諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「金の無いのは首の無いのと一緒」?

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「財産」は「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする。それについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。

国家間競争が全てとなった「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」において「太平洋戦争における大日本帝国の敗戦(1945年)」は重要な方針転換の契機となりました。それでは、この時日本人は一体何に気がついたのでしょうか? まさに「金の無いのは首の無いのと一緒」なる現実だったのでは?

 そういえば「弩」って武家が台頭する直前の日本軍の主力兵器でもあったんですね。

果てさて「お金なんかはちょっとでいいのだ」なる理想主義が成立し得るのは、一体どこからなのか?
ユニコーン「大迷惑(1989年)」が歌ったのも「マイホームを獲得し一国一城の主人となる夢を果たしたサラリーマンが想像していた以上の対価を払わされる悲劇」。21世紀日本人の置かれている状況からすれば随分と贅沢な悩みだが、この種の「貴族主義的エゴイズム」には「車なんていらない=経済規模縮小」みたいな悲劇的展開と表裏一体の側面もあり、無碍に否定出来ない。

現代経済はこういう部分も試されているのです。