今回の投稿の発端は以下のポスト
個人的メモ。「19世紀初頭のフランスでは、サン・シモンは、フランス革命を進歩的知識層、保守的所有者、無産者という三つの階級間の抗争としてとらえ、産業者を中心とした社会改造を説いたが、階級闘争を理論づけるまでには至らなかった」?https://t.co/VGMf8qkEdK
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
サン=シモンが説いたのは「不労者階層=ノルマン人,産業者階層=ゴール人」の民族論で、そこに知識者階層の居場所がない事に不満を持ったオーギュスト=コントが袂を分かって自説を立てるのでは?https://t.co/lFl5ZhIBtS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
そもそもフランス革命に身包み剥がされ徹底弾圧されたサン=シモンやフーリエの様な初期社会主義者がづらんす革命自体について「旧体制破壊の為に必要であった(創造的意義は皆無)」としか言ってない。これがゲルツィンやバクーニンや(おそらくはヴァイトリンクの)「創造は破壊から始まる」の原点。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
×づらんす革命○フランス革命。何その「アデランス革命」みたいなの。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
そもそもフランス革命当時の無産階級=サン=キュロットは革命戦争とナポレオン戦争における兵士供給階層として台頭。恩寵によって零細自作農化し皇帝ナポレオン三世の支持基盤に変貌する。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
こういう社会変化もある事を認めると階級史観が成立しなくなってしまうので、マルクスは前者を「騙されただけ」後者を「やらずぶったくりの詐欺師で何一つ業績を残さなかった」と決めつけざるを得なかったのだった。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
そう、歴史のこの時点でもう「現実VSマルクス」という構造は始まっており、そういう場合の必然として「マルクス自体の考えた事」はどんどん現実離れした支離滅裂なものへと変貌していったのだった。その一方でラッサールの社会民主主義(福祉国家)路線やタルコット・パーソンズの構造機能分析が登場。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
そう、ある意味サン=キュロットの様に(マルクスが説明を思い付けなかった)「社会が与える役割に従って階層が規定される」儒教社会的展開を説明する為にタルコット・パーソンズの構造機能分析の様な考え方が現れたとも。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
ただし今度はそっちは「新たなサン=キュロット層の誕生(ヒッピー運動や黒人公民権運動の勃発)」を見逃してしまったのである。すると次に必要な一手は?https://t.co/BuBbYjxYfE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
こういう考え方に理系知識は一切必要とされない。コンピューター言語を少しでも齧っていたら「ライブラリのメンテナンスには依存関係の調査と調整が不可欠」という事は誰にでも分かる。これが分からない一部人文至上主義者はどんどん「歴史の掃き溜め」送りにしていかないとライブラリ全体が崩壊する。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
もちろん同じ問題は理系分野も内包しており、だからこそ素数、非ユークリッド幾何学、統計革命(分散、正規分布、ベイズ推定)、量子力学など新概念が登場する都度、ちゃんと動揺し「暴力革命を是とせず」視野拡大によって克服してきた。すると今人文分野に君臨する「不滅の勝ち組」とは一体何者?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
そう、人文科学そのものが問題というより、今だにそっち系の人達が天動説やエーテル説の類に執着して知識のメンテナンスを怠ってるのが問題という話。そりゃ簡単に陰謀論面に転がり落ちてしまう訳である。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
そんな感じで以下続報…