諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【産業至上主義時代】「夜を越えていく流星のサドル」から「決して超えられない夜」へ。

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実際にはコラ画像だったらしいですが、Twitter界隈が大いに盛り上がったので多めに見られている様です。時速18万キロ、マッハ147、光速の50%…

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とっさに思い出したのがこの曲。「傷つく勇気があればいい、ゴールなんてなくてもいいのさ。風を掴もう」「風や夜のDestination(目的地)、変わる景色の誘惑は生まれたばかり、空の道に落ちて消える星はその胸に」「抱きしめたい君を惑わせるもの。誰かの神話なんて信じないのさ、自分の夢だけあればいい」といったパワーワードが連呼されます。ある意味1980年代を席巻した「青春搾取(Youth Exploitation)コンテンツ」の代表作の一つ。

 「青春搾取(Youth Exploitation)コンテンツ」…要は高校野球と同じで大人達が安全圏から「炎天下で水も飲まず練習し熱中症で倒れていく」「投げ過ぎて肩を壊しプロ入りを諦める」若者達を「これぞ人間」と絶賛して感涙に咽ぶ実にブルジョワ的で享楽的な娯楽世界。まさしく奥田民生「人の息子」における「(人の息子は所詮人の息子だ)戦え若者よ、ワシらが楽になる。大活躍するのを祈ってる」の世界。

①1980年代当時が別役実や東京グランギニョル劇団や鴻上尚史が展開したアングラ不条理演劇の黄金期でもあったのは実に示唆的な展開だった。日本国内における荒俣宏帝都物語シリーズ(1985年〜)」や庵野秀明新世紀エヴァンゲリオン(TV版1995年、旧劇場版三部作1996年〜1997年)」も、こうした過渡期特有の価値観の混乱が色濃く内包されている。

*実績至上主義の立場から「国家間の競争が全て」だった総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)より「国民を総動員するシステム」だけ継承しようとしたマスコミや商品供給企業。だが彼らは顧客が(黒幕として背後で暗躍し、自らにスポットが当たるのを望まない)自分達よりむしろ「現実の矛盾に擂り潰され、捨て駒として役立たずになれば次々と投げ捨てられていく悲劇の英雄としての芸人やコンテンツ制作者達」にこそ歴史を導く主体性を認め、自らを重ね合わせる様になっていくとは想像だに出来なかった。おそらくマスコミや企業が総力戦体制時代の遺産の継承を本気で志向するなら、アニメ映画「風の谷のナウシカ1984年)」におけるトルメキア皇女クシャナの様に「所詮は血塗られた道だが、我々はそれを歩むしかない」と内心では絶望しつつ公衆の前ではあくまで「Enjoy a enterprise with us(王道楽土建設を我らと共に楽しめ) 」としか断言しない事によって自らが「悲劇の主役」に躍り出る覚悟が必要だったのである。良くも悪くも角川春樹プロデューサーや宮崎駿監督は相応にこれに該当する試練を経て「時代の寵児(弔辞?)」へと上り詰めた。シェークスピアリア王(King Lear、底本として1608年版と1623年版の脚本が存在)」の結語「後世の人間はこれほどの困難に邂逅する事も、それだけ長く生存する事もないだろう」はこういう意味でも実に示唆的。

*当時の流行語の一つが「玩具を弄ぶ者は、玩具から弄び返される」だったのが実に興味深い。実際1970年代末から1990年代前半にかけての「光(メインストリームを牛耳るマスコミや企業)と闇(スティーブン・ストレンジやデビッド・ボウイティム・バートン監督に代表されるカルト界のカリスマ)の邂逅」こそが、これに続く「多様化の時代(1990年代〜)」を準備したという側面は確実に存在する。

③そして1990年代後半に入ると「強い父親と反抗する息子」といった伝統的構造が崩壊。日本の若者達が大人を「自分達が生き延びる為に子供を搾取する存在」として意識する様になる。角川春樹逮捕(1993年8月29日)を一つの契機とする商業至上主義時代(1960年代〜2000年代?)の斜陽期突入。多様性を重視する第三世代フェミニズムの(全体主義色が強い)既存世代フェミニズムへの反撃開始。そして若者が直接「性と死」に向かい合う様になると、元来は「背伸びして大人めいて振舞おうとする症候群」に過ぎなかった中二病から「大人になりたい」という願望が消失。思わぬ方向への暴走が始まってしまう。

