「視界に入る全てが屠殺対象。それこそ最強の証」がJフェミのモットー?
以下のやり取りの総括。
最近あった「Jフェミの暴走」に関するやりとりをまとめてみました。https://t.co/MPoNF4VzBe
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
題名の「視界に入る全てが屠殺対象。それこそ最強の証」は文中で引用したギエドレ(GiedRé)「百獣の王( Le Roi Des Animaux,2016年)」の歌詞の一説。最近の「Jフェミの暴走」を端的に表してる表現の様な気がしてきたのです。https://t.co/xhjimAy6GA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
原文「視界に入る全てが屠殺対象。それこそ最強の証なの?(On peut tuer tout ce qui bouge, alors c'est qui les plus costauds ?)」。
そういえば「(ヒッピー運動と黒人公民圏運動を勃発させてしまった)米国白人家父長制社会」に警鐘を鳴らしたホフスタッター「アメリカの反知性主義(Anti-Intellebtualism in Amerucan, 1964)」も、Jインテリは真逆の読み方をして悦に入ってましたね。いよいよ総決算の時迫る?https://t.co/wJ7nh5FasC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
- こうした「傲慢な特権階層インテリが自滅していく歴史」、さらにはアレキサンダーの東征(紀元前335年~紀元前324年)が残したヘレニズム文化圏に芽生えた世界市民主義(CosmopolitanIism)」が紆余曲折の末にジョン・スチュワート・ミル「自由論(1859年)」刊行を契機に成立した「人類のポテンシャルを最大源に引き出す為には、それに対する制約も最低源に抑えねばならない」をモットーに掲げる古典的自由主義(Classical Liberalism)へと辿り着く歴史とも重なってくる。
どうしてそこまで思い上がってしまったのか?要するに日本のインテリには欧米インテリが潜ってきた「内省を強要される試練の経験」が欠如しているのがいけなかった?
結局この話は「白樺派への総括」みたいな流れに結びついていく様なんです?
ま、結局はこのモットーに回帰する訳です。「教養で文明と戦わなくなったインテリなんて、ネズミを獲らなくなったイエネコと同じなのだ。人類に可愛いと思われなくなった途端、このアライさんと同じで駆除指定生物の仲間入りなのだ(You,Intelligentsia…are house cats no longer catch mice, if you no longer fight civilization with your cultivation. And you will join vermin lank like us, if they are no longer considered you Kawaii.)」。
そんな感じで以下続報…