諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】2010年代前半に語られた「良きサマリア人」について。

Evernoteの中身を整理してたら、はてなブログに投稿する様になる以前(2015年10月16日)の原稿が出てきました。おそらくTumblr辺りに投稿したのでしょうが、詳細はもう覚えてません。

善きサマリア人のたとえ - Wikipedia

とりあえず再投稿しておきます。

自らの排外意識を自覚する中国人絵師

最近その内容が英訳されて国際的で評価されてる中国人漫画家坛九の作品。うすた京介セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん(1995年〜1997年)」「ピューと吹く!ジャガー(2000年〜2010年)」がオリジンと称する「荒川アンダー ザ ブリッジ(2004年〜 )」「聖☆おにいさん(2006年〜)」の中村光野中英次魁!!クロマティ高校(2000年〜2006年)」や椿いづみ月刊少女野崎くん(2011年〜)」などの影響を色濃く感じ図にはいられない。


 

①内容はざっくり要約すると「新作ゲーム中のゾンビ・ボスが人に愛されたいと願う」→「彼らが横断歩道を渡る老人の手を引く姿を見て、21世紀の英雄像を模索する主人公達が”ああこれは21世紀の良きサマリア人問題なんだ”と理解して彼らをイケメンに変身させる」→「そのせいで新作ゲームのプレイヤーが妙な葛藤を抱える事になる」といった展開。
 
②ところで、現代中国において「サマリア人」という表現は「(基本的には内的結束を高める為に外敵として設定されたり、問題が生じた際にスケープゲートとして責任を押し付け罰する為だけに存在する)夷狄」に対応し「(善意で手を差し伸べ様とする通りすがりの人々を真っ先に食い物にしようとする中国人の浅ましい性分故に)中国では良きサマリア人は存在し得ない」といった言い回しで使われる。そのニュアンスの転用で中国共産党批判にも使える表現なので、微博(ウェイボー/weibo)では禁止語に指定されてる可能性もあるが、いかんせん発音さえ合ってればどんな表記も可能なので取り締まりは事実上不可能に近い。上掲漫画でも「サマリア人」を表す言葉は表記される都度、全く別の漢字が当てられている。
 
③そう、ここに登場する「良きサマリア人=本人の善意にも関わらず新作ゲームで悪役に割り振られたゾンビリーダー」は「中国共産党が中国人の間に言い広めようとしている"悪の日本人"とか"悪のアメリカ人"という概念」に対応しているのかもしれない(実際、一応マスクの「ダビデの星」でイスラエルを匂わせてはいるけれど、すぐに「謝々」と口にするキャラは中国ではしばしば日本人を暗喩。秘儀「キャラクター設定変更」のエフェクトもAKIRAまんまだし)。坛九の国際的人気は、そうした救いのない状況をこうした笑いに変換する類い希な創造力にある模様。

最近海外で大人気を博した春画展の日本開催が決まったけど、日本における春画の発展が徳川幕府による規制と表裏一体にあったのは有名な話(簡単に言うと「男女の絡み」が禁止された事から「男同士の絡み」「女同士の絡み」「男の娘」が発明され、「人間同士の絡み」が禁じられた事から「触手物」「河童の強姦物」が発明された)。もしかしたら現代日本は「罰がなければ逃げる楽しみもない」という意味で極めて不利な立場に立たされてる?

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今まとめてる箇所にぴったり重なってくる話ですね。そんな感じで、以下続報…