なつかしいなぁ。古いインターネットの歴史的資料だぜ?
— 広江 克彦 (@eman1972) 2021年7月23日
『これまで投げ銭ありがとう』https://t.co/QPXTOVbPhm
当時支えてくださった皆さんのお陰で今があります。今でも感謝しております。
— 広江 克彦 (@eman1972) 2021年7月23日
とある時代変遷の一側面?
当時のネット上の雰囲気も説明しておこう。 これは1998年~2002年頃、 大手企業のみがネット上で集金するのに都合のよい制度ばかりが 次々と成立していった時期がある。 当時はそのように見えたが、今から見ればただ模索の時代だったわけだ。
その一方で優良な個人サイトが次々と消滅して行った。 多くの人がそれを悲しみ惜しむ言葉を口にしていた。 万人がブログをやっていて平均的になってしまった今の状況とは違って、 比較的少数の、誰もが注目する人気サイトというのがあちこちにあったわけだ。 それが、消えて行く。
ある人々は個人サイトに金が回る仕組みがないためだと考えた。 個人サイトの運営には苦労ばかり多くて、モチベーションを維持する見返りが少ない。 ネットが企業に乗っ取られてしまうような危機感があった。
個人サイトの生き残りの方法を模索しようという動きが起こった。Web拍手なんてのもその時に生まれたアイデアの一つだ。これも一時期は流行った。それとほぼ同時期に、投げ銭の理念が提案されたのだった。類似のアイデアは他にもあったが、特にこれは個人サイトに救いをもたらす可能性がある、という大きな期待があったのだった。
これについては、私も数年がかりで研究を進めていた。過去の沢山の議論や失敗例などを読みあさり、法的な問題点がないか、 どんな方法でなら実現可能かなどを調べていた。今は簡単な事だが、当時は難しかった。前例が見当たらないのだ。
私自身が調べるのに苦労したからこそ、私は出来る限りこの試みを他人に見てもらおうとした。これから導入を検討しようとしている他のサイトの管理人の役に立つように しようと考えたわけだ。どの程度の努力で、どの程度の収入が期待できるかというのを示すための、公開実験的試みという側面があった。
ここも一時は「投げ銭にチャレンジしている珍しいサイト」として注目されたことがあったのだ。
さて、現状を見るに、もはやこの試みが役割を終えたことが分かるだろう。このまま放置しておいても、「EMANは金儲けのためには何にでも手を出す」という見られ方をするだけであろうから、面白くない。これからは、古い時代に行われた試みの一つとして、 資料的な価値を持つものとして、ここに置くことにする。
結局、当時心配したように、個人サイトは廃れただろうか。いや。貴重なサイトが消えてしまう前に、国会図書館は今の内にデータを収集して保存しておくべきだ、などという議論もかつては多数聞かれたものだが。今となってはそんな心配をする人も少ない。
代わりにネットは「日記サイト」で埋まった。そして、検索エンジンがあれば、多数の日記から必要な情報は引き出せる。誰かが日記を書くのをやめてしまっても、あまり気にならなくなった。
ある意味では、廃れたかも知れない。当時、みんな一緒になって楽しんだような、全体に活気ある雰囲気は消えた。毎日楽しみにして巡回するようなサイトはなくなり、 今では、必要に応じて検索をかけて、 それに引っ掛かったサイトの中の必要な記事だけを読み、それでさよならである。
しかしこれは投げ銭制度の定着に失敗したせいだとかの 問題ではなく、要するに、飽きたのである。作る方も、読む方も。情報過多により。
とりあえず、メモがてら…