諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「統計学なんて前時代的倫理観念の遺物は一刻も早く法律で禁止しろ」?

最近のネット上における反知性主義の吹き上がり、おそらく21世紀に入ってから表面化してきた「インテリ階層の死」と密接な関係があるのです。

その結果、彼らが「」となって押さえ込んできた魑魅魍魎が…

今回の投稿の発端は以下のTweet

実際「19世紀後半、優生主義産業革命導入を主導した英国ホワイトカラー階層にとって都合良いイデオロギー(日常生活を包括的に説明する形而上学的概念)だった」という分析も。要するにこの時代においてそれは(次第に機能しなくなっていく)貴族主義の一時的代替物の役割を果たしたとも考えられるのです。江戸幕藩体制を放棄した大日本帝国が「華族」なる暫定階層を必要とした様に。

これについては、私の提唱している「認識範囲が開いてる/閉じてる概念自体が「ネオ一向衆」から「くだらない前時代的倫理観念を振りかざすな!! そういうのはもう、20世紀で終わったんだよ!!」と攻撃対象にされているので、ある意味最前線。

そう「統計学的手法によって示される客観的事実」は、何かと「良心が直感的に告げる主観的事実」を裏切るので、常に一部の方々から疎まれ続けているのである!!

そういう方々は「良心が直感的に告げる主観的事実」は、究極的には人類全体で一致する筈なので、その結果は「統計学的手法によって示される客観的事実」より重いと考えます。いわゆる「自然法」がそれで「人間は天体が宇宙の法則によって運動している様に、普遍的良心がもたらす倫理規範に従って生きている(「天体がある法則に従って運動している」事実と「人間はある法則に従って生きるべきだ」と考える理想論の無邪気な同一視)」と考える古代ギリシャ宇宙論や、逆に「政治の乱れが天変地異を引き起こす(その都度、政変が必要とされると考える)」と考える古代中国の天人相関説などに由来。

  • 実際には後者は古代世界において普遍的な考え方であり、旱魃や凶作の都度、時の祭政者が責任を負わされ生贄などに捧げられてきた。かかる歴史を伝承などから再現しようと試みた労作がフレーザー金枝篇(The Golden Bough,1890年~1936年,全13巻)」となる。

  •  さらに1956年にはマリヤ・ギンブタス(Marija Gimbutas)が「ロシア・ウクライナ南部に存在した騎馬民族的文化(クルガン文化)がインド・ヨーロッパ祖語の話し手であった」とし、これを考古学的証拠と結びつけた「クルガン仮説=クルガン考古学」を提唱。その拡大過程を純然たる悪意と軍事的侵入によるもの、すなわち「古ヨーロッパの平和な母権制(女性の首長制)」が「侵略者による戦士文化(防御性集落、丘陵上の砦、戦士としての族長墓の出現)の強要」によって侵食されていく過程として描く。

  • これらに立脚する形でバーバラ・ウォーカー(Barbara G. Walker)が「失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets,1983年)」を発表。「(騎馬民族的家父長制に侵食される以前の)新石器時代原インド・ヨーロッパ人(Pre-Indo-European)の母権社会 (Matriarchy)における地母神信仰」を宗教、神話、文化人類学スピリチュアリティを統合したネオペイガニズム(Neo-Paganism=復興異教主義)の観点から再現を試みると同時に「人類は家父長制から脱脚し家母長制に回帰すべき」と主張するウルトラ・フェミニズムの大源流の一つとなる。

20世紀においてこの種の考え方に最初に飛びついたのは萩尾望都ら女性漫画家だったのですが、不思議にも体系的に受容して後世に伝えたのは浦沢直樹勝鹿北星長崎尚志脚本、浦沢直樹作画MASTERキートン(1988年~1994年)」や、星野之宣宗像教授シリーズ(1990年~)」や岩明均ヒストリエ(2003年~)」パフラゴニア編といった男性作家の作品だったのです。「創作の世界において「異端の正論」設定として活用された」という辺りがミソで、いずれにせよその後のエビデンス追加によって、この考え方の学術的価値はどんどん失われていきます。

こうして「マルクス主義に次いで地母神信仰の援用も受けられなくなったウルトラ・フェミニズムの分野がどうして国際的に(家父長制に立脚する)キリスト教原理主義に傾斜する展開を迎えたのか、私は詳しくは知りません。おそらく「残党の中ではマッキノン=ドウォーキン主義が最も優勢であり、党争に勝利して全体を代表する様になった」みたいな展開があったのでしょうが、既にそうした歴史過程そのものを自らが見失ってしまう末期的段階に到達しているのです。

そう「自然法主義」を貫くなら貫くで「イデオロギー(日常生活を包括的に説明する形而上学的概念)」の共有が不可欠であり、それを怠るなら「内面から届く良心の命令」が集団的に一致する筈がないので「(フランス革命からナポレオン戦争の過程でフランス人の1/5を殺し、ベトナム系市民の民族浄化に着手してベトナムの軍事的介入を招いて自滅したクメールルージュがカンボジア人の1/3を殺した様な)地獄の無限党争」が待つばかりなのですが、この集団はもはやそんな事も見失ってしまっているという次第…