そもそもの出発点は「性癖偏差値」概念と「Queer球面」の概念の重ね合わせ。
今回の投稿の発端は以下のTweet
個人的メモ。これだよ、これ!! 線形代数(アフィン変換)に私が求めていたもの全部入り!! 「同次座標系」というのか、へぇ…https://t.co/fmO1Pl66Dc
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
改めて考えてみると複式簿記概念を[x,y,-1]と読み解いた時点で半分答えに到達していた様なものでした。要するに「貸方と借方を一致させる事によって検算する」考え方をこう抽象化し、さらにその二次元直積を取った結果が「同次座標系」なのです。
ところで、ここで三次行列の右下が「+1」となるパターンに加え、それが「-1」となるパターンが現れてくるのです。球面座標系における水平角φに対する垂直角θ。そして「二乗して-1となる数」といったら複素数iの出番。かくして「全てを金に換算する(次元の潰れ切った末路としての)」複式簿記の世界が2象眼だった様に、その最初の拡張は自明の場合として2x2x2の8象眼に。ただしこの時点で見慣れた立方眼に辿り着く訳ではなく「正四面体と正八面体で充填される扱いの難しい座標系」が現れるのみ。
そう、まさにこの「可換演算=逆行列の積を求める事でステップバック可能」という操作が欲しかった!! なるほど、そうやるのか…https://t.co/vvpUL5MIN6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
この考え方の導入によって私がここで試みてる「Queer球面の数理操作」が綺麗に一元化されます。ここで興味深いのが画像処理のアプローチではほとんど使い道がない剪断処理が、人文系では「行列式1=直交次元の拡張」「行列式0=直交次元の縮退」という形で…https://t.co/P1pch09koa
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
「判断基準における自由度確保」に深く関わってくるという事。ちなみに「二次元(XY軸)操作による平行移動と拡大縮小+回転」までのアフィン変換は対数・指数写像によって簡単にハミルトンの四元数(クォータリオン)で表される球面座標系に写せ、この時「剪断操作」は「球面を円に潰す操作」に対応。 pic.twitter.com/TBa3LkQ2Zw
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
剪断操作は画像処理ではあまり使いませんが、統計学や社会学では重要な役割を果たします。この辺りの使い分けが面白いですね。
ずっと「パスカルの三角形」の延長線上に現れる2x2x2行列と「ヤコビアンの三重微分」などで使われる3×3行列の統合に悩んできたんですが、実物を目にしたら本当にあっけないコロンブスの卵…まさに「これが数学だ」と言わんばかりの豪快さ。https://t.co/5zTju2Zyo4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
上手い表現が思いつかず「無限分散」なんて用語をこしらえてはみましたが、要するにその実態は数理レベルでは「対角線のみを実体と考え、これを平方対角線と見立てた場合の2次元座標系、立法対角線と見立てた場合の3次元座標系、さらにその延長線上に現れる球面座標系について考える」なる初心者発想。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
そう、私の数学の知識自体は「2018年末に決意を固めて以降の再挑戦」なので、まだまだ浅いのです。精々が(ほとんど高校数学に毛が生えた程度の)大学1~2年の教養課程レベル。で、ここから頭を文系脳に切り替えます。
しかし人文科学的には、ここまで数理を振り回せたら発想の自由度が飛躍的に増すのです。例えば米澤穂信の直木賞受賞作品「黒牢城」に登場する一向宗門徒の解釈。親鸞上人は「人は阿弥陀に一心に縋る決心を固めた時点で無条件に救われている」と宣言する事で門徒に「進めば極楽、引いても極楽」なる…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
「内面的に抱える倫理空間の極大化=無限に続き、好きにプライオリティも置換可能な直交基底集合」を担保しました。要するにこれが「行列式=1」の世界。そこまで救済の範囲を広げないと視野外に押し出されてしまう門徒が出るからです。ところが本願寺勢力はこの考え方の中核を…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
