諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「総力戦体制時代」から「産業至上主義時代」へ① 例えば「S-Fマガジン1961年11月号」

f:id:ochimusha01:20171121033131j:plain

シネマコンプレックス(Cinema Complex)」新宿バルト9前にあるエジンバラ風コーヒー喫茶店「珈琲貴族」。ここには1959年12月に創刊された「S-Fマガジン」が23号(1961年11月号)から置いてあります。

「S-Fマガジン」23号(1961年11月号)福島正実編集長の手になる巻頭言 - Wikipedia

ここのところ地球的規模の、つまり宇宙と未来が関係しているニュースは比較的明るかったのに、ソ連の相次ぐ核爆発実験と、これに対抗するアメリカの地下実験再開のニュースで一気に暗くなりました。しかも日本は折からの超Aクラス台風。これが大陸沿岸の高気圧を押し下げると降下しつつある死の灰が日本列島めがけて襲いかかってくるとあっては、もう文字通り他人事ではありません。我々の、というより貴方の、僕の肉体が、生命が、恐るべき放射能に食い荒らされるシーンが不気味な残酷画を見上げる様に額の上に思い描かれてやり切れなくなるのですよ。

*時代的に見ると特撮怪獣映画「ゴジラ(1954年)」が大ヒットしつつ、黒澤明監督映画「生きものの記録(1955年)」は興行収入的に大ゴケした時代、昭和33年(1958年)の東京の下町を美化して描いて賛否両論を得た映画「ALWAYS 三丁目の夕日(2005年)」のさらに次の時代。そして当時のこうした閉塞感に満ちた想像力は最終的にブラックジョーク満載のキューブリック監督映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb、1963年制作・1964年公開)」へと結実。

『黒澤明監督「生きものの記録」は最も優れた原水爆映画だ!!』

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか - Wikipedia

*一方当時は松本清張らが仕掛け、それまで人気作家だった江戸川乱歩横溝正史などの「変格・本格作家」を駆逐した社会派ミステリー・ブームが「対消滅」を起こした結果、未曾有の翻訳ブームが起こった時代でもあった。実際S-Fマガジン23号のページをめくっても「米国推理雑誌エドマクベイン・マガジンとの提携話」「黒人文学全集の発刊」といった他方面の紹介記事が混ざり「世界ファンタジー通信」なるコラムで「念写の科学的再現実験」と「金星大気改造計画」が並列で語られている。こうした独特の雰囲気が1960年代末後半における週刊少年漫画誌の巻頭特集や怪奇TVドラマや怪奇児童書を経て1990年代初頭まで続く「怪奇/オカルト/超能力/スパイ謀略/超古代文明/UFO/サイキック・ブーム」が準備される展開を迎える。

f:id:ochimusha01:20171121045403j:plain
f:id:ochimusha01:20171121045347j:plainf:id:ochimusha01:20171121045331j:plain

*そしてこうした流れの間には米国における「スペクタクル史劇」の衰退と「グランドホテル形式大規模パニック映画」への推移、およびその影響を色濃く受けた日本における「日本沈没(1974年)」「ノストラダムスの大予言(原作1973年〜1996年、映画化1974年)」の大ヒットが挟まっていたのである。

僕はおセンチな平和主義者や平和教の狂信者では決してありません。歴史における力の要因を、いざとなれば正義も蜂の頭もない物理的衝突に発展する力と力の均衡を、そしてこれをエネルギーとして駆動する歴史の残酷さをむしろ信奉しているくらいなのですが、それでも貴方達同様に家族、すなわち恋人や妻や子供や自分自身がむごたらしく死に絶えていくのを恐ろしく感じるのです。

*「おセンチ」…少女漫画が「恋愛沙汰御法度」を墨守する男性漫画家によって供給されていた時代。女子供に難しい政治的判断や経済的判断が可能とは思われてなかった時代。当然、当時のSFマガジンが読者として想定していたのもまた「分別ある男性」のみだった。何たる選民意識…

*「むしろ歴史における力の要因を、いざとなれば正義も蜂の頭もない物理的衝突に発展する力と力の均衡を、そしてこれをエネルギーとして駆動する歴史の残酷さを信奉しているくらいです」…当時はまだまだ本気で「科学的マルクス主義」が盤石のイデオロギーと信じられていた事を思い出す。既に「フルシチョフスターリン批判(第1回1956年、第2回1061年)」による動揺は始まっていたけれど、それが表面化して国際的に新左翼運動へと発展するのはもう少し後となる。

