諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【與那覇潤】【中国化する日本】「ナチス・ハンターがナチスとなった」リベラル派の悲劇

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再帰性とは、「われわれは単に現実に存在するものを認識しているというより、逆に認識を通じて現実を作り出している」という視点のことです。わかりやすいように、まずは個人と世界の関係で例を出せば、夕焼けが赤く見えるのは太陽自体が赤いからなのか、私の網膜にそれを「赤く見る」性質があるからなのか。後者の観点を取るのが再帰性の立場です。

そして私たちは日々、個人ごとにバラバラに世界を認識するだけでなく、複数名の認識が相互にかかわりあう共同現象として、社会的なものごとを作り上げています。たとえば、お互いに「僕と君は恋人どうしだ」「私たちは家族だ」と思いあうことで、カップルなり家庭なりは成立していますよね。個人の認識を押しつけるだけではストーカーになっちゃうし、もしくは相互にそういう認識を共有できなくなったら、別れて新たな関係性に入らざるを得なくなる。

当たり前じゃないか、と思うかもしれませんが、しかし「われわれは日本人だ」になると、途端にこのしくみが見えにくくなるんですね。日本人という共同性が、相互の関係性の産物ではなく、最初から不変のかたちで存在するかのように思われてしまう。結果として、実際には自分の認識であるにすぎない「正しい日本人」イメージを、周囲にも強要してしまうことがある。恋人や家族でやったらDVになることなのに、それが「愛国心」だと勘違いされる。

これが、ナショナリズムの魔力といわれるものです。特に日本人は、独立宣言のようなものを発して国家を「人為的」に創出するという経験が乏しかった分、日本という共同体を「自然に存在している」自明のものだと疑わない傾向がありますから。「単一民族国家」といった意識も、その表れでしょう。

あれ? 吉本隆明の「共同幻想論」の焼き直し?

ところが皮肉にも、最近国内外で話題となっているのはむしろ「リベラリズムの魔力」の方だったりするのです。まさしく「ミイラ取りがミイラになった」ならぬ「ナチス・ハンターがナチスとなった」構造。 

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そもそもの発端は「それまで立脚してきた数々の神話の崩壊」とも。そうした「神話」が必要となったのも「科学的マルクス主義崩壊」と無関係ではない気がします。

  • 世界中のリベラル層が羨ましがってきた「第二次次世界大戦後フランスで遂行された徹底的なまでのナチス狩り」も、実際には自分で手を汚したくないインテリ=ブルジョワ階層から「汚れ仕事」を押し付けられた愚連隊に政権を乗っ取られるという悲惨な結末に終わっていたりする。
    *愚連隊に政権を乗っ取られる…いわゆる「ド・ゴール主義」の時代。ただ皮肉にもド・ゴール大統領自身は案外「リベラル派」で、泥沼化した植民地戦争の為に無制限に兵力を送り込み続けるほど馬鹿ではなかったので内部強硬派を激怒させてしまう。この対立構造をちゃんと理解してないとフレデリック・フォーサイスジャッカルの日(The Day of the Jackal、1971年、映画化1973年)を完全に堪能したとはいえない。


    ジャッカルの日 - Wikipedia

    1954年に始まったアルジェリア戦争は泥沼状態に陥った。

    ◎「フランスのアルジェリア」を信じて戦う現地駐留軍やフランス人入植者の末裔(コロン、またはピエ・ノワール)らは、フランスの栄光を願う右派世論を味方に付けてアルジェリア民族解放戦線FLN)やアルジェリア人の村落を殲滅するが、当時のフランス本国は第二次世界大戦の傷も癒えぬまま第一次インドシナ戦争にも敗退した惨状にあり、また相次ぐFLNの爆弾テロや残虐になる一方の戦争で厭戦世論も広がり世論は分裂した。

    1958年、本国政府の弱腰に業を煮やした現地駐留軍の決起によって第四共和政は崩壊、フランスの栄光を体現するシャルル・ド・ゴール(以下、ド・ゴール)が大統領に就任したことにより第五共和政が開始された。アルジェリアの軍人やコロンたちは、ド・ゴールが「フランス固有の国土」のための戦争に一層力を入れてくれると期待したが、ド・ゴールは戦費拡大による破綻寸前の財政などを鑑み9月にアルジェリア民族自決の支持を発表した。1961年の国民投票過半数もそれを支持し、1962年に戦争は終結してしまった。