「進めば極楽、引けば地獄」に書き換えます。恐るべき行列式=0」の世界。「内面的に抱える倫理空間の極小化=本願寺勢力が外挿的に提供する倫理判断基準との一致と不一致だけが問題となる離散空間=敵と味方の二項認識への縮退」です。それによって本願寺勢力は…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
「命令ずるまま死ぬまで果敢に戦い続ける戦闘マシーン(しかも使い捨てにしても、使い捨てにしても果てしなく補充され続ける)」を入手して他の戦国大名と軍事的に張り合える様になりましたが、その一方で「門徒の救済」は何処へ?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
「(全門徒の人生を含め全てを犠牲に捧げる準備が整っており、その結果何も得られなくても勝てば満足する)」本願寺勢力そのものにとっては「勝利」こそが救済なのかもしれませんが、この時「門徒の救済」は何処へ? 江戸時代に入り東本願寺と西本願寺に分割され互いに憎み合う様に仕組まれ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
「外面的」に安全化された本願寺勢力は、この疑問に捉えられてしまう事により「内面的」にも安全化される結末を迎えたのですね。著者はこの作品により最初期作品(すなわち「古典部」シリーズ)から抱えてきた疑問にやっと答えが得られたと述懐し、まさにこの構造を読者に示す作風によって直木賞を受賞。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
ここから「活動家脳」に切り替わります。
ここはもう(まさに、ここでいう「一向宗門徒」理論に忠実に従う)暴走Jフェミの皆さんに是非以下の極限まで突き進んで頂きたいものです。何せ私は「月曜日のたわわ」の用語側。「一向宗門徒理論」では、妥協の余地が一切ない仏敵となる訳ですからね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月28日
さて私は以下の投稿で「月曜日のたわわ」と米澤穂信作品をジェーン・オスティンの「高慢と偏見」イデオロギーで結びつけてみました。元が「19世紀英国のジェントリー階層における家の浮沈を賭した婚姻ゲーム」由来なので…https://t.co/YkqOJ9ryFM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月29日
下手な思想より「イデオロギー(日常を包括的に説明する形而上学的根拠)」としての完成度が高い(長年の実践結果として作法が洗練されている)のが興味深いところ。そしてその延長線上に現れるのが「イデオロギーとしての恋愛文法」という次第。https://t.co/m18MP5yT6v
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月29日
まぁプログラムと同じで「脳内に湧いたアルゴリズムそのもの」の実用性は検証を経るまで何の保証も得る事は出来ず「無数のRUNでバグを出し尽くした修正版」に絶対敵わないものなのです。「それでは実際にRUNしてどう動作か見せてもらいましょうか」と考え…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月29日
このイデオロギーにあえて「雌ライオンの狩りの作法」なる挑発的な呼称を与えて拡散したら、性嫌悪の激情に囚われた表現規制派がかかる、かかる!! そう、命令があるまで次のステップに進まないこれらのアカウントの一向宗門徒的思考では「月曜日のたわわはポルノ」と置くと…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月29日
「米澤穂信作品もポルノ」「直木賞もポルノ」と自明の場合として続いてしまい「黒牢城が直木賞を受賞した主要因の一つが、そうやって判断基準の次元を潰す汚い手口の末路の告発」なる現実を突きつけられる訳ですね。まぁどう言い訳するか大体予測がつきます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月29日
「はい論破。誰の目から見てもたわわはこの世界から一掃すべきポルノで、直木賞は誰にも疑う余地がなく正しい権威。それを一緒くたに考えるお前は気違い。一刻も早く自殺しろ」。まぁ「判断基準を一次元まで潰され、さらに全てを敵味方に分けて考える二分法をインストール済みの方」の発想の最適解?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月29日
まだまだ表現が拙いですね。次はもっと頑張らないと。ここからは「暴走Jフェミ」を「空想的フェミニズム」、「暴走Jリベ」を「空想的リベラリズム」と言い換えたくなるムーブも派生してきます。
「唯心論的マルクス主義」なる「ドイツ・イデオロギー(1846年)」以降のマルクスの思想を全否定する言い回しにも相応の魅力は感じますが。そんな感じで以下続報…