「人工知能冬の時代」を乗り越えた物語文法?
今回の投稿の発端は以下。
「うる星やつら」再解析メモその1。新海誠監督は「言の葉の庭」を「恋愛にまでは至らない無数の普遍的感情の一つ」、「君の名は。」を「一目惚れから始まる恋の前史」…https://t.co/yHrrsC6YW1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
「天気の子」を「ニンフェット(女児が男児をで成長速度で追い抜く小学校高学年から再び抜かれる中学生までの少女)期特有の成就しない年下おねショタ」と説明。https://t.co/QMk4DGT4fR
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そういえば「言の葉の庭」における恋愛要素、成就したとするなら「未成年の少年をたぶらかす女淫行教師」が爆誕していたという…そういうリミッターもあって新海誠監督映画に登場する「年上女性」は大概、不遇な結末を?https://t.co/6emz4arqLd
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
こうした立場からこれらの作品を「ラブストーリーではない」と説明しますが、実は海外では古くから同様に「うる星やつら」についても「ラブストーリーではない」説が流布してきたのです。最も著名なのが「ハリウッド流ラブストーリー脚本術」の立場。https://t.co/m18MP5yT6v
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
「郵便配達は二度ベルを鳴らす(原作1934年,映画化1946年,1981年)」のジェームズ・M・ケインが「ハリウッドで量産される作品の品質を安定させている(駄作を防ぐ一方、突出した傑作の登場を抑制する)秘密兵器」と揶揄し…https://t.co/pRR0Ve0wQH
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
コンピューターの時代に入ってすぐ脚本学校用の専用エディターも開発されたその考え方の出発点はシェークスピア悲劇「ロミオとジュリエット」におけるバルコニー概念。「ラストシーンにおける二人の恋の成就ないしは破局」から逆算し…https://t.co/whdcB4xBXB
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「物語の途上に現れては解消されていく障壁」の適切な設定方法を追求します。第2次AIブーム(1980年代)にはシェークスピア喜劇「お気に召すまま」を解く人工知能開発も試みられ、日本の入門書では「うる星やつら」の人間関係に置き換えて紹介されましたが…https://t.co/OUr3ARW0v6
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ファンの立場からすれば「あたるとラム、面倒としのぶがくっつく展開だけが正解」と弾き出すアルゴリズム」は全く「うる星やつら」的ではなく、逆説的に「うる星やつらはラブストーリー的ではない」なる言説が…開(引用は英語版表現の方が汎用性があってmeme化した3巻8話「ツノる思いが地獄を招く」)。 pic.twitter.com/2Ap3IvQJFB
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一方、10年前全盛期Tumbr(2010年代前半)で流布していたバージョンは、ダイアナ・コールス「アリーテ姫の冒険(原作1983年,映像化2001年)」や…https://t.co/f57bLkAiQd
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ダイアナ・ウィン・ジョーンズ「魔法使いハウルと火の悪魔(原則1986年,映像化2004年)」の様なフェミニズム文学の影響を受けて「女性自身の自縄自縛状態」が主題。https://t.co/RCDCb8msn9
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
「うる星やつら」のケースにおいてはその考察、ラムさんの「ダーリンを好きななる女なんてみんなどこかおかしい」なる呟きから出発します。そう典型的な「オマエモナー」案件(引用は3巻9話「君待てど」)。 pic.twitter.com/tM5YXHDzmv
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ラムちゃんの空間認識メソッドの問題点はズバリ「逃げると追っかけたくなるが、追っかけられると逃げ出したくなる」脊髄反射的スイッチ構造。最近よく使ってる奇数球面・偶数球面で説明しましょう。ラムちゃんの観測範囲をそれを半径とする単位円/単位球面と置いた場合… pic.twitter.com/jnbaxGfDKj
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面堂終太郎やレイの様に「逃げずに追っかけてくるだけのパターン」は観測結果が完全に観測範囲内に収まってつまらないので、恋愛対象に選ばれる事がないのです。(引用は「理性の飛んだ面堂終太郎」が登場する3巻7話「春のうららの落第教室」) pic.twitter.com/WFaMJlZCpZ
