諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【2020年代的風景】数理演算(Mathematical Computing)なる発想からの再出発

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それまで文系人間なりにプログラミングの世界に接してきた私が、2017年末に「自分には圧倒的に数理(Mathematical Thing)が欠落している」と自覚して「再学習」を重ねてきた結果、少なくともその導入部らしきものに到達したのが抽象代数学abstract algebra)によって統合された「数学そのもの(Mathematical itself=いわゆる「大学数学」)」の世界でも、近年ニュートン力学から量子力学への発展があった「物理学そのもの(Pysics itself)」の世界でもない数理演算(Mathematical Computing)の世界でした。実際には「計算数学Computational mathematics)」とも呼ばれ「数理工学(Mathematical Engineering)」や「情報物理学 (Information Physics)」に隣接するデータサイエンスの一分野となってくる様です。

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過去の投稿履歴を振り返ると、そもそもの出発点は三原和人の漫画「はじめアルゴリズム (2017年~)」が少しだけ触れて素通りしたオイラーの等式(Euler's identity)e^πi=-1に関する以下の疑問だった様です。

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様です」としか言い様がないのは、当初の私が明らかに「(ルネサンス大航海時代の到来によって天文学や測量や建築の現場で需要が急増していた三角関数計算などを楽にするジョン・ネイピアJohn Napier, 1550年~1617年とヘンリー・ブリッグスHenry Briggs, 1561年~1630年)による常用対数表(common logarithm tableの発表こそが数理演算(Mathematical Computing)の大源流である」とする数理演算結果とその現場での使用を数表で結ぶ(そしてコンピューターの発明が両者の境界線を破壊したとする)いかにも文系人間らしい「数理演算能力そのものを我々の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者に追いやる歴史観を前提としていたにも関わらず、何時頃その放棄に至ったかちゃんと記憶出来ておらず、ただ時期的にはおそらくこの問題に取り組んでいた頃にそういう立場に乗り換えたなる推察の結果。

  • 一般にネイピア数e^1=e(2.718282)すなわちの発見は複式簿記の公理(1+1/N)^N近似範囲2~e)によって、e^-1=1/e(0.3678794)の発見は「サイコロを振って1の目が出ない確率は1/6。ではこれをN回繰り返すと確率はどう変化するか?」なる確率論から出発するベルヌーイ試行(1-1/N)^N近似範囲0~1/e)によって説明される。
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  • 数式の形から見てこの公理が自然指数関数e^±xが発生させる等比数列/幾何数列(geometric sequence)の一般項(1±x/N)^Nによって統合されるのは自明(Torivial case)だが、それぞれに付帯するヒューリスティック(heuristics)な説明の統合は思うより易しくない。
    *まぁこういう細部を「細けぇことはいいんだよ!!」と切り捨てないのが文系人間としての矜持。

    そもそも「(式が原資*(1+1/期間分割数)^期間分割数と整理可能な1年で2倍に増える高金利商品」なんて夢過ぎて現実には存在し得ない。要するにヒューリステック・アプローチにおいても「期間内に2倍」が不自然でも動かせない重要な数学的前提である事は明らか。

    同様に「もし人生でn人の異性と付き合うことが分かっていてnが十分大きいなら、最初のn/e人とは別れその後で"今までで一番いい人"がいたら結婚する」なるお見合い問題の最終結論も不自然。こちらでの不自然でも動かせない重要な前提は何だろうか。①「生涯のうちで出会う人数が十分大きく、かつあらかじめ分かっている」が数学的に言うと「無限大から無限小の範囲で遂行される広義積分」や「(式がA*1/xの形に整理可能な)ある数Aの0から無限大の範囲で変動するxによる分割」といった限定状況に該当する。②「それまで出会った中で1番良い人と結婚する方法」なる無理筋だらけの設問は思い切って捨て「(式が(1-1/N)^Nの形に整理可能な)1/Nの確率の出目をN回振っても出ない確率は定数に収束する」なる数学的結論からの逆算で「出会うはずの運命の人と、それでもすれ違いの繰り返しでどうしても出会えない確率が一定割合で存在する」とでも言い換えた方がいい。

