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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【匿名の歴史】米国移民文化の中での意味合い。

アメリカの伝統文化においては、まず「時代の要請に応じて蜂起した無名の人々」そのものが特別な意味合いを持たされています。なにしろ学校の教科書にまで「この国の歴史は必要な時に一斉に立ち上がった無名の人々によって動かされてきた」と書かれているくらい。しかしその反面、多くのエスニック・グループで構成される多民族国家と化した現在のアメリカ人の多くは「とりあえずそういう言い回しには斜に構える」のをモットーとしている様に見えます。

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  • まぁ、何しろ現在「アメリカ人の愛国心の象徴」とされているのは東欧系ユダヤ人の漫画家が産み出した「宇宙の孤児」のスーパーマンに「アイルランド移民」出身のキャプテン・アメリカ。非英語圏からの移民は最初「セサミ・ストリート」やアメコミを通じて英語を学ぶから、まさしくそれは愛国教育の入り口だったりもする訳だが、エンターテイメント業界のこうした愛国的キャラの扱いを見ても「斜に構えてる」感は満載だったりする。

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  • こういう複雑な社会では「匿名性の獲得」は「個性の放棄」というよりむしろ(なまじ実名の世界では「黒人でプロテスタントで中産階層」みたいに複数のグループに属しているが故に)どうしても行動に表れてしまう自分の本当のアイデンティティの確認作業という意味合いを強める。例えば黒人は一般的に「その身体能力の高さとリズム感の良さでスポーツ界や音楽界に確固とした存在感を築いた立場」にして「ギャングの供給源」と目されているが、自分はこうした分裂的イメージの何処に位置付けられたいのか? むしろそういう事を客観的に確認する場として「匿名性」が利用されている感がある。いうなればFormatというよりGarbage Collection。

  • 「国際SNS上における関心空間」の構築はアメリカにおいて英語圏と(メキシコを含む)スペイン語圏と(ブラジルを含む)ポルトガル語圏を統合する動きとして始まり、「(late teenager以上と以下の間に独特の緊張感を抱える)女性」「(Poor層とEstablish層の間に独特の緊張感を抱える)黒人」「(それ自体が複雑怪奇な多民族集団たる)カソリック」「(同じくらい複雑怪奇なメンバーで構成されている)LGBTQA層」みたいなサブ・ジャンルを擁する構造に落ち着いた。全体像を俯瞰すると意外とGlobal展開というよりAmerican local展開に拘束されていたりするのが興味深い。そしてこうした観点からは米国と日本文化の関係論は「Weaboo(何でも日本が最高と考えたがる自虐的米国人)とWestaboo(なんでも日本は最低と考えたがる自虐的日本人)の狭間にどうやって自分を見つけるか?」という形で省察される事に。

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  • しかし、こうした形での「国際SNS上における関心空間」の構築は、幾つかのマイノリティ・グループを置き去りにして成立してきた。この事と2016年度アメリカ大統領選挙におけるトランプ候補の「意外なまでの健闘」の間には密接な関連があるという意見も存在する。
    *なにせ肝心の国際SNS上における関心空間」そのものが困惑してるくらいだから「置き去りにされて不満を鬱積させてきたのが誰か」について迂闊に先入観を持つのは禁物。実際「見逃されてたファクター」が出てくる、出てくる…

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まぁ、こうした歴史的背景もちゃんと踏まえない限り「アメリカの2010年代」は読み解けないという話。日本のそれとは随分と起源が異なる?