諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【SPYxFAMILY】2020年代前半を飾る代表作になりそう?

久し振りにえのきず「琴浦さん(2011年~2015年)」を思い出しました。

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今回の投稿の契機は以下のTweet

その一方で「未来予知犬ボンド」についてはディーン・R・クーンツウォッチャーズ (Watchers,1987年)」を思い出したりして。ただ20世紀にはこの種の実験動物物がナチスや冷戦絡みであちこちで見られたものです。

犬好きなら絶対に読むべき! でも最愛キャラは犬ではなくて…

心に深い傷を負った男は子供の頃の楽しかった思い出を辿ろうと山に登る。そこで人懐こい賢そうなゴールデンレトリーバーに出会う。犬は何かに怯えていた。犬を連れ帰った主人公トラヴィスは、その犬をアインシュタインと名付ける。

同じ頃、一人の殺し屋が依頼を受け、ある研究所に関わる研究者たちを次々と殺害していた。

国家安全保障局の人間たちもまた連続殺人鬼を追っていた。残酷にズタズタに切り裂く殺しには必ず一つの特徴があった。それは被害者の目を抉り取っていることだ。なぜか。やがて研究所から成功した実験体二匹が逃げ出したこと、一匹は犬のアインシュタインで、もう一匹はアウトサイダーと呼ばれる、醜いがやはり知性の高い生き物だとわかる。アウトサイダーアインシュタインを憎悪し、殺すために追っていた。二匹には断ち切れぬ絆のようなものがあり、アインシュタインは完全に逃げ切るのは不可能にも思えた。

そして…

人妻」概念が、絶賛暴走中?

そして胸の話題に…

最近、クール教信者小林さんちのメイドラゴン(2013年~)」にせよ、(たけ)「宇崎ちゃんは遊びたい!(2017年~)」にせよ比村奇石月曜日のたわわ(2016年~)」にせよ「胸の大きな女性はそれなりに胴回りもある事を踏まえてしっかり可愛く描く」路線が主流だったので、こういう「スレンダーかつグラマラス」系に逆に新しさが生じてしまった?

そして胸の話というと…

*あらすじ。 妻に付き合って温泉に出かけた「私」は、混浴の浴場で湯治に来ている美少女を見かける…

私と対角線を為す湯槽の隅に、三人ひしとかたまって、しゃがんでいる。七十くらいの老爺、からだが黒くかたまっていて、顔もくしゃくしゃ縮小して奇怪である。同じ年恰好の老婆、小さく痩せていて胸が鎧扉のようにでこぼこしている。黄色い肌で、乳房がしぼんだ茶袋を思わせて、あわれである。老夫婦とも、人間の感じでない。きょろきょろして、穴にこもった狸のようである。

そのあいだに、孫娘でもあろうか、じいさんばあさんに守護されているみたいに、ひっそりしゃがんでいる。そいつが、素晴らしいのである。きたない貝殻に附着し、そのどすぐろい貝殻に守られている一粒の真珠である。私は、ものを横眼で見ることのできぬたちなので、そのひとを、まっすぐに眺めた。十六、七であろうか。十八、になっているかも知れない。全身が少し青く、けれども決して弱ってはいない。大柄の、ぴっちり張ったからだは、青い桃実を思わせた。お嫁に行けるような、ひとりまえのからだになった時、女は一ばん美しいと志賀直哉の随筆に在ったが、それを読んだとき、志賀氏もずいぶん思い切ったことを言うとヒヤリとした。けれども、いま眼のまえに少女の美しい裸体を、まじまじと見て、志賀氏のそんな言葉は、ちっともいやらしいものでは無く、純粋な観賞の対象としても、これは崇高なほど立派なものだと思った。

少女は、きつい顔をしていた。

一重瞼の三白眼で、眼尻がきりっと上っている。鼻は尋常で、唇は少し厚く、笑うと上唇がきゅっとまくれあがる。野性のものの感じである。髪は、うしろにたばねて、毛は少いほうの様である。ふたりの老人にさしはさまれて、無心らしく、しゃがんでいる。私が永いことそのからだを直視していても、平気である。老夫婦が、たからものにでも触るようにして、背中を撫なでたり、肩をとんとん叩いてやったりする。この少女は、どうやら病後のものらしい。けれども、決して痩せてはいない。清潔に皮膚が張り切っていて、女王のようである。老夫婦にからだをまかせて、ときどきひとりで薄く笑っている。白痴的なものをさえ私は感じた。すらと立ちあがったとき、私は思わず眼を見張った。息が、つまるような気がした。素晴らしく大きい少女である。五尺二寸もあるのではないかと思われた。見事なのである。コーヒー茶碗一ぱいになるくらいのゆたかな乳房、なめらかなおなか、ぴちっと固くしまった四肢、ちっとも恥じずに両手をぶらぶらさせて私の眼の前を通る。可愛いすきとおるほど白い小さい手であった。湯槽にはいったまま腕をのばし、水道のカランをひねって、備付けのアルミニウムのコップで水を幾杯も幾杯も飲んだ。

「おお、たくさん飲めや。」老婆は、皺の口をほころばせて笑い、うしろから少女を応援するようにして言うのである。「精出して飲まんと、元気にならんじゃ。」すると、もう一組の老夫婦も、そうだ、そうだ、という意味の合槌を打って、みんな笑い出し、だしぬけに指輪の老爺がくるりと私のほうを向いて

