論文「天界の一般的自然史と理論(Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels、カント31歳)」を発表し「太陽系は星雲から生成された」と論証(印刷中に出版社が倒産した為、極少数のみが公刊)。以降もこうした地質学的見地の発表を精力的に進める。

  • 英国政治家エドマンド・バーク(Edmund Burke、1729年〜1797年)の「崇高と美の観念の起原(1757年)」に衝撃を受け、1764年に「美と崇高との感情性に関する観察(カント35歳)」を出版。

  • 1766年に出版した「視霊者の夢(カント37歳)」ではエマヌエル・スヴェーデンボリについてこう述べている。「別の世界とは別の場所ではなく、別種の直感にすぎないのである。-(中略)-別の世界についての以上の見解は論証することはできないが、理性の必然的な仮説である。スウェーデンボルクの考え方はこの点において非常に崇高なものである。-(中略)-スウェーデンボルクが主張したように、私は、〔身体から〕分離した心と、私の心の共同体を、すでにこの世界で、ある程度は直感することはできるのであろうか。-(中略)-。私はこの世界と別の世界を同時に往することはできない。-(中略)-。来世についての予見はわれわれに鎖されている。」

    スウェーデンボリはカントより36歳年長のスウェーデンの科学者である。英国に留学して天文学(ハレーの助手をつとめたこともある)と機械工学を学び、帰国後は王立鉱山局で鉱山開発に辣腕をふるって貴族に列せられ、国会議員にも選ばれた。ところが59歳で引退すると、それまで隠していた霊能力を公然と披露するようになり、霊界のありさまを克明に描いた神秘的著作を矢継ぎ早に発表した。

    1759年のストックホルムの大火の際には、500km離れた地方都市の夕食会で突然顔面蒼白になって大火の様子を事細かに語りだし、後日その通りだったことが確認されるとヨーロッパ中の話題となった。

    この頃カントは出版社兼書店をいとなむカンターの家に間借りしており、大家でもあるカンターから依頼されて書いたのが『視霊者の夢』である。カンターはスウェーデンボリ・ブームが終わらないうちに急いで出版しようとしたのだろう、原稿段階で検閲を受けるのが原則なのに、ゲラ刷りになってから提出したため1万ターレルという巨額の罰金(50万円くらい?)を課されている。

    純粋理性批判』以前のカントは科学哲学者として知られていたから、カントは大槻教授のように科学的見地からのスウェーデンボリ批判を期待されていたはずである(カントは山羊予言者騒動の時もカンターに引っ張りだされ、『脳病試論』を書いている)。

    実際に読んでみると、のっけから憂鬱の風が体内で下降すれば屁となり、上昇すれば神聖な霊感になるとか、視霊者は火炙りにするより下剤を飲ませて腸内を浄化すればいいといった調子でスウェーデンボリをからかっており、風刺的文書に分類されるのも納得できる。

その独創性は案外「当時の普通の人なら見過ごしてしまう事に生涯拘泥し続け、何とか言葉にしようとした」事から生まれた様に見て取れます。「(人間に認識可能な)物(独Ding、英Thing)の世界」と「(その先に広がる)物自体(独Ding an sich、英Tthing-in-itself)の世界」を峻別したのもむしろ第三の立場、すなわち「直感(霊感)のみが到達可能な世界」を巡る諸概念を明らかにする為。しかも強過ぎる信仰心からそれを「数理のみ」としたデカルト哲学に生涯反感を感じ続け、以降もこの第三の道を模索し続けます。

哲学に真理がもしあるならば、それがもう本当は、我々の眼前にあったとしても、我々はそれを真理とは知らないのですから、隠されたものとしてしか存在しないわけです。

  • 立場としては第一次世界大戦(1914年〜1918年)参戦の衝撃から「論理哲学論考(Logisch-Philosophische Abhandlung / Tractatus Logico-philosophicus、執筆1918年、初版1921年)」を発表したヴィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年〜1951年)に近いとも。彼もまた自らは確固とした信仰世界を有しながら、むしろそれ故に安直な形而上学を排除すべく「哲学は内的矛盾を含まないある種の公理集として語られるべきである」「語り得ないものについては沈黙すべきである」と規定して以後の言語哲学分析哲学に強い影響を残した人物で晩年は英国に渡って帰化

  • 数理以外の直感(霊感)を重視したという点においては、「知識は力なり(Ipsa scientia potestas est)」の名言を残した英国哲学者フランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561年〜1626年)から数学者コンドルセ侯爵(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年〜1794年)に継承された学問体系再建プロジェクトを継承しつつ「全ての学問を統括するのが数学であってはならない」とし「実証哲学(Philosophie positive)」なる新学問の創設や(師匠サン・シモンの産業者独裁構想に対抗しての)科学者独裁構想を夢見たオーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年〜1857年)とも重なる。

