やっと思い出しました。下記投稿に登場する黒人アーティストが実際に用いた表現は「黒人は芸術史上長らくモチーフとして不可視(Invisible)の存在だった」というもの。この辺りを扱うには、どうやら「タブー(Taboo)」と「ニーズ不在(Neesless)」の間に新しい歴史述語を設ける必要がありそうなのです。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
弥助「呼んだ?」。大航海時代(15世紀~17世紀)の欧州では絵画作法的に「黒人を描かない」約束になってただけで、同時代日本の戦国時代の屏風絵などに描かれた「南蛮人一向」とかにゴロゴロ混ざってますね。https://t.co/YwR7hsCryo
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月2日
ちなみにこの「黒人を描かない」ルールをあえて破ってフランスの自称「良識派」を憤慨させたのが、有名なマネ「オランピア」。え?もう19世紀後半の話じゃないですか…https://t.co/ydMibmwNHH
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月2日
しかし反論多数。
とりあえず以下の投稿についての仕切り直し。https://t.co/eePLSxXT6H
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
①実は大航海時代(15世紀~17世紀)から絶対王政期(16世紀~17世紀)にかけて「黒人を描く事」が特に忌避されていた様子は見られない模様。むしろ「ムーア人(黒人イスラム教徒)=公家悪」とか「プレクター・ジョン伝説」絡みでは積極的に描かれた。https://t.co/3wcUSQ9koR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
ただ黒人にとって「プレクター・ジョン伝説」問題や「ブラック・ファラオ」問題はとんでもない風派(ファンパ)召喚に至る可能性があるので、あまり話たい話題ではない。昔、私に「当時黒人は完全視野外に置かれていた」と告げた黒人アーティストもその一人だったと推測される。https://t.co/zdo47CJBxS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
それならどうして19世紀後半になってフランス・アカデミー界隈はマネ「オランピア」の黒人女性従者やボードレールの黒人娼婦を題材にした詩に食って掛かったのか?https://t.co/S7c6cfrnGf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
結論からいえば、おそらく昨今のポリコレ同様「何にでも文句をつける事で自らの権威を高めようとする末期状態に入っていたから」。https://t.co/3CFdlqhdgC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
サロンの審査員は、はらわた煮えくりかえっていたんですね。「ルネサンス時代はよかった……」みたいなことを、当時を生きてもないくせに言ってた。その時期にはちょうど「ボンペイ古代遺跡の発見」という出来事もあって、民衆も過去の作品に興味が湧いており、「新古典主義」という「ルネサンスの時代にならった絵を描け」といった思想で作品を評価したわけですね。
実はここは違ってて「新古典主義」の起源は18世紀中旬まで遡ります。
18世紀半ばに古代ギリシャ・ローマ芸術・文化の復興を謳ってローマで発生、直ちにヨーロッパ全土ならびに新大陸アメリカにまで広がり、19世紀初頭まで続いた芸術・文化運動の一大潮流のこと。
古典を制作の手本とすることは、ルネサンス以降の造形芸術にとって基本であるが、新古典主義の「新しさ」、つまりそれまでの古典の模倣と異なる点は、17世紀のイリュージョニスティックなバロックと18世紀の華やかなる宮廷美術のバロックに対する反発から生じたため、それらを否定するような古典の手本を意図的に選択したことにある。その基本的理念は、芸術家は「正しい理性と強い倫理観」によって社会を正さねばならないため、高潔な徳を具現化したギリシャ・ローマの古典芸術を模範とすべしという点にあった。このような強い道徳観・倫理観のため、新古典主義のこの態度を、18世紀末にその絶頂を迎えた啓蒙運動の反映とみなす声もある。
18世紀半ばから行なわれたヘルクラネウムやポンペイなどの発掘作業や、それによってなされた考古学的発見や古代美術に関する書物が次々と刊行され、人々の古代に対する関心は増していく傾向にあった。そうした時勢のなかで、ドイツの考古学者で美術史家のヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンが1755年に『ギリシア美術模倣論』を出版、この中で「高貴なる単純さと静穏なる偉大さ」とギリシャ美術の本質を説き、新古典主義の典拠となった。これによってヴィンケルマンは新古典主義の主導的理論家とされ、この著作を発表後ローマに移住、すでに同地にいたドイツの画家アントン・ラファエル・メングスやスコットランドの画家ゲーヴィン・ハミルトンなどが彼の賛同者となった。彼らは、ヴィンケルマンの理論の下、新古典主義の礎となる絵画様式を形成した。
新古典主義をさらに発展させ、結実させたのはフランス絵画における新古典主義の先駆、ジャック=ルイ・ダヴィッドであろう。そしてその追随者であるジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルによって、この様式は完成を見ることとなった。
何せ(「死霊の恋」「ボンベイ夜話」「或る夜のクレオパトラ」のテオフィル・ゴーティエがアカデミー側だったので)ヴェネツィアやオスマン帝国を舞台に選べば黒人描き放題。それでも彼らの逆鱗に触れたのは「パリの日常に売春婦や黒人が溶け込んでいる風景」を描いたから。https://t.co/BUhAY80aOD
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
×ボンペイ夜話。○ポンペイ夜話。
フランスにおけるこの方面の統制は「現代劇の発表を禁じた徳川政権」みたいに頑固で、後にホラー演出で有名になるモンパルナスのグランギニョール劇場も、当初は「貧民街のありのまま」をモチーフにしようとして官警に踏み込まれ断念している。https://t.co/NXJOMSwmMC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
長い事メンテナンスを怠ってきた知識なのでお見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません。さて今回の応急処置でまだしばらくは取り回せる様になりましたでしょうか?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
発端となった反論一覧。
「黒人を描かない約束」ならグリューネヴァルトの描いた聖マウリティウス像のように、黒人を描いた絵画があるのは何なんでしょうかね… https://t.co/A8hJ1WdAQN pic.twitter.com/I6FoZM1aMu
— はすね (@Re_113_Gnu) 2022年9月3日
あっそうそう、中世ヨーロッパの剣術書・武術書に黒人らしき人物がいるって話、マイアーの書だったか。 https://t.co/pLgFylgVuC
— シェパード (@para_causal) 2022年3月24日
古いヨーロッパの書物の挿絵でちょいちょい黒人らしき人物が演武しているという話だが(見たところ別段やられ役・打太刀限定でもない)、もしかすると当時のヨーロッパの黒人に割とそういう武人とかがいたんだろうか(わざわざ技のサンプルの絵に採用するぐらいだし)。https://t.co/H517xs5rHO pic.twitter.com/Fejg40rblb
— シェパード (@para_causal) 2022年3月24日
中世ヨーロッパにおける黒人の歴史には詳しくないのだが、バチカンにはエチオピアから来た巡礼者のために建てられたSt Stephen of the Abyssiniansというエチオピア・カトリックの教会があり、現在のバチカン市国におけるエチオピア大学ともやや関連がある。https://t.co/2nArYWYORN
— シェパード (@para_causal) 2022年3月24日
(画像はヤン・モスタールト画、神聖ローマ皇帝カール五世の宮廷に仕えた兵士と推測されている)
— シェパード (@para_causal) 2022年3月24日
ちょいちょいヨーロッパの中流や上流階級の領域で黒人や混血の人々を見かける機会はあったのかも知れない。
アフリカから巡礼目的でやって来た人がヨーロッパ武術にハマって(ry pic.twitter.com/gC3nwFGJ6k
ドイツ・ルネサンスの巨匠デューラーと同世代であるが、グリューネヴァルトの様式は「ルネサンス」とはかなり遠く、系譜的には「ルネサンス」というよりは末期ゴシックの画家と位置付けるべきであろう。
ドイツとなるとこっちの話も。
マネが直面したのは「19世紀アカデミック界に継承された表現規制コード」で、私もその系譜の大源流全てを説明し尽くす事は出来ませんが、それを大きく外れたところに16世紀この人がいて、あまりに珍しいので現代再評価に至ったと考えれば別に矛盾してないのでは?https://t.co/4Qs1ybM94L
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
ルーベンス(1577~1640)も『四大陸』で黒人描いてますし、シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー(1705~1765)も『スルターン』の中で描いてますので、グリューネワルトのそれが大きく外れてあまりに珍しいわけではない気がします。マネの時代は知りませんが、15~17世紀に黒人描かない約束あったんですか?
— 富田勢源 (@ANNO1189) 2022年9月3日
この「欧州では黒人を描くのに伝統的タブーがあった」は、かつてネットで知り合った黒人アーティストから直接いわれた事なので少なくとも一部の人間の認識として存在するのは明らかなんですけど、これまで詳細について考えた事がなかったんですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
なるほどです(*'ω'*)
— 富田勢源 (@ANNO1189) 2022年9月3日
そもそも19世紀後半、モネが戦った様な「西洋美術は(日本画の様に)観察結果をそのままキャンバスに転写しているのではない。(ことエロの場合)神話や聖書の寓意を借りた表現しか許されない」といったフランス・アカデミー・ルールはどこまで遡れるのか?新古典時代?ロココ?バロック?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
系譜としてはイタリア・ルネサンス時代におけるフィレンツェを中心とする前期、ローマを中心とする中期?ちなみにスペイン・バロックは、多少自由奔放であったとしても(ロココ芸術同様)反対運動で宮廷から駆逐されています。一方、これまで「黒人」が観測されているのは…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
…ヴェネツィアに発祥し北欧に広がった「市民のルネサンス」の系譜。そういえば、タブーといえば「(庶民たる)弓兵や鉄砲隊が(貴族たる)重装騎兵を撃ち倒す場面」をあまり描かない(というか、シェークスピア史劇とかだと全部別の展開に差し替えられてる)もあった様な…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
一つ思い出したのが、その黒人アーティストが「なぜ特に日本の戦国時代の屏風を重視するのか?」という問いに「そこに確かにその時代の日常の景色の中に黒人がいたという息吹きを感じるからだ」と答えていた事。逆をいえば「オランピア」に描かれた「くつろぐ売春婦」も「世話をする黒人侍女」も…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
晩期ルネサンスの傑作「ウルビーノのヴィーナス」同様、「聖書や神話や寓意の一場面」を演じるのをやめた事で「アカデミアの煩方を怒らせ、その結果として歴史に残ったという…あれ、まさか実は「フランス宮廷限定のレギュレーションの暴走」にまつわる話?https://t.co/m4YVqDZxnR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
発注者の違いで言えば、市民肖像画系と仰ってたレンブラントも黒人の兄弟を描いてましたね。
— 富田勢源 (@ANNO1189) 2022年9月3日
ほんとにフランス宮廷限定の問題なんでしょうか?
この辺り①そもそも当時は「新古典派代表」のダヴィッドと「ロココ芸術の完成者」フラゴナールが親戚同士だったりして「画風=イデオロギー」という概念が存在しない。②「ただ表現するだけなら別に禁止しないが、アカデミズムの中枢を脅かされると猛反発するのがフランス式」。みたいな要素も?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
ちなみに先に九鬼周造 「「いき」の構造」を引用しましたが、「フランス語が公用語となった時代」欧州中の宮廷の文化中心となった「フランス宮廷のマイナー・ルール」の影響力は馬鹿にならない一方、「突如、それまでの華美路線を捨てて質実剛健への回帰を宣言した」新古典主義の伝播には限界が…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
そして
既にはすね様がおっしゃられていますが、私からも。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年9月3日
少なくとも、15世紀後半と16世紀前半ににそんなルールは見受けられ無いと思います。
3枚目の絵はわかりにくいので赤円で図示しますが、右端のバルタザールと合わせて、2人描かれています。
というか、東方の三博士の絵画の場合、むしろ1400年以降 https://t.co/NX8Zb7CZSb pic.twitter.com/D0zHZeX2KS
バルタザールを黒人として描くことが定番と化したと思いますね。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年9月3日
そして、16世紀後半となるPieter Bruegel the Elder(農民ブリューゲル)のThe Adoration of the Magiには、多くの黒人が登場しております。
皆様は何人見つけられるでしょうか?
この画像では拡大してボケやけてしまい、見つけられ pic.twitter.com/PjPNMXBwtk
ない人物も含めると、だいたい7人います。
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年9月3日
他にも、下記は聖モーリス(Lucas Cranach the Elder作)ですが、これは16世紀前半です。
少なくとも15世紀や16世紀に『黒人を絵画に描かないルールがあった』とは、私には到底信じられません。 pic.twitter.com/6xOLmHPqqo
訂正
— Amictica sal vitae.(新アカウント) (@boots_fleck1) 2022年9月3日
×
拡大してボケやけてしまい
○
拡大するとボケてしまい https://t.co/cqa7iGzNKE
あ、これ十字軍運動の発端となり、大航海運動開始時(その時点では「ポルトガルのアフリカ十字軍」)に「アジアでなくアフリカにある」とされたプレスター・ジョン伝説モチーフなのでは?https://t.co/dlsefMXOug
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月3日
そんな感じで以下続報…