諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【君の名は】「風景オリエンテッドな展開」に別解?

 アイルランド人の観点すればアメリカ人や日本人はとんでもない「文化侵略者」と映っても不思議はありません。なしろ「Celtic Exploitation Contents」のオンパレード。

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Tuatha Dé Danann marvel - Google 検索

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しかも単なるExploitationより問題は深刻。どうやらアイルランド人は自らの神話や伝承にあまり興味を持っていない様で「エジプト人がエジプト神話への知識でアメリカ黒人に勝てない」「中国人が三国志の知識で日本人に勝てない」みたいな逆転現象が起こってるらしいのです。
*ちなみに私も万葉集収録の大伴家持海ゆかば」でアメリカの黒人Otakuにこれをやらてて背筋が凍った事が。日本関連情報って思うより広範囲で英語化されてるから、もはやそういう話題について調べ込むのに相応に日本語を勉強する必要すらないのだった。ちなみに「お嬢様笑い」や「ヤンデレ/ツンデレ」の起源が尾崎紅葉金色夜叉(1897年〜1902年)」の赤樫満枝じゃないかという指摘も外国人Otakuから受けた。

そしてついに反撃の狼煙が …

 

この物語の舞台となるのは「本当にアザラシの群れの中にシルキーが混ざってても不思議でない」雰囲気漂うドネゴール県アランモア島や「本当は妖精の住処でも納得がいく」雰囲気漂うスライゴー県ペンブルペン山など。要するに宮崎駿監督「風立ちぬ(2013年)」や新海誠監督「言の葉の森(2013年)」「君の名は(2016年)」などの作品と同様に「景色オリエンテッドな展開」といったトレンドにはちゃんと乗った作品とも。
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*「景色オリエンテッドな展開」…これまで投稿してきた範囲だと大林宣彦監督作「尾道三部作(1982年〜1985年)」や「飛騨女(ひだにょ)物」とか。

*あと考えてみたら夢枕獏「神々の山稜(原作1994年〜1997年、、漫画化2000年〜2003年映画化2016年)」とかの登山小説系列もこれかぁ。まぁ山あっての登山家だし?

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*それから国際的には(「カリフォルニア物」や「南仏物」と相関を為す形で)「湘南物」というジャンルも相応の存在感を有している。(製作者側の意図に関わらず)日本の日常系アニメも海外アニメファンが勝手にこれに分類することがある。志村貴子放浪息子(2002年〜2013年、アニメ化2011年)」、あっと「のんのんびより(Non Non Biyori、2009年〜、アニメ化2013年〜2015年、日本の田舎モンタージュ)」、Koi「ご注文はうさぎですか?(Is the order a rabbit?、2011年〜、アニメ化2014年〜2015年、ストラスブール物)」、浜弓場双「ハナヤマタ(2011年〜、アニメ化2014年)」など。鍵は「視聴者が風景に注目するかどうか」なので全てのご当地アニメが入る訳ではない。

五十嵐大介「リトル・フォレスト(2002年〜2005年、実写映画化2014年〜2015年、東北の小さな集落)」「魔女(2003年〜2005年、トルコ、熱帯地方、北欧、日本を主舞台とするモンタージュ)」「海獣の子供(2006年〜2011年、江ノ島沿岸を中心とする海モンタージュ)」もアニメ化されてないのでそう分類される事はないが、そういう雰囲気を漂わせている。

*それと別枠で曽根富美子「親なるもの 断崖(1992年)」、荒川弘銀の匙 Silver Spoon(2011年〜、アニメ化2013年〜2014年)」、野田サトルゴールデンカムイ(1914年)」辺りが「北海道物」というジャンルを構成しつつある感も。実は「生きてる実感を屠殺から始まる料理で回復する系」という側面も?

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「ソング・オブ・ザ・シー うみのうた」パンフレット トム・ムーア監督

ジブリをはじめとした日本のアニメ作品に大きく影響を受けているそうですが、宮崎駿高畑勲山村浩二細田守など日本には偉大なアニメーション監督が沢山います。彼らのどういった点が作品に影響を与えたのですか?
まずは自分の文化に根付いた映画を作っている点です。どこにもない架空の場所を舞台にするのではなく、特にジブリ映画はとても日本的です。そうすることで世界中の観客が日本文間を発見する楽しみが出来ます。僕もアイルランド文化で同様の事がしたいと考えています。

日本とアイルランドのアニメーションで似ている点、異なる点はありますか?
日本のアニメは独自のスタイルを持っています。各作家が異なる作風ですが、世界から見ると「日本のアニメ」とすぐ分かります。一方アイルランドのアニメはまだ独自の個性を見出していません。一般的にはアメリカのアニメーションの影響が強いのですが、よりインディペンデントなものも出ています。コマ撮りなど多様なスタイルが試みられていますが、日本の様に普遍的に知られるアイデンティティは確立されていません。アイルランドのアニメはまだ若々しく道を探っているところですが、日本の豊かなアニメ史から今の作家による再生産が広がっている感じです。

とりあえず山村浩二とは何者か?

 「隣の芝は青い」というか、その「荒削りさ加減」こそが日本アニメでも米国アニメでもなく、この人の作品が国際的には「ポストジブリ」視されてる理由だったりして。要するに「伸びしろ」が見えるのです。タロットカード「太陽」が寓意している様に「完成とは死の別名」なんて側面もある訳で。

実際に鑑賞してみてわかったのですが、トム・ムーア監督作品の最大の持ち味は「荒削り」というより慎重に計算された「リセット感」、すなわち庵野秀明監督「シンゴジラ(2016年)」の画面に「鎌田君」が登場した瞬間、観客に「ああこれ既存のゴジラ映画で見続けたら駄目だわ」と覚悟を決めさせるあの演出なんですね。タロットカードでいうと「絶天地通」を意味する「塔」のカード。それを我々がそれなりには知り尽くしてると思い込んでる「アイルランドの神話と伝承の世界」で切ってくるから恐ろしいのですね。何この「金ヶ崎の退き口」感?

