そろそろ数理としての全体像をまとめたいと思って試し書きしてみましたが、まだまだ見逃してるファクターが多く色々難航しそうです。
どうしてフェミニズムと数理が必然的に絡んでくるかというと、その大源流が「統計的多数決による決定論」を提唱したコンドルセ伯爵や「文明が発展するためには(人種や階級や性別による差別から解放され)個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」としたJ.S.ミルの様な数学者が数理的直感に基づいて構築した古典的自由主義(Classical Liberalism)まで遡るから。
<個人は他人の害にならない限り自由に幸福を追求できる
— Sz73 (@Sz73B) 2021年12月2日
これは、ホッブズ以来の経験論、そしてヨーロッパの個人主義の基本的な原則なんだが、東アジア、つまり日本にも中国にも韓国にもこの原則は弱い。そんな風には我々は前近代にはずっと考えてこなかったし近代以後もそう考えなかった。
儒教の影響なのか何なのかよく分からないが、油断するとすぐ公序良俗などが出てきて自己決定を圧殺しようとする。
— Sz73 (@Sz73B) 2021年12月2日
現状を国際的に窺う限り、そうした考え方に「古典的=時代遅れ」のレッテルを貼り「我々は数理を超越した正義を遂行する」と宣言したオーギュスト・コントの哲学的実証主義(Philosophie Positive)を大源流の一つとする社会的自由主義(Social Liberalism)が完全に破綻したとしか思えないので、そこまでバックトラックする必要が生じたという事。
ツイッター社の新社長(CEO)が割とやばめの人でちょっと笑っちゃった。
— 式村比呂 Hiro Shikimura (@saburou_sinra) 2021年12月1日
「我が社は言論の自由に縛られない」
「言論の自由より、我々が健全だと感じる会話を反映させることが我々の責務です」
超保守のFOXニュースにまでコイツヤバいっていわれてるし。https://t.co/wsV9BsmuPZ
要するにどういう事かというと…
論旨はともかく、「男は広義の性欲を満たすために権力が欲しいのであって権力にはさほど興味がない」という視点は面白い。『1984年』は大好きなSF小説で、人の目的は権力それ自体にあるというオチも大好きなのだが、一方で「なぜ権力に惹かれるのか?」という部分が疑問に残り続けていた。
— 人間ジェネリック (@DividedSelf_94) 2021年12月2日
権力欲を突き詰めて考えると、やっぱり性欲にしか辿り着かないのではないか、というのは私も考えた。学校のカースト制度というのも、畢竟はそうだよね。上のカーストにいればモテるから、みな高カーストを志向する。というかこの世の事象の殆どの最終目的は「モテ」だとすら思う。
— 人間ジェネリック (@DividedSelf_94) 2021年12月2日
「すべてはモテるためである」っていうタイトルの本があったでしょ。中身は読んだことないけど、題は真実だと思うよ。
— 人間ジェネリック (@DividedSelf_94) 2021年12月2日
群の中の順位付けは動物の繁殖戦略ですからねえ
— スパ門 (@nukipapa) 2021年12月3日
そして…
性欲の拡張としての支配欲、これを真正面からテーマにしたのはマルローで、探検も戦争も革命も全て性欲と無縁なものではなく、直結していた。
— Sz73 (@Sz73B) 2021年12月1日
曰く、王者の権力は治めることにあります。しかし、権力を求めるほとんどの者は治めることなんか望んではいない。人に己の意思を押し付けること、支配し、強制することを望んでいるのです。人でありながら人を超えたものになりたがるのです。
— Sz73 (@Sz73B) 2021年12月1日
この辺の書き方、大変に男性的だろうな。
鬼舞辻無惨、権力を求めているようでその実、単に生存を望むだけでその点では機械的ですらあって、少年漫画のラスボスらしからぬ格の低さを示したが、この点でも異様。男性に特徴的な名誉心とかが全然感じられない。実際の男性がそれで動くかは別として、キャラが立つのはそういう性格。
— Sz73 (@Sz73B) 2021年12月1日
鬼滅の鬼に比べるとダイの大冒険の魔王軍は男性性の権化みたいな連中ばかりだったような。マウント大好きなバーンを大将に、権力とは意思を押し付けることと理解するハドラーとフレイザード、葛藤が全部攻撃性に全振りするバラン、名誉心が判断の全部のクロコダイン、これらが相互に衝突して自壊した。
