FF外より失礼
— 琴鳥奏太郎@作詞します (@Lyrebrid) 2017年11月25日
あれだ!メシマズの理論だ!!
普通にカレーを作ってくれればいいのにマグロとかマヨネーズとか入れてくるやつだ!!
監督が「自分の仕事をしたくなる」ってことだね。これはよくわかるし、成功する場合もあるとは思う。:映画業界の人に「なぜ実写化で改変するのか」と聞いたら「例えば桃太郎なら誰も見たことがないものを作りたいでしょ」と言われたお話「メシマズの理論だ!」 - Togetter https://t.co/bT4jS3F2ki
— 岡田哲哉 (@t_okada) 2017年11月26日
井之頭五郎がマンガとは似てないのに原作のエッセンスを完全に映像化した『孤独のグルメ』の監督は超有能ってことだぬ「映画業界の人に「なぜ実写化で改変するのか」と聞いたら「例えば桃太郎なら誰も見..」https://t.co/89cPq5vPUP
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2017年11月26日
ここでふと思い出したのがハリウッド映画業界における「バルコニー理論」の話。
ジェームズ・M・ケインによれば、ハリウッド映画の脚本業界においては少なくとも1930年代から「バルコニー(balcony)理論」なるものがシナリオのチェックに使われてきたという。
- 要するにシェークスピア悲劇「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、初演1595年前後)」を発想の発端とする「主役カップルが結末まで結びつかない様に引き離しておく阻害要因の適切な(上演時間に合致した)設計」が水面下で確認され続けてきたという話。
- その存在を暴露したジェームズ・M・ケイン自身は、このロジックを逆手に取って「郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice、1934年)」を執筆。「ルールを従順に厳守してる限り三文芝居しか書けない」事を証明しようとした。
- 実際、このシステムには「世界滅亡を直前に控えても男二人と女一人の三角関係しか描けない」欠陥などが存在する。
遅くとも1990年代までにはコンピュータ化されていた。実物の一つを触った事もあるが、少なくともそのバージョンでは「恋を邪魔する存在」と「恋を進めてくれる存在」の兼任が不可能だった(どちらかというと対立して代理戦争をやらかす前提になってたっぽい)。確かにこれでは三文芝居の量産しか出来なさそうである。
ざっと調べた感じでは、日本の作劇理論に同様の概念は存在しない模様。料理の世界でいうと「和食のさしすせそ」みたいな基本理論をあえて全て破ってこそ真の創作料理みたいな感じ?
そりゃ確かに「最低限食べられるものとして完成する保証」すらなくなって当然かと。