「財産」は「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする。それについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。
国家間競争が全てとなった「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」において「太平洋戦争における大日本帝国の敗戦(1945年)」は重要な方針転換の契機となりました。それでは、この時日本人は一体何に気がついたのでしょうか? まさに「金の無いのは首の無いのと一緒」なる現実だったのでは?
國民簡易小銃 本土決戦に備えて日本が開発した武器。学生から老人まで老若男女ことごとく武器を用意するため極限まで簡易化。ライフリング無しの銃身で黒色火薬を燃やし火縄で着火することで単なる鉛球も発射可能って種子島に戻ってるじゃないか() pic.twitter.com/bWfq3KC7jo
— 偏見で語る兵器bot (@heikihenken) 2017年4月13日
弩弓-乙 本土決戦のために家庭でも自分が使うための武器を作ってもらおうと木や竹だけで作れるようにしたクロスボウ…って中世じゃないか!もう何から突っ込めばいいのかわかんねぇな…この手の武器を見た鈴木貫太郎首相の心が折れたのが最大の戦果 pic.twitter.com/NcK7AZjjyh
— 偏見で語る兵器bot (@heikihenken) 2017年10月3日
そういえば「弩」って武家が台頭する直前の日本軍の主力兵器でもあったんですね。
果てさて「お金なんかはちょっとでいいのだ」なる理想主義が成立し得るのは、一体どこからなのか?
*ユニコーン「大迷惑(1989年)」が歌ったのも「マイホームを獲得し一国一城の主人となる夢を果たしたサラリーマンが想像していた以上の対価を払わされる悲劇」。21世紀日本人の置かれている状況からすれば随分と贅沢な悩みだが、この種の「貴族主義的エゴイズム」には「車なんていらない=経済規模縮小」みたいな悲劇的展開と表裏一体の側面もあり、無碍に否定出来ない。
現代経済はこういう部分も試されているのです。