「戦争は敵味方の入り乱れる接戦になる程、その展開が残虐非道で決着が運次第で定まる理不尽な側面を剥き出しにする。そして、かかる局面こそが伝統文化に立脚する倫理的拘束の破壊者として役立ってきた」なる指摘があります。実はこれ、ルネサンス文化に「裸体から中世以来からの伝統たる神話性や寓話性を剥ぎ取った」ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス (伊:Venere di Urbino, 英:Venus of Urbino, 1538年) 」製作を通じて19世紀後半フランスにおけるポルノ論争の出発点となったエドゥアール・マネ「オランピア(仏:Olympia、1863年)」製作にインスピレーションを与えたコンドッティエーレ(condottiere=中世末期から近世にかけて活躍したイタリア人傭兵隊長)」の精神生活を表現する定型句みたいなものなんですが。
*そもそも運搬が容易な「キャンバス絵画」なる概念そのものがアルダス・マヌティウスが販売を開始した「文庫本」同様(東欧のイコン文化にヒントを得た)当時のヴェネツィアの発明品。派手なオペラやカーニバルで呼び寄せた観光客に、さらに高級娼婦(クルチザンヌ)の肖像画や景勝地の風景画などを売りつけてさらに稼ぐのが目的だった。要するに最初から「金尽くし」。だが、まさにかかる逞しいヴェネツィア商業主義こそが「アーティストのパトロンへの全面依存状態からの脱却」の第一歩となった訳で、それがいい?
①「フロンデの乱(Fronde, 1648年〜1653年)」以降の絶対王政下フランスにおいても「(相応の火力と機動力を備えた常備軍を中央集権的官僚制の徴税によって養う)主権国家(羅civitas sui iuris)」化の進行によって不安定な立場に置かれた地方の帯剣貴族が、実存不安と戦うべく自らの書斎を庭園恋愛や不倫などを主題とするエロいキャンバス絵画で埋め尽くした。こうした作品の発注を「国家芸術としては柔弱過ぎる」なる理由で中央宮廷から追放されたロココ調絵師が受けた結果生まれた傑作の一つが、かの有名な「パンチラ絵画」フラゴナール「ぶらんこ(英:The Swing)/ぶらんこの絶好のチャンス(仏:Les Hasards heureux de l'escarpolette)(1767年)」 となる。
- 一応「そんなにエロくない」キャンバス絵画の系譜も存在する。領主視点で「楽しかった狩猟生活や公式行事」や「楽しく暮らす領民の生活」を眺めるパースペクティブで、領主としての自己承認欲求がよりストレートな形で顕現した体裁となる。国家としての成長が停滞して支配者階層が冥福にすがるしかなくなった時期の高句麗の壁画古墳においても一時期これが見られた。ルネサンス期欧州に現れた書斎なるパーソナルスペース元祖と異なり、墳墓内は隣で妻がギロギロ目を光らせる「半公共空間」でもあったのでそんなにおイタは出来なかったのであろう(実は墓泥棒や忍び込んでくる魑魅魍魎などを退ける為、墓主自身も結構目をギロギロ光らせてる。死後も自らの財産や安全を守る為に汲々とし続けるなんて!! 当事者もそれは痛感していたのか、末期にはガードマンとして雇われた「四股を踏む相撲取り」や「四神(東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)」が警護を任される展開に。これが日本に築造されたキトラ古墳や高松塚古墳の原型となる)。
まぁどんな時代でもどんな国でも「領主の心の動き」は似た様なもの。むしろここで気になるのが、コンドッティエーレはあくまでただエロにしか関心がなかった辺り。領民のお気持ちなど全然気になってなかった? 「究極の自由主義は(誰かの気持ちのみを優先した)専制の徹底によってのみ達成される」自由主義のジレンマは、既にこの時代にはもうその片鱗を覗かせ始めていたのである?
*「ガードマンとして雇われた」…相撲取りは新羅、四神は遼東から伝わった。まぁこうしたイメージは外来品の方が箔もついて有り難がられるものである?
②以前紹介した儒学者貝原益軒「和俗童子訓(1710年)」における「女子が伊勢物語や源氏物語の様な恋愛絵巻に耽溺するのを防ぐ方法などあるはずもない。ならばせめて幼少時より読み書き算盤を叩き込み、日記や帳簿をつける習慣をつけさせ(身の破滅を防ぐ為に)計算と自己管理がちゃんと出来る人間に育てよ」なる一説にも、実はこんな続きがあったのである。「そもそも若い身空だって流行病や災害や事故でポックリ逝く。誰が悠長に待ってなどいられ様か」。
だからこそ、たまたま優勝した年の阪神ファンの様に生き急ぐ?