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これが上掲のアニメーションにおける「恋愛対象に選ばれない青球」。なんだか「一時は憧れの対象だったが、両思いなったらラム側が逃げた」レイさん案件と「風と共に去りぬ」におけるアシュレイさん案件と重なりますね。 pic.twitter.com/15TFqRO7Mh
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一方「ラムちゃんの認識する観察円/観察球面上の任意の一点を中心として行動円/行動球面を展開する」諸星あたるはその範囲から入ったり出たり、ここでのミソは「全ての行動結果が観測結果範囲外でも関係が生じない(恋愛対象以前に不可視化)」という辺り(9巻3話「三つ子の魂、百までも!」)。 pic.twitter.com/K0O4RdrDua
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まぁこれが上掲のアニメーションにおける「恋愛対象に選ばれる赤球」。ただしフェミニズム文学論方面からは容赦なく「下手だなあラムちゃん、欲望の開放の仕方が下手っぴ」なる突っ込みが入ります。https://t.co/u9lmyiXrzZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
ちなみに前提として「(自分が金持ちの)ラムちゃんは相手の貧富にこだわらない(この評価次元で面堂終太郎が有利となり諸星あたるが不利となる事はない。詳細不明だがレイも同様)」「意地汚いのはあたるもレイも同じ」「アホなのはあたるも面倒も同じ」(引用は3巻6話「星座は巡る」)。 pic.twitter.com/i3yrlGdaNS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
この辺りを丁寧に「評価次元消し」して単次元評価に集約した結果がこれだという事。「意地汚い」については当初ラムがレイのそれを「別れた原因」に挙げてますが、後にあたるにも同様の側面がある事が露呈しても振る事がなかったので評価軸からはずしました。https://t.co/SfHdNdeAnC
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あとラムちゃん「でぶ」にも寛容。これは父親の影響?https://t.co/9PCUTcycz7
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本当に寛容…(5巻5話「怪人赤マント」) pic.twitter.com/WU0mKUnFl0
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「毒婦時代のラムちゃんのあたるへの仕打ち」とは、天と地の差が…その頃はむしろ「スタイル格差を誇示する姿勢」が強かったせいもありますね。時に最後の「股下の長さを武器に選んだラムちゃんの股裂き攻撃」…(3巻2話「ディスコインフェルノ」より) pic.twitter.com/ykrTu103tD
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
そういえば(同じく素封家の)面堂終太郎にもラムちゃん同様に「外れ値に反応する」性癖が?(6巻3話「コートに消える恋」) pic.twitter.com/dS0Jfh1tFu
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こうして特有の世界観を最も代表的に規定する基底を抽出していく過程にはある種の「貨幣説」的側面が見受けられますね。すなわちかかる基底は「商品説」と「法制説」の調停を通じて「効率性と安定性の二律背反」問題を解く様な役割を担わされている筈と期待する訳です。https://t.co/MvxpLxOZS3
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
そうして厳選された基底が構成する空間座標、全体としては「半径1の円/球面を半径2の円/球面がすっぽり包む同心円/球面」を構築しますが、扱いやすさを考慮してさらに空間縮退し「トーラス構造 =大円上の任意の点を中心と置き直交展開した小円」で考えると便利です。 pic.twitter.com/eDytM2YcDg
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そう、コンピューターRPG普及によって一般化した「地図の北端に到達すると南端から、東端に到達すると西端から現れる世界構造」そのもの。その最大の魅力はスカラー倍される「大円の半径と小円の半径の比」で全体構造が把握出来る辺り。https://t.co/EQY3rET9pg
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例えば①大円径0小円径1の時には「特定演算によって片方の任意の点がもう片方の任意の点に射影される、ぴったり重なった二重円/球面」が構成されます。リーマン球面における「半径1の球面にe^-|x|の目盛が振られた状態」もこの考え方の応用で、変換の質は完全に演算内容に依存します。 pic.twitter.com/oGaQru3BxQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