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アイルランド神話

アイルランド神話の資料はすべて中世初期以降のものである。その地にキリスト教が覆いかぶさるにつれ、アイルランドの神々は土着の文化と共にゆっくりと消滅していった。

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生き残った資料の中には、(「マグ・トゥイレドの戦い(Cath Maige Tuireadh)の根拠となった)トゥアハ・デ・ダナーン(ダーナ神族)とフォモール巨人族を扱ったものと、「侵略の書(Lebor Gabála Érenn)」といった歴史に焦点を当てたものがある。ダーナ神族は王権、芸術、戦争などといった人間社会の様々な職能を代表し、一方でフォモール族は混沌と野性を代表している。

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初期アイルランド文学は19世紀まで伝統的にそれを語り継いだ詩人達によって類型的分類が行われてきたが、以降はこれと別の観点からの再分類が行われる様になった。それが日本語で「物語群」や「説話群」と訳される「サイクル」である。決して厳密な区分ではなく、便宜的な区分にすぎない。大きく別けて四サイクルで構成されている。

 神話サイクル(The Mythological Cycle) - 神々の物語を扱うサイクル。

キリスト教伝来以前のアイルランドにおける異教神話を描写した物語を集めた分類である。「歴史区分」上は「紀元前」に該当。吟遊詩人の語り伝えた多くの物語や詩から成るが、そのほとんどが中世の写本や、擬歴史的な同時代史「アイルランド来寇の書」、「アイルランド王国年代記」、ジェフリー・キーティング「アイルランド史」から見出されたものである。こうした物語や詩は、早くは西暦700年から、遅くは950年にその原型がある。
*登場する神々や超自然的な存在をエウヘメリズムによって王や英雄が神格化されたものとする立場もある。

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ゲール語を話すゲール人とされるミレー族の来寇と、それ以前の数回にわたる来寇を通じて、キリスト教伝来以前の初期の住民たちの歴史を追う。こうした来寇者たちには、おそらく純粋な歴史上の移民も含まれる。トゥアハー・デ・ダナン族のような魔法の力を持ったその他の来寇者は、元は神話上の神々であったことは疑いないが、格下げされ、単なる来寇者とされたとも。こうした伝承の最初期のテキストは『アイルランド来寇の書』。また『マグ・トゥレドの戦い(2編)』などのサーガや、近代になって編集された『アイルランド王国年代記』、『アイルランド史』なども含まれる。
*マグ・トゥレド(塔の平原)という名が、キリスト教以前のアイルランドにみられたという円形の塔の存在を間接的に実証しているとする説もある。

  • 洪水以前…「アイルランド来寇の書」といった初期のテキストはケスィル(Cessair)率いるヴァン族に関する伝承を記録している。ケスィルはノアの孫娘であったと言われているが、箱船に彼女のための部屋がなかったため、彼女と、彼女に従う50人の女と3人の男は、大洪水が起こり、全ての地を浚ったとき、鮭に姿を変えたフィンタン(Fintan mac Bóchra)の上に乗って難を逃れた。フィンタンはその後の歴史の中を生き続け、幾度も姿を変えて、彼が救った人々の話を語り伝えた。
    *キーティングは、17世紀に著した『アイルランド史』の中で、現在では原典が失われたケスィルに関するもの以外の伝承をいくつか書き記している。『Saltair of Cashel』に記された詩は、聖書のカインの3人の娘が、アイルランドを見た最初の人間だと言っている。二つ目の伝承『Book of Druinm Snechta』に記されたケスィル伝説の変異形では、アイルランドの最初の住民は、バンバと呼ばれる女性に率いられていたという。バンバの名はこの島の名となったと伝承は伝える。彼女は150人の女と3人の男とともにやってきて、40年間暮らしたが、大洪水の200年前に伝染病によって滅亡したという。キーティングが記録した別の伝承は、原典が示されていないが、アイルランドは、嵐によって流れ着いたイベリアの3人の漁師によって発見されたという。彼等はイベリアから妻たちを連れてきてアイルランドに植民したが、それはちょうど大洪水の一年前のことであり、洪水によってみな溺れてしまった。

  • 洪水以後…「アイルランド来寇の書」は大洪水後、アイルランドは300年の間無人の地であったとする。しかしキーティングはこれに矛盾する二つの伝承を記す。

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    ①『Saltair of Cashel』の中のある詩は、ニネヴェのニヌスの血縁者であり、ビト(Bith)の息子Adnaと呼ばれる若い男が、大洪水の140年後にアイルランドを訪れたが、何もなかったので、彼は、単にひと握りの草を引き抜いて持ち帰り、隣人に見せただけであった。
    *ニネヴェ(Nineveh)のニヌス(Ninus)…紀元前9世紀アッシリアの王シャムシ・アダド5世の王妃にしてその子アダド・ニラリ3世の摂政を務めたサンムラマート(Shammuramat)をモデルとするセミラミス女王(Semiramis)伝承に登場するアッシリア王。息子ニニュアス(Ninyas)を即位させる為にセミラミスに毒殺される。

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    ②キッホルに率いられたフォモール(Fomoire)と呼ばれる半神人達が大洪水の100年後にアイルランドに植民し、200年間住んだ。この伝承によれば、フォモールたちはイーハ平原の戦い (Battle of Mag Itha) において、パルホーロン率いる一族(Partholón:パルホーロン族)によって打ち倒されたとされる。
    *フォモール達は「魚と鳥」の上に住んでいたという。一方、パルホーロン族は、「アイルランド来寇の書」によれば最初に家畜と家屋とアイルランドに持ち込んだ人々とされる。

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  • パルホーロン族(Partholón)…「アイルランド来寇の書」によれば、パルホーロン(Partholón)率いる一族が大洪水の300年後、または312年後にアイルランドに植民した。ノアの息子ヤペテの、さらに息子マゴグの子孫であるとも言われるパルホーロンと彼の一族は、ギリシアから、シチリア、イベリアを経てやってきたとされる。彼等はImber Scene(現在のケリー州ケンマレ)に上陸した。彼の4頭の雄牛は、アイルランドの最初の家畜である。彼の一族の、Breaは、アイルランドに家屋を建てた最初の人間であり、Samailiathは、エールを醸造した最初の人間であるといわれている。彼等が上陸したとき、アイルランドにはたった一つの平原「センマグ(古い平原)」だけが存在したという。現在のTallant近郊である。パルホーロンが生きている間に、4つの新しい平原の存在が明らかになり、7つの湖が大地から出現した。が、彼と彼の一族である5000人の男と4000人の女は、伝染病で一週間のうちに全滅した。たった一人生き残ったトゥアン は、フィンタンと同じように、何度も姿を変えて生き残り、彼の一族の物語を(ケルトキリスト教を代表する宣教師の一人であるアイルランド出身の)聖フィネン(Finnian of Movilla、495年〜589)に伝えた。
    *ここからの「文化英雄によって次々と様々なものが発明されていく展開」は紀元前10世紀から紀元前7世紀までは地中海全域、それ以降もローマ帝国に滅ぼされた紀元前1世紀まで西地中海を商圏として独占し続けたフェニキア人の起源譚とされる「ヘレンニオス・ピローン断片集(
    Herennios Philon)」っぽい。
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  • ネヴェズ族(Nemedians)…30年後、ネヴェズ(Nemed)率いる別の一族がやってきた。「アイルランド来寇の書」はこれをスキュティアから来たギリシア人達に比定する。彼等は44隻の船で航海していたが、アイルランドに到達したのは、たった1隻(しかも男女各4人の8人)であったという。ネヴェズの時代に、大地からさらに4つの湖が現れ、12の平原が開拓された。ネヴェズはまた、フォモールたちと3回戦った。ネヴェズは突然の病で斃れた後、彼の子孫たちはフォモールを率いるモルク (Morc) とコナンによって支配され、子供たちの3分の2と、小麦と牛乳を貢ぎ物として差し出すよう命じられた。ネヴェズの息子、フェルグス (Fergus Lethderg) と孫たち、セームル(Semul) とエルガン (Elgan) は反乱軍を率いてドニゴール州の海岸の沖のトリー島のコナンの塔に攻め込み、コナンを殺した。しかしモルクは反撃に出た。ところがそのとき、突然海がせり上がり、フォモールもネヴェズ族も、全ては溺れ死んでしまう。だが30人の戦士を乗せた船だけが生き残り、彼等はアイルランド島を離れて世界中に散らばった。その中の一人、フェルグスの息子、Brian Maelはブリトン人の祖先となった。またSemeonはギリシアへ行き、フィル・ヴォルグ族の祖先となった。Bethachは北の島々へ行き、トゥアハー・デ・ダナン族の祖先となった。
    *ピクト族の起源譚との関連を見る向きもあるという。系譜上の王の名前が幾つか重なるらしい。

