「保守主義」と「革新主義」それは糾える縄の如く…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
サヨクを気取っていればインテリ面ができた時代から意識を変えられず、サヨクが表現規制を主張して保守がそれに抵抗するというねじれに対応できてないだけでしょ感だな。山本直樹がヒドイ目に遭わされたのはむしろ当時表現規制に熱心だった自民党だし。
— 黒猫亭💉💉💉ワクチン接種完了 (@chronekotei) 2023年1月6日
サヨクがポリコレとフェミニズムに乗っかった辺りから表現の自由の敵に回ったわけだけど、意外だったのは表現の自由を標榜する政治家が自民党入りしたら自民党がその主張を受け容れたということなんだよな。ちゃんと仕事ができている。その時点で自民党は表現の自由の敵ではなくなった。
— 黒猫亭💉💉💉ワクチン接種完了 (@chronekotei) 2023年1月6日
これは単純にサヨクが表現規制に回ったから保守がその逆張りをしたという話ではなくて、元々自民党ってその辺はどうでもいい融通無碍な政党だったということなんだろうな。本当に自民がガチガチの表現規制派だったら、サヨクが表現規制に回れば世を挙げて表現規制に向かったはずだよね。
— 黒猫亭💉💉💉ワクチン接種完了 (@chronekotei) 2023年1月6日
「経済人類学者」カール・ポランニーの提言を思い出します。「保守派の思想的足跡の支離滅裂さを笑うな。彼らにとっては「生き延びる為の現状への最適化」こそが最優先課題なので、どんな無茶苦茶な方向転換も恐れず遂行する。翻って我々革新派はそれが出来ないばっかりに時代の遺物となりやすい…」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
これは凄く共感しますね https://t.co/xiwqQmcVMf
— Ikasama宗教 (@ikasama_syukyo) 2023年1月6日
まさにこれで、保守の側であれば強盗を撃退しようとして返り討ちにあって死ぬことはあっても、「あなたは社会的に害悪をもたらす存在だから粛清しますね」で死ぬことはない。 https://t.co/gVnbP5jMi8
— 越渓✤💉💉+💉+💉+💉 (@A4gvtiJWmuZWdBD) 2023年1月6日
細菌が次々とワクチンへの免疫性を獲得していく様に、革命家の思いつく処方箋にも寿命がある事を決して忘れてはならない…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
ヘルムート・プレスナー「遅れてきた国民;ドイツロマン主義とナチズム」が活写する様に、マルクスの「我々が個性や自由意志と信じている何かは、社会的内圧に型抜きされた量産品に過ぎない」、フロイトの「我々の判断は想像以上に無意識や超自我の影響を受けている」といった指摘こそ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
当時「マルクス=フロイト主義」と呼ばれたドイツ社会学の大源流となった訳ですが、むしろそれ故にマックス・ウェーバーもマンハイムもゾンバルトもその超克を試み、その結果として彼らの共有する「出発点としてのマルクス=フロイト主義」は「この世界は目に見えている通りとは限らない」なる…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
ほとんど本来の中身を継承しない空集合としての「自明の場合としての単なる自然な気付き」にまで最小化されてきたのを彷彿とさせます。英国マグナカルタのうち、現代法学が継承するのは序文のみというあの感じ…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
結果としてマックス・ウェーバーの「鉄の檻」論も、マンハイムの「伝統主義と革新主義を止揚する立場として現れた保守主義」論も、ゾンバルトの欲望解放論もそれぞれ完全に別物ながら「(時代遅れとなった)マルクス=エンゲルス主義だけは確実に打倒する」なる殺意だけは共有するという展開に…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
「マルクス主義への殺意としての保守」、ものすごく腑に落ちるご説明です。恐らく革新側からは「殺意しか見えない」から戦わざるを得ない、なんでしょうね。
— 越渓✤💉💉+💉+💉+💉 (@A4gvtiJWmuZWdBD) 2023年1月6日
