諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【オルタナ右翼】【リアルFallout】アメリカのマスコミもまた目覚めない?

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日本のマスコミも大概だけど、アメリカのマスコミはそれに輪を掛けて酷い。「対象読者の平均年齢が68歳以上」と陰口を叩かれるのもさもありなん。

シアトル・タイムズ、”alt-right(オルタナ右翼)” の使用方針を明確化 | シアトル最大の日本語情報サイト Junglecity.com

Seattle Times は、"alt-right" という語の背景にある白人男性至上主義について解説する記事 に、同紙における "alt-right" の使用方針を掲載。「この用語そのもの、もしくは "alt-right" というムーブメント自体に関する記事のみで使用する」「それ以外の場合は、引用符で囲む」「使用する際は必ず用語について説明を加える」としている。

同紙がこの方針をニュース編集員に周知した後で、AP 通信が "alt-right" に関する執筆ガイダンスを公開。同紙は、両者の方針と結論は同一であるとしている。

シアトル地域では今月23日、公共ラジオ局 NPR の提携局 KUOW が「"alt-right" は、正常とはかけ離れた何かを正常に思わせてしまう表現だ」「KUOW は今後、"alt-right" という表現は使わず、白人至上主義者または白人ナショナリストと言い換える」と宣言している。

この方面では「現場主義」で当事者達への突撃インタビューを繰り返してきた映画評論家町山智浩氏のレポートの方がよっぽど信頼が置けます。

  • 4chanや8chanやReggitに匿名で潜むオルタナ右翼(Alt-Right)自身は、決っして白人至上主義者でもナショナリストでもない。そう振る舞う事によって(父権主義と白人至上主義の黄金期だった1950年代を懐かしむ)Facebook上の保守主義者を扇動出来る事を楽しんでるだけ。

    *ただまぁ、同じ「4chanや8chanやReggitに潜んでいる匿名アカウント」にも一緒になって騒いでるだけの馬鹿なら幾らでも混じっている。状況としては「(ロシア帝国や東欧諸国の飢餓輸出を背景とする)東禍論」「(産業革命による南北アメリカ産の安価な農畜産物の大量流入を背景とする)米禍論」「(米国への中国系移民急増を背景とする)黄禍論」が相次いで流行した19世紀末の欧米世論を想起させるとも。
    1423夜『黄禍論とは何か』ハインツ・ゴルヴィツァー|松岡正剛の千夜千冊

  • 彼らはむしろ本質的には「絶え間なくJokeを連発し続ける事で自分を常にHighな状態に保ち続けようと努力し続けているが、その正体は自らは何も信じてないニヒリスト」である。これはゲッベルスの立ち位置に近く、むしろ下手な右翼よりよっぽど危険な存在。
    *「自らの立ち位置故に決っしてライバルと折り合えない人達」向けにそれぞれに快適な専用世界を用意したという点において、あくまでディズニーランドとナチスは等価。相違点は「ウェスタン・ワールド最高!! 一刻も早くファンタジー・ワールドとスペース・ワールドは廃止せよ!!ファンタジー・ワールド最高!! 一刻も早くウェスタン・ワールドやスペース・ワールドは廃止せよ!!」みたいな無邪気な意見を笑顔に黙殺するかどうか。

    ゲッベルス

    *フランス動乱期(18世紀末〜19世紀前半)もゲッベルス・タイプの人材には事欠かない。「妖怪」ダヴィッドに「政治的人間」ジョセフ・フーシェ。どちらも当時最先端のInformation Technorogy(IT、情報技術)関係者だったのは、決っして偶然ではない。「データは麻薬」。要するにそういう事なのである。

ただ「むしろ下手な右翼よりよっぽど危険」については諸説あり。

  •  ユダヤ系アメリカ人の中には、上掲の様な意味でのオルタナ右翼(Alt-Right)は「左翼の反ユダヤ主義よりはよっぽどマシ」と考える向きもある。
    *確かに上掲の様な意味でのオルタナ右翼(Alt-Right)は「何も信じない」が故に左翼化しないばかりか、白人至上主義者にも、ナショナリストにも、そして反ユダヤ主義者にもならない。要するに「主義者」となる事そのものを軽蔑してる。