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  • フィル・ヴォルグ族(Fir Bolg)…次の来寇者は、フィル・ヴォルグである。彼はアイルランドに初めて王権を確立し、また法制度を整えた。フィル・ヴォルグを始祖とする王たちの一人、Rinnalは、鉄製の鏃を使った初めての人間と言われている。T. F. O’Rahillyによる物議を醸す説によれば、この一族は歴史上実際に存在した人々であって、Builg族またはベルガエ族、さらにはIverni族とも関連づけられるという。

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  • トゥアハ・デ・ダナーン族(Tuatha Dé Danann)…フィル・ヴォルグ族はトゥアハ・デ・ダナーン族、即ち、「ダーナ女神の一族」によってアイルランドから追い出された。トゥアハ・デ・ダナーン族は、ネヴェズの子孫であり、北の暗い雲がたちこめる地からやってきた。彼等は絶対に引き返さないようにするため、到着した海岸で船を燃やした。彼等はマグ・トゥレド(Magh Tuiredh) の最初の戦いで、フィル・ヴォルグ族の王エオヒドを倒したが、彼等の王ヌアザは、戦いの中で腕を失ってしまった。不完全な肉体となってしまった彼は王の資格を失い、フォモールとの混血であるブレスが、彼の後を継いで、王となった。彼は、アイルランドの最初の大王となった。ブレスは暴君となり、トゥアハ・デ・ダナーン族をフォモールの圧制下に置いた。たまりかねて、ヌアザは銀の義手を装着することで王となる権利を回復、トゥアハ・デ・ダナーン族を率いてフォモールと戦った。二度目のモイトゥラの戦いである。ヌアザはフォモールの王バロールによって斃されたが、バロールは予言されたとおり、ヌアザの孫であるルーによって斃された。ルーはトゥアハ・デ・ダナーン族の次の王になった。またトゥアハ・デ・ダナーン族は戦車(チャリオット)とドルイド制度をアイルランドにもたらしたと言われている。

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  • ミレー族(Milesians)…トゥアハ・デ・ダナーン族自身も後日ミレー族によって追い出された。ミレー族は、古代の世界を旅し、後にイベリアに植民したミレの子孫である。ミレ自身はアイルランドを見る前に死んだが、彼のおじイト (Ith) はある塔からアイルランドを見張り、先行隊を率いて偵察のためにアイルランドへやってきた。トゥアハ・デ・ダナーン族の3人の王、マク・クル、マク・ケーフト、マク・グレーネがイトを殺した。彼の遺体がイベリアへ帰ってきた後、ミレの8人の息子は全軍を挙げて侵略を開始した。ケリー州のスリーブ・ミッシュの戦いでトゥアハ・デ・ダナーン族に勝利した後、ミレー族は3人の王の王妃たち、エリウ、バンバ 、フォドラに出会う。彼女らはそれぞれ、アイルランド島の現在と過去の名の由来となっている。エリウは、現在のアイルランド島の名 "Eire" の由来となった。バンバとフォドラは現代でも詩の中で用いられるアイルランドの伝統的な名の由来である。マク・クル、マク・ケーフト、マク・グレーネの3人の王は、3日間の休戦を申し入れた。彼等はこの休戦の間、ミレー族は海岸から9つの波の距離だけ離れた位置に停泊していなければならないとした。ミレー族はこれを受け入れた。しかしトゥアハ・デ・ダナーンのドルイドたちは、魔法を使って嵐を起こし、ミレー族を蹴散らそうとした。しかし、ミレの息子アワルギンは、彼の詩によって海を鎮めた。ミレー族は上陸し、タルティウにおいてトゥアハ・デ・ダナーン族に勝利したが、ミレの8人の息子のうち、3人、エーヴェル、エーレウォーン、アワルギンしか生き残ることができなかった。アワルギンは彼の二人の兄弟と島を分け合った。戦いに敗れたトゥアハ・デ・ダナーン族はティル・ナ・ノーグ(Tir Na Nog, Tirnanog:妖精国)へと移住したといわれる。
    *ミレー族は3人の王の王妃たち、エリウ、バンバ 、フォドラに出会う古代ローマ帝国時代のガリアでも「地母神の伴侶が国主に選ばれる」伝統に従って古代ギリシャローマ神話の神々が地母神を伴侶とする形で祀られていた。ちなみにアイルランドにおいては、こうした地母神全ての母たる大地神ダナ(アナ)への信仰が「マリアの母アナ信仰」という形で生き延びる事に。

ケルト人修道士達がこの種の伝承を集め、伝教に役立てたとされる。「我がキリストはドルイドなり」という事にも伺える様に、彼らはキリスト教ケルト神話を完全に同じ世界観の枠組内で扱っていた。

アルスターサイクル(The Ulster Cycle)

英雄クー・フーリン(Cú Chulainn)の活躍を中心とするサイクル。かつては「赤枝の騎士団のサイクル (Red Branch cycle)とも称された一群の韻文・散文の物語。主要登場人物がアルスター国の王や戦士と言った関連人物である物語を集めた分類で、そのほとんど全編がキリストの生涯と同時代(前1世紀~西暦1世紀)に比定されている。それは物語を史実とみなしアイルランドの歴史の空白を埋めようとする試みの産物でもあった。

  • アイルランドには北と戦闘を結びつける信仰があり、北方の国であるアルスターは他の国全てを相手取ることが可能なほどの勇猛な国として描かれる事が多い。そのアルスターでも随一の勇者とされるのがクーフーリン(Cú Chulainn)であり、その中核をなす一大英雄譚「クアルンゲの牛捕り( クーリーの牛争い)」では、ある名牛の奪い合いをめぐり、アルスターが、ライバル国コノートをふくむ他の四州を相手に戦争を繰り広げる。しかもコノート側には、アルスターから亡命した勇士の一団も控えており、さらに開戦時は戦いの三女神の一柱ヴァハ(Macha)の呪いでアルスターの戦士のことごとくの力が萎え、クーフーリンただひとりでもちこたえねばならない。

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  • 上述のアルスター亡命組が国を捨てたいきさつや、力萎えの呪いがかけられた原因、王の誕生、クーフーリンの出自、修行と婚姻、名牛たちの前世について語るのが、『クアルンゲの牛捕り』の十篇ほどの前話(アイルランド語: remscéla)であり、それらもアルスター物語群の代表作品である。

