文芸雑誌に掲載される小説に「挿絵」をつけることは、ある時期まであり得なかったらしいこと。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
「挿絵」は通俗小説、大衆小説のもの、というのが「そういうもの」だったらしいこと。
広く緩くの要検討お題として。
「痴愚神礼讃(希Morias enkomion/羅Stultitiae Laus,1509年執筆,1511年初版刊行)著者エラスムスは「書物の挿絵ほど無粋なものはない。そこに記された言葉が脳に直接喚起するイメージこそが真実なのに、それを逸脱する何かを付け加えてしまうからである」と述べています。この系譜の末端にボードレールやロートレアモン伯爵ら19世紀象徴主義詩人が現れる訳ですが、イメージの強度を求めるあまり猥褻さや瀆神性を追求するイプシロンデルタ論法の様相を帯び、後のパンク文学の走りとなっていくのです。
文字だけを読むことと、挿絵なり何なり「絵」その他視覚的映像的情報が共にあって、それらと共に文字を読むことと、その間の「読む」ことによって立ち上がるだろうさまざまなイメージや意識、感覚などの違いについて。#わけのわからないことを言う
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
まあ、文字もまた「視覚的映像的」情報でもある、というあたりのことはまた別にして。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
これに「聴く」がからんでくるとさて、さらにどうなるのか(いや、どうなると言われても、なのだが)
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月14日
平安時代の絵巻物は、絵詞は御付きの女房が読み上げ、姫君はそれを聴きながら、絵の方をスクロールさせながら見る、という観賞方法が(も)されていた、とか。
— MUTI (@MUTI39) 2021年12月15日
弁士つきの無声映画みたいなもんすな(おい)
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月15日
それこそ、場面に合わせて琴等の楽器を奏したり、夕顔では砧を打つ音を効果音に出したりしたかも知れません。
— MUTI (@MUTI39) 2021年12月15日
ノベルスゲームですね。
— 晴九頭 (@harekuzu) 2021年12月14日
近代文学と江戸戯作の最大の違いは挿絵のあるなしかなあと。
— 梶原平三 (@Askeladd_Art) 2021年12月14日
そういえば「戦前作品の挿絵」で連想するのは江戸川乱歩の通俗小説、そして少年少女向け小説が中心ですね。「半七捕物帳」や「銭形平次」にはなかった?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
半七や平次にもあったかと。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
そして思わぬ一言
大衆文芸、って、前提は「モダニズム」ですわなぁ(;´Д`)y─┛~#うっかりしたことを言う
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2021年12月13日
モダニズム文学というと芥川龍之介「歯車」とか李箱「つばさ」くらいしか思い浮かべられない人間なので、一瞬脳がバグりました。要は都市小説という事?https://t.co/cEyhCQ3b8Z
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
そういえば「ドラキュラ」も「辺境の森を跋扈する怪物」が過去の遺物と成り果てた結果、生き残りを賭して状況してくるという点で都市小説の一種だったりして。
銭形平次というと、エドガー・スノー「極東戦線」にある上海包囲戦の日本兵が尽くバイブルの如く携え読み耽っていた描写を思い出します。「人殺しでも事情があれば許す平次は日本兵のキリスト」と指摘されてますが、実際半七に平次が勝ったのはこの要素? そしてBGMはジャズ…https://t.co/BgXLt2tEuq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
日本兵の厭戦気分を掻き立てる為に包囲された側が延々と大音量で鳴らし続けてたらしいですね。ああ「上海バンスキング」の世界…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
もしかしたら江戸川乱歩が講談社と組む以前の「盲獣」と「一寸法師」に不満を抱えてスランプに陥ったのって、当時のトレンドである「都市性」に今ひとつ乗り切れてない事に気づいてたからとか?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
「はち切れんばかりの肉体の海女や有閑マダムが次々と鎌倉ハムにさえる」「深窓の令嬢と女中の入れ替わりが化粧品の内容から発覚する」「変装しながらの住宅街通り抜け(特に電線綱渡り)」では足らず…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
会社のOLやカフェの女中や劇場のレビュー嬢が直接怪人のターゲットに選ばれる事になって、密かにそうした「女性の社会進出」を喜ばない保守層(良家子女含む)の溜唾を下げる必要もあったという事?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
一方「人殺し」については平次作者の野村胡堂と江戸川乱歩が興味深い話をしています。https://t.co/pTK4AYBefq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月13日
また、こうした展開に先駆けて与謝野晶子が「私娼の撲滅について(1916年)」の中で(公娼制度を差し置いて私娼撲滅運動に邁進する)良家夫人に「あなた達こそ(彼女達の若さに嫉妬しライバル視してこれを取り除こうとする)性奴隷そのものだ」と厳しく指摘しています。https://t.co/ji6WTVdWGC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月14日
江戸時代までの古風な倫理観の脱却は、現実にはこうした問題意識の発生と克服の繰り返しによって達成されてきたという訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2021年12月14日
そして…
TLを『銭形平次』のワードが通り過ぎて行ったので、『銭形HEIDI』でも。 pic.twitter.com/MfWllLhpgG
— 浅利与一義遠 (@hologon15) 2021年12月15日
デカい円環状石材を悪党に投げつけるストーン平次捕り物帳………いやなんでもありませんwwww
— 佐藤 正 (@manngakaki) 2021年12月16日
そんな感じで以下続報…