— Sz73 (@Sz73B) 2021年12月2日
ミストバーンとかキルバーン、ザボエラなんかは少し行動様式が違うが主要メンバーが悪い意味での男性性が突出した連中ばかりで衝突が絶えないので滅んだような。
— Sz73 (@Sz73B) 2021年12月2日
そして…
最近Twitter上で「権力と性の結びつき」が話題となってますが、この問題「分割次元数を同じくする複数の座標系がヤコビアン(すなわち射影比率)で結ばれた複式簿記的構造(すなわちそれぞれの総量は複式簿記における借方と貸方の様に合致する)」でイメージしないと、後々厄介な事になってきそうです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
ここにおける「二つの座標系の点から点の移動を担う」ヤコビアン概念については以下を参照してください。高校数学に出てくる合成微分の考え方が出発点となります。
①「想像力の限界」系…これはまさしく「ドラゴンカーセックス以上の変態を思いつけなければ、それが人類の想像力の限界となる」世界。案外静的でなく時代ごとに動的に変遷していきます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
②「分布上の限界」系…「想像力の限界」系に対する任意の時点における任意の観測者の観測結果。それぞれが必ず「想像力の限界」系の完全部分集合となります(全ての変態が可視化し共有可能する変態は存在しない)。さらに「N=1の名義尺度状態」をある種の極限とする統計学的分布の概念が追加されます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
③「顕現上の限界」系…上掲の座標系の様々な現実環境への射影。本来「表現規制派との戦い」はこの次元でしか発生しません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
あれ?もしかしたら①と②は統合可能?
最近のLGBTQA界隈は「男・男=第一象限」「男・女=第二象限」「女・女=第三象限」「女・男=第四象限」と置く単位円をQueerなる尺度の測定軸としています。これをリー群s1と置き、その直積で全てが測られる座標軸について考えてみましょう。ちなみにs2は単位トーラス、s3は四元数となります。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
文系人間はまずこの「(指数写像・対数写像によってデカルト座標と往復可能な)単位円の直積」なる概念自体が苦手なのです。私もこれを克服するだけで1年以上掛かってしまいました。
指数写像(Exponential Map)
対数写像(Logarithmic Map)
こうして図示してみると何が起こってるか一目瞭然なんですが、まずそのプログラミング自体が結構面倒でQiita上でも私くらいしか公開してない様です(あまり数学の教科書で見掛けないオイラーの公式の特殊形を使う)。「そんなの誰だって頭の中で出来るだろ?」と思い込んであえてはやらないのが理系人間の思い上がりで、実際に試すと「(人類が知り得るネイピア数の桁数に限りがある以上)単位円は人間の理念上にしか存在しない」なる恐ろしい現実に直面する事になります。そう、古い時代の哲学者がその実在を信じて疑わなかった「永劫回帰」概念は、実は有限なる現実世界においては「その時点のハイスコアが塗り替えられる可能性が想定可能である事を無限の証とする」イプシロンデルタ論法によってかろうじて担保される仮象の存在に過ぎなかったのです。こちらはこちらで文系人間に大ダメージですね。
この変換に際して剰余群は2つの類、すなわち「(単位円1を法とする)周回数(添字が+の整数部)」と「(単位円の)分割数(添字が-の少数部)」に分割されるのですが、後者は総計が1となる事から統計学の対象となって、そこで一様分布を想定するのがQueerの理念。
ところで不偏分散(Unbiased Variance)とは二項演算の中心=平均aを0と置いた場合の式形に他ならず(平均算出の際に自由度が一つ死ぬのでn-1)、要するにここで「対角線化による無次元化」なる概念が統計学における分散の概念と結びつくという次第。文系人間として色々教わりたくてQiitaに投稿する様になったのに、かえってそういう考え方自体が珍しくて人気を集めちゃうってどういう事?
