諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「日本人の視野外を跋扈するJapanimationの別解」?

Japanimationの様に長期間国際的に展開したコンテンツは、ある意味必然的にもはや日本人が掌握してない領域における展開を見せたりします。

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例えばアニメ「灰羽連盟Ailes Grises, 2002年)」「人類は衰退しました(2012年)」「じょしらく(2012年)」辺りが一つのジャンルを形成したり…

 *「ジャンルが形成された」とは要するにそれを選好した層が相応数に渡って重なっていたという事。ここでの共通項は「絶望と独特のスラプスティック感に満ちた(とはいえブラック・コメディに偏過ぎない配慮に満ちた)アプローチ」で、ジャンル形成過程においては「NieA_7(2000年)」「さよなら絶望先生(2007年~2009年)」「トラどら(2008年~2009年)」といった作品も重要な役割を果たしている。あと(絶望先生久米田康治が原作、トラどらのイラストを手掛けたヤスが作画を担当した)じょしらくにはアニメEDにおける吉田兄弟のツイン三味線がロンドンのDJにしばらく音源として多用されるというボーナスが乗った。

*こうしたムーブメントは当然、坂本真綾「ユニバース(2007年)」を筆頭に「さよなら絶望先生」や「魔法少女まどかマギカ(2011年)」で一斉を風靡した劇団イヌカレーや 一時期ネットを席巻したVocaloid MVからの引用を含んでいたが次第に日本人が脱落して海外でのみ流布するMemeへと変貌して行ったのだった。

https://789and10didntcare.tumblr.com/post/57265247260

789and10didntcare.tumblr.com


*以前述べた「ネット上における第三世代フェミニズム展開」とも密接な連動性が…

*日本人として不思議なのが、同時期同じ層に選好されてきた「化物語」系展開が、全体像を俯瞰すると結果として何の爪痕も残していない辺り。一体何が欠けていたんだろう?

こうした展開に日本人が置き去りにされがちなのは、皮肉にもその表現を標準的なものと受け止め過ぎて、外国人ならまず真っ先に感じる「Japanimationの強烈な異化作用」に発想が導かれないせいかもしれません。

この辺りのサイコパス性については別アプローチもあります。 

この曲御機嫌Rock'n Roll調のベースラインのグルーブ感が物凄いんですが、その一方でこれを担った女性ベーシストのティナ・ウェイマスがフランス系で、この曲の主題である猟奇殺人者(Psychopath)っぽさを脳内の多重人格(多言語)性で表現べく歌詞執筆にも参画してるんですね。ここでもやはり「異文化がもたらす異化作用」が重要な役割を…
*このMVの雰囲気、何処か岩井俊二監督映画「ヴァンパイア(2011年)」に通じるものがある。

*そして「ヴァンパイア」では十分に表現しきれなかった死生観の様なものが「リップヴァンウィンクルの花嫁(2016年)」で開花。そこで飛躍の鍵になったのもまた、ある種の「絶望と独特のスラプスティック感に満ちた(とはいえブラック・コメディに偏過ぎない配慮に満ちた)アプローチ」だったとも。

1990年代Nine Inch Nailsが到達したのとは別解…

もちろん1980年代氷室京介が到達したのとも別解…

*関連する動きとしてGiorgio Moroder「Metropolisロックオペラ版(1984年)」を指摘する向きも。都市物としてはアニメOVAメガゾーン23(MEGAZONE 23, 1985年)」も視野内に入ってくる?

*あ、これ1990年代には「エヴァンゲリオンの赤い海」に繋がっていく流れだ…

そして1980年代にはこれと真逆の逆方向の異化作用として、こんな流れもありました。ある種のPank Rockコモディティ化…いやむしろ、こうした「無害化」への流れへの反発こそが上掲の流れを支えた動機であり続けたとも?

*そもそも原点からして商業主義的背景が濃厚だったSex Pistls(1975年~1978年)の「Anerchy in the US(1976年)」。ハードロックとプログレッシブ・ロックが二大主流で、超絶技巧のギターテクニックや初期の高価なシンセサイザーやスタジオ録音技術の駆使がファンを置き去りにしつつあった1970年代中旬のロック・シーンへのアマチュア精神の復興こそが主要コンセプトで…

…本当にイカレてたのは二代目ベーシストのシド・ヴィシャス (Sid Vicious,  1957年~1979年)くらいだったという話も。

*そう考えると米国流行歌のBobby Fuller Four「I Fought The Law(1966)」がClashのロンドンパンクアレンジ(1979年)を経てBlue Hartsの政治性を排除した和製パンクに至る流れも、それはそれで壮絶。

そういえばミック・ジャガーの励ましを受けて「黒いレッド・ツェッペリン」Living Colorがデビューしたのもこの時期…

さて2020年代にはこういった流れのどれかを継承する動きが復活するのかしないのか…いやもう、新しい動きは始まってるとも?

1980年代とは明らかに異なる、新たなるバランス感覚の萌芽…

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さてこうした新解釈、これからどの様に展開していくのでしょうか?