*その一方で当時の日本人は既に60年安保を経験済みだった。その影響はそれまで盲目的科学主義(Scientism)を謳歌して来た少年向け月刊誌に及ぶ。例えば「鉄腕アトム(1951年〜1968年)」などの作品でこの流れを主導してきた手塚治虫も激しい反体制デモを目撃し「これまで私が描いて来た楽観的未来は現実化しないかもしれない」なる悲観的ビジョンに捉われた。作中に初めてデモ場面が描かれた「ロボット流し(1960年)」。そして「決して間違った判断をしない」のが最大の特徴の鉄腕アトムが「世界平和実現の為に人類は滅びなければならない」と言い出す契機となった「青騎士」シリーズ。その一方で「 鉄人28号(1956年〜1966年)」を打ち切った横山光輝もまた、山田風太郎忍法帖シリーズ(1958年〜1974年)や白土三平の「忍者武芸帳(1959年〜1962年)」「サスケ(1961年〜1966年)」などに乗り換えていく。

そしてふと思うのです。この恐怖こそが、もしかしたら人間性も歴史も変えて我々を絶望から救うのではないかと。その結果として人類は初めて一種次元の違った未来へと突入するのではないかと。この壁さえ乗り越えてしまえば次の「ピリオド(周期の終わり)=クリシス(クライシス)」が到来し改めて人間性の壁を破らねばならなくなる数百年後や数千年後にまで生き延びられるのではないかと。その片鱗を目の当たりにする為には、少なくともあと40年や50年は生きねばなりません。ああ生きていたいな、生きていたい。みんなで力を合わせて原爆実験反対運動に協力しましょう‼︎
リチャード・マシスン「吸血鬼(I am Legend、1954年)」は既に1958年に日本に紹介されていたが(実際雑誌中に引用が数多く見受けられる)、アーサー・C・クラーク幼年期の終り(Childhood's End、1953年)」が和訳されるのは1964年となる。それは奇しくも「吸血鬼」を原作とするヴィンセント・プライス主演SF怪奇映画「地球最後の男(The Last Man on Earth、1964年)」の公開年でもあった。

 ちなみに、表2には「地球防衛軍(The Mysterians、1957年)」や「宇宙大戦争(Battle in Outer Space、1959年)」に続いて製作された東宝特撮SF映画世界大戦争(1961年10月8日公開)」鋭意製作中の広告が掲載されています。TV業界躍進による映画黄金期の終焉前夜。もしかしたら「見えない放射能の脅威」と「TVの台頭」が重ねられていた側面も?

東宝特撮SF映画「世界大戦争(1961年10月8日公開)」 - Wikipedia


*「人間は互いに認め合える筈だ」と作中で繰り返されるにも関わらず(ライバルたる)TVは一切登場しない(またしばらく「映画役者を TVに出さない」協定が続く)。そういえば(社会派ミステリー・ブームに一旦滅ぼされる前の)推理業界も横溝正史の様な大御所を除いて鉄道や自動車や電話やラジオやTVの様な「本格推理物の展開を邪魔するノイズ」の除去が厳守されていた。上掲のSFマガジン編集者巻頭言における「我々の、というより貴方の、僕の肉体が、生命が、恐るべき放射能に食い荒らされるシーンが不気味な残酷画を見上げる様に額の上に思い描かれてやり切れなくなるのですよ」なる、何げない一言についても、明らかにそれが(TVでなく)美術館の宗教画や映画館の銀幕を想定した表現であったりする。

東宝制作のカラー特撮SF映画東宝スコープ、多元磁気立体音響)。上映時間110分。芸術祭参加作品。製作当時は、本作の公開直前に起きたベルリンの壁構築や翌年のキューバ危機に代表されるように東西冷戦の危機感が強く、それを反映した人間ドラマである。僧侶でもある松林監督は、本作の根底を流れるテーマとして、仏教の「無常」観を挙げている。併映は『アワモリ君乾杯!』(原作:秋好馨、監督:古澤憲吾)。

「連邦国」と「同盟国」の2大勢力間で勃発した世界最終戦争を、市井に生きる人々の姿を通して描く反戦映画。『私は貝になりたい』のテレビドラマ版と映画版の両方に主演したフランキー堺が、本作でも理不尽な運命に翻弄される平凡な小市民を熱演している。

兵器や軍服のデザインや国章から、連邦国は資本主義陣営、同盟国は社会主義陣営を意識して描かれているが、劇中の台詞には両陣営とも英語が用いられている。準備稿の段階では、アメリカやソビエトといった実在の国名で書かれていた。