英国やオランダやスイスでは自然発生的に始まった産業革命。ところが「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」の影響がまだまだ色濃く残っていたフランスやドイツなどの大陸国家群においては、まず社会体制そのものについてのビジョンの再構成を必要としたのでした。この時むしろ旧体制を庇って共に心中したのがヘーゲル、「産業者同盟構想」を打ち出して新たな未来を切り拓いたのがサン=シモン、後者のビジョンに拠って社会改変の面倒の大幅回避に成功したのがドイツ帝国と第日本帝国とアメリカだったとされています。

こういう経済史上最も重要な展開について完全に口を閉ざしてしまう辺りがフランス人哲学者の不思議なところ。そんなにマルクスから生涯にわたって「この人はただの無能で何一つまともな業績は残さなかった」と徹底してこき下ろされ続けたあの人の事について言及するのが恐ろしいの?

「もっとも主観的・主体的なものがもっとも客観的・対象的なものである」

まぁまさに「(科学的実証主義に立脚する)帰納推論」と「ユークリッド幾何学の様に内的には一切の矛盾を含む事なく言語的に記述され、その整合性を守り抜く為に「語り得ないものについては沈黙する」)演繹推論」の対比。

ところで「永遠の革命家」オーギュスト・ブランキ(Louis Auguste Blanqui、1805年〜1881年)は、自らの生涯を天体の永劫回帰運動に擬えて「革命は成功とは無縁。何故なら体制転覆は常に新たな反体制運動弾圧の始まりに過ぎないから」と述べています。あえて「事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容し切れなくなった部分の切り捨てのサイクル」にプロッティングするなら「永遠に切り捨てられ続ける道を選び続ける孤高のアウトサイダー」。科学的マルクス主義は「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(そんな偽りの世界を破壊し尽くしてこれから解放されない限り、人類は本物の幸福に到達出来ない)」としたマルクス当人の無政府主義的人間解放論同様、この思考様式を内的に取り込む事に完全に失敗してしまいます。フランス哲学界はこの問題について「哲学とは隠された真理を明らかにする学問ではない。」もまたこの件については沈黙…
オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』書評:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online

 概念は常に(それぞれが固有の歴史を有する)複数の合成要素によって定義される。

何とまぁここでオブジェクト指向プログラミングの暗部、すなわち「多重継承」問題が浮上してくるのです。しかも哲学の世界においてはそれが必然という…

しかしまぁ、考えてみたら「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです(If I have seen further it is by standing on ye sholders of Giants.)」なるイディオム自体フランス起源だったりする訳で。ちなみにフランス発のヌーベルバーグ映画においても「リエーターはその絶対的業績というより、各人が置かれた歴史的環境に沿ってどれほど独創を成し遂げたかで評価されるべき」なる言説が飛び交ってました。
巨人の肩の上 - Wikipedia

というか実はそもそも「機械的宇宙論(スコラ神学やデカルト哲学)=縁起の世界(龍樹「中論」)=海印三昧の境地(華厳経)=メモリを満たす(それぞれの継承関係と同期関係が互いにカプセル化された)オブジェクト・インスタンスの集合体」なる発想そのものが(各国がそれぞれ国内だけで独自の発展を遂げてきたと主張したがる)思想史の複雑な混錯具合を説明する為に生まれた感あり。むしろそうした混錯状況にも関わらず「英国思想」「ドイツ思想」「フランス思想」それぞれに確固たる個性があるのは何故なのか考える事の方が重要かもしれない。例えば神話学の領域ではしばしば「インドにおける多神教体系とペルシャにおける唯一神体系の平行進化」なる概念が語られる。これを応用するなら「相互影響の積み重ね」単独で語るだけでなく、それと垂直に交わる別の評価軸の歴史的推移についても同時に語られねばならない。
*実際「ドイツにユダヤ人として生まれフランスでカソリック教徒として死んだ」ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年〜1856年)は既に普通に「フランス思想がドイツに紹介される」「ドイツ思想がフランスに紹介される」といった展開がそれぞれ原則的に固有のプロセスを経る事をちゃんと弁えていた。フランス人がそういう思考様式に信じられない程無頓着なのも含めて…
268夜『歌の本』ハインリッヒ・ハイネ|松岡正剛の千夜千冊

プラトン的平面」と「デカルト的平面」

デカルト的平面」については、これまでの投稿でこんな具合にまとめてきました。

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  • 最初にデカルト象限が提言された時点では、その対象はこの空間における互換性が保証された幾何学と記号代数学くらいと考えられていた。