  • アルスター物語群随一の勇者がクーフーリンなら、その悲劇のヒロインはデァドラ(Deirdre)。時代が下ると『デァドラ』物語こと『ウシュリウの息子たちの流浪』は、脚色された近世版『ウシュリウの子らの最期』が作られ、スコットランドでも書写され、広まった。

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 アルスター物語群には、戦女神モリガンやルー、また女死神バドヴなど、神話物語群の神/人物も登場する。王宮にはドルイド僧カスバド (カスヴァズ、カファ))がいて予言をおこない、詩人の風刺や竪琴師の曲が呪いの威力を発揮し、人間はゲシュ(禁忌)という掟に縛られる、といった超自然的側面が見られる。

 フェニアンサイクル(The Fenian cycle)

フィン・マックールと彼の率いるフィアナ騎士団(Fianna)を中心とするサイクル。それを語った吟遊詩人オイシン(Oisín)の名からオシアニック・サイクルとも呼ばれ、神話上の英雄であるフィン・マックール(Fionn mac Cumhaill)と彼の率いるフィアナ騎士団の功績を主題とする散文と韻文の集合である。神話物語群、アルスター物語群、歴史物語群と共にアイルランド神話の4つのサイクルを構成する。時系列順に並べると、フィン物語群は3番目であり、3世紀頃の出来事とされアルスター物語群と歴史物語群の間に来る。このサイクルは、フィアナ騎士団の他の構成員、カイルテ、ディルムッド、オイシンの息子オスカー、フィンの敵ゴール・マック・モーンの物語も含む。

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  • フィンを主人公に据えた物語や詩は遅くとも8世紀には書き始められていたが、これらはフィリ達のレパートリーとされる事はなく、主に大衆の間で語り継がれて行った。およそ11世紀から、この物語群の時代背景は上王コーマク・マックアートとその息子ケアバー・ライフチェアの治世下である3世紀前後であると位置付けられ始める。12世紀にはノルマン人のアイルランド侵攻が起きるが、これはアイルランド文学史上においても一大事件であった。「(フィン物語は)ノルマン人がもたらした新しい文化の産物である」と表現されるほどに、アイルランドの文学は侵略者達の影響を色濃く受ける事になったのである。こうした流れの中で12世紀末に書かれたとされる作者不明の傑作「古老たちの語らい(Acallam na Senórach:The Colloquy of the Ancients, Tales of the Elders, etc.)」によって、フィンは当時クーフーリン以上の人気を博す事となった。

  • 時代の流れの中でアイルランドの人々から一度忘れられたケルトの文化は、しかし18世紀の後半から再発見され流行するということを繰り返す。フィンはスコットランドの詩人ジェイムズ・マクファーソンの手によって、スコットランド王「フィンガル(1762年)」として再び人々の前に姿を表した。自作の詩を自らが発見した三・四世紀の古文献の翻訳であると偽って発表したマクファーソンの姿勢は強く批判されたが、その作品はヨーロッパ全土で印刷され大きな影響を与える事になる。マクファーソンの作品に深く感銘を受けたヨハン・ゴットフリート・ヘルダーは『オシアンに関する往復書簡からの抜粋と諸民族の古歌(Auszug aus einem Briefwechsel über Ossian und die Lieder alter Völker、1773年)」を著し、又ヘルダーと親交があり彼からマクファーソンの作品を薦められたゲーテは「若きウェルテルの悩み(1774年)」の物語の終盤で主人公ウェルエルにこの詩を翻訳させ、ロッテの前で朗読させている

  • 近代においてもフィンとフィアナ騎士団はウィリアム・カールトン「ノックメニーの伝説(1845年)」、スタンディッシュ・オグレディ「フィンとその仲間たち(1892年)」、Violet Russellの「 Heroes of the Dawn(1913年)、ジェイムズ・スティーヴンズ「アイルランド妖精物語(1920年)」、Ella Youngの「The Tangle-Coated Horse(1929年)、ジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク(1939年)」、ブライアン・オノーラン「スウィムトゥバーズにて(1939年)」などで次々と題材に選ばれている。

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主な話の流れはこうである。

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  • コーマク・マックアート王は、国の護りのため、王国の氏族を連合させ、フィアナ騎士団を設立した。騎士団ではクール率いるバスクナ氏族、ゴール率いるモーン氏族、宝物を管理するリアス・ルアクラが権勢を振るっていた。ノックの戦いの後、クールはモーン氏族に殺され、バスクナ氏族の宝物袋は盗まれた。クールの妻、マーナは逃げた先で息子デムナを産んだ。デムナは戦士リアス・ルアクラ(前述の宝物の管理者とは同名の別人)とドルイド僧のボドマルという、二人の女性によって育てられた。マーナはケリー王と結婚した。

  • デムナは彼の美しい金髪から、フィンと呼ばれるようになった。フィンは成年に達するや、ゴールへの復讐を誓った。彼はリアス・ルアクラを殺して宝物袋を奪い返し、ノックの戦いを生き残った者たちにそれを与えた。ドルイド僧フィガネスに師事していたとき、フィンは偶然から知恵の鮭を食べ、王から課された3つの難題を見事解決して伯爵に任じられた。叙任の後、フィンはバスクナ氏族の首領となった。

  • サムハイン(ハロウィーンの起源)になるといつも、アイレン・マック・ミグナまたは炎の息子アイレンと呼ばれるゴブリンが、王都タラを脅かした。アイレンは、全ての戦士を無力にすることのできるハープを奏でた。フィンは持ち主へ音楽への耐性を与える魔法の槍を使ってこのゴブリンを倒した。褒美として、フィンはゴールの代わりにフィアナ騎士団の首領に任命され、ゴールはフィンに忠誠を誓わなければならなかった。

  • フィンは子鹿を狩っていたが、彼が子鹿を捕らえた時に二匹の猟犬が子鹿を殺すのを許さなかった。その夜、子鹿は美しい女性、サドブに変化。サドブはドルイド僧、フェル・ドイリチの魔法により子鹿に姿を変えさせられていたのである。この魔法は、フィンの本拠地アレンとデュンに入ることで解かれた。サドブはフィンの本拠地にいるかぎり、魔法から護られた。二人は結婚した。しばらくして、フィンは侵略者を撃退するために本拠地を出たが、サドブはデュンに留まった。フェル・ドイリチはフィンになりすましてサドブを誘惑してデュンから連れ出し、サドブはすぐさま子鹿に戻ってしまった。フィンは彼女を探し続けたが、ついに見つけることができなかった。その代わり、フィンはでオイシンという少年を見つけた。オイシンは子鹿に育てられ、吟遊詩人として有名になった。