④かくして1990年代末から2000年代前半にかけて「デスゲーム物」や「売春物」が荒れ狂い、その過程でインターネットやスマートフォンの浸透によって「外界と自分の関係」そのものが変貌していく。

⑤そしてこうした壮絶な試行錯誤を経てついに2010年代の若者達は「夜は超えるものでも超えられるものでもない」なる結論に到達。

ところで、ここで興味深いのが最近テレビ局が「我々こそ吸血鬼の様な視聴者にずっと搾取されてきた一方的被害者」と訴え、同情を求めてくる様になった事。

「血に飢えた視聴者」――。テレビ局の制作現場でよく聞かれる言葉だ。何をやれば高視聴率が取れるのか。確固たる方程式はなく、解明する術がない……。日々、悩み続ける彼らには、視聴者が「吸血鬼」に見えるらしい。

インターネットが急成長し、メディア激変の時代を迎えるなか、視聴者のテレビ離れが言われて久しい。視聴率の低迷はテレビ局にとって死活問題である。民放の屋台骨を支えるのは、スポットCMなどを通じてクライアントに「視聴率を売る」ことによってもたらされる収益だからだ。事業の多角化も進んでいるとはいえ、テレビ局が売上を伸ばすには、基本的に番組の視聴率を上げ、広告単価を上げるしかない。

それが以前よりも難しくなった今、テレビの現場にはこれまで以上に「視聴率至上主義」が蔓延し、様々な試行錯誤が行われている。企業にとっては目先の利益を追求することも大事だが、なかにはそれが高じて、テレビマンのモラル低下、ひいては番組の質低下を招いている、本末転倒な事例も見られる。

視聴者を「吸血鬼」呼ばわりする現場の空気が、悩み深い状況を物語っていると言えよう。

そう、テレビ制作者側にとってまず真っ先に意識すべき「旦那」はあくまで広告主。そして次が「芸能プロダクション」。

こうしたストレスに絶えず苛まれ続けたら、そりゃ「(全く想い通りに動いてくれない)視聴者」なんて次第に「(絶対正義たるべき資本主義の命じる聖務たる)自らの営利活動を妨害するゴキブリ以下の寄生虫」としか思えなくなってくるのが当然の話。それ自体はあくまで人類として自然の反応内。当人の中ではその延長線上において「国際正義は「奴等」を(一刻も早く一匹残らず徹底して駆逐したい)憎悪の対象としか考えてない」と言い出すのも「当然の権利」の範疇内。かくしてまさに「奴等」こそが絶対悪たる絶対悪ネトウヨで絶対悪レイシストの絶対悪ナチスの体現者への昇格を果たし「崇高なる人類平等の理念は彼らを全員ガス室送りにして絶滅させるまで達成される事はない」という結論に不可避的に不可逆的に至るという次第。衰退期には誰にとってもまず自らの生活の質の維持こそが最大の生得的最優先課題となるもので「(他人の一切を犠牲に供してなお揺るがない)鋼の良心」の持ち主だけが最終的勝利を飾るのが自明の理。総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)にとって「事象の地平線」の一つだった「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマが「究極の自由主義の体現者の内面において、それは決してジレンマとして認識される事はない」なる最終的到達地点に至った事とも重なってくるのです。

*かくして(総力戦体制時代において、国際的に重要な画期の一つとなった)1930年代ドイツにおいては、こうした狂信的主張を提げたNSDAPこそがドイツ共産党と共闘する形でソ連コミンテルンが「絶対悪たる社会的ファシズム」のレッテルを貼った社会民主主義勢力の牙城たる「悪魔の巣窟」ヴァイマル共和制打倒に成功したのだった。無論、共産主義者は今日なおナチスへの憎悪を続けているが、それはその直後に「狡兎死して走狗烹らる」理に従って徹底粛清されてしまったから。「勝利を分かち合う道もあったのでは? それなら共存もあり得た」と彼らは今日なお鋭く問い糺し続けているのである。

まさにこの思考様式こそが「(マスコミや商品供給企業が総力戦体制時代から国民総動員体制だけ継承しようとした)産業至上主義」にとっての「事象の地平線」。そして、こうした世界観においては「全体像を俯瞰するなら、若者が勝手に「夜の向こう側」を目指して自滅し続け、自発的間引きを達成し続けてくれる状況が適度な必要条件と十分条件を満たすガス抜きとして機能する社会」こそがユートピア桃源郷)として必然的憧憬される展開を迎えるという生き地獄。