この問題のその後の動き。
人工知能学会は結局表紙の絵を変えた。
— 恐怖の煩悩人間 (@n0b0dy_lovesme) May 17, 2019
それはロボットから見た人間の姿。
中身は機械であるのに外側だけを見て勝手にそれを意味を持たせて吹き上がる人間たちを皮肉る絵。
転ぶにしてもただ起き上がらないところを見せてくれたよね pic.twitter.com/2eEze3wtDb
最近は「女性差別意識丸出し」と攻撃した絵を描いたのが女性とわかると「オスに媚びる全女性の敵として一緒に粛清してやる!!」とさらにエスカレートするパターンも。一体誰を何から守る為に戦ってるんでしょう?
ところで、ここでいう「人工知能側から眺めた視点」とは、これまでの投稿で述べてきた「オイラーの原始量(Euler's primitive sweep)」すなわち「観測原点をスッポリ包む全球型スクリーン」に他ならないのです。
この(先験的直感に基づく)観測結果の集合体でもある球表面上には、プラネタリウムで星座のそれぞれに星座名が振られる様に、ある種のテンソル(英tensor, 独Tensor,気温図の様にスカラー=特定の数値が振られるケースを0階、風力図の様にベクトル=向きと距離を備えた矢印が振られるケースを2階とする)が形成されるのです。
そして片対数尺的変換を通じてそれぞれが観測原点を等しくする距離と角度の集合体たる極座標系(polar coordinates system)や、互いに直行する評価軸での集合体たるN次元の直交座標系(rectangular coordinate system/orthogonal coordinate system)へと投影され、人間の主観の大前提(二次的な観測結果の集合体)を為すのです。
今日なお数理モデルとしての洗練を優先する様になり「人間の知性の再現」を最優先課題としなくなった第三世代以降の人工知能研究を「逸脱」と指摘し続ける向きがありますが、こうして全体像を俯瞰してみると案外「本質回帰」なのかもしれないのですね。
そしてこのサイトで繰り返し述べてきた「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマ…
それを悲観しようとする姿勢を打ち砕く「ディズニーランドの生存戦略」…
ずっと欲しかった答えが、もしかしたらここに?