とりあえずメモがてら。
他者の他者性がどうのこうのといって深いこと言った気になっている哲学が多いのですが(ぼくも若いころやられましたが)、あれって「人間なんて結局わかりあえないよね」ってイキっている中学生とあまりかわらないと思ってます。そんなお前の生活だれが支えてんだ問題で一撃で終了する。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2021年9月18日
問題はそれでも大人は「わかりあえる」ことを前提に社会とか文化とか作っているという現実であり、求められるのはその「わかりあえる」が暴走しないための歯止めになる哲学だと思います。「だれもわかりあえない」ということは、その歯止めにもならないのでダメ。というわけで今の哲学に至るのです。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2021年9月18日
とりあえず以下続報…