ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督版「砂の惑星(Dune,2021年)」を見に行くか悩んでます。
そもそも私、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品とは相性が悪いんですね。どうしても「もうタルコフスキー風味は充分だ!!」と思ってしまうところがある訳です。
とか言いながら、これまで一応は「どうせなら劇場で見て後悔したい」派を通してきた訳ですが、フランク・ハーバートの原作への独特な形での思い入れもありまして…
そう、私はどちらかというと以下の様な歴史観を展開してきた立場だからこそ、素材をほぼ同じくしつつ全く別の世界観を展開するドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作風にどうしても馴染めないという側面もあるのです。
- フランク・ハーバードの属していたヒッピーのマルチメディア文化(ドラッグをキメながら鑑賞するサイケデリックな音楽とスライドショー)
- その導師の一人だったティモシー・リアリーによる「ドラッグを捨て、コンピューターに没入(Jack in)せよ」宣言
- ティモシー・リアリーのウィリアム・ギブスンへの働き掛けが画期となったTV系サイバーパンク文学の興亡
- 冷徹な科学精神導入と書き手及び作中登場人物の若年化による復興
それではこうした世界観の分岐点は何処かというと…
『デューン』の原作を読んだ人なら説明の必要はないんでけど、あの世界ではブトレリアン・ジハドという一種のラッダイト運動が起きていて、コンピューターやAIは一掃された後なんですよ。だから近代兵器はなくて白兵戦になる。下唇に黒い四角を入れた人はメンタートと呼ばれる人間コンピューター。
— 青井邦夫 (@AoiKunio) 2021年10月16日
原作者フランク・ハーバートのご子息・ブライアンとケヴィン・J・アンダーソンが、公家アトレイデ、etc.……の後にブトレリアン・ジハドを執筆していますね。 pic.twitter.com/pamuyNssZh
— ひろし・カーミット (@misterhiropon) 2021年10月16日
で、香辛料(スパイス)メランジ=ドラッグが(砂漠でしか採れない貴重な資源)石油、ドラッグによるトリップ体験が恒星間飛行に重ねられている訳です。
ブトレリアン・ジハドの設定を知らないと様々な場面で違和感を感じるはず。宇宙航行のコンピューターが使えないのでナビゲイターと呼ばれる超能力者が司る。その超能力に必要不可欠なのがアラキスで産出されるメランジと呼ばれるスパイスなのです。
— 青井邦夫 (@AoiKunio) 2021年10月16日
映画はまだ見てないのですが、オーニソプターは、原作では(鳥ではなく)昆虫に似てるという描写がありますね。
— 加藤直之(スタジオぬえ)SFイラストを描いてます。 (@NaoyukiKatoh) 2021年10月16日
え?「砂漠の神皇帝」以降のビジュアルを担った加藤絵師がまだ未鑑賞? しかもナウシカの飛蟲やラピュタの飛行装置と比較する様な「スタジオぬえ」的アプローチ?
映画でも羽ばたきサイクルが高く形もトンボなど昆虫のイメージですが、同時に音などからヘリコプターとの類似性を感じさせることでリアル感を出していました。しかしリアルに見せると不思議感が薄れるというジレンマも。
— 青井邦夫 (@AoiKunio) 2021年10月16日
ナビゲイターは超空間航法のために必要なのかと思ってました。 その後のSF作品でも生体メカを使ったり、特殊な生物を媒体にしたワープ航法の描写のある作品がありましたね。
— 本田@オマーン国際女子モデリング協会 (@nimrod995) 2021年10月16日
アニメだとテッカマンが近いのかな。
確かに超空間航法そのものに必要ですね。最近ではスタートレック・ディスカバリーで宇宙クマムシ?によるジャンプを使ってました。
— 青井邦夫 (@AoiKunio) 2021年10月16日
メランジは未来視の効果があるので、それを宇宙航行に使っているのがナビゲーターですね。
— Jarmeis (@Jarmeis) 2021年10月16日
第二世代人口知能全盛期に、それを象徴する人工知能言語Plorogを触って全能感を得ていた立場から言わせれば「多くがベイズ過程(条件付き確率)で説明出来てしまう(それが明らかになった時点でPlologの様なバックトラック言語は廃れた)」現実は絶対なんですね。そうやって全体像を俯瞰すると1980代以降「メンタート=ラリってコンピューターを超越する演算能力を発揮する超人」なる概念を、その分野の導師だったティモシー・リアリーが否定したのが終わりの始まりだった景色が浮かび上がってくる訳です。
人間計算機・メンタートというサイバーパンクを数十年先取りした発想は改めてすごいなと。こればかりはルーカスもパクれなかった。
— 無差別流2⋈ (@RMusabetsu2) 2021年10月16日
AIはもう旧い!時代はメンタート!
— えぬかね📡 (@n_kane) 2021年10月15日
あと、ベネ・トライラックス(メンタートやゴーラを作っている)とスペーシング・ギルド(星間輸送とその間で行われる金融を牛耳っている)っていう勢力もこの時代にはある。
— 猫山わたる (@nekoyama_wataru) 2021年10月14日
「サウダルカー(皇帝の新衛兵)」とかモロにその事を暗示してる訳で…
そう、その背後に垣間見える「人間の知性(特にドラッグ摂取によって拡張されたそれ)はコンピューターで演算可能な領域を遥かに超越する」なる第二世代人工知能的イデオロギーとどう向かい合うかという肝心の問題についておそらく雑にしか絵が描いないであろう事が予測されるからこそ、今一つ鑑賞しに行く気が起こらないのですよね。
ハルコネン家の醜悪さや残虐さが全く伝わってこなかった。メランジの重要性、ドクターユエの額の印、その封印を解いたメンタートのパイターなどなど、どうしても説明的になってしまうけど重要な部分がはぶかれてしまっていて、のっぺりした映画でした。 #Dune #DUNE未来体験 pic.twitter.com/KTy8O1iDlL
— がー (@gagagagagagagav) 2021年10月15日
その点はある意味「時代に殉じた」クローネンバーグ監督映画「スキャナーズ(Scanners,1981年)」やデビットリンチ版「砂の惑星(Dune,1984年)」の方がある意味潔かったといえましょう。メンタートの白目表現、そんなの「スキャナーズ」のオマージュに過ぎない訳で。
これらの作品に含まれる時代錯誤間から出発し、どうやって「数理が全てとなった」第三世代人工知能的イデオロギーに到達するかが現代の課題と、私は考える訳です。そんな感じで以下続報…