東宝プロデューサーの田中友幸は、当時の世界情勢から第三次世界大戦を題材とした映画の製作を構想し、橋本忍による脚本で製作準備を行なっていた。しかし、東映でも同様の題材を扱った映画『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』を製作していることが判明したため、東宝側も監督に堀川弘通を立てて『第三次世界大戦 東京最後の日』の製作を急ぎ決定し、両社は競い合う形で製作を進めていった。マスコミもこの競合を報道するが、東宝側の脚本が先に完成していた東映側との類似を指摘され、東宝側は脚本の改稿を余儀なくされるも十分な解消には至らず、製作の中止を決定した。その後、内容を一新して製作が再開され、本作の完成に至った。

東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワが核ミサイルによって破壊されるクライマックスシーンは、天地を逆にしたミニチュアの下から圧縮空気を吹き出させる方法で撮影された。このシーンの映像は完成度が高く、その後も『ノストラダムスの大予言』などの劇場用作品のほか、円谷プロ制作のテレビ番組『ウルトラセブン』最終話「史上最大の侵略(後編)」(ゴース星人の地底ミサイルで各国の都市が破壊されるシーン)など、さまざまな作品に流用された。上記のシーンを含めて劇中に登場するクレムリンのミニチュアは、『海底軍艦』などの別作品にも流用された。このミニチュアはウエハースで作られており、ネズミがかじるため、管理に苦労したという。

東京が核爆発で溶解するシーンは、『空の大怪獣ラドン』や『日本誕生』などと同様に、溶鉄を使用している。また、このシーンのミニチュアは燃えやすい炭団で作られており、撮影は千葉県の製鉄会社の敷地内で行われた。

ストーリー

戦後16年が経過し、急速な復興を遂げた日本。主人公・田村茂吉は家族の幸せを願いながら、外国人記者の集まるプレスセンターの運転手として日々働いていた。

そんな中、田村の長女・冴子は下宿している青年・高野と恋仲になっており、長い航海を終えて帰還した彼との久々の再会を喜ぶ。そんな2人はついに茂吉に対して結婚の決意を語り、驚く彼に反して妻のお由も賛同し、とうとう2人は結ばれることになる。

一方、世界は連邦国と同盟国の2大陣営に分かれ、両陣営はお互いに核兵器を持って対峙(たいじ)していた。まもなく、北大西洋で行われた同盟国陣営の軍事演習エリアに連邦国陣営の潜水艦が侵入したことをきっかけに、両者の関係は緊迫する。田村が担当する記者・ワトキンスもその状況を危惧し始めた。

日本政府も国民の間に動揺が広がりつつあることを考慮し、両国の関係改善の道を探ろうとする。だが、ワトキンスが緊迫した朝鮮半島北緯38度線の情勢を取材に向かったその数日後、小型ながらも実戦で核兵器が使われるという事態が発生し、ついに連邦国・同盟国陣営双方で命令により発射装置のボタンが押されれば、弾道ミサイルが発射される状況となっていた。

日本では総理が病身を押して公務を行い、両国の緊張をこれ以上高めまいと懸命の努力を行う。現場にいる軍人たちも最悪の事態だけは避けたいという思いを胸に、想定外の事故や発射装置の故障により戦争へ突入する状況を阻止していた。やがて、南北朝鮮間で停戦協定が結ばれたことにより緊張が解け始めるが、北極海上で発生した軍用機同士の戦闘をきっかけに再び悪化し、幾多の人々の努力もすべて水泡と帰してしまう。

そして、日本でもミサイルへの警戒が始まり、人々の不安は頂点へ達する。大都市から避難しようとする人々の大混乱の中、田村一家は自宅に残り、最後の晩餐を開く。冴子は数日前に再び長い航海に出た高野へ向け、覚えたてのアマチュア無線で最後のモールス通信を行い、洋上の高野もそれに応える。「サエコサエコ・コウフクダッタネ」「タカノサン・アリガトウ」。また、夕陽を前にして茂吉は叫ぶ。「母ちゃんには別荘を建ててやるんだ! 冴子には凄い婚礼をさせてやるんだ! 春江はスチュワーデスになるんだ! 一郎は大学に行かせてやるんだ! 俺の行けなかった大学に……!!」その夜、東京は核の閃光に包まれ、溶解する。

翌朝、洋上の高野たちは自分たちにも残留放射能による死が訪れることを覚悟のうえで、東京へ帰ることを決意するのだった。

そして重要読み物として以下が。
岡俊雄「21世紀の映画展望最終回。未輸入SF映画への一瞥(最終回)」

SF映画黄金期としての1950年代を回想しつつ「最近」のトレンドをこう要約する。
*背景として抑えておかねばならない事が一つ。アメリカ映画界がTV業界躍進への対抗策として最初に打ち出したのは「(人件費が抑えられる)英国カラー怪奇映画や日本特撮怪獣映画」の投入だったのである。

