諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【コットン・クラブ】米国黒人問題は色々と根が深い…

ある意味それは「21世紀におけるキリマンジャロ山頂の豹」としてしっかり語り継がれるべき事件だったとも。京都アニメーション作品「たまこまーけっとTamako Market、2013年)」の中で「南の国王の嫁を探す鳥占い師」チョイ・モチマッヅィが、さらっと何事もなかったかの様に謎の踊りや「黒い桃」を披露したりしたのです。

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*実は「たまこまーけっと」はとんでもない失敗もやらかしている。美白化粧品に興味を持ったチョイが「顔と手だけ白くなっても全体のバランスがおかしくなるだけ」と指摘される場面がそれで、これは割と美白化粧品に熱中するインド人に向けられるかなりキツ目の皮肉だったのだが(日本ではインド人との結婚を主題とするエッセイの定番ネタ)、良い意味でも悪い意味でも国際SNS上の関心空間においては完全スルー。

山田尚子監督は、劇場版映画「聲の形2016年)」でも、しっかり原作に準拠する形で「主人公の姉と結婚したブラジル人ペドロとその娘マリア」を描いていました。こうした動きは日本では一切話題となりませんでしたが、国際SNS上の関心空間では大きく取り沙汰され、彼女のカルト的人気を急増させるのに役立ったのです。 

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*実は同じく「美濃」を舞台とした白鳥士郎ライトノベルのうりん(2011年〜)」にもブラジル系日本人が登場するが、アニメ化(2014年)に際してその外国人労働者問題をがっつり扱ったエピソードが採用される事はなかった。

ところで国際情勢に疎いせいもあって日本のエンタメ業界は、こうした次元の問題に思うより巻き込まれてきたのでした。

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  • ポケモンの「ルージュラ」問題…当の黒人側に引っ掛かったのは肌の色というより金髪とぽっちゃり体型の組み合わせとも。

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    ルージュラ - ポケモンWiki

    英語名の"Jynx"はジンクス(jinx)の本来的な意味である「縁起の悪い言い伝え」からであり、ルージュラが雪女を連想させる不吉な面もあることからこの名前が付けられたと思われる。

    開発側は「ガングロギャル」をもとにデザインしていたが、「黒い肌、ギョロっとした目、分厚い唇が黒人差別的な表現である」とされ、ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン以降(外国語版は金・銀以降)は体色が従来の黒から紫色に変更されている。アニメでも、体色が黒で描かれたシーンは吹き替え版ではカットされている。

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    まぁ実際には「そういうソウル歌手、実際いるじゃん」という話に過ぎず、そこに差別的意図を裏読みした人も少ないが、一応アレックス・ヘイリー「マルコムX自伝The Autobiography of Malcolm X、1965年、日本語抄訳版1968年、完全版1993年)」には若い頃自分も金髪(コンク)に憧れた過去がある事を懺悔し「黒人は黒人らしい髪の色で通すべき」と結論付ける下りもあったりするのである。
    *この文脈ではソバージュにした日本女性が「Ugly(醜い)!!」と袋叩きにされる場面も目にしてきた。単純に黒人差別にのみ関わってくるファクターでもない。

    黒人に課されたヨブ的なる試練は、イスラム教とつながることによってさらに強靭な意志となって蘇った。それこそがブラック・ムスリムというものだが、そこにはマホメットの血であるアラブ人だけではなく、モーセやイエスを含むヘブライ人を黒人の血の歴史とみなす歴史観が生きている。

    尊師のイライジャ・ムハマドは、人類史そのものが黒人から白人が分離したという大胆きわまりない"偽史"を語っていたようであるが、マルコムXはイライジャよりもよほど正確に歴史を独習していたので、そのような破天荒な歴史観には傾かなかったものの、モーセ、イエスマホメットを貫くものがブラック・ムスリムの精神と血であることは疑わなかった。