  • 人文分野からこれに風穴を開けたのがナポリ出身の「近代歴史哲学の創始者」ジャンバッティスタ・ヴィーコの主著「新しい学 Principi di scienza nuova(1725年)」。「数学が無から仮説を積み上げた結果である様に、歴史は無から人間の行為事業を積み上げたものである」という観点が年表のデカルト象限へのマッピングを可能としたのだった。
    *最近、中国古典の記述から地名と年代のセットを抽出し、これをソートする事で湖南地方に起こった中華文明が周代(紀元前1046年頃〜紀元前256年)、春秋時代(紀元前770年〜紀元前403年)、戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)を経て「秦の始皇帝による中華統一(紀元前221年)」に至るまでどの様にその活動の中心地を遷移させてきたかを明らかにしようとするプロジェクトがあった。様するにこういうのが「実証的人文科学」の原風景だったのである。

  • そして以降は「史料批判やアンケート技法といった)観測結果をどうプロッティングするかに関する技術」や「(標準分布と比較や評価次元検出などといった)こうした観測結果の集合体から有意味情報を引き出す(統計)技術」について研鑽が進行。次第に実証主義的人文科学の体裁が整っていく。
    *「白衣の天使」にして「ミス軍務省」のナイチンゲールなどの活躍によってそれが国家経営に不可分な技術という認識が確立したのも大きいとも。

  • これはある意味、詩集「草の葉(Leaves of Grass、1855年〜1892年)」で有名な米国詩人ホイットマン、および「堕落論」によって敗戦後の日本を風靡したフランス文学坂口安吾などが奉じたある種の行動主義、すなわち「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるイデオロギーの顕現。ジョン・スチュアート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」の中で主張した「(進化は時間と死の積み上げによってのみ達成される。すなわち)文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、権力がこれを妨げる事が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」式の思考様式の実践面といえる。

これに対して「プラトン的平面」は、何よりもまずそこにプロッティングされる諸概念のそれぞれについて合目的性を問う様です。「科学的アプローチ」に対する「神学的アプローチ」。しかもジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、それぞれの諸概念にチャールズ・ダーウィン種の起源(On the Origin of Species、1859年初版)」由来の「系統進化の足跡の明確化」を要求してきます。「哲学の足跡=哲学者の足跡」と考えるドゥルーズ=ガタリにとって、これってある種の著作権管理みたいなものなの?
*そしてこういう考え方は「アンチ・オイディプス(1972年)」などにおいて1960年代を席巻したマルクス主義経済学アルチュセール(Louis Pierre Althusser、1918年〜1990年)の重層的決定論などをさらに先鋭化させていく過程で生まれたとされている。
ルイ・アルチュセール - Wikipedia

  • ジャンバッティスタ・ヴィーコ(Giambattista Vico, 1668年〜1744年)が切り拓いた実証科学的人文科学の抱える本質的問題点、それは「(歴史に実際の足跡を残してきた)人間の具体的足跡そのもの」ではなく「(「厳格な史料批判を経た歴史史料」といった形での)当人もしくは第三者による観測結果」しかプロッティング出来ない点にあった。

  • その一方で実証主義人文科学は「各個人の様々な評価のN次元上へのプロッティングする」多変量解析なる新たな統計分野も開拓してきた。こうした意味空間方面での数理の発展があったからこそ数多くの心理検査が発明され「(人間の判断を模した)人間の様に振る舞う人工知能」が実現したのである。

  • しかしながら1990年代以降のいわゆる「第三世代人工知能」は別にこうした歴史の延長線上に現れた訳ではなく、ここにある種のコペルニクス的展開がある。要するに「人間を模すのではなく、目的を達成する為の純粋な形での数理を追求する方が遥かに成果を出しやすい」という事実が周知される様になったのである。とはいえ人類はまだまだこうした新たな展開に全然追いついているとはいえなかったりする。

    第二世代人工知能の亡霊がもたらす”AIの冬” - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

こうして全体像を俯瞰してみるとドゥルーズ=ガタリはこうした展開において最も肝心な事について語らずに済まそうとし、やはりそれには無理あって「歴史の掃き溜め」送りになったと考えるべきかもしれません。

  • 既にカントやヴィントゲンシュタインが指摘している様に「プラトン的平面」の有意味生など現代社会においては残ってなどいないのかもしれない。これについては例えば魔術的リアリズム文学分野においては「直感(霊感)のみが到達可能な諸概念は、現実の世界では主観的誤謬と区別不可能な形でしか顕現し得ない」といったさらに冷徹な形での定式化がなされている。

  • 私は個人的に上掲の様な状況をハンドリングするのに「名前空間の適切な設定によるクラス継承とカプセル化の最適化」を志向するオブジェクト指向並列処理プログラミングが一番向いていると考えているが、その一方で「世界全体を単独の数理で説明しようとする」科学主義(Scientism)の危険性も十分承知している。この立場をどう言語化すべきか、まだよく分かっていない。
    科学主義 - Wikipedia

 とりあえずこの投稿に関しては「今度はドイツが勝ったな」とでも要約しておきましょうか。