  • オイシンの誕生からガブラの戦いまでの期間は非常に複雑である。突然、コーマック王が亡くなり、彼の息子ケアバー・ライフチェアはフィアナ騎士団が要求する王国の護りの見返りとしての負担金を払うことを望まず、騎士団を壊滅させることを目論んだ。ケアバーは不満を抱える首領たちを率いて軍勢を起こし、フィアナ騎士団の奉仕者たちを殺すことで戦いを仕掛けた。戦いにおいて、ゴールはバスクナ氏族と対立して王の側についた。いくつかの物語は、戦いの中で五人の戦士がフィンを殺したという。別の物語は、彼がブレア浅瀬の戦いで、アイクレッチ・マック・ダブドレンに殺されたという。いずれにせよ、12人の戦士だけが戦いを生き残った。その中にはオイシンとカイルテも含まれていたという。

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日本ではむしろフィオナ騎士団の団員だったディアルムド・ウア・ドゥヴネ(Diarmuid Ua Duibhne)の物語の方が知られている。ドゥンの息子。若さの神、妖精王オェングス、海神マナナン・マクリルを育ての親に持つ。ディルムッド・オディナ(オディナは「愛の印」の意)、ダーマッド、ディアミッド・オダイナなどとも呼ばれ表記される。優れた戦士で、美しい容姿である上に、女性を虜にしてしまう魔法の黒子を、妖精によって額(または頬)に付けられていた。それぞれゲイ・ジャルグ(Gae Dearg 赤槍)とゲイ・ボー(Gae Buidhe 黄槍)、モラルタ(Mor-alltach 大なる激情)とベガルタ(Beag-alltach 小なる激情)と呼ばれる二本の槍と二本の剣を得物としていたという。

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  • フィアナ騎士団の英雄フィン・マックールの3番目の妻となるはずだった婚約者グラーニアは、ディルムッドと恋に落ち、ディルムッドは彼女を連れて逃避行をする。フィンは最も信頼していた部下の不義に遭い怒り狂うが、数年の放浪の後、ディルムッドは不義を許され、館を構えグラーニアと正式に結婚し、4人の息子に恵まれる。

  • ディルムッドはベン・ブルベンの山での狩で、妻の忠告を聞きいれずにゲイ・ジャルグとモラルタではなく、ゲイ・ボーとベガルタを持ち、犬のマック・アン・フィル(Mac an Chuill)を連れて行くが、異父弟の化身である耳と尾のない大きな魔猪に瀕死の重傷を負わされてしまう。居合わせたフィン・マックールは、すくった水で傷を治すことのできる癒しの手をもっており、ディルムッドと彼の親友であるフィンの孫オスカに救命を懇願されるが、グラーニアについての恨みから、泉からすくった水をディルムッドのもとに運ぶまでに2度もこぼし、3度目になって、ようやくたどり着いた時には既にディルムッドは事切れていた。

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ディルムッドとグラーニアの物語にある「若い男、若い女と壮年の男との三角関係」というテーマは、他のケルト神話のエピソードにも登場していて、このテーマは、アルスター物語群のノイシュとデアドラとコノール・マクネッサの物語にも見られる。
*フレーザー神父が「金枝篇」で指摘した様な「若々しい新年の神を迎えるべく、毎年の年末に処刑される年老いた年神」「地母神に選ばれて全権を委ねられながら「(不作や天災といった)失政」の都度その庇護を失って処刑される使い捨ての国主」といった宗教儀礼と結びつけて考える向きも。

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古代ギリシャ時代の「テーバイ攻めの七将」や「エピゴノイ(epigonoi、後継者達)」譚において「ハルモニアーの黄金の首飾りや長衣(ペプロス)にたやすく買収され、一族宿願のテーバイ遠征を邪魔し続ける家母長エリピューレー(最後に憎しみを込めて息子に殺される)」をその先祖筋と見る向きもある。元来ボイオティア地方にテーバイを建国したアイオリス人(Aioleis)はドナウ川流域出身で、彼らの残した物語はケルト人やゲルマン人の残したそれと心的風景が重なる部分が多いのでる。

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歴史サイクル(The Historical Cycle)

 歴代のアイルランドの君主を扱うサイクル。中世アイルランドの吟遊詩人の残した家族史や、彼らが代々仕えてきた歴代王の系譜の記録に基づく。

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ほぼ完全に神話中の人物と推測されている「Labraid Loingsech(431年頃アイルランドの大王(High King)に即位したとされる)」から完全に歴史上の人物たるブライアン・ボル(Brian Boru.941年〜1014年)の時代までを記す。12世紀を中心に詩と散文で残された。

アイルランドの神々

ケルトの神々は起源が不明である点と専門分野を持っていない点から、全体でひとつの氏族(clan)を構成していたと考えられる。

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◎ダグザ(Dagda)アイルランド神話の最高神。アイルランド人気質を具現化した存在であり、ほかの神々と人間のもととなったとされる。アイルランド神話の中ではおどけた洒落の効く神として描かれており、ダグザが人に小馬鹿にされるが寛大に耐え忍ぶ、という結末の神話すらある。その一方で伝承の世界では槍を持った力持ちの神として描かれ、ガリアの槌と杯を持つ神スケッロス(Sucellos)に対応するとされる。

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モリガン(Mórrígan)…共に行動するヴァハ(Macha)、バズヴ(Badb)/ネヴァン(Nemhain)と合わせ三位一体の戦いの女神を構成。3柱それぞれが戦闘の違う側面を体現している。

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  • 「クーリーの牛争い(Train Bo Cualinge)」においては主人公クー・フーリンを助けたり、邪魔したりする存在。古田おメソポタミア時代の「ギルガメシュ叙事詩(成立紀元前三千年紀)」における「英雄ギルガメッシュに配偶者となる事(=メソポタミア全土を収める大王となる事)を拒まれて怒り狂う地母神イシュタル」みたいな役目も割り振られている。

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  • 「マグ・トゥイレドの戦い(Cath Maige Tuireadh)」においては詩人にして魔法使い、さらに権力者という複数の役割を演じ、ダーナ神族に勝利をもたらす。

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ほぼ毎回カラスもしくはオオガラスとして描かれるが、ウシ、オオカミ、ウナギなど、他の多くの生き物にも変化できる。
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◎太陽神ルー(Lugh)…イルダーナ(Il-Dana)やドルドナ(Dordona)など、「全知全能」を意味する名で呼ばれる場合もある。ケルト文化圏全体で幅広く信仰されていた。

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◎リル(Lir)…最古の記録は8世紀まで遡る。その名が「海」を意味するので一般に海神と解釈されるが、初出の頃は「異界の王」と解釈されていた。ウェールズ神話においては、スィール(Llŷr)と呼ばれる。ジェフリー・オブ・モンマスブリタニア列王史(Historia Regum Britanniae、1136年頃)」に登場する伝説的なブリトン人の王レイア(Leir)と縁深く、ウィリアム・シェイクスピアリア王(King Lear、1604年〜1606年)」の材源となってからその名が知られる様になった。このレイア王の伝説はウェールズ神話の海神スィール(Llŷr)の形から始まり、後に歴史的背景が与えられたものと考えられている。また、アイルランドの伝説「リルの子供たち(Children of Lir)」とも関連が深い。