    とはいえ地毛がそうではなくても金髪に染めたがる(あるいは金髪のカツラを被りたがる)人は白人ばかりか黒人にも多い(特に女性)。この事実に拘泥する人種主義者もそう多くはないが、それはそれとして国際SNS上の関心空間には「ぽっちゃり系金髪黒人女性」を「ルージュラJynx!!」と呼んだアカウントが火急速やかに「史上最低最悪のレイシスト」認定を受け、数の暴力を駆使した包囲殲滅戦の対象となる慣習が存在した(「処刑」される側もそれが分かって楽しんでやってるのだから世話がない。中島みゆき「別れ歌」における「貴方は憂いを身につけて(Redditの様な)浮かれ街辺りで名を挙げる」世界観)。感情的には十分理解可能だけど、どう理論に落とし込めばいいか難しい案件の一つといえる。
    ルージュラは戦闘不能になると本体が消えて金髪だけ残る(カツラ?)。要するにこの辺りが表現としてヤバい訳だが、そのヤバさは人種差別問題のフォーマットに落とし込むには複雑過ぎるのである。
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  • パズドラの「猫神バステトBastet」問題…こちらは日本人にとってはさらに難易度が高い。とはいえあらかじめ断っておくが、こちらもこちらで人種差別問題のフォーマットに落とし込むには複雑過ぎる背景を有するのである。f:id:ochimusha01:20190226122421j:plain
    アンサイクロペディア「バステト」
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    ①そもそも日本ではまず黒人が古代エジプト王朝に関心を抱く契機となった契機たる「ラスタファリ運動Rastafari movement)」がちゃんとした形で理解されてなかったりする。

    ラスタファリ運動(Rastafari movement) - Wikipedia

    18世紀にアメリカに誕生したバプテスト教会の黒人説教師たちは、聖書にある「エジプトから王が到来し、エチオピアは、神に向かって手を差し伸べる」(詩篇 68:31)など、黒人と聖書の結びつきを訴え、エチオピアを世界に離散した黒人の母国のように語った。この運動は伝道活動へと発展し、新世界の黒人の間に広まった。

    19世紀の欧米に聖書から有色人種を排除する目的から、科学者の間で聖書に登場する人種を証明する論争が起こった。研究の過程で古代エジプト人と古代エチオピア人は黒人であり、同一の人種であるという説が浮上した。これらの説はアメリカ植民地協会のエドワード・ウィルモット・ブライデンがさきがけとなって、エチオピアニズムとして体系化された。黒人の祖先が人類文明の起源を作ったという考えは、世界中の黒人の尊厳に影響を与えた。新世界の黒人の伝統では「エチオピア」とはエジプトを含む全アフリカを指す言葉となっている。

    ②一時の熱狂が冷めると黒人の間でも「古代エジプト史においてブラック・ファラオ王朝を開闢したナイル川上流域に住み、サハラ砂漠経由で砂金と岩塩を交換する中継貿易で大いに栄えていたヌビア人は、実際にはネグロイドでなく一時期ユーラシア大陸を席巻したが、その新モンゴロイドに駆逐されナイル川上流域やヒマラヤ山中や日本の様な孤立した島嶼地域にしか残らなかったモンゴロイドだった」「ネグロイドの足跡が実際にアフリカ北岸で確認される様になるのは、ギリシャ人冒険商人が砂金を求めアフリカ大陸を直接南下する様になったプトレマイオス朝紀元前306年〜紀元前30年)以降」といった歴史的現実が知れ渡る。とはいえ黒人はブームが去って以降も心情的に古代エジプト王朝にルーツを求め続け、特に黒人男性を「犬神アヌビス」、黒人女性を「猫神バステト」に重ね続けてきたのだった。