そう「球面座標系の垂直角φ(0~πラジアン)は水平角θ(0~2πラジアン)の半分しかないか」問題とも関係してくる話。答えは任意の観測点(単位元)から特定の方角に半周進んだ結果(正元)が逆方向に半周進んだ結果(逆元)と常に一致する(対蹠)事が担保されているので「残り半分について考える必要がない」せい… pic.twitter.com/Z3CWkvWONj
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ただし現実には上掲のリーマン球面の様に「対蹠の片方が0(しばしば観測原点)でもう片方が∞(しばしば観測限界)といった観測系も存在し、この場合「対蹠経由で観測面まで1周して戻ってくる」操作などは成立しません。 pic.twitter.com/Z1v5R46Ags
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
ただし現実には上掲のリーマン球面の様に「対蹠の片方が0(しばしば観測原点)でもう片方が∞(しばしば観測限界)といった観測系も存在し、この場合「対蹠経由で観測面まで1周して戻ってくる」操作などは成立しません。 pic.twitter.com/Z1v5R46Ags
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かつここに登場する2つの円/球面はさらに無秩序な状態、すなわち観測結果が名義尺度でしか扱えなかったり、両者を往復する射影演算が完全に乱数発生アルゴリズム(同一構造を二つを用意してもシードを揃えないと出力の同一性が無保証)である場合まで想定しなければいけません。https://t.co/sxKGq14B5L
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
話が抽象的になり過ぎたので物語文法の世界に話を戻しましょう。この状態はフェミニズム文学上「自縄自縛状態からの脱却」という意味を持ちますが、要するに「もののけ姫」のラストでアシタカとサンが選択した様な「一旦完全な他人に戻ってからの再出発」エンド。https://t.co/vRpCmR8Ws7
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
一方①大円径1小円径0の時には単位円へと収束。これは「うる星やつら」でいうと「ラムちゃんの観測範囲があたるの観測範囲」と完全に重なった事を意味します。以下の投稿ではこの極限状態を「温情主義(日本型家長主義)」と関連づけました。https://t.co/WUf15LPIIv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
一方①大円径1小円径0の時には単位円へと収束。これは「うる星やつら」でいうと「ラムちゃんの観測範囲があたるの観測範囲」と完全に重なった事を意味します。以下の投稿ではこの極限状態を「温情主義(日本型家長主義)」と関連づけました。https://t.co/WUf15LPIIv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
内容としては「ラムちゃんがあたるを幼少時から調教する事を思いつくも、既に幼少時のしのぶが調教済みだった」というもの。幼少時のあたるは、その意地汚さを嫌悪されるどころか「調教の道具」として利用される情けなさですが… pic.twitter.com/ODb1M4uiiz
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
ラムちゃんの調教は失敗。あたるの母はそういう展開をとっくに見抜いてたという物語。このまま結末に向かえば「ラムちゃんがあたるの浮気症を現実として認める」ビターエンドを迎えそうです。さもなくばラムちゃんもこの人形の様に己の電撃で身を焼いて… pic.twitter.com/QMRWigVOnf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
少なくとも上掲のTruth Maintenance Systemなら間違いなくそういう答えに一瞬で到達しドヤ顔をする事でしょう。良くも悪くもそれが「人間の似姿を追求した」第二世代人工知能の限界だったという次第。https://t.co/VdCQ7zOycL
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
不思議なまでに「リセット」エンドも「温情主義」エンドも「うる星やつら」らしくありません。では実際の「うる星やつら」結末はというと…数学構造的には「観察/行動範囲の単位円への収束」を採択しつつ無限遠点での「追われると逃げる/逃げるから追う」対立構造の収斂が示唆される折衷案。 pic.twitter.com/VstGiBSWeq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
これもしかしたら「(活性化関数を用いた最適化で連立一次方程式の確率論的最適解を導出する)機械学習」の発想に近くないですかね?そんな感じで以下続報…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年12月15日
そんな感じで以下続報…