諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【数学ロマン】「オイラー座標系(Eulerian Coordinate System)」なる新たな出発点?

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数理を再勉強しようと決意してから遂に三年目に入ったというのに、相変わらず「実数(Real Number)」の概念への苦手が克服出来てません。

自然数と整数に「比で計算可能な有理数Rational Number)」「かろうじて定数扱いで計算に組み込める円周率πネイピア数e平方根sqrt(x)といった無理数Irrational Number)」を追加していく過程と「それらは実は全部連続している実数(Real Number)である」とし最後に虚数(Imaginal Number)を加え複素数表現(Complex Expression)に移行するいう考え方の間にはどうしても埋められない飛躍が存在する。

そもそも、そこまでして伝統的数直線原理主義(Traditional Number Line Fundamentalism)に律儀に忠義を尽くさねばならない理由自体が存在しないのです。実際…

逆数学 と超準的手法:代数学の基本定理を題材として

かつて形式主義 を掲 げた大数学者Hilbertは,数 学の命題を有限的「内容
をもつリアルなものと,超越的で 「内容」を欠いたイデアルなものに分け
た。そ してイデアルな命題は,それをリアルな命題に還元することで真
偽の判断がで きると考えた。

これに対してGodelは,すでに リアルな命題に対する真偽判定が有限的には完遂できない ことを示 し,Hiibertの 企図を頓挫 させた。

それでもイデアルな命題をリアルな命題に還元する手続きが全く不可能になったわけではない。

(現代版Hilbertプログ ラムとしての)逆数学の中心的な研究 はHilbertらが導入した2階算術と呼ばれる枠組みを使って,数学の各定理に対してその証明に必要な公理を調べるものである。

簡単にいえば、自然数だけを扱う集合論であるが、自然数から有理数有理数から実数や複素数へとよく知 られた方法で数の概念を拡張し、最終的には数学の大半をそこで形式的に捉えることができる。したが って2階算術のフル体系Z^2に おいては、数学の多 の定理が大体普通通りに証明で きる。しかし,個々の定理の証明を精査してみれば、Z^2は必要以上に強い公理系であり、そのごく弱い部分体系でもかなり多くの事実が証明可能であることがわかる。その際、特に注目される部分体系が計算可能な関数や集合を扱 う体系RCA^0と、そ れ に「弱いKonigの補題」を加えた体系WKL^0である。両者は無 矛盾性に関してはPRA(「 有限の立場」の形式化)と同等であるにも関わらず、そこで多くの定理が証明できる。

2階算術における実数と複素数

2階算術とは、自然数自然数からなる集合を対象とした理論である。この理論がほぼ数学全般の土台になりうることはかなり昔から知られている。例えば有理数の可算列を考えることによって実数を取り扱うことができ、実数の可算列を考えることによって実数から実数への連続関数を扱える。

この理論を用いて, 個々の数学の定理の証明に必要な公理は何がを調べようというのが「逆数学」である. より詳しく言えば, 逆数学とはRCA^0という体系をもとにして, ある数学の定理の証明に必要十分な集合存在公理を求めようというプログラムである。

そもそもRCA^0とかPRAといった概念について幾らネット検索しても納得がいく簡潔な説明が見つからない事もあり、調べれば調べるほど自分の目が死んでいくのが分かるのです。ならば自分が「数理概念の根底」と考えたいのはどういう数理なのか。ある意味これまでの二年はそれを言語化出来るレベルまで自分を引き上げるプロセスだったと言っても過言ではない様です。そして、かかるアプローチの今年最初の1歩がこれ。

例によってこちらの読者向きの内容だけピックアップしておきます。

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投資リソースの回収確率」に執着する実用主義(Pragmatism)の世界には「概念実証(PoC=Proof of Concept)」の概念も存在するものの、最近統計学機械学習の分野で話題となっている統計モデル論同様「第一質料(観測結果集合)の誤読を最小限に留める工夫」以上の意味は持ち得ない様に感じます。