- まさしく「いのち短し恋せよ少女」の世界。そういえばこの言葉を歌詞に含む流行歌「ゴンドラの唄(1915年)」の元ネタもルネサンス期フィレンツェの支配者の一人ロレンツォ・イル・マニーフィコが、謝肉祭のために書いた「バッカス歌」とされている。
青春とは、なんと美しいものか
とはいえ、みるまに過ぎ去ってしまう
愉しみたい者、さあ、すぐに
たしかな明日は、ないのだからまさに「憂き世」なる陰鬱な表現に象徴される因果論に拘束された中世的世界観から、むしろだからこそ強欲さを発揮し、せめて見掛けだけでも明るく浮かれ騒いで過ごそうとする「浮き世」なる楽しげな表現に象徴される近世的世界観への飛躍…
③マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ(Gone With the Wind、1936年)」も、南北戦争(American Civil War, 1861年〜1865年)が南部の若い男女の心境に引き起こした変化について、こう記している。
マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ(Gone With the Wind、1936年)」
未亡人生活の繭から出てきたばかりのスカーレットにとって、戦争全体がにぎわいと興奮の時を意味した。衣類や食料が少しぐらい欠乏しようと苦にはならない。またこの世にもどってこられたのがうれしくてたまらない。
毎日がまるで変わり映えせず過ぎていった昨年の退屈な暮らしを思えば、いまの生活はスピードアップして信じられない速さで進んでいた。毎日、わくわくする冒険として一日がスタートし、今日も新たに出会う男性たちは、退院したら訪ねていいかと訊き、綺麗だ綺麗だとほめてくれ、あなたのために戦い、死んでいくことさえ名誉だと言ってくれるだろう。死を迎える瞬間までアシュリを愛せるし、愛するだろうけれど、だからといって他の男性たちを籠絡し、求婚させて悪いことはないはずだ。
戦争がつねに背景にあるせいで、社交界の関係もあまり角張らなくなってきて居心地がよかった。しかし年配の人々にすれば、ぎょっとするようなくだけぶりである。母親たちは娘のもとに、紹介状もなくどこの馬の骨ともわからないよそ者が訪れてくるのを見かける。恐ろしいことに、そんな男性とわが娘が手をにぎりあっていたりする。結婚式がすむまで夫と接吻もしたことがないメリウェザー夫人は、メイベルがあのズアーヴ服の小男ルネ・ピカールとキスしている現場を目撃してわが目を疑ったが、そんな行為をメイベルが恥とも思わないと断言すると、驚きに拍車がかかった。キスの後ただちにルネがプロポーズをしたところで、破廉恥さに変わりはない。南部はいま、完全なモラル崩壊にむかっている。夫人はそう感じていたし、しばしばそう公言した。ほかの母親たちも夫人の意見に心から同意し、これも戦争のせいだと言いあった。
とはいえ、男性のほうは一週間か一か月のうちに死ぬかもしれないというときに、ファーストネームでお呼びして宜しいですか──もちろん「ミス」を付けて──などと、女性に伺いを立てるのに一年も待っていられない。そこで、戦前では当然のマナーとされていたくだくだしい正式の求婚手順を省こうとしたのである。だいたい三、四か月の交際でプロポーズするようになり、かたや、淑女たるものは求婚されても最初の三回ははねつけるべしとよく弁えていた娘たちも、初回の申し出にまっしぐらに飛びつくようになった。
こうした略式流儀のおかげで、スカーレットは戦争を大いに楽しんでいた。看護婦の汚れ仕事やうんざりする包帯巻きさえ我慢すればいいのだから、いつまで戦争がつづいたってかまわないぐらい。いや、病院の仕事も、最近では悠々とこなせるようになった。なにしろ、そこはまたとないうってつけの猟場なのだから。
無力な負傷者たちは手もなくスカーレットの魅力にはまった。包帯を換え、顔を洗い、枕をふくらませ、団扇であおいでやるだけで、彼らはたやすく恋に落ちた。ああ、退屈で死にそうだった去年に比べたら、まさに天国だわ!
日本では1963年にボニージャックスが歌って大ヒットとなった「1週間」も、元曲は同様に戦争と娘心の連動を歌った内容だった。
この曲の時代背景は1890年あたり。ロシア革命前夜というべき時代で、ロマノフ王朝が倒れつつありソヴィエトに移行する混乱過度期。
男達は内乱の興奮の中で死んでゆくのに、私は毎日の夢のない退屈な生活を送って別の形で死人同然。恋人よ、早く私をこの町から連れ出して!! そのような 田舎の素朴な娘さんの心境を歌ったものと解釈できます。
- お堅いリベラル派が大好きな幾千の反戦物語より、こうした現実への取材に立脚した「不謹慎な物語」の方が時代を超えた説得力を備えてる?
