諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「総力戦体制時代」から「産業至上主義時代」へ② 日本における「電子頭脳」の登場

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昭和30年代(1955年〜1965年)には、米国から伝来した「科学主義(Scientism)」と日本の高度成長が無邪気に重ねられたものです。例えば日本の推理小説史に目を向けても「戦前から続いてきた闇鍋的輸入期(社会的には殺人に対する過剰な関心から反社会勢力扱い)」「社会派ミステリ流行に伴う大崩れ」「翻訳小説大流入に伴う再編期」を経てきました。

松本清張本人が何処まで意識していたか不明だが、その足跡は「無政府主義の父プルードンと部分的に重なる。どちらも「現場叩き上げ」故に社会の不公平は憎みつつも自ら観察可能な範囲の世界しか信じようとせず、その結果あくまで「不偏不党の立場から社会的矛盾をとらえているが故にあえて民衆とブルジョアジーの間に決定的境界線を引かない」「ブルジョワによる不当な財産専有には反対するのに全個人の私有財産放棄の必要性までは認めない」「ナショナリズムを時代遅れの遺物と唾棄して外国人と提携し母国を滅ぼそうとまではしない」「あらゆる中央権威の接近に気を許さない」といった基本的立場を生涯に渡って貫き通したのである。

*私は「ペヤングソースやきそば(1979年〜)」最初期の味こそ覚えていないが、それが「粉末ソースによって最後の水分まで搾り尽くす」仕様だった事は覚えている。おそらく味自体は「液体ソース」が標準化した今より遥かに劣っていた?

*当時の歴史を回想した文章も、意外とこの辺りが美化されて「歴史的史料」の価値を損じてるケースが多いとも? 「脱脂粉乳を少しでも食べやすくする工夫がクリームシチューを産んだ(流通網と冷蔵技術の普及によって日本人が生の牛乳を気軽に購入可能となるのは1960年代以降)」といったエピソードも下手に美化されては訳がわからなくなってしまう。

*同時代には「日本人の味覚の洋食対応」が進行。しかも次段階では「欧米における和食対応」が進行。

こうした時代性を背景として日本への「電子頭脳」概念の流入が始まったという次第。

 それは日本人の「人工知能」概念の大源流?

陽電子頭脳(positronic brain) - Wikipedia

アイザック・アシモフSF小説を起源とする架空の技術装置であり、人間に認識できる意識を不特定な方法で形成する、ロボットに搭載された頭脳(コンピュータ)の中枢である。陽電子脳(ようでんしのう)、ポジトロン電子頭脳、ポジトロン頭脳、ポジトロン脳とも訳されている。

一般に架空の高度なロボットの頭脳としてSF小説では「電子頭脳(electronic brain)」が用いられていたが、アシモフが自身の最初のロボット小説を執筆した1939年〜1940年には、陽電子(positron)はまだ新しく発見されたばかりの粒子であり「電子の」(electronic)からの類推で"positronic"と言う語を作り用いることは、通俗科学小説に新時代的な魅力を与えた。

 そして1970年代後半に入ると「マイコン」概念が思いっ切り大暴走…

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*それは「確率論」の同義語でもあった?

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*「アクションゲームはアドベンチャーゲームに比べたら子供の遊び」「マイコンは知性と教養のかたまり!」なんてパワーワードも飛び交った。

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個人的に衝撃だったのは「ICチップを額に突き刺すと人間や動物を自在に扱える」なる概念の登場でした。確かにあれは「刺さる」…しかも「遠隔操作可能」とはIoT(Internet of Things)概念の先取りでもあった?

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こうした細部の変遷にこそ「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」から「産業至上主義時代(1960年代〜2010年代?)」への移行の本質が顕現していたとも?