経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」とするイギリス経験論を継承し「信念とは、ある人がそれにのっとって行動する用意のある考えである」なる規定により哲学論から無用な意見を整理する基準を設け、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとした点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画したアメリカ合衆国の哲学である。

ただし根本的出発点に「神が我々に解決不可能な課題を課す筈がない」と考える宗教的楽観主義が実存し、この事から様々な思考的制約も抱える事になった。

  • おそらくこの問題は「前後左右上下を峻別するデカルト座標の起源がカンブリア爆発Cambrian Explosion、葯5億4200万年前〜5億3000万年前)に左右相称動物(Bilateria)が視覚、および関連情報を処理する脊髄=中央情報処理器官(Central Infomation Processing Organ)や(これに連動して動作する)四肢に該当する諸器官をセットで獲得し「生物史上初の百獣の王アノマロカリスAnomalocaris、約5億2,500万〜約5億0,500万年前)が登場して滅んだ時点にまで遡り、その頃から今日に至るまでこのシステムが単なる数理としてだけでなく「生存競争に勝ち抜く為の諸努力」と不可分な形で結び付けて考えられてきた事に由来するのです。

  • 一方、アノマロカリスに食べ尽くされて種として淘汰されたくないだけなら、四肢を備えずとも、などを備えるだけで良かった事もあり(人類がその後「マルサスの法則」や「ロジスティック方程式」といった形で再発見する)個体や集団の生存原理そのものはクラゲやヒトデの様な放射相称生物Radiata)が対等なライバルだった時代からそこまで徹底して変わってしまった訳でもなく、この事が生物の様式をそれまで以上に複雑化(多様化)させてきたといえましょう。

  • しかし人間の世界では近世において(相応の火力と機動力を有する常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって養う)主権国家(羅Civitas sui Iuris, 英Sovereign State)間の勢力拮抗状態を経験し、産業革命導入が最も進んでいた欧州を中心に国家間の総力戦が遂行された第一次世界大戦(1914年~1918年)前後に(こうした時代の流れの阻害要因として世界を振り回してきた)清王朝(1616年~1912年)、帝政ロシア(1721年~1917年)、神聖ローマ帝国/ハプスブルグ君主国(800年~1918年)、オスマン帝国(1299年~1922年)といった旧大国が相次いで滅び(「領主が領民と領土を全人格的に代表する」封建時代の農本主義的権威体制の再来を思わせる)「国民を全人格的に代表する」国家間の競争が全面化した総力戦体制時代(1910年代~1970年代)を迎えます。この時代にはイタリア・ルネサンス/大航海時代からの継続で数理の発展が著しく、その事がそれぞれの時代の各側面とどう関連してきたかも、私の重要な関心分野の一つ。

そしてもちろん第一質料(Prima materia)の話を持ち出した以上、アリストテレス哲学が定義した形相(Eidos=Form)と質料(Hyle=Substance)の話に踏み込まざるを得ません。

実際「デカルト座標」から出発し独特の機械的宇宙論を展開したルネ・デカルト(1596年~1650年)も、認識や経験の結果として獲得される「(Ding/Things)」概念とそれをもたらす「物自体(Ding an sich/Thing-in-itself)」概念を峻別する観念論を展開したイマヌエル・カント1724年~1804年)も当人は「強度の信念の人」であり「(人間の脳内に存在する)三昧の世界」にのみ先験的(A Priori)かつ超越的(Transcendental)に実存する形相概念絶地天通を最終目的としていたのです。彼らはイデア論の伝統に従ってそうやって「不完全極まりない質量世界」と「完全なる形相世界」の対峙を試みた訳ですが(人間の脳向けにコーディングされたプログラムがそのままでは走らないコンピューターだからこそ抽出し得る純粋数理のみで「三昧の世界」の再構築を試みている)私の方法論においては、逆に彼らの考えた形相概念こそが無限遠(Inf(inity))の向こう側に追いやられてしまう結果を迎えます。

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  • これらのアニメーションには「複素共役線の進行方向」についての情報が欠落している。これが「(コンピューター上に純粋数理として存在する)質量の世界」。
  • それを勝手に補完して回転させ、かつその向きを自在に入れ替えられるのが(人間の脳内にだけ存在する)形相の世界」。