    現地軍人やコロンらは大混乱のうちにフランスに引き揚げた。彼らは戦争中にOASを結成してアルジェリアでテロ活動を続けており、フランスでも政府転覆を狙ってド・ゴールへのテロ活動を行ったが、ジャン=マリー・バスティアン=ティリーなど現役のエリート軍人らによる暗殺計画はことごとく失敗し、組織の優秀な軍人達は逮捕され銃殺刑に処された。

    ◎彼らは自分たちを愛国者であると信じ、処刑の場で兵士が自分に銃を向けることはないと自信たっぷりの態度を示したが、実際には兵士たちは迷わず命令に従って処刑してしまい、その思惑は外れたのである。組織にはフランス官憲のスパイが浸透した上、コルシカマフィア(ユニオン・コルス)まで投入した捜査の結果、秘密だった筈のメンバーや活動もほとんど判明してしまい、表の政治組織も官憲の実行部隊により容赦なく壊滅させられるに至って、支援者だった企業オーナーらも離れていった。

    以後、OASの主要メンバーたちは国外逃亡して雌伏と屈辱の日々を送るが、1968年の五月革命の際に、軍部がド・ゴールに協力する代償として彼らへの恩赦を取り付けた。

    こうした絶望的史実を背景に「1963年、OASが凄腕の暗殺者を雇ってドゴール大統領暗殺を企てた」とする物語が展開する。
    *要するに「フリベラル派がナチス狩りに執着しながら自分の手を汚すのは嫌った代償」としてフランスは植民地戦争泥沼化による残虐行為常習化と本国経済の破綻という結果を招いたのだった。しかも肝心のナチス狩りすら実際には完遂されてない。植民地戦争遂行に彼らの戦争経験が役立ったからで、以降むしろフランスは世界中のナチス残党から「有難い隠れ場所」として重宝され、フランス人の血税が(自ら手を汚さずに済む代償として)彼らを養うのに投じられていく。実はこうした相互依存構造の基礎は既に19世紀から既にあった。

    *こうしたインテリ・ブルジョワ階層の偽善は、フランスにおける五月革命1963年)の遠因となったばかりか、その鎮圧に際して「政治的取引によるOASの免罪」というさらなる妥協を誘発する事になったのだった。フランス知識人がどんなに正しそうな事を言っても「ふーん、でもまた裏では酷い事になってるんだろ。この偽善者め」と鼻で笑われる様になったのには、こういう背景があったのである。しかも彼らは「日本人だけは話を真面目に聞いてくれる」と気づいたら「植民地戦争での残虐行為は大日本帝国の方が百万倍壮絶だったし、全部ドゴールのせいで我々は無関係」と世界中に向けて言いふらす始末。

    ド・ゴール主義 - Wikipedia
    大国フランスの戦後外交に学ぶ

  • そもそもナチス台頭の過程そのものに「ソ連及びコミンテルンから社会的ファシズムの烙印を押されたヴァイマル体制打倒の為に(自らの手を汚したくない)インテリ=ブルジョワ階層から「汚れ役」として選ばれた愚連隊の下克上」という側面があったのだから、さらに救いがない。これはドイツで1960年代後半から1970年代前半にかけてアカデミック界の顔触れの一斉差し替えがあった遠因の一つとされている。