④元AV女優の蒼井そら女史に熱狂した中国人ファンが大量に現れた背景にも(少なくともその黎明期には)「上部だけ高尚かつ潔癖そうに取り繕いながら、汚職で蓄財し蓄妾する偽善者が絶えないこの現実世界において、彼女の肉体への熱狂を表明して一体何が悪いのか? 少なくともそれは我々の主観が頼れる唯一の立脚点なのだ」なる鬱憤の爆発があったとされている。
蒼井そらが他のAV女優から頭ひとつ抜けて中国人から支持された理由は、中国側のファンと積極的に交流する姿勢を示したことや地震への寄付に加えて、彼女の芸名がたまたま中国向きだった点も関係していたと思われる(往年の飯島愛の知名度が特に高かったのも、同様の要因があったのだろう)。
ちなみに、中国は当局のネット規制によりツイッターをはじめ国外SNSへの接続が禁止されているが、2010年当時は規制技術が発展途上だったことや、そもそも競合するSNSが少なかったため、ツイッターを積極的に使う中国人ユーザーが一定数存在していた。
当時、わざわざ国外の新興SNSを使うような中国人は、多くが20~30代で「情強(情報強者)」のインテリ層だった。胡錦濤政権下で社会統制がかなりゆるんでいた時代背景もあって、こうした人たちはツイッターを使って中国国内では報じられないニュースを得たり、民主化や体制改革の議論をおこなったりもしていた。
ゆえに当時、日本のAV女優に対するフォローは、こうしたクールでスノビッシュな人たちのおふざけネタとして位置づけられた面があった。中国国内ではタブーである存在(=AV女優)を公然と認める行為が、ちょっとカッコいいとみなされていたのである。
- それにしても強いな、蒼井そら女史…
「私は過去の作品を販売停止にしたからって過去を消したとは思っていません。無かったことにしようとも思ってません。てか、消したくても消せないでしょうよ。オフィシャルの販売を停止したってネットで調べれば違法でゴロゴロ出てると思ってますしね」とした。
また「ちなみに、AVは1本あたりのギャラなのでダウンロード回数や売り上げ本数が増えたからって印税みたいに入ってくる訳ではないんだよ」と説明。「だから消さずにここまで来たことを褒めて欲しいわ(笑)昔の自分があるから今があるし だから名前もそのまま変えてませんしね。販売停止をしたことでファンの人に申し訳ないとは思って無いです。だって、ファンの人は作品を買ってくれてますもん」との思いをつづった。
ここまで残酷かつ理不尽な現実世界とちゃんと向き合い、折り合いを見つけて、それを選んでる。
まさにこうした生々しさの意味合いにおいて陸軍は海軍や空軍よりエロいとも。まぁ近代戦や現代戦の時代に入ってなお「人と人が直接殺しあう(従ってどうしても残酷かつ戦果に理不尽な運の要素が入り易くなる)現実」と向き合い続けている訳ですから。
日本海軍機よりも日本陸軍機の方が外国モデラーに人気があると聞いたことがある。理由は「マーキングが派手だから」。特に奇抜な塗装の特攻機とかが人気だったらしい。 pic.twitter.com/KTMaURhMVT
— 魚交 (@shark_ishi) November 13, 2019
奇抜な塗装の特攻機の例
— 魚交 (@shark_ishi) November 13, 2019
振武隊などは自分の名前を機体に書いていた。 pic.twitter.com/NduzRVLx3a
飛行第64戦隊や第50戦隊の部隊マークも私は好きですね。
— kaitan (@atsushi8209) November 13, 2019
私は
— 魚交 (@shark_ishi) November 13, 2019
隼なら飛行第54戦隊、
鍾馗なら飛行第47戦隊、
飛燕なら飛行第244戦隊、
疾風なら飛行第11戦隊
のマーキングが好きです。 pic.twitter.com/xDMlE7GRSL
数字の図案はセンスあるなと思いました
— 魚交 (@shark_ishi) November 13, 2019
動物を取り入れた部隊もありますよね。虎を描いていた独立飛行第18中隊の百式司偵が一番有名かな(他にも一式戦に孔雀とかもあったみたい)
— 海猫は眠らない (@FelisCatusJpn) November 13, 2019
そんなに塗装の種類が多いとは知りませんでした…どれもやっぱりかっこいいですね
— 竜宮の乙姫の元結の切り外し (@LpvJpggGBdJjHPn) November 13, 2019
そういえば日本の戦国武将の鎧兜も他の時代に比べて随分とエロく、当時訪日した宣教師達も雑賀鉄砲兵などについて「ルネサンス期のスイス人傭兵やランツクネヒト(単数形:Landsknecht、複数形: Landsknechte)同様、自らの生死に直結した浮沈の激しい生活環境に置かれてるせいで、同じ様に派手な服装に身を包み自らの人間性を剥き出しにした刹那的精神生活を送っている」と言及してますね。
こういう辺りに「人間性の真実」が顔を覗かせる?