- この原稿をまとめながら気付いた。対角線が1となる(正方形も含む)n次元立方体の1辺の長さはだが、その逆数が標本誤差に対応する?
「何でも最初は均等分布を想定する」ベイズの定理が最近まで忌避されてきた歴史を知ってる人なら、この提言の挑戦性が直感的に理解出来る筈です。
まぁ次元数の概念など対角線=半径と置いた観測線/円/球面を想定すれば消せてしまうのです。これは平均と分散の関係でもあり、自然に統計学の概念が導入されます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
もしかしたら学校の授業レベルの統計学や線形代数の理解では「対角線=分散の無次元性」なる概念への到達は難しいのかもしれません。私自身もそうでした。否が応でもその事に気づかされたのはPythonのSympyに「パスカルの三角形」を線形代数的に解かせ様として失敗した時。
ここで中心0分散(半径)1の平面を水平局座標を観測線/同心円集合/同心球面集合に採用すると垂直面に0と無限の二つの対蹠があらわます。LGBTQA界隈の直感的理解に従えば前者が無性愛(asex)、後者が汎性愛(pan-sexual)となりますね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
こう断言してみて初めて「それ以外の考え方もある」と気付きましたが、その話につてはおいおいと。
これ全体像としてはz軸を等尺で取った場合「0から無限にかけて傾き1で広がる円錐」、両対数尺で取るとリーマン球面となる訳ですが、どちら側の極限もイプシロンデルタ論法による観測数1の最大値(名義尺度、理論上の分散値0)として現れる訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
ここで何を言ってるか理解する為には「(Z軸に均等尺を採用した)円錐座標系」と「(Z軸に両対数尺を採用した高さ2の)円錐座標系」とリーマン球面座標系の往復をイメージする必要がありますが、Wikipediaの記述もそれを助ける形にはなってないんですね。そもそも途中段階で現れる「(Z軸に両対数尺を採用した高さ2の)円錐座標系」の呼称が分かりません。私自身は仮に「リーマン円錐」とか呼んでましたが。ここで重要なのはその「リーマン円錐」をリーマン球面座標系に変換する過程で0と無限大を両端とする正方形/立方体が現れ、その対角線として現れるZ軸が無次元化出来るという事です。
汎性愛側の現在の極限がドラゴンカーセックスだとしたら、反対側の極限、すなわち分散=半径0となる付近では一体どういう景色が広がっているのでしょう? 実はこれこそが最近話題になってる「ローリング女子によるトランスジェンダー概念批判」問題なのですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
突然文系話題に戻ります。これはこの話ですね。
英国のNHS(公的保健医療制度)を使って性別移行をした3,398人のうち性別移行を後悔していたのは0.47%。多くが社会的な困難により一時的に以前の性に戻りたいというもの。
— 遠藤まめた@新刊「みんな自分らしくいるためのはじめてのLGBT」(ちくまプリマー新書) (@mameta227) 2021年11月25日
JKローリングの持説「性別移行を後悔する人も増えてる」は根拠不明https://t.co/fWfH2mFTsH
なおJKローリングはこれらの言動により批判を受ける中「女性を殺害するために女装をして犯罪を繰り返す男性の連続殺人犯」という小説を発表して火に油を注いだ。https://t.co/BYMqEgMvnm
— 遠藤まめた@新刊「みんな自分らしくいるためのはじめてのLGBT」(ちくまプリマー新書) (@mameta227) 2021年11月25日
このスレッドに映画ハリポタ出演のみなさんのトランスコミュニティへのサポートが示されてるので、落ち込んだ人は見てみて。https://t.co/643CGH9T7t
— 遠藤まめた@新刊「みんな自分らしくいるためのはじめてのLGBT」(ちくまプリマー新書) (@mameta227) 2021年11月25日
JKローリングの作品で引き続きお金儲けはするけど本人は締め出すってこと? https://t.co/NRoC3NI8pv
— 椿油 (@camellia_oil_) 2021年11月18日
”LGBT活動家“のヤバさに一般の人も気付いてほしい
— トランスの人 (@transrrrr) 2021年11月23日
JKローリングさんが被ったストレスを想像すると、同じトランスジェンダー当事者として申し訳ないです...