    そして、ここでいう「それぞれにとっての最高の出会い」の定義は、数学的には例えば反比例式x*y-1=0あるいはx*y=1あるいはy=1/xにおけるx=1,y=1の初期状態から出発し面積すなわちxとyの積が1となる組み合わせを単位とする目盛りを振る事に該当する。そして「Xを2倍にするとYが1/2となる」形でXとYの関係が一意に反比例式にこういう単位で目盛りを振ろうとするとY軸に自然指数関数e^xが、X軸に自然対数関数log(x)が浮かび上がってくるのだった。

  • 結論から先に述べると、利息計算と確率論の極限値(limitvalue)に連続性(Continuity)を与えるのは数学の世界における等周問題(Isometric problem)なるジャンルだった。①周の長さが一定である長方形の中で,面積が最大のものは正方形である。②周の長さが一定である三角形の中で,面積が最大のものは正三角形である。③周の長さが一定である四角形の中で,面積が最大のものは正方形である。④周の長さが一定であるn角形の中で,面積が最大のものは正n角形である。⑤長さが一定となる閉曲線CにおいてCが囲む面積が最大となるのは(無限大の辺数と無限小の辺長によって構成される、半径1の単位円(Unit Circle)の場合に周長計が2πとなる)円そのもの(Circle itself)においてである。

    等周問題(Isometric problem)

    定理「与えられた長さを持つ閉曲線のうち,面積最大の図形は円である」をディドの問題といいます。その由来を書いておきましょう。

    ディドはカルタゴを建国したと伝えられている伝説上の女王です。元はフェニキア都市国家の国王の 娘であり、父国王の死後遺言にしたがって,兄と共同で国を治める予定でしたが,兄は王位の独占と財産目当てのため, ディドの命をも狙いました。そこで彼女はすべてを捨てて航海に出発し、現在の北アフリカのチェニジアへと辿り着いたのです。

    そこで,彼女はこの地の王に 土地の分与を申し入れ,一頭の牛の皮で囲えるだけの土地ならば与えてもよいとの返答を得ました。そこで彼女は、海岸沿いに牛の皮を細かく引き裂いて,予想より大きい土地を 取り囲んで砦を築くだけの土地を得たといわれています。

    この時のディドの囲い方が「海岸から半円を描いた」ディドのは自明の理なのでディドの問題と呼ばれる様になったのでした。ちなみにこの囲い方だと内陸に円を描くより大きく(面積が2倍)なります。

     ディードーの一行は途中キプロス島で豊饒の女神アスタルテーに仕える神官と神殿に献上される予定であった乙女達を受け入れながら旅を続け、現在の北アフリカチュニジアの地に辿り着いた。そこで彼女はこの地の王であるイアルバースに土地の分与を申し入れた。イアルバースは1頭の牝牛の皮が覆えるだけの土地であれば分与しても良いと応えた。そこで彼女は牝牛1頭分の皮を細かく引き裂いてビュルサの丘の土地を取り囲み、砦を築くだけの土地を得た。この地が後のカルタゴとなった。

    • 古代ギリシアの歴史家ティーマイオスによれば、これを見たイアルバースは彼女の才能に惚れて求婚したが、亡き夫の死の際に決して再婚しないと誓っていた彼女はこれを拒んで火葬の炎の中に飛び込んで自らの命を絶ったという。

    古代ローマの詩人ウェルギリウスPublius Vergilius Maro、紀元前70年~紀元前19年)作の叙事詩アエネーイス古典ラテン語:Aeneis, 紀元前29年~紀元前19年, 未完, )』には、これとは違う物語が書かれている。

