諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「ジャージャービンクスは犠牲になったのだ」?

スターウォーズ第二期トリロジーの裏主題の一つは古代ローマ人国家における共和制から帝制への移行、すなわち「自由はこうして死んでいく。万雷の拍手喝采とともにね(This is how liberty dies. With thunderous applause)」だったと言います。この展開における主要登場人物は「銀河皇帝」に就任するパルパティーン共和国議長」と、原住民から昇格し、彼への権力集中を支持するジャージャービンクス「共和国議員」の二人。

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古代ローマ人国家の歴史の要約としては粗雑に過ぎます。何故なら実際のそれは以下の様に推移したからです。

  • 共和制ローマの勝利に次ぐ勝利と数々の植民地の獲得、特にそれまで地中海世界の覇権を握っていたフェニキア人商圏の征服。

  • その過程における「古代ローマ人が自らを律する制度」としての共和制(というより元老院)の役割の相対的縮小と、その結果としての帝制への移行。

  • カラカラ帝(209年~217年)時代における全帝国構成員に対するローマ市民権付与と、それに伴う「ローマ市民権認定を武器に属州から人材を動員とする体制」の完全終焉。そして「ローマ市民の暴走」を鎮静化させる手段を失った当然の帰結としての西ローマ帝国(286年/395年~476年/480年)の滅亡。

    新・ローマ帝国衰亡史(2013年)」の中で南川高志は西ローマ帝国が急速に衰亡した理由を、外敵の侵入や為政者の無能に帰すのは間違いだ、と指摘している。それは西ローマは滅亡したのに、東ローマが存続したのはどういう違いはどこから来たか、を考えることによって見えてくる。南川氏に拠れば、東では皇帝の統治を支える人びとの中に多くのローマ出身以外の諸民族が含まれ(「第三のローマ人」と評価している)、彼らは同じ「ローマ人」意識を持ち続けていた。しかし西は、もともとガリアなどの独立性が強く、地域自治が機能していたため、その中から有能な軍人や行政官が成長していたが、反作用として西ローマ宮廷は次第に彼らを「ローマ人」から排除し、偏狭な「排他的ローマ主義」意識が生まれていった。

    この考え方からすればカラカラ帝は帝制ローマを「終焉」させたのではなく「完成」させたといえる事になる。ただしその変化に東ローマ帝国は適応したが、西ローマ帝国は適応に失敗して崩壊。いずれにせよ歴史のこの時点で古代ローマ人国家としての歴史が幕を閉じた事に違いはない。

  • ギリシャ人を中心にまとまったキリスト教」としての東ローマ帝国(286年/395年~1453年)再建とペルシャ帝国との対峙。及びその漁夫の利を突く形でアラビア半島6世紀末から台頭したイスラム王国/イスラム帝国との対決と滅亡。

かくしてアレキサンダーの東征(紀元前335年~紀元前324年)に端を発する世界市民主義(CosmopolitanIism)」が紆余曲折の末に辿り着いたのが「人類のポテンシャルを最大源に引き出す為には、それに対する制約も最低源に抑えねばならない」をモットーに掲げる古典的自由主義(Classical Liberalism)だったのです。

この話の発端は以下の投稿。

ここに乱入

この立場についての意見。

そして…

この話への対応。

そして…

スターウォーズがらみではこういう話も。

そんな感じで以下続報…