  • 同様に世界中のリベラル層が羨ましがる「西ドイツのブラント首相の謝罪」についても現実は以下の通り。①それは実際にはナチス支配下では嬉々としてユダヤ人狩りに協力しながら、ナチス第二次世界大戦に敗れるとドイツ系市民に全責任をなすりつけて国外追放に追いやったポーランドの偽善を告発すべく遂行された政治的パフォーマンスの一環だった。②実際にはどうやったのか。ポーランド訪問時、ユダヤポーランド人が立ち上がったワルシャワ・ゲットー蜂起(1943年)には心底遺憾の意を表明しながら、ワルシャワ全土を破壊し尽くしたワルシャワ蜂起(1944年)には一言の言及すらしなかったのである。③実際には破壊がユダヤ人ゲットーだけでなくワルシャワ全土に及び70万人以上が生活の場を失ったワルシャワ蜂起(1944年)の方が全然大規模で壮絶だった。なにしろ当時のナチスをして「これはマズい」と思わせ、民間人を無制限に略奪・強姦・殺害し尽くしたカミンスキー旅団や「ディルレヴァンガー」SS特別連隊の解散を強行したほどだったのである(人道的配慮というより、彼らが現れた途端レシスタンス側が「死兵」に転じ、捕虜も取らず最後の一兵まで決死で戦って味方の被害を何倍にも拡大するのが問題視されたとも)。こういう過去すら人道的配慮抜きに政治利用するのが良くも悪くも筋金入りのドイツ政治学というもの。④しかもブラント首相は帰国後さらに追い打ちをかけた。「ポーランドはドイツ系ポーランド人に対する謝罪と補償を遂行するまで、西ドイツから謝罪と補償を受け取る事はない」と演説して西ドイツ国民の熱狂的声援を勝ち取ったのである。これぞ(以下略)③一方、こうして外交的に完全敗北したポーランド共産党は屈辱を最小限に食い止めるべくこうしたニュースを共産主義体制放棄まで隠し通し続ける。この事実を知ってなお「(日本人と違って)心から謝罪したドイツ人から学べ」と言い続けられるのは本物の鉄面皮の偽善者だけだろう。なにしろ「西ドイツのブラント首相の謝罪」から実際に得られる教訓は「政治家は自らの犯した人道的犯罪でも決っして反省してはならない。むしろその政治的利用法を徹底的に考え抜く事に専念せよ」という全く正反対の内容なのだから。
    ワルシャワ・ゲットー蜂起(Warsaw Ghetto Uprising, 波Powstanie w getcie, warszawskim, イディッシュ語ווארשעווער געטא אויפשטאנד, 独Aufstand im Warschauer Ghetto、1943年4月19日〜5月16日)-Wikipedia
    https://www.ushmm.org/lcmedia/photo/wlc/image/46/46202.jpg
    ワルシャワ蜂起(波Powstanie Warszawskie、1944年8月1日〜10月2日)

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    カミンスキー旅団(Kaminski-Brigade)-Wikipedia

    http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/95/Bundesarchiv_Bild_183-97906,_Warschauer_Aufstand,_Stra%C3%9Fenkampf.jpg

    「ディルレヴァンガー」第36SS武装擲弾兵師団(36.Waffen-Grenadier-Division der SS)-Wikipedia

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    *民間人に対する略奪・強姦・殺害の当事者だったカミンスキー旅団や「ディルレヴァンガー」SS特別連隊…このうちカミンスキー旅団に対する人材供給源となったのがウクライナ。彼らはスラブ人に対しても容赦なく無制限に略奪・強姦・殺害を遂行し続けたのでロシアにおいてはナチス以上に嫌われている。それにも関わらず、困った事に最近昨今国際ニュースを賑わせている「ウクライナ分離独立派」の支柱の一つスヴォボーダは彼らの末裔なのだった。プーチン大統領が凄味を効かせ「よろしい。欧州は既にナチズムに対する禊は終わったという立場なのか。ならばこちらにも考えがある。ロシア国民がそんな偽善を許すと思うか?」と言ってのけてロシア国民の熱狂的声援を受けた背景には、こうした歴史的背景があったのだった。

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    那覇:よく「ナチスと日本を一緒にするな」と言う人がいるけど、たとえば西ドイツのブラント首相というのは冷戦下でもワルシャワを訪れて、非常に優れた儀式をやったわけでしょう(1970年、ゲットー記念碑の前で跪き祈りを捧げた)。日本の首脳が慰安婦問題に関する施設に行って、態度で「申し訳なかった」という思いを示す、それが国際社会から見たときひとつの終止符になる、そういうあり方を構想できないものでしょうか。

    *間違いなくある種のポジション・トークなのだろうが、何故か「ハンニバル・ライジングHannibal Rising、2007年)」の日本語版予告がYoutube上で削除されてるのと同質の偽善性を感じずにはいられない。執拗にこうした情報統制を繰り返してきた結果、リベラル層は国際的に「ナチス・ハンターがナチスになった」なる定評を勝ち取るに至るのである。

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    *この有名な写真で注目すべきは、実はブラント首相当人ではない。「ちくしょう、やられた…こんなの報道出来ないぞ」と驚愕し狼狽えるポーランド共産党の「政治的に敗北した瞬間人間が浮かべる顔」の方である。当時の手記から、彼らが本当にパニック状態直前だった事も明らかになっている。ぜひ日本の政治家も同様の景色現出を目指して励んでいただきたい。

