諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【繰り返される名作実写化の悲劇】「バルコニー理論」VS「メシマズ理論」?

 f:id:ochimusha01:20171130024122j:plain

ここでふと思い出したのがハリウッド映画業界における「バルコニー理論」の話。

ジェームズ・M・ケインによれば、ハリウッド映画の脚本業界においては少なくとも1930年代から「バルコニー(balcony)理論」なるものがシナリオのチェックに使われてきたという。

f:id:ochimusha01:20171130023908j:plain

  • 要するにシェークスピア悲劇「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、初演1595年前後)」を発想の発端とする「主役カップルが結末まで結びつかない様に引き離しておく阻害要因の適切な(上演時間に合致した)設計」が水面下で確認され続けてきたという話。

  • その存在を暴露したジェームズ・M・ケイン自身は、このロジックを逆手に取って「郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice、1934年)」を執筆。「ルールを従順に厳守してる限り三文芝居しか書けない」事を証明しようとした。

  • 実際、このシステムには「世界滅亡を直前に控えても男二人と女一人の三角関係しか描けない」欠陥などが存在する。

遅くとも1990年代までにはコンピュータ化されていた。実物の一つを触った事もあるが、少なくともそのバージョンでは「恋を邪魔する存在」と「恋を進めてくれる存在」の兼任が不可能だった(どちらかというと対立して代理戦争をやらかす前提になってたっぽい)。確かにこれでは三文芝居の量産しか出来なさそうである。

ざっと調べた感じでは、日本の作劇理論に同様の概念は存在しない模様。料理の世界でいうと「和食のさしすせそ」みたいな基本理論をあえて全て破ってこそ真の創作料理みたいな感じ?

そりゃ確かに「最低限食べられるものとして完成する保証」すらなくなって当然かと。