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  • このアニメーションは(球面上なら手前中心の反対側に点として置かれる無限遠点が円周に射影されているので、本来なら見えない筈の)球面の裏側まで周辺部に映り込んでいる。実際ブラックホールは(重力レンズ効果によって)どの方角からもこう見えるらしい。これが「(コンピューター上に純粋数理として存在する)質量の世界」。
  • 球面らしさ(60分割法だと手前に遠近法を満たす15本の「波紋」が目に入る)に騙されて、それに気付けない時がある(要するに魚眼レンズの視点なので、具体的地形を射影されるとその動きで分かったりするが、変化に乏しいとやっぱり気付かなかったりする)のが「(人間の脳内にだけ存在する)形相の世界」。

こう考えると実際に(人間の脳内だけに先験的に超越的に実存する存在)として形相世界の基底に最初からあったのは、あくまで「(カンブリア時代から続く進化の過程で連綿と改善が続けられてきた)ヒューリスティック(Heuristic)な空間認識システム」に過ぎなかったと考えられそうです。

しかしその一方で「(コンピューター上にのみ存在し得る)数理三昧の世界」は、原則としてかかる(人間の脳内にのみ存在する)形相世界にその有用性(Usefulness)を認められる事によって初めて開始され、存続を許され、かつこの道筋を辿ってのみその内容がその形相世界へと還元(Restore)されるのです。この全体像を俯瞰して最近では「人機一体系(Man-Machine System)」と呼んだりする様です。

  • 最初に注目されたのは三角関数(Trigonometric Function)の分野で、紀元前の時代から(農業歴を管理する神殿宗教の祭政一致体制政にとっては支配権限の源泉でもあった)天文観測測量建築航海といった「一般庶民の目に触れない範囲」において現場数理として活用されてきた。この話は歴史上(水争いにおける勝利や所領管理に加え堤防や溜池の築造指揮を含む)治水が領主の責務であった事とも密接に関係してくる。

  • 次いで注目したのは経済分野で、イタリア・ルネサンス期に海洋国家ヴェネチア経由で地中海商人から欧州出版界に伝わった複式簿記(Double-entry Bookkeeping System)の記法が群論概念(Group Theory Concept)の大源流となった。出版革命の影響で知識の在り方がパラダイムシフトを迎えた事もあり、この頃より欧州では「一般庶民の目に触れない現場数理に数学者も真剣に取り組む様になっていく。

こういう部分も含めて「名状し難きもの(The Unnamable)名状し得る場合(Namable Case)、既にそこには存在しないならば名状し難きものものとは一体何者か?」のジレンマは成立している訳なんですね、

  • そう、あたかも(天文学や航海の分野で用いられる三角関数演算を楽にする為に開発された最初期の用目的数理の一つである)常用対数表(Common Log Table)を用いた計算において「対数への変換」後の演算が、さらに「10進数への逆変換」の後にしか意味を持ち得ない様に。

  • 工学の分野で活用されるラプラス変換(Laplace Transform)後の演算が、ラプラス逆変換(Laplace Inverse Transform)によって元数値に戻されない限り意味を持ち得ない様に。

  • この考え方を援用すると「日々の出納記録が金回りの集計結果が全体像を明らかにする簿記記法(Bookkeeping)そのものが、こうした活用法(Expression)の重要例の一つとなる。実際この分野ではコンピューター導入以前から

  • そういえばイタリア・ルネサンス期に三次方程式の解法を巡って発見された虚数(Imaginal Number)も、歴史のその時点では「計算の途上で現れる現場数理」に他ならなかった。