さらに日本の戦後リベラリズムには(現在の「トランプ・サポーター」の遠縁とは言い難い先祖筋たる)1950年代米国保守層の思考様式を起源としながら、1970年代にはソ連や中国の保守化に便乗してそれに乗り換えてきた壮絶な過去があります。人間とは自分の疚(やま)しい感情を政敵に投影せずにはいられない生物。誰かが敵視する相手に「歴史修正主義」のレッテルを貼らずにいられないなら、それがその人物こそが「歴史修正主義」たる状況証拠なのかも?
*1970年代まで左翼教師は児童に「自衛官や警官の子供は徹底的に苛め抜いて自分が人間とは思えない状況に追い込むのが人道的勝利です」と教えていた。その延長線上においてKorean左派(Koreanとはいっても、一般韓国人は「北朝鮮朝鮮族工作員」と主張している)は「日本人は慰安婦が少なくとも2000万人以上いて、その平均寿命が2週間以下で死体は全て食料とされた事実を隠しています。こんな奴ら、身障者や黒人や東南アジア人同様に生きてる資格なんてなく、実際カナダやメキシコでは街に現れた日本人を生きては返さないのが常識となってます。アメリカはなんて人道後進国なんでしょう!?」なるプロパガンダを展開し、KKKら白人至上主義者から「いずれにせよ劣等民族同士が殺し合ってその数を減らすのは世界平和に貢献する」という立場から賞賛を集めてたことさえあった(数年前の話。プロパガンダとしては大失敗で関連投稿の全てを削除して撤収済)。とはいえ実際アメリカでは、こうした地道な努力の積み重ねによって(リベラル派かそうでないかを問わず)在米日本人や日系人の子弟に対する壮絶な苛めを引き起こすのに成功しているという話もある。これを「人道的勝利」と手放しで素直に脊髄反射的に歓喜出来なければ「リベラル派の正義」は破綻してしまう。急に怖くなって「やっぱり苛めは良くない!!」とか言い出す不覚悟者は偽善者呼ばわりされるだけで、自ら率先して歓喜しながら虐め殺されていってこそ大義名分を貫けるという次第。その点、中国共産党のけしかけた暴徒に特派員が半殺しにされても、自社サイトを閉鎖に追い込まれて黙って耐えてる朝日新聞には30点くらいは上げられるかもしれない。足りないのは歓喜中国共産党は彼らが「マルクス主義ヒューマニズムは人類全体に対して命じる。日本民族が一人残らず略奪され尽くし、強姦され尽くし、虐め殺され尽くされるまで国際正義は達成される事はない!! 全日本人は歓喜をもってその宿命を甘受せよ!!」と強烈に押し出すキャンペーンに本腰を入れて完全に全日本人をその心境に追い込むまで日本のリベラル層に「偽善者」のレッテルを貼り続けるだろう。「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマは、この次元においてはそういう形で現出してくるのである。

*「政治的先進国」フランスでは状況がさらに煮詰まっていて「そもそもフランスには産業革命導入なんて不要だった」と豪語する評論家筋が「レッドタートル ある島の物語(原題:The Red Turtle、仏題:La Tortue rouge、2016年)」を「これはフランス流のロビンソン・クルーソー譚である」なんて激賞すると、若者層が反発して「手前ら、もう火すら捨てて原人時代に帰れ」と揶揄する一幕まであった模様。オランダ出身で、英国を本拠地にしているマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督にとっては飛んだとばっちり?

リチャード・ホフスタッターは「アメリカの反知性主義(Anti-intellectualism in American Life、1963年)」において「大衆支持を失ったインテリ・ブルジョワ階層は持たない(説得力を伴わない高圧的な態度を続ければ続けるほど事態は悪化する)」と警告しましたが、状況はちっとも好転していない様に見受けられます。

そのホフスタッターにとってさえヒッピー運動や黒人公民権運動の台頭は想定外だったらしく、これまで発表してきた歴史観全ての無効化を宣言して新たな歴史観の策定作業に入りました。しかしそれを完成させる前に亡くなってしまいます。続きは我々自身が手掛けないといけないのですね。