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    ③こうした背景を理解して初めて「パズドラのバステトが肌こそ浅黒いがアジア系っぽく描かれた事が黒人に与えた衝撃とはいえ別にクレームを申し立る動きは見られず、ただただ悲嘆にくれただけ)」光景に理解が及ぶ訳である。
    *猫神バステトにはさらに「破壊神セクメトの弱められた姿」というフェミニズム的文脈もあるから扱いには慎重を要する。実際パズドラ地母神属性も知性も剥ぎ取られ「怪物を産む機械」に貶められた蛇神エキドナ(クトゥルフ神話における「千匹の仔を孕む森の大いなる黒山羊」シュブ・ニグラスの元ネタとも)」も平然と投入してたし(しかも「スキタイ民族の生みの親」ともされてるのにギリシャ系という事で「欧米におけるアーリア至上主義」の影響でも受けたか金髪碧眼)怖いもの無し?
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    とはいえそれはそれとしてSQUARE ENIXのアクション・シューティング・ゲーム「オーバーウォッチOVERWATCH、2016年〜)」の バステトイベントは思いっきり楽しんでいる。まぁ商業主義の世界なるもの「面白ければ勝ち」なのである。
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こうした複雑な心理的構造(パサージュ)を「(実際の黒人と密なコミュニケーションをした事がなく、そもそもそういう運動推進に無関係な細部への関心自体が低い人道主義者が差別と戦って彼らを救済してきた歴史観なんぞに無理矢理落とし込もうとするから、色々破綻をきたすのですね。

 そもそも最近では米国における「黒人運動への白人側の理解の伝統」そのものが幻想(願望の非現実的投影による歴史改竄)であったと暴かれつつあります。

米国においては勝手に「黒人の良心の代表」を名乗る匿名アカウントの「黒人は歴史的に社会的弱者であり続けてきたのだから、復讐も容易ではない。白人はもっと率先して障害者や女子供や妊婦をその対象として差し出し、その振る舞いから人道的正義や人類平等の理念回復を実感し歓喜に包まれるべき」なる身勝手な投稿に対し、同様に勝手に「白人の良心の代表」を名乗る匿名アカウントの「まったくその通りだ。我々はこの声に謙虚に従わねばならない」と回答する「事件」があった。「もはや白人リベラルは誰も守ってない」という絶望感を加速させた「事件」の一つとされる。

実際には、この「事件」は白人リベラル層から「現実の黒人は社会的弱者を付け狙う絶対悪なのだから見掛け次第射殺して良い現実世界の白人リベラル層は一生黒人と顔を突き合わせる必要のない環境で暮らしており、その自由を貫く事がリベラリズムと認識されている)」エビデンスに採用され、却って白人リベラル層の居住地域からの黒人追放を加速させたといわれている.。

最もワリを食ったのは、この事件に関しては犯人(黒人)の迅速な逮捕を敢行したシカゴ市長(黒人)を熱狂的に支持した黒人リベラル層。なにしろ彼らは、それ自体が現実社会において差別存続のエビデンスに採用されている積極的是正措置(affirmative action)の返上を主張する事によって白人リベラル層から「本当に自分達が白人と対等の存在になれると信じてる勘違い野郎共」と馬鹿にされる一方、黒人過激派層から「せっかく手に入れた既得権益を自ら手放そうとするアンクル・トム」と激しく弾劾されている。双方からBlack Establishmentとレッテル貼りされるこの層もまた国際SNS上の関心空間へと退避してディアスポラ化した(「女性」や「カトリック(主に南米系)」と並ぶ)大規模勢力の一つだったのである。

こうした歴史はもう「人間の認識能力外を跋扈する絶対他者を巡る黙殺・忌避状態からの混錯状態を経ての受容しきれなかった部分の切り捨ての螺旋状サイクル」でしか説明不可能というのが私の考え方。

すると問題として浮上してくるのは、こういう事象についてどう考えるかなのです。

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コットン・クラブ(Cotton Club) - Wikipedia

1920年代の禁酒法時代、ニューヨークハーレム地区にあった名高い高級ナイトクラブ。顧客は全て白人で、スタッフと演奏者は全て黒人(アフリカ系アメリカ人)であった。経営者はアイルランド系のギャングスターとして名の知れたオウニー・マドゥン。 クラブの出し物であるジャズライブが著名。コットン・クラブを中心に活動したバンドで最も有名なものは、あのデューク・エリントン楽団である。

同じ時代にイリノイ州シセロでもコットン・クラブというナイトクラブが存在した。こちらはラルフ・カポネが経営しており、実力のあるジャズ・ミュージシャンならこぞって出演したがったという。また、汚職政治家とギャングスターのたまり場でもあった。