    • 英雄アイネイアースは祖国トロイア滅亡後に仲間とともに流浪の末にカルタゴに漂着する。そこで彼は女王として国を治めているディードーに歓待を受ける。アイネイアースの母ウェヌスアプロディーテー)は彼の身に危険が及ぶことを恐れ、クピードー(エロース)に命じてディードーに彼に対する愛を吹き込まさせる。
    • かくして2人は愛し合うようになり契りを結んだが、アイネイアースイタリア半島に向かうように神託を下していたユーピテル(大神ゼウス)が改めてメルクリウス(ヘルメース)に命じて神託の実行を促したので彼はイタリア行きを決意して出発してしまう。
    • アイネイアースに裏切られたディードーは悲嘆の余り、火葬の炎に身を焼かれて命を絶ったという(アエネーイス』第4巻)。

    アエネーイス』は紀元前8世紀前後に無名のアオイドス吟遊詩人)達の手によって編纂され、紀元前6世紀前後にアテナイで文書化され、作者を詩人ホメロス古代ギリシャ語: Ὅμηρος、Hómēros、羅: Homerus、英: Homer)に擬した古代ギリシャ叙事詩イーリアス(希:Iλιάς, 羅:Ilias, 英:Iliad)』や『オデュッセイア(古代ギリシアイオニア方言:ΟΔΥΣΣΕΙΑ, Ὀδύσσεια, Odysseia, ラテン語:Odyssea)』のさらなる続編という体裁を採用している。ウェルギリウスの最後にして最大の作品にしてラテン文学の最高傑作とされ、これ以後執筆されたラテン文学においてこの作品を意識していないものはない。最終場面を書き上げる前に没っする事になった為、ウェルギリウス当人は臨終の席でこの草稿の焼却を望んだが、アウグストゥスが刊行を命じたため世に出ることになったとされる。こうした鬩ぎ合いの背景には「地母神が現地統治者を選ぶ」神話的統治概念に立脚して古代ギリシャカルタゴを併合したローマ、さらには(ウェヌスの息子アエネーイスを始祖として仰ぐユリウス氏族による皇統樹立(三国時代の魏国宰相曹操同様、カエサルアウグストゥスも皇帝そのものには即位していない)を正当化せんと望む体制側の思惑と、かかる政治利用を嫌った詩人ウェルギリウスの間で起こったイデオロギー闘争があったとも。
    *まぁこういう細部を…(以下略)。

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    だから①「1/Nの確率で出現する事象がN回試行しても現れない確率の計算(結果が0~1/eで推移)」すなわち(全ての試行が失敗に終わった場合の極限値を求めた式たる)e^-1=(1-1/N)^Nも、②「一定期間をN分割して原資にその数だけ増分1/Nを加え続ける福利計算(結果が2からeで推移)」すなわち(全ての試行が成功に終わった場合の極限値を求めた式たる)e^-1=(1+1/N)^Nも、その近似結果は数学上の振動関数-1^x虚数(Imaginary number)(0±1i)^2=-1を代入して得られる複素円関数(0±1i)^2xに従って複素平面独:Zahlenebene=数平面, 独: Komplexe Zahlenebene, 英: complex plane=複素数平面)上において(曲率0の)直線から(曲率1の)円弧へと推移する。

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  • もしかしたらオイラーの公式(Euler's formula, 1740年頃発見)e^θi=cos(θ)+sin(θ)iが本当に達成したのは①(反比例関数y=1/xを面積1となる単位で区切るとネイピア数が現れる)片対数尺=透視図法の世界観と(等速円運動の観測結果から生まれたとされる)X軸にcos(θ), Y軸にsin(θ)を配する物理学的円描写方法(周期2π)の世界観と、②数学上の振動関数-1^x虚数(Imaginary number)(0±1i)^2=-1を代入して得られる複素円関数(0±1i)^2x(周期2)の世界観の統合ではなかったか。ガウス積分に接し「無限大(Inf)から無限小(-Inf)にかけての範囲で積分する広義積分(Improper Integral)の世界観においてはこれら全ての系が統合される」なる概念を得てから、ますます確信が強まった。来年以降の課題。

この時起こるのはある種の桁上がり(1周目、2周目…N周目と周回数が数えられる様になる段階)?

そんな感じで以下続報…