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  • アイルランド神話に登場するマナナン・マクリル(マナナーン・マクリール、Manannan Mac Lir)に関しては「ブランの航海(The Voyage of Bran、8世紀頃成立)」などが現存するうちの最古の物語とされる。こうした物語においてはエウィン・アヴラハ(Emain Ablach)、マグ・メル(Mag Mell)、ティール・タリンギル(Tír Tairngiri)などと呼ばれる異界の支配者とされる。
     

  • 後代の文献では彼は神Oirbsiuと同一視されてダーナ神族の一員と数えられるようになり、神話物語群に分類される物語にも登場するようになった。「アイルランド来寇の書(Lebor Gabála Érenn)」にも稿本によってはCaillendの戦いにおいてUillendに殺害されたと記されている。死後、彼を埋葬した際に湖が氾濫した。

  • 「ブランの航海」ではモンガーン(Mongán、?〜625年)の父親とされる。伝説上の存在ではなく実在した人物であり、彼の歴史上の父親はその名(Mongán mac Fiachnai)が示すとおりアルスターの上王フィアハナ(Fiachnai)である。「モンガーンの誕生(Compert Mongáin)」では、マナナンはフィアハナへの助勢の見返りにフィアハナの姿に変身して彼の妻と一夜の関係を持つことを許可されたとし、こうした歴史との相違に一種論理的な説明を行う。

  • 「来寇の書」のマナナン(Oirbsiu)は系譜の上でAllotという人物の子であるとされる。このAllotはダグザ、オグマ、ブレスらの兄弟であるため、マナナンはダグザらの甥にあたる。

  • 「マクリル」という名は字義通りに「リルの息子」と説明される事もある。しかし海神レア(Lir)が登場する初出の物語は15世紀に白鳥の騎士伝説のモチーフを借用して成立した「リルの子供たちの最期(The Children of Lir)」であり、マイヤーなどは「マクリル」を「リルの息子」ではなく「海の子」と解釈し「マナナーンが海を住処としていることを指している」と説明している。。

  • ジェフリー・オブ・モンマスブリタニア列王史(Historia Regum Britanniae、1136年頃)」によればレイア(Lear)は父ブラドッドの後を継いでブリタニア王となり、ブリタニア王では最長となる60年間統治した。レイアはソアー川(River Soar)沿いにカール・レイア(現レスター)という町を建設した。

  • 父王と違って、レイアは王位を継承する息子がいなかったが娘が3人いた。ゴルノリラ、レガウ、それにコルデイラ(またはコルデリア、Cordelia)である。レイアはコルデイラを最も溺愛。死期が迫り、レイアは王国を三人の娘とその婿たちに分配しようと考えた。ゴルノリラとレガウは父親を愛していると言って機嫌を取った。しかしコルデイラは、娘が父親を愛するのは当然で、わざわざ口に出して言うものではないと言い、父親を激怒させる。レイアはゴルノリラとレガウをそれぞれアルバニア公マグラウルス、コーンウォール公ヘンウィヌスと結婚させ、王国を二分して与えた。コルデイラには何も与えなかった。フランク人の王アガニップスがコルデイラに結婚を申し込み、レイアはそれを認めるが、持参金は出さなかった。しばらくして、レイアは老齢のため、娘たちの世話になろうとした。まずゴルノリラのところに行くと、マグラウルスが140人の衛兵をつけ保護してくれた。しかし、ゴルノリラはそれに反対で、2年後には衛兵が30人に減らされた。レイアは失望してレガウのところに行った。レガウは5人の衛兵しかつけてくれなかった。再びゴルノリラのところに戻るが、与えられた衛兵はたった1人だけだった。

  • レイアは二人の娘が怖くなって、コルデイラのいるガリアに海を渡った。コルデイラは温かく父を迎え、夫とともにレイアの栄光を取り戻すことを約束した。アガニップス、コリデイラ、それにレイアは大軍を率いてブリテンに進軍し、二人の娘とその婿を倒した。レイアはそれから3年間、王としてブリテンを統治した。レイアが死んだ後は、コルデイラが王位を継承した。コルデイラはレイアをソアー川の下に地下室を作り、そこに父親を埋葬した。その地下室はローマの神ヤーヌスに捧げられ、毎年、レイアの墓の近くで人々はヤーヌスの祭日を祝ったという。

  • 中世のウェールズ語写本より収集された物語を収録した「マビノギオン(Mabinogion)」に収録されたアイルランドの伝説「リルの子供たち(Children of Lir)」においてはリル(Lir)は海神で、4人の子供がいる。妻が死ぬとその妹と再婚したが、新妻はリルの子供たちに嫉妬し、彼らを排除しようとする。新妻はある日子供たちを湖に連れて行くと、呪文を唱え、彼らを白鳥に変えてしまう。白鳥に変えられた子供たちは、聖人のベルの音を聴くまで元の姿に戻れないとされ、後にアイルランドキリスト教を広めた聖パトリックのベルで初めてその姿を取り戻すことができた。ただしマビノギオン」に収録された物語最古のものでも13世紀頃までしか遡れないし「リルの子供たち」に至っては15世紀成立と目されている。
    *「聖パトリック」‥アイルランドキリスト教を広めた聖人で、ウェールズで生まれ幼少時に奴隷としてアイルランドに連れてこられたという。牧場で働くうちに神の声を聴く様になり、脱走して神学を学ぶ為にヨーロッパ大陸に渡る。そして7年の修学の後に残りの生涯をアイルランドへの布教に尽くした。死後しばらくは聖人として指定されず人々から忘れられていた。しかし後に宣教師達が彼の物語を伝教に利用する様になり次第に著名な存在となっていった。

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◎「アザラシ女房セルキー(英語: silkies, selchies, アイルランド語/スコットランド・ゲール語: selchidh, スコットランド語: selkie fowk)」

スコットランド神話、アイルランド神話、およびフェロー諸島の民間伝承に見られる伝承上の亜人で 類似した存在はアイスランドの伝承にも登場する。語源は古いスコットランド語のselich(古英語おけるseolh、意味は英語のseal)。海中ではあざらしとして生活しているが、陸にあがるときは皮を脱いで人間の姿になる。

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  • 12世紀頃に欧州大陸から人魚譚が伝わり、出入りのおい岩場が続き、岩陰や洞窟にアザラシが住んでいるアイルランド西海岸の景色に合わせて「(日本の羽衣伝説に似た)白鳥乙女の伝説」的な物語に再編された。

  • 一般に男性のセルキーは非常にハンサムな姿をとり、人間の女性を誘惑することに長けていると言われている。そして彼らは決まって、漁師の夫の帰りを持つ妻のような、人生に不満を抱いている者を探す。人間の女性の方から男性のセルキーと会いたいならば、海に七滴の涙を落とさなければならないと言われている。

  • またもし人間の男性が女性のセルキーが脱いだ皮を盗ってしまうと、彼女は男性の言いなりとなってしまい、妻となるしかなくなる。彼女らは妻としては完璧であると言われるが、彼女らの本当の住処は海なので、結婚してからも恋しそうな面持ちで海を眺めていることが多い。また、盗られた皮を見つけると、彼女らは海にある本当の家や、時にはセルキーの夫の元へと直ちに戻る。話によってはセルキーの乙女が人間の妻とされ、数人の子供をもうけることもある。このような話では、子供の一人が皮を発見し(大抵はそれが何かを知らずに)、セルキーは直に海へと帰ってしまう。セルキーは普通人間の夫と再び会うことを避けるが、子供たちに会いに戻ってきて、波の中で一緒に遊ぶ姿が描写されることもある。

