「男歌と女歌の往復」といえば「朝日の当たる家(House of the Risin' Sun)」。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
ここに欠けてるのは「欧州白人男性はあまりにも天然の差別主義者過ぎて同じ白人男性間でも平然と差別を敢行してきた」なる観点。逆をいえば、その結果二次的に現れる「同じ健常な白人男性に差別される立場からの非白人非男性非健常者による同情の眼差し」は、多くの欠陥を抱えつつそれ自体は本物。 https://t.co/qQvVlQrfh6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
「全部入り」として有名なのが「ラストダンスは私に」。ユダヤ人障害者が黒人グループに供給し、日本で越路吹雪が歌うにあたって「男歌」から「女歌」に改変されています。https://t.co/S0cXCxMwuj
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
元曲の作曲者は同様に差別される黒人に同情的なユダヤ人。小児麻痺で歩くのにも杖を必要とする身体でした。その立場から「年寄りの金持ちが若い綺麗なお嫁さんをもらったが、元気一杯で自分の都合で拘束すると逃げられる」というジレンマを描いています。https://t.co/JyM8yK6CrH
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
1960年なる「黄金の米国50年代」の矛盾に誰もが黙って耐えるしからなかった時期に作曲。なので直接的なルサンチマンの爆発は皆無で全てが比喩的に重層化していき、とどめにとして翌1961年、越路吹雪が「男歌」を「女歌」に読み替えてもう一層加える訳ですが…https://t.co/9VQlK1JFxT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
越路吹雪はこの曲をあえて茶化しながら歌ってますが、それもその筈。「ラストダンスは私に」はあみん「待つわ」同様、無数のルサンチマンが埋設された呪歌であり、宝塚花形経験者の越路吹雪が本気を出すと「内閣総辞職ビーム」が放たれ、何もか焼き払われてしまうのです。https://t.co/BJ5pyl6ef4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
しかし本物の音楽ファンなら、その結果自分が焼き尽くされる事になろうとも「内閣総辞職ビーム」が放たれる瞬間に立ち合いたいもの。ある意味、その夢を叶えてくれるのが「グレイテスト・ショーマン」なるオーストラリア発のミュージカル映画なのです。https://t.co/014vhnv2r9
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
日本よ、これが(トールキン文学やキングコングリメイクを担ったニュージーランドに引き続いてハリウッドから選ばれた)オーストラリアが放つ「内閣総辞職ビーム」だ!!https://t.co/PWuOLMJgBO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
どうしてそれで物語の全足し構造が破壊されなかったかというと、本妻に「2号」に対する「破壊打ち消しビーム」を放たせたからです。恐るべき「呪歌VS呪歌」のエネルギー衝突。しかしその頃、肝心の「ダーリン」はというと…https://t.co/xgFRBpiVn5
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
その間にも第三の想い人(しかも男)を口説いているという。「ダーリンの浮気者!!」。だが結局世界中の女子は「そのバーテンダーの役を私めに!!」と膝を屈してしまうのでした。https://t.co/EfhdRsbjGx
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月4日
そんな形で以下続報…