諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

フランスにおける産業革命の受容過程

フランスの社会主義思想家サン=シモン伯爵(Claude Henri de Rouvroy、Comte de Saint-Simon、1760年〜1825年)は「産業階級の教理問答(Catechisme des Industriels 1823年〜1824年)」の中で「フランス革命を経験済みのフランス人だけが世界中の産業者階級を導ける」とし、英米の後進性を叩いた。

  • フランス絶対王政そのものについては「50人の物理学者・科学者・技師・勤労者・船主・商人・職工の不慮の死は取り返しがつかないが、50人の王子・廷臣・大臣・高位の僧侶の空位は容易に満たすことができる」と断言したくらいで決して肯定はしていない。

  • アメリカについてはにべもない。しばしば第二次独立戦争とも呼ばれる米英戦争1812年6月-1814年)後の状態について「(英国産業革命への)綿花供給地として発展した南部経済は黒人奴隷の存在を未だ必要とし続けている」「(米英戦争期間中に英国産業革命から切り離されたのを契機に発達が始まった)北部工業の成長を支えているのは、やはり奴隷同然に扱われている期間労働者達である」とのみ述べて終わらせてしまう。*後にその対立は「(英国産業との提携を重視するが故に自由貿易主義を標榜する南部諸州に支持された)民主党」と「(勃興を開始した初期工業の養育を優先する立場故に保護貿易主義を標榜する北部諸州に支持された)北部共和党」の対立に発展して南北戦争(1961年~1965年)を勃発させるが、確かに歴史のその時点までは無碍に否定出来ない仮説であったとはいえる。
  • イギリスについては「ラッダイト運動(1811年~1817年)において見られた労働者と経営者の利害意識の乖離」「その鎮圧に際して軍隊が導入された事を典型とする労働者と経営者の間の対話の不在」「その一方で寄食的有閑地主と産業投資家が未分化で単一の特権階級を為している」の三点を取り上げ、労働者(元奴隷階層)と経営者(元奴隷支配社会層)の対立状態が自然解消されてない上に英国王室が軍隊を介入させる事によって両者の分断状態を煽りつつ、成金資産家(元奴隷階層)を貴族階層(元奴隷支配社会層)に取り込み続ける事で産業階層の団結を阻んでいると分析する。*確かにかかる分断状態はチャーチスト運動(1838年から1850年代にかけて続いた都市労働者の普通選挙権要求運動)によっても克服されず、19世紀末まで保護貿易主義及び内政充実のみを要求する地主階層に支持された保守党と、自由貿易主義及び海外積極進出を要求する豪商層に支持された自由党の対立という図式を通じて温存された。すなわち労働者が参政権を獲得して両者の支持層が変貌を遂げる19世紀末までは確かに有望な仮説であり続けた訳である。

そもそも英国に対する敗北なんて一切認めないのが伝統的フランス中心史観だった。

しかしフランス人経営者アンリ・ファヨール(Jule Henri Fayol , 1841年~1925年)が「産業ならびに一般の管理(1916年)」の中で開陳したPOCCC (Prévoir, Organiser, Commander, Coordonner, Contrôler)理論では、英語の「組織編成( Organiser)、命令系統整備(Commander)、統制遂行(Coordonner)」をフランス語の「計画(Prévoir)」と「調整(Contrôler)」が囲んでいる。

  •  要するに(もちろん慎重な計画と調整は必要だが)英国産業革命を成功に導いた要因をそのままの形で強引に持ち込んでそれまでフランスへの産業革命定着を阻害してきた要因を克服するのがフランスにおける産業革命だったという次第。

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  • それではそれまでフランスへの産業革命定着を阻害してきた要因とは何だったのか。それは中世まで遡る「経営者(概ね貴族や高位聖職者の様なランティエ(Rentier、地税生活者)を想定)は労働環境に一切口出ししないという鉄則」だった様で、ファヨールのこの理論も当初は「経営者が経営に口を出すなんて天地がひっくり返ってもあっちゃなんねぇ‼︎」という反応を受けた様である。英国型経営理念の導入という体裁はとっていたものの組織編成( Organiser)、命令系統整備(Commander)、統制遂行(Coordonner)」とは要するに労働環境の軍隊化に他ならない。反宗教革命運動の急先鋒として1537年に結成され、1540年にローマ教会の公式認可を受けたイエズス会が軍隊型組織を採用したのも同じ理由。要するに欧州人にとって「単純明快で具体的な目標を設定し、その実現の為に構成員を状況に応じて柔軟に配置し、配置された構成員それぞれが与えられた戦術的役割を粛々と遂行する組織」として真っ先に思い浮かぶのはそれだったのである。
  • 英国産業革命において重要な役割を果たしたばかりかコンピューター誕生期にも重要な役割を果たすパンチカード・システムを発明した自動人形技師ジャック・ド・ヴォーカンソン(Jacques de Vaucanson, 1709年~1782年)も随分と酷い目に遭わされている。1745年にBasile Bouchon や Jean Falcon の先駆的成果を発展させて世界初の完全自動織機を開発した際にその「データ入力」手段として採用され、半世紀以上も後になって英国の産業発明家ジョゼフ・マリー・ジャカールがこれに改良を施して繊維産業に革命を起こすのだが、この時は職人から「オレ達が何を覚えるか指図するなんて何様だぁ?」「オレ達から職を奪うつもりか」と散々罵られ、石を投げつけられただけだったのである。*とはいえ実は英国でも1733年に飛び杼(どんな幅の物でも一人で織れる)を発明したランカシアの織工ジョン・ケイが、生産効率の飛躍的改善の代償として熟練工の大量失業を誘発したせいで残りの一生を貧困の中で襲撃を恐れながら送る羽目に陥っている。当時のフランスの職人は「適切な計画なしの部分的技術導入」が混乱しか生まない事を直感的に見抜いていたとも。

  • ちなみに頭の鈍さでは宮廷銀行家も似たり寄ったりで、最初は「我々は王様や教会の立派な保証があるからこそ貸すんであって、産業振興なんて得体の知れない事業には一文だって出せません‼︎」という態度だったので、ルイ・ナポレオン大統領/皇帝ナポレオン三世ポルトガルの資産家に融資を求めざるを得なかったという。*かくしてフランス・ロスチャイルド家は鉄道建設分野でペレール兄弟との死闘に巻き込まれる展開に。

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魯迅が「奴隷が主人と交代したり、主人を追い出したり、主人から逃げたりしただけでは奴隷制は無くせない」といったことを述べたのもまさにこれ。確かにこの状態では産業革命導入など到底望めない。しかしそもそも、19世紀前半のフランス人社会主義思想家には、これを問題視する視点そのものが欠けていたのだった。

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ちなみにファヨールの著作は熱狂的信者も出したものの激しい非難にもさらされた。そして本国において忘れ去られる一方、死後の1929年にアメリカで翻訳・出版され再評価を受け、現在は経営管理論の始祖の一人に数えられている。