問題とされてる発言も、私個人としてはトランス差別ではなく至極真っ当な意見だと思っています https://t.co/EAExs6dEto
ハリポタ作者、トランスジェンダー活動家に住所をさらされ脅迫 前年の発言が“差別的”と炎上しターゲットに | ニコニコニュース https://t.co/kGODBb9SL7
— ドワッジ (@dominiasan) 2021年11月23日
日本も海外もろくなことしないジェンダー活動家ばっかり目立つようになったなあ くわばらくわばら (´-ω-`) pic.twitter.com/jIdDZAjJmF
「今は亡きTumbrの思い出」シリーズでもそのうち取り上げる予定ですが、実はこの人には10年前も「ルーナ・ラブグッド村殲滅事件」なるファン間の内ゲバ事件をそれと意識しないまま扇動してしまった過去があったりします。この時は割と内輪だけで済んだのですが、とうとうという気もしないではなく…
まぁ全ては彼女が素晴らし過ぎて「彼女こそハリー・ポッターの伴侶にふさわしいのでは?」という声がファンから上がった事に端を発する訳ですが。危うく私のTumbrアカウントも焼かれかけたのです。
数千人以上の候補者からオーディションでルーナ役に選ばれたのはイヴァナ・リンチ
— 毎日映画トリビア (@eigatrivia) 2021年12月3日
彼女は幼い頃摂食障害で苦しんでた時にハリーポッターの原作本に救われて、創作小説を書いたりJ・K・ローリングにファンレターを書いて文通相手になってたという筋金入りのファン#金曜ロードショー #ハリーポッター pic.twitter.com/4l1pH1p90E
ルーナ役のイヴァナ リンチさん原作読んでJ.Kローリングに手紙を書くぐらい大のハリーポッター好きで、ルーナ役のオーディションに応募してオーディションで「他の候補者達はルーナを演じることができた。イヴァナはルーナそのものだ」って審査員の人が言ってたって話大好き。 pic.twitter.com/YyHoM6Hims
— 𝙖𝙣𝙣𝙚 (@l19290504l) 2021年12月3日
かかる意見の全体像についての是非はともかく、ここには「想像の次元」に関わる重要な提言が出てきます。「分散幅は確保しないと物語も成立しない」という事です。
類例として思い出すのがPlayStation1で発売された、とあるSF系恋愛シュミレーション。攻略可能キャラについて男女だけでなく男男や女女の組み合わせも全て選べるのがウリでしたが、その一方でユニセックス化され、男女キャラの差がほとんどなかったのです。当然全然売れませんでした。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
こうした話全てに絡んでくる「分散幅確保の必然性」については、日本のオタクの理解が最も優れているかもしれません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
「一切の区別を消失させようとする」asex的対蹠への回帰でなく「任意のタイミングにおいて任意の観測者が共感し得る変態は常に変態の真部分集合としてしか存在し得ないが、だからこそあらゆる変態が守られねばならない」なる古典的自由主義への回帰。
ちなみにこの座標系、2018年末に全体像把握の為にこういう感じの何かが必要と思いついてから三年がかりでまとめたものだったりします。何とか年内に理論として完成させたいところ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
この理論「考える」というより、とりあえずpythonで関数を動かしつつ有用な連続を見出す形でまとめてきたものですが、まだ「汎性愛極面側のドラゴンカーセックスと逆元をなす無性愛極面側の何かが存在する」予測などが解けてません。来年の課題に持ち越される予定。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月2日
そして…
あ、「中心からの距離に応じたn=1への収束」って、分散や名義尺度だけの問題だけじゃなく「解像度」の話でもあるんだ。そもそもn次元分散(対角線)自体が(直積の形に抽出出来る限り)何次元でも拾ってこれる訳だから、場合によっては意識する必要が出てきますね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月3日
まとめてる最中に次々と「気付き」が現れる様では、まだ全然話になりません。そんな感じで以下続報…