  • セルキーが登場する話は多くが悲恋物語である。自分の愛する人がセルキーだったとは知らないままに、朝起きるといなくなっていた、という話もある。他の話では人間がセルキーの皮を隠して、あざらしの姿に戻れないようにする。セルキーは一人の相手と短い時間しか一緒に過ごすことができず、その後はすぐ海へと戻らなければならない。そして人間が皮を隠したり、焼いてしまったりしない限りは、その後7年間は人間と接触することができない。
  • フェロー諸島においては「セルキー(Selkie)」もしくは「あざらし妻(Seal Wife)」の伝承には二通りの筋がある。

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    フェロー諸島のケァルソイ島のミクラダルール(Mikladalur)に住むある若い農家の青年が、ある日海辺へセルキーの踊りを見に行く。彼は美しいセルキーの娘の皮を隠し、海へ戻れないようにして自分と結婚することを強いる。彼はその皮を棚にしまい、その鍵を昼夜肌身離さず持っていた。ある日釣りへと出かけている時、彼は鍵を持ってくることを忘れたことに気づく。そして家へ帰ると、妻のセルキーは子供たちを残して海へと逃げ帰ってしまっていた。後日、彼は狩りへと出かけたときに、逃げた妻の夫のセルキーと二人の息子のセルキーを殺してしまう。そして彼の妻だったセルキーはミクラダルールの男たちに、「ある者は溺れ、ある者は崖や坂から転落し、彼らの亡がらが手を繋ぎケァルソイ島を囲むことができるほど多くの者が死ぬまで」復讐し続けることを決意する。

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    ②ゴードン・ボック「ピーター・カガンと風(Peter Kagan and the Wind)」にはあざらしの女性と結婚した漁師のカガンが登場する。カガンは妻の制止を振り切って、年末の危ない時期に海へと出るが、ひどい嵐に遭って家へと戻れなくなってしまう。カガンの妻はあざらしの姿へと戻ってカガンを救うが、再び人間の姿にはなることはできず、カガンと築いた幸せな家庭へと戻ることはできなかった。

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  • シェトランド諸島に伝わるいくつかの話には、真夏の時期にセルキーが島民を海へと誘い、魅了された彼らは二度と陸へと戻ってこなかった、というものもある。

  • ウェールズにもセルキーに類似した伝承なら存在するが、内容が少し異なり、ここではセルキーは海へと戻った人間である。アリアンロッドの第一子であるディラン(Dylan ail Don)はマーマンであったり海の精霊であったりし、話によっては生まれて直ぐに海へと戻ってしまう。

  • スウェーデンの伝承にもセルキーと同じような生物の記述が存在し、また北アメリカのチヌーク族(Chinookan peoples)にも、あざらしに変身する男の子の話が伝わっている。

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こうしてみると「異類婚や祈願と此岸の交流が不幸しか生まない」物語文法に立脚した「白鳥乙女の伝説」には相当強力な伝播力があったとも見て取れる。そして最終的には割と似た様な形態に…

ケルト系キリスト教(Celtic Christianity) - Wikipedia

古代ローマ帝国時代のイングランドではローマ属州ブリタンニア(Britannia、43年〜407年)時代にキリスト教が一時的に広まったものの、ローマ軍団が大陸に引き上げ、5世紀頃に異教徒のアングロ=サクソン人達が侵入してくると一時的にイングランドから消滅した。
ユーラシア大陸全体に「天秤思想/三位一体思想」が横溢し、「オリエント文明への地中海文明の窓口」エジプトにおいて元マニ教徒のヒッポのアウグスティヌスらアフリカ系教父達がそれをキリスト教文化の中に根付かせた。

ヒッポのアウグスティヌス(354年〜430年)…「僻地において独身で修行に励む修行者達が全滅しやすいリスク」に対処する為、仏教における「在野平信徒が僧侶を養い出家者を供給し続ける教団システム」を模倣する形で修道院制度を基礎付けた事でも知られる。

①しかしローマ帝国の支配も受けず、アングロサクソンの侵入も受けなかったケルトの島アイルランドにおいてキリスト教は生き残る。アイルランドにおけるキリスト教改宗は、ドルイドが中心になって行われた。つまりケルト文化を残したままキリスト教化したのである。
*ゴート族侵入によって西ローマ教会が壊滅的打撃を受けた6世紀頃には東ローマ帝国東方正教会の強い影響下にあった。しかし本土における異教排斥主義がこの遠隔地にまで伝播する事はなかった。いやむしろ中央の異教排斥主義を嫌った宣教師達が電動に訪れたというのが正しいのかもしれない。5世紀頃よりアイルランド神話を文書に残してきたのはまさに彼らだった。

②異教のアングロサクソンイングランドを再び教化したのは、ローマ教皇グレゴリウス1世に派遣され、597年ケントに上陸したカンタベリーアウグスティヌスが率いる宣教団だけではない。

  • アイルランドからヘブリディーズ諸島に渡った聖コルンバが創建したアイオナ修道院はスコットランドを教化した。
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    *8世紀に制作された聖書の手写本「ケルズの書(The Book of Kells)」を残した事で歴史にその名を残した。豪華なケルト文様による装飾が施された典礼用の福音書で「ダロウの書」「リンディスファーンの福音書」とともに三大ケルト装飾写本のひとつとされ、アイルランドの国宝となっており、世界で最も美しい本とも呼ばれる。
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    *「ダロウの書(The Book of Durrow)」…7世紀に制作されたアイルランド様式の装飾写本で「ケルズの書」、「リンディスファーンの福音書」とともに三大ケルト装飾写本のひとつとされる。アイルランドのオファリー州ダロウ近郊のダロウ修道院で制作されたという説と、北部イングランドノーサンブリア地方で制作されたという説があるが、近年の学説ではダロウ修道院を制作地とする説に傾きつつある。制作開始は650年と考えられている。アイルランドおよびブリテン島で制作された装飾福音書写本としては現存する最古のものとされる。文字はインシュラー体(島の文字、Insular Script)と呼ばれる書体で書かれている。現在知られている最古のクムダック(cumdach、聖書を収める箱)は、ダロウの書を収納・保護するため、アイルランド王フラン(Flann Sinna、879-916)の命令で製作された。16世紀にダロウ修道院が廃止された際にダロウの書は行方不明になったが、1世紀後に発見された。その間の期間には、農夫がこの書を浸した水で牛の病気を治そうとするといった扱いを受けていた。

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  • イオナからノーサンブリアに移植されたケルト教会であるリンデスファーン修道院は北部イングランドを改宗させている。