実はこの意味合いにおいては「(19世紀末に社会民主主義に完全敗北した)マルクス=エンゲルス主義」から「(「ロシア革命の成功」を肯定する為に編み出された)マルクス=レーニン主義」への転向もまた保守主義的振る舞いに他ならず、ならばソ連崩壊後、それはどうなったか問われるというだけの話とも。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
実際、それを踏まえての冒頭のカール・ポランニーの提言であり、その立場から彼の経済人類学は20世紀後半、完全に形骸化したマルクス経済学の代替物の一つとして機能したという…要するに吉本隆明「共同幻想論」と一緒にもてはやされた栗本慎一郎のアレ。で「その続きは?」が問われているという…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
遠い昔に「相対幻論」を読んだことを思い出しました。まだ本棚どこかにあるかも。
— 越渓✤💉💉+💉+💉+💉 (@A4gvtiJWmuZWdBD) 2023年1月6日
そういえば、ゾンバルトが「恋愛と贅沢と資本主義」で活写した欲望解放論やエンルスト・ユンガーの「絶対に許容出来ない絶対他者との対峙こそが進化の原動力」なる戦争論、もはや「保守派と革新派の対立」みたいな図式で語れる内容じゃありませんな。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
そもそもマンハイムも「保守主義的思考」の中で「革新主義とは任意の問題について有意の処方箋が存在する時にその効果をとことん追求しようする考え方である。その当事者ですら「そこまで効果が期待される処方箋」を持たない範囲では「急激過ぎる変化の副作用恐れる」保守主義者として振る舞う」と…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
そして…
保守的であるというスタンス自体が、その単語の原義とは裏腹に、継承という点では極めて荒涼としたものであることへの覚悟を必要とされると言うのは確かにあるかもしれない。革新はその点ロマン主義的で、それ故に現実に対しては常に分が悪い戦いを強いられ、それ故に信頼されない面がある。 https://t.co/ItRAj6Gze5
— 越渓✤💉💉+💉+💉+💉 (@A4gvtiJWmuZWdBD) 2023年1月6日
革新主義は「(強大過ぎる国王と教会の権威への反逆といった)特定の時代の特定の問題に対する処方箋」として出発する事が多く、状況変化に応じた「脱皮」に失敗した段階で死ぬというのがマックス・ウェーバーの「鉄の檻」理論の骨子だったりしますね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
革新が結果的に「使い捨ての武器」に終わってきたことの繰り返しのせいで、歴史をある程度体系的に学んだ経験のある人ほど、「革新への失望としての保守」に収斂して行きやすい気がしてます。
— 越渓✤💉💉+💉+💉+💉 (@A4gvtiJWmuZWdBD) 2023年1月6日
結局「国王や教皇を頂点に据えた中央集権化と大貴族連合の調停」から「(伝統的地方共同体を滅ぼした)」資本主義への対応」まで「処方箋の採用/運用/破棄」を繰り返しきた保守主義における一貫した本質は「存続の意思」だけであり、その意味合いにおいては革新主義すら「保守化」を逃れ得ないという…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
こちらはマンハイム「保守主義的思考」の内容紹介となりますね。現代ドイツではマックス・ウェーバーの理論もマンハイムの理論も歴史的役割を終え、ゾンバルトの欲望解放論や「それ自体は理不尽で残酷で絶対に受容出来ない戦争こそが人間を進化させてきた」なるエンルスト・ユンガーの戦争論が主流に…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
エンルスト・ユンガーの戦争論…ここでいう「絶対他者的存在としての戦争」概念は疫病や資本主義(特にロシアやアメリカの様な辺境での苛烈な急成長)と置き換えられるとしたのがカナダの歴史家ウィリアム・マクニールの立場とも。https://t.co/KdjIq3Hnwv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
ウィリアム・マムニールの辺境開拓論は「世界史講義」収録。シベリアやアメリカ開拓地がクロポトキンやトクヴィルの無政府主義的相互扶助社会論の大源流に選ばれながら、実際には農奴制や奴隷農場の様な過酷な発展をしてきた過程を実に上手く説明ます。要するに「人手が足りない」問題の両側面…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
そんな感じで以下続報…