  • Tumblr上の中道派は、そもそも(他で迫害された)女性と黒人とLGBTQA勢の集団防衛拠点を起源とし、「対4chan戦争」「(同じくTumblrを本拠地とする)対左翼戦争」を経て(極右と極左を切り捨てたという意味での)中道派路線に至る。
    ここもまた気付くと絶え間なくJokeを連発し続ける事で自分を常にHighな状態に保ち続けようと努力し続けているが、その正体は自らは何も信じてないニヒリスト」の男子アカウントの巣窟の一つとなっていたが、別にオルタナ右翼(Alt-Right)らしき動きを見せる事はない。
    *「4chanや8chanやReggitに潜んでいる匿名アカウント」が「Facebook上の保守主義者の扇動」に魅入られた様に、ここの同タイプの男子アカウントは「国際SNS上の関心空間の集票力」に魅入られたと思われる。その意味では彼らは「何も信じない」というより「数値化された成果にしか興味がない」層と呼ばれるべきなのかもしれない。

  • 2016年大統領選挙が終わってやっとTwitterやReggitで散々アジテーションを繰り広げてきた過激アカウントの削除が始まった様だ。しかし実はこうした匿名性を捨てて政治の表舞台に乗りだした様な「御調子者」は、上掲の様な意味でのオルタナ右翼(Alt-Right)からは「使える馬鹿」くらいにしか認識されていない。Tumblr上の中道派に至っては、暗黒時代(The Dark Age、2011年〜2012年)を抜ける為、まず真っ先にこういう層を切り捨てたのだった。

    *気付くとTumblr中道派の一員となってた立場からあえて発言させてもらえば、過激アカウントの削除程度では「極右と極左の切り捨て」は完了しない暗黒時代のTumblrでは女子アカウント自らが「ニコ生なら狂った配信でカルト的人気を獲得してそうなタイプの女子アカウント」を狩り、Black Establishment(アフリカ系アメリカ人の1/4を占める中流以上の階層)自らが、左翼や「男尊女卑は黒人が守るべき伝統」と豪語するNation of Islamに魅了されるPoor Black過激層を狩り、LGBTQA層自らが「異性を憎悪する同性愛者や、あらゆる性表現を憎悪する無性愛者(asexualist)」を狩った。その結果「消えた」人々はTwitterInstagramYoutubeに逃げ込んだと推測されている。彼らの影響から抜けたければ、TwitterやInstgramやYoutubeもまた同じ修羅場をくぐり抜けねばならない筈である。

    *実はTumblr中道派のこういうスタンスは「ヴォルデモート卿は(選択肢を間違った)私!!」「(「シン・ゴジラ」に登場する)鎌田君は私!!」「(「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(Fantastic Beasts & Where to Find Them)」に登場する)オブスキュラスは私!!」と思いっきり共感を表明しつつ(ジョン・スチュアート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」で示した「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならないが、他人に実害を与える場合はこの限りではない」なる理念に基づいて)「だが(いや、だからこそ)殺せ!!」とも主張する態度と表裏一体の関係にある。

最近「最近のアメリカの状況はナチス台頭前夜に似ている」みたいな指摘を数多く見掛ける様になりましたが、実は一番似てるのは皮肉にも「内ゲバによる大量虐殺合戦でトチ狂ったヴァイマル共和政(Weimarer Republik、1919年〜1933年)が国民感情から乖離して(「大統領内閣制」なる独裁制に移行しつつ)資本家階層と中産階層の殲滅を宣言し、ナチスが漁夫の利を得て彼らを味方につけていった歴史的プロセス」の部分。

米国のリベラル派ジャーナリストは「今こそブルジョワ階層や中産階層の奴隷として酷使されてきた貧困階層が、逆に彼らを奴隷身分に叩き落とす好機!!」みたいな使命感に駆られてハッスルし、デモにかこつけて無政府主義を隠れ蓑にしたギャング団の商店街略奪まで「遂に正義の実践が始まった!!」なんて自画自賛してたりします。まさしく「リアルFallout」の世界。

皮肉にもそのFalloutシリーズの影響もあって国際SNS上の関心空間では「Facebook右翼=1950年代回帰派」という見解が主流なのですが「真因はもっと根深い」とする説も。

 記憶が正しければ、私が最初にこうした米国史を知ったのは牧逸馬の「テネシー猿裁判」を通じてでした。

キリスト教原理主義は急速に支持を失い、わずかに残った原理主義者たちは時代遅れ、異端者として長く差別と迫害を受けることになる。1930年代以降彼らは中西部、南部に独自に教会や原理主義思想を教育する大学(「ボブ・ジョーンズ大学」など)を作り、文字通りその中に隠れ