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    *「リンディスファーンの福音書(The Lindisfarne Gospels)」によって後世にその名を残した。ノーサンブリアの聖域であったリンデスファーン修道院で7世紀末から8世紀初頭にかけて製作され、リンディスファーン司教座がダラムに移転した後は同地に長年保管されていた。「ヒベルノサクソンアート」もしくは「インシュラーアート」と呼ばれるアングロサクソン様式とケルト様式が融合した英国特有の宗教芸術における最高傑作の一つと見なされている。

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  • これらの修道院からケルト系修道院制度(Celtic Monasticism)が海を渡り現在のオランダやドイツに伝えられた。

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とはいえ、そもそも7世紀から9世紀にかけての欧州で横溢したキリスト教は、その教義が完全に西ローマ教会の統制下にあった訳でもない。

③中世ケルト教会の中心となったアイオナ修道院やリンデスファーン修道院が9世紀にヴァイキングの度重なる襲撃によって荒廃すると、いつしかベネディクト会修道院にとって代わられ、ケルトキリスト教は歴史から姿を消した。
*彼らの唯一の弱点はドルイド時代からの延長線上で「人里から離れた僻地で独身者のみが修行する」スタイルを貫いた事。各集落の伝統に立脚していた為に人材供給にこそ事欠かなかったが、その好んで僻地に少数で割拠する生活スタイルに付け込まれ、9世紀以降バイキングの格好の餌食となっていく。

とはいえノルマンディ地方やブルゴーニュ地方に発祥したクリュニー会(909年〜、最盛期927年〜1156年)やシトー修道院(1098年)は(西ゴート王国末裔が逃げ込んだ)イベリア半島南部アストゥリアス、(北欧諸族のヴァイキング泊地を起源とする)ノルマンディ、(かつてはブルグント族の割拠地だった)ブルゴーニュ、(かつてはゴート族やランゴバルト族の割拠地だった)ロンバルディアに色濃く残る折衷主義(Eclecticism)の影響を色濃く残しており、ケルトキリスト教もその流れの中に飲み込まれていっただけとも。そもそもロマネスク文化とはそういうもので、パリ近郊を震源地として欧州中を覆い尽くしたゴシック文化(12世紀後半〜)の様な中央集権性はそこに見て取れない。

 その存在自体が疑わしくなってきた「島ケルト」

最近ではローマ征服までのブリテン島の先住民は初めからケルト系に属すか「大陸のケルト」から文化的な影響を受けたケルト系住民であるという従来の定説に対し、考古学の研究成果などからその妥当性が問われつつある。

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  • 第一に行われる批判は大陸のケルトとの血縁関係が存在しないという点である。遺伝子研究によって飛躍的な進歩を遂げた現代の考古学は「島ケルト」と称されていた人々が、ガリア北部や沿岸部のどの部族からも遠い遺伝子を持つこと、そしてむしろイベリア人からの影響が存在していることをつきとめた。これは少なくとも彼ら「島のケルト」に「大陸のケルト」との混血は見られない(大規模な移民は行われていない)という事実を示している。根拠の一つであった貨幣鋳造の普及に関しても、ケルト人がもたらしたとされる他の文化の渡来時期と明らかに食い違うことが判明している。「大陸のケルト」の移民がなかったということが真実だとするなら、なぜケルトの鉄器文化の継承があったのかについては、次の批判と密接に関連している。

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  • 第二の批判は、ブリテン島の鉄器文明と大陸のケルト鉄器文明(ラ・テーヌ文明)は異なるとするものである。一例を挙げれば、ケルト美術と称される装飾品文化はブリテン島ではさほど見られず、ラ・テーヌ文明の埋葬法とも全く違う手法で遺体を葬っていた事が研究によって明らかとなっている。これ以外にも家屋の形状など建築に関する部分など至る所に相違点があり、とても「大陸のケルト」とブリテンの文明を同一視することはできないとされる。こうした論に立つ学者は、これまでの学者達は文明の発達を単一の源のみに求め、ブリテン島で独自に発達したという可能性を恣意的に排除していたと批判している。ちなみに、アイルランドについても僅かな関連性のみでラ・テーヌ文化の流入を決定付けていたことが分かり、アイルランド南部に至ってはラ・テーヌ文化の渡来は痕跡すら見られない。

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近年ではこれらの批判に加え、ラ・テーヌ文明と「ケルト」がさほど関連していなかったという学説や、そもそもケルトという区分け自体を疑問視する声も挙がりつつある。こうした批判は古代ブリテン史をいわば自国の歴史に書き換えようとする動きとしてフランスなどの学者からは批判に晒されているが、それに対してイギリスの学者からは古代ケルトを統合欧州の象徴に据える作為だとする反駁がなされるなど、国家間の政治問題と化している感がある。

日本語でとっさに集められる情報って概ねこんなもの? どうして「絶天地通」 があっけなく起こせるか知るには、とりあえずこれで十分。

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  • 要するに、アイルランドの神話と伝承が便宜上四サイクルに分けられているのは、あくまで「アイルランドの神話と伝承は実は全て実際の出来事の何かしらの形での反映であるという前提に基づくアイルランド古代史復元を試みた残滓」に過ぎない。当然失敗に終わったし、もっと皮膚感覚で神話や伝承を理解しているアイルランド人なら、思い切って全部投げ捨ててしまっても一切、発想の障害にはならない(というか却って想像力の翼が広がる)。
    *まぁ、日本の「飛騨女(ひだにょ)物」だって、どこまでも遡っていくと「飛騨王朝仮説」なんて途方もない爆弾に行き着くし「忘れられた方が良い事」というのは確かにあるのだ。

  • 外国人はそれぞれを別物と考えたがるけど、実際のアイルランドでは「神話と伝承の世界」と「キリスト教の世界」と「現実の歴史」が表裏一体を為す汎神論的世界が展開されてきた(日本人が「神仏儒習合」の文化史を営んできたみたいなもの)。この障壁が取っ払われた空想世界では、もはやほとんどアイルランド人くらいしか自由に遊泳出来ない。
    *未視聴ながら、この傾向は「ソング・オブ・ザ・シー うみのうた(Song of the Sea、2014年)」より「ヴァイキング(北欧諸族の略奪遠征)のイオナ修道院襲撃」と「ケルズの書んの編纂過程」と「魔法が使える狼少女」を絡めた前作「シークレット・オブ・ザ・ケル(The Secret of Kells、2009年)」や「クロムウェル卿のアイルランド遠征」と獣人化現象を絡めた次回作「ウルフ・ウォーカーズ」の方が顕著に表れていると推測。

  • そしてさらに「ダーナ神族とアザラシ女房セルキーの邂逅」の様な従来の伝統的先入観では有りえない組み合わせを持ち込んでアイルランド人の頭すら真っ白にしてしまう。
    *この辺りがまさしく「鎌田君見参」に当たる部分?

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ただどうせなら最後は「メリダとおそろしの森(Brave、2012年)」式に「(ずばーん!!)きゃーっ(ちょっと嬉しそう)」といった展開になって完全なハッピーエンドを迎えて欲しかった。せっかくの「パパの威厳」回復のチャンスだったのに…

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