  • 「(普段は抑圧され、意識上に登らない)不可視の放射能や、その秘かな広まりがもたらす世界破滅に対する盲目的恐怖」を背景とした「人間の肉体が次第に変貌したり、意識を乗っ取られたりしていく恐怖を描いたSF恐怖映画」の国際的流行。
    *具体的に名前が挙げられてるのはジャック・フィニー「盗まれた街」の映画化「ボディ・スナッチャー/恐怖の街(Invasion of the Body Snatchers、1956年)」にジョルジュ・ラグラン「蠅(The fly)」の映画化「蠅男(The fly、1958年)」「蝿男の復讐(Return of the fly、1959年)」など。1961年時点では、翻訳SFファンにとって、こうした映画は全て日本未公開で日本人の翻訳SFファン層の憧憬対象だったのである。


    *ここにはロバートハインライン人形使い(Attack of the puppet masters、1958年)」も映画化されたとあるが、それはどうやら人間をミニチュア化してコレクションするマッドサイエンティストを描く「人形使いの攻撃(Attack of the puppet people、1958年)」の間違いだったらしい。

  • 渚にて(On the Beach、原作1957年、映画化1959年)」に代表される世界戦争終末物。「世界と肉体と悪魔(The world the flesh and the devil、1959年)」を例に「どうしてこのジャンルの作品は揃って前半は素晴らしい世界終末の景色を描くのに、後半は生き延びた男二人と女一人を巡るメロドラマに堕してしまうのか」と嘆いている。

  • ジュールベルヌのリバイバル。リチャード・マスシンが脚本を手掛けヴィンセント・プライスが「マッド・サイエンティスト」ロブール博士を怪演したマグナカラー色彩版映画「世界の支配者(Master of the world,、1961年)」、そして「宝島(Treasure Island、1950年)」「海底二万哩(20000 Leagues Under the Sea、1954年)」「スイスファミリーロビンソン(Swiss Family Robinson、1960年)」に続くディズニー海洋映画「難破船(The casts ways、1962年)」などが紹介しれている。

    *当時、アーヴィング・アレン監督がコナン・ドイルの探検小説「失われた世界」再映画化に続いて「地球の危機(Voyage to the bottom of the sea、1961年)」を手掛けた。大災害物や海洋冒険物のフォーマットに怪獣物やスパイ謀略物の要素まで詰め込んだ「盛り過ぎ」作品だったが、ここから「(海底で大海竜と戦う)原子力潜水艦シーヴュー号」のTVシリーズが派生し、日本特撮映画「海底軍艦(1963年)」の轟天号に影響を与える事になる。


    *ある意味、アメリカのSFテレビドラマシリーズ「スタートレックStar Trek)シリーズ(1966年〜)」の大源流。当初は「パイロット出身のテレビ・映画プロデューサー」ジーン・ロッデンベリーが理想とする未来像を描きつつ、現代における様々な社会問題をSFの形で提示する形で始まり次第にカルト人気を獲得。ハードSF的なものからコメディー、スペースオペラ的なものまで様々なジャンルを試行錯誤し、1987年以降に開始された作品においても、現実社会の複雑化を反映して、今日に至るヒットに結びついた。またエイリアン、UFO、モンスター、超能力者、超常現象を取り上げた一話完結型オムニバス・ドラマたる「トワイライト・ゾーン(The Twilight Zone、1959年〜1964年)」「アウター・リミッツ(The Outer Limits、1963年〜1965年)」が発表されて円谷プロダクションの「ウルトラQ(1966年)」などに大きな影響を与えた。こうして1960年代後半に第一次怪獣ブームが始まる事がなければ「日本における映画界とTV界の相互無視状態」はもっと続いていたかもしれない。


そして「SF映画には原子力時代の謳歌もあれば、核戦争の未来に対するプロテストもあるが、とにかく未だにジョルジュメリメの見世物的商業主義の影響が色濃く残っているのが難点」とし「優れたSF的イマジネーションの具現化においては説得力をもった演出が特に要求されるが、そこでSF作家や特撮映画監督の想像力の貧困さが問題となる。これは「第七の封印(the seventh seal、1957年)」で有名なイングマルベイルマン監督の様な優れた映像作家がSFに関心を持つ事でしか解決し得ない事かもしれない」と統括する。


スタンリー・キューブリック監督映画「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey、1968年)」や、アンドレイ・タルコフスキー監督映画「惑星ソラリスSolaris、1972年)」が当時の翻訳SFファン層に強烈な印象を残したのにはこうした背景もあったのである。

 これまでの投稿との整合性を確立する為の考察はまた後ほど。本当に「歴史的時代」に入っちゃってます。