なるほど、視野を「人機一体系(Man-Machine System)」の歴史全体に広げると以下もその範疇に含まれてくる訳です。

  • イタリア・ルネサンス末期(16世紀後半)、オスマン帝国伸長によってレパント交易から締め出されたベネツィアにおいて代替産業として始まった「文庫本全集出版事業(一冊一冊は携帯可能なサイズで安価。サイズを揃えたシリーズ化によって売り上げを確保)」がフランドル(オランダ・ベルギー)やパリ(フランス中心部)に広まった出版革命。大源流は文書行政が普及していたオスマン帝国における紙輸入需要(当初はヴェネツィアが独占していたが、その牙城も次第にフランドルやパリに崩されていく。ちなみに中華王朝同様オスマン帝国にも「官僚供給階層が習得困難な独自の手書き/文体に執着する」問題があり、その制約に足をとられ出版革命に乗り遅れる)で「大航海時代における地図需要」「解剖学発展の影響を受けた医学書需要」などを吸収しつつ次第に市場規模を広げていった。ちなみに小冊子(パンフレット)刊行の政治利用はハンガリー王マーチャーシュ1世(ハンガリー王在位1458年~1490年、ボヘミア王対立王在位1469年~1490年)の歴史的プロパガンダ(オスマン帝国との戦争回避の為に好戦派のヴラド・ツェペシュを幽閉(1462年~1474年)。その間自らの行いを正当化する為に「ドラクル(龍公)の悪行を暴露する」小冊子群を刊行し続け、これがブラム・ストーカー「ドラキュラ(Dracula ,1897年)」の元ネタになった)に端を発する。宗教戦争時代(16世紀~17世紀)におけるカソリック陣営プロテスタント陣営の出版合戦、マザリナードMazarinades)すなわちフロンドの乱(1648年~1653年)当時のフランスで頒布されたマザラン宰相の批判と擁護を主題とする小冊子群、そして清教徒革命(狭義1642年~1649年/広義1639年~1660年)時代に「コーヒーハウスにおける議論の添花」として始まり、ペスト流行による外出禁止を契機に読み物性を高めた英国の小冊子文化などが著名。産業革命導入により消費の主体が王侯貴族や政商といった伝統的インテリ・ブルジョワ・政治的エリート階層から産業振興階層庶民に推移すると娯楽性をより強く求められる様になる一方(まずは有閑婦人向けの雑誌や読み物が振興。これが全面化してしパルプマガジン文化に発展し海を越えてアメリカにも伝わる)、科学表の精度向上需要が高まって(「ネイピアの骨」を出発点にフランスではパスカル(1642年)が、ドイツではゴットフリート・ライプニッツ(1670年代)が最初期に熱中した)歯車式計算機の開発競争が加速。チャールズ・バベッジの手になる著名な蒸気機関駆動の階差機関Difference Engine)や解析機関(Analytical Engine)の研究(1822年~1871年)はこうした時代性の産物となる。

  • ルネサンス期以降の近代絵画解剖学の発展に欠かせない「正確な模写」を密かに裏側から支えてきたカメラ・オブスクラCamera Obscura)の存在。ちなみに「(設備に直接描かれるフレスコ画や据置前提の教会備品などに組み込まれた板絵と異なり、軽くて持ち運びが容易な)キャンバス絵画」もオスマン帝国伸長によってレパント交易から締め出されたルネサンス末期にベネツィアが開発した代替産業の一つであり、東方正教会文化圏のイコン文化に由来する。現地で豪華なオペラカーニバルを開催して観光客を集め、風景画や人気のクルチザンヌ(高級娼婦)の肖像画を土産物として売る収益構造で(オペラが作曲家に対してそういう役割を果たした様に)画家にパトロネージュ以外に生計を立てる手段を提供した(一方、フランドルの都市部新興産業階層は個人の肖像画や集合記念写真的作品を好み、それを担当する肖像画家を地産地消形式で養った)。こうした話は欧州における書斎文化(15世紀末から貴族邸宅に原型が現れ始め、16世紀中に貴族邸宅の多くに設置される様になり、17世紀に入ると一般市民住居にもライティング・テーブルなどが備えられるようになった)において「壁を飾る装飾」の役割を獲得していった展開とも密接に関係してくる。産業革命が到来した19世紀以降は時代以降はカメラそのものが普及して(トーキー映画普及によってサイレント映画時代の弁士が失職した様に)肖像画を完全に駆逐してしまったが、カメラ機能携帯電話/スマートフォンに搭載される様になると今度はそのカメラ市場が縮退を余儀なくされる。