  • 1920年、ヘビー級チャンピオンのジャック・ジョンソンが「クラブ・デラックス」を142番街レノックスアベニューに開く。ギャングとして名高いオウニー・マドゥンがシンシン刑務所入所中の1923年に経営権を握り、店の名を「コットン・クラブ」に改名。1925年には酒類販売のかどでしばし閉鎖したがほどなく営業再開。1933年にマドゥンがシンシン刑務所に舞い戻ると、店の踊り子やストリッパーは塀の中のマドゥンのためにしばしば刑務所を慰問公演した。
  • クラブの出し物は当時の黒人への偏見を反映して、黒人をしばしばジャングルの土人や南部農園の黒人("darkies")として描いた。また露出度の高い衣装で出演するコーラス・ガールに対してはもっと微妙な選別を行った。彼女らには"tall, tan, and terrific"(すらっと高く、浅黒く、イカシテる)、つまり背の高さは5フィート6インチ以上、黒人としては明るめの肌、20歳以下であることを求めたのである。エリントンは白人の客のために「ジャングル・ミュージック」を書くよう期待されていた。
  • とはいえ、クラブは多くの黒人ミュージシャンを世に出した。1923年、フレッチャー・ヘンダーソンは彼の最初の楽団を率いてクラブに出演している。
  • デューク・エリントン楽団は1927年から1931年までクラブの専属バンドであった。おかげで彼は一か所にじっくりと腰を据えてダンス音楽などの作曲でレパートリを増やしながら、さまざまな音楽効果を自在に試すことができたが、これはツアーで各地を演奏してまわる楽団を率いていればなかなか望めないことであった。またクラブの演奏がラジオ放送されたおかげでエリントンの名は全米に知れ渡った。エリントンはこの期間に100曲以上もの自作曲をレコード化し、その後50年近く率いることとなるグループを築き上げた。クラブが黒人客締め出しの厳しい規則を(多少なりとも)緩めたのは、エリントンの求めによるものであった。
  • 1930年、キャブ・キャロウェイのオーケストラが「ブラウン・シュガー・レビュー」でクラブに登場し、1931年にはエリントンの後を受けてクラブ専属となった。1934年からはジミー・ランスフォードの楽団が専属となる。後年にはエリントン、アームストロング、キャロウェイがクラブで演奏するため戻ってくることもあった。
  • レナ・ホーンは16歳の時コーラスガールとしてこのクラブでデビューした。ドロシー・ダンドリッジもクラブで歌っている。コールマン・ホーキンス、ドン・レッドマンヘンダーソンの楽団員であった。タップ・ダンサーのビル・ボジャングル・ロビンソンとニコラス兄弟もクラブショーに出演していた。
  • クラブは当時の白人ポップカルチャーの力も引き出した。名義上のオーナーであったウォルター・ブルックスは、ブロードウェイで成功したショー「シャッフル・アロング」を手がけた人物である。ドロシー・フィールズ&ジミー・マクヒュー(当時非常に有名だった作詞チーム)やハロルド・アーレンがレビューに歌を提供した。その中には、ルー・レスリーがブロードウェイで手がけたレビュー「1928年のブラックバード」も含まれ、劇中では "I Can't Give You Anything But Love" や "Diga Diga Doo"が歌われる。
  • 1935年のハーレム人種暴動のあと1936年にしばらく営業を中断したが、年内にブロードウェイの48番街で営業を再開。1940年にとうとう閉鎖。賃貸料の高騰と客の嗜好変化、およびマンハッタンのナイトクラブ所有者に対する連邦当局の脱税調査が閉鎖の原因であった。

  • 1920年代終わりから1930年代初めにかけてカリフォルニアのカルバーシティにはコットン・クラブの西海岸支店があり、本店からアームストロングやキャロウェイ、エリントンなどが来演した。

経営者でギャングスターのオウニー・マドゥンは、友人のユダヤギャングスターブー・ブー・ホフに頼み、デューク・エリントンフィラデルフィアからニューヨークに呼び寄せて契約を結ばせた。

この問題については、まだまだ歴史の掘り下げが必要そうなんですね。