「あんたも、飲まんといかんじゃ。衰弱には、いっとうええ。」

と命令するように言ったので、私は瞬時へどもどした。私の胸は貧弱で、肋骨が醜く浮いて見えているので、やはり病後のものと思われたにちがいない。老爺のその命令には、大いに面くらったが、けれども、知らぬふりをしているのも失礼のように思われたから、私は、とにかくあいそ笑いを浮べて、それから立ち上った。ひやと寒く、ぶるっと震えた。少女は、私にアルミニウムのコップを、だまって渡した。

「や、ありがとう。」

小声で礼を言って、それを受け取り、少女の真似して湯槽にはいったまま腕をのばしカランをひねり、意味もわからずがぶがぶ飲んだ。塩からかった。鉱泉なのであろう。そんなに、たくさん飲むわけにも行かず、三杯やっとのことで飲んで、それから浮かぬ顔してコップをもとの場所にかえして、すぐにしゃがんで肩を沈めた。

「調子がええずら?」

指輪は、得意そうに言うのである。私は閉口であった。やはり浮かぬ顔して「ええ。」と答えて、ちょっとお辞儀した。

隣で湯船に浸かっている家内は、顔を伏せてくすくす笑っている。私は、それどころでないのである。胸中、戦戦兢兢たるものがあった。

*何度読み返しても「まさかの時に志賀直哉 」はパワーワード

氷室冴子アリスに接吻を (1979年)」

その夜、あなたはいつものように鏡の前に立つ。

昼間見た絹の輝きが、耀子の寂し気な微笑が眼の前にちらついている。

こどもじゃないわ!

このごろは癖になっているつぶやきが、ふいと口からこぼれる。そうだ。あなたはこどもではない。初潮をむかえて半年以上たつ。鏡に向かって話しかけても、六つの幼女と同じではない。

こどもではない。耀子もいった。もうすぐよ、と。

けれど何がもうすぐなのか、あなたにはわからない。弓子のように、好きなのといえること?耀子のようにウエディングドレスを現実のものにすること?あなたはいらいらしたように頭を振る。

わからない。

わからない。

あなたは思いきったように、パジャマのボタンを下からはずしてゆく。ゆっくりと、ひとつずつはずしてゆく。第一ボタンをはずし終わると突然、隆起しかけた胸が現われる。鏡に映る胸は、確かに隆起しかけている。片手のひらで、すっぽりと覆える大きさなのに、鏡の中のあなたの胸は、バランスよく、かすかに揺れてさえいるようだ。

七十五センチのブラジャーさえ受けつけない、小さな胸のくせに、それでいて、決して六つのみよちゃんと同じ胸ではないはずなのだ。あなたの胸は活火山だ。今はまだ、小康状態が続いているが、いつ爆発するかわからない不安と苛立たしさに、あなたは唇をかむ以外、術がない。こどもでいるには熱すぎる胸、おとなになるにはあまりに痛々しい胸をその腕に抱いて、泣くしかないのだ。

あなたは、もはやこどもではない。こぶのような不格好な胸はそれを告げている。

けれどおとなではない。

こどもでもなくおとなでもない。

何か得体の知れないもの。あなたは三差路に立ちつくしている自分を感じる。あと一歩を踏み出せば、あなたはあなたでなくなるだろう。弓子のような、耀子のような、何かしっかりした、強いものを感じさせる女性になるのかもしれない。おとなの女のひとに、なるのかもしれない。

けれど今のあなたは危うい。

鏡の国に住む、何の経験もない、たわいないちっぽけな少女だ。

あなたは悲しい。

とても悲しい。

けれどあなた、その悲しみが本物であればあるだけ、あなたはあなたを愛するといい。そんなにもちっぽけなあなただから、そのちっぽけな時間を愛しなさい。

鏡の国にいられるのも、あとわずかなのだから、鏡は今しもひびわれるかもしれないのだから、鏡の国を、そこに住んでいるあなたを愛しなさい。

さあ、あなた、鏡の中の悲し気なあなたを勇気づけるために、接吻なさい。

あどけない、優しい、夢みがちなその唇で接吻を。

こどもでもなく、おとなでもないあなたを祝福するように。

海外ネットの女子アカウントでも「おっぱいが膨らみ始めたら、もはや幼女ではない」なる自己表現はする事があります(ただし黒人幼女の発育は早く、状況によっては人種差別発言になってしまうので要注意)。この方面については第三世代フェミニストのいう「胸を強調するのも太腿を剥き出しにするのも自分をcheer upする為の化粧の一種。背筋がちゃんと伸びてるか、顔つきが凛としてるかちゃんと見届けろ」が正しい立場で、ヨルさんの描かれ方も概ねそれで説明出来てしまうのです。

一方「予言落ち」は「二次元エンド」みたいに乱用される世界まで幻視しました。この路線の開拓者はマルキ・ド・サドとされ、実際「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校(Les Cent Vingt Journées de Sodome ou l’École du libertinage,1785年)」や「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え(l'Histoire de Juliette ou les Prospérités du vice,1801年)は実際そういう終わり方。

そして…

そして…

とりあえず、メモがてら…