  • 英国で1725年頃より織機の制御に使われ始めたパンチカード技術が発展し、1801年にはジョゼフ・マリー・ジャカールジャカード織機を発明した。実は1745年には既にスイス人自動人形技師ジャック・ド・ヴォーカンソンJacques de Vaucanson, 1709年~1782年)がフランスでBasile BouchonJean Falconの先駆的成果を発展させる形で同内容の世界初の完全自動織機を完成させていた。しかし当時は職人から「オレ達が何を覚えるか指図するなんて何様だぁ?」「オレ達から職を奪うつもりか」と散々罵られ、石を投げつけられるだけに終わっている。とはいえ実は英国でも1733年に(どんな幅の物でも一人で織れる飛び杼を発明したランカシアの織工ジョン・ケイが、生産効率の飛躍的改善の代償として熟練工の大量失業を誘発したせいで残りの一生全てを貧困の中で襲撃を恐れながら送る羽目に陥っている。「産業革命が何故(パラダイムシフトを伴う)革命と称されるのか」端的に表す逸話ではある。とにかくこの技術の応用によって1889年IBMの父ハーマン・ホレリスがパンチカード方式の自動集計機(Tabulating Machine)を実現。1890年米国国勢調査に用いられ、前回1880年国勢調査7年を要した統制処理を3年で完了して普及が始まった。カード分類会計処理にも使われる様になり、自動カードフィード機能や印字機能の追加後(印字機能付製品の市販自体は1914年)、1906年以降はワイヤリングによってプログラム変更が可能なプラグボード(制御パネル)を搭載する様になった。第二次大戦終戦以降も経済の米国集中による活況で需要が増大。1950年代に最盛期を迎えたが1960年代に入ると複雑な処理が一括して行え、データ記録に磁気テープや磁気ディスクも利用できるコンピューターが実用化され始め市場を置き換えていった(カード読取装置自体はコンピューターの入力装置としても重宝され1970年代まで使われ続ける)。

  • 江戸時代中期(17世紀)に人形浄瑠璃で流行した「(人形だからこそ可能な乱暴な動きを表現に採用した)荒事」の流行があり歌舞伎界でも生身の役者がこれを(可能な限り)模倣する様になった(同時に人情話中心の展開が和事/世話事なる用語で対比される展開を迎える)。また18世紀~19世紀にかけて人形浄瑠璃で「八百屋お七」が流行すると歌舞伎界はこれを演題として取り入れただけでなく(激情に抗い切れず放火に向かう場面の人間離れした体の動きに人形表現の優位を見てとり)、その場面だけ黒子が背後に二人つく「人形振り」の演技を開発している。こうした鬩ぎ合いには確実に「電子音楽登場が既存音楽に与えた影響」さらには「VocaloidVTuberを巡る演出」などに確実に継承されていると考えられる。

こうして全体像を俯瞰してみると「(人間の脳内でだけ駆動する)形相」がデカルトやカントが想像した様な「未来永劫不変な何か」ではなさそうな事がさらに明らかとなります。「(コンピューター内で動作するする)数理三昧の世界」を含む外界と相互影響を与えつつ進化の途上にある様にしか見えませんね。こうした表面的な振る舞いの奥では、さらにある種の行動指針の様な「未来永劫不変な何か」が稼働しているかもしれませんが、とりあえず現時点の私には完全にお手上げです。

何だか人機一体系(Man-Machine System)」をキーワードに過去投稿を集大成した様な内容となりました。当時は理解しきれなかった部分がが、ここ数年の数理の再勉強でやっと統合されてきた感じ。そしてもちろん脳内で鳴り響いていたBGMは…

おそらく最終的には統計学における「状態空間モデル(State Space Model)」などに発展的に解消していく形となるのでしょうけど、現時点の私がそちらを全く理解出来てないので、とりあえずはこういう形で独自用語を立てて概念積み上げをいくしかないのです…

そんな感じで以下続報…