諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【長い19世紀と短い20世紀】国家主義/全体主義こそ、いわゆる「デフレ信仰」の大元?

この3年前の投稿を再読して新たに感じた事。

 「マルクス主義歴史家」ホブズボームの歴史観には例えば「(資本主義も共産主義ファシズムも揃って同じ穴に落ちるデフレ信仰生産効率化を追求するあまり、原価を限りなくゼロに近く過程で消費市場を壊滅させてしまう恐るべき信念)」への警戒心などが欠落してるんですね。

f:id:ochimusha01:20190719164838j:plainf:id:ochimusha01:20190719164949j:plainf:id:ochimusha01:20190719165036j:plain

ファシズム(伊fascismo, 英fascism, 独Faschismus) - Wikipedia

コミンテルンの用例

この言葉を単なる全体主義軍国主義の意味、特に社会主義の立場からの政治的なレッテル貼りに多く使ってきた。たとえばドイツのナチスは「国家社会主義」を自称し、「ファシスト」「ファシズム」とは自称しなかったが敵対する共産主義勢力のトロツキーコミンテルンなどが、イタリアのファシズムを「イタリア・ファシズム」、ドイツのナチズムを「ドイツ・ファシズム」と呼び、更にスペインのフランコ政権なども対象として「反ファシズムの人民戦線」を組織。
*そういえば「ナチス」「ナチズム」「ナチ」もNSDAP(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国家社会主義ドイツ労働者党)の自称ではなかった。
このコミンテルンの用法に加え、主として社会主義国社会主義者の立場から、日独伊三国軍事同盟に参加した戦前の日本や、各国の軍事独裁政権なども「ファシズム勢力、陣営)」などと呼ぶ様になった。中国共産党は2014年現在でも日本との戦争(日中戦争)に対して「ファシズム戦争の勝利」と位置付けている。
*そう、日独伊三国同盟(独Dreimächtepakt、伊Patto tripartito、1940年)締結まで国民党を後援するナチスドイツと大日本帝国が敵対関係にあった現実など、軽く黙殺されてしまったのである。

侮蔑語としての用例

第二次世界大戦勃発までは、ファシズム自体が批判的に扱われることは少なく、一部を除いては悪口としては使用されなかった。第二次世界大戦中になると、連合国ではファシズムファシストを厳密な意味ではなく、枢軸国とその国民に対する一般的な悪口や蔑称として使用されるようになった。ジョージ・オーウェルは1944年に「"ファシズム" という語は、ほとんど全く意味が無い。ほとんどのイギリス人は "ファシスト" という語を "bully" (いじめっ子、ガキ大将)の同義語として受け入れている」と書いた。

第二次世界大戦で枢軸国が敗北すると、「ファシスト」を悪口や蔑称として扱う風潮が世界的なものとなり、しばしば政治運動に対して政治的スペクトルをまたがって幅広く呼ばれるようになった。

政治学の論文では「ファシスト」とは通常は権威主義的な傾向を意味するが、政治的な左翼や右翼の両方の信奉者が敵対者を中傷するための軽蔑的な悪口としても使われている。リチャード・グリフィスは2005年に「ファシズム」の用語が「我々の時代に最も誤用され、過剰使用された」と述べた。

共産主義の全盛期が「人類の黄金時代」にしか見えない左翼って、所詮は右翼(王党派や軍国主義)同様、国家主義/全体主義に過ぎないという話なのかもしれません。

例えば、こういう話…

 まさしく、本当に改善が必要とされているのはこういう部分…