最近のBLM運動過激化を傍観してると、どうしても1980年代におけるFishbone支持者とLiving Color支持者の論争を思い出してしまうんです。
あくまで求道者的に「黒人による、黒人の為の、黒人のHard Rock」を追求する硬派のFishboneと「黒いレッド・ツェッペリン」と称賛されたLiving Colorの軟派な「逆文化盗用ムーブメント(ただし全体像として一発屋感は否めない)」の鋭い対比…
もしかしたら、この辺りが先行した動きという認識?
*まぁこの系譜は必然的にこういう鬼子も産む訳である。
今から思えばまさにこれこそが1980年代的展開だったとも?
ヴァーノン・リード(Vernon Reid、1958年8月22日~)は、イギリスのギタリスト・ソングライター、作曲家そしてバンドリーダー。リヴィング・カラーのギタリスト。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第66位、2011年の改訂版では削除された。
- カリブ海のトリニダード・トバゴの移民である両親のもとイングランド・ロンドンに生まれ、アメリカ合衆国へと移住する。子供の頃に自己防衛の為に空手を習い、また音楽に興味を持ちギタリストとなる。
*そう、オリジンは意外にも1975年に暴動のあったノッティング・ヒルで結成され、当初は政治的メッセージ色の強いルーツロックレゲエを演奏していたアスワド(Aswad)と近いのである。
*そのアスワドも90年代に入るとReal Reggaeと称する(その割にはオリジナルのジャマイカ音楽とは似ても似つかない)オリジナリティ溢れるPOP SONGへと舵を切った。
- 1983年頃より「リヴィング・カラー」の構想を描き始め、メンバーが揃った1988年にミック・ジャガーの推薦もありエピック・レコードからデビューを果たす。その活動は1995年頃に一旦活動を休止するも、2000年以降、再結成、現在も活動している。
その前後セッション・プレイヤーとして名を馳せる。
- 1979年にベーシストのメルヴィン・ギブスとともにオーネット・コールマンのグループのドラマーであったロナルド・シャノン・ジャクソンのグループ、ザ・デコーディング・ソサエティに参加し、在籍中に3枚のアルバムを残す。同時期の1980年頃にジョセフ・ボウイ率いるデファンクトのメンバーとしても活動する。
- 1984年にビル・フリゼールとの連名のアルバム『スマッシュ&スキャタレイション』を制作しギター以外にバンジョーを演奏。メルヴィン・ギブスのアルバム『MG』に参加。
- 1985年にブラック・ロック・コーリションをジャーナリストのグレッグ・テイト、プロデューサーのコンダ・メイソンと共に設立。24-7スパイズやマイケル・ヒルズを紹介している。
- 1987年にはレコーディング・アーティストとしてパブリック・エナミーやミック・ジャガーのアルバム『プリミティヴ・クール』に参加している。
- リヴィング・カラー在籍中に評判を呼び、サンタナやジャック・ブルースのアルバムやアンビシャス・ラバーズ、ジャマラディーン・タクマ、ジャック・ディジョネットのアルバムに録音を残している。
- リヴィング・カラーの活動休止後の1996年にはソロ名義のアルバム『ミステイクン・アイデンティティ(Mistaken Identity)』を高木完やDJロジック、プリンス・ポール、ボム・スクワッドなどをゲストにテオ・マセロのプロデュースで発表した。
*MVのセンス的にはUS3の1993年の国際的大ヒット曲となった「 Cantaloop (Flip Fantasia) 」に近い?*当時はもう関心がNine Inch Nailsとかに移って聞いてなかったけど、同時期には彼がこういう音楽を展開してたとは…
さらにプロデューサーとしてサリフ・ケイタの1999年の作品『パパ』をグラミー賞のノミネイト作品に仕上げたり、ジェームス・ブラッド・ウルマーの作品を制作した。
- 2001年からはジャック・ブルースのJack Bruce and the Cuicoland Expressのバンド・メンバーとして2002年まで在籍、アルバムも録音したほか、2003年からはDJロジックとのヨヒンベ・ブラザーズを結成。アルバムを2枚制作する。
- また自身のグループ、ヴァーノン・リード・アンド・マスク名義でスティーヴ・ヴァイのレーベル、フェイヴァード・ネイションから2枚のアルバムを発表している。
2007年からはジャマラディーン・タクマとグラント・カルヴィン・ウエストンとのF4や、即興音楽のトリオ、フリー・フォーム・ファンキー・フリークスを結成して活動している。
こういう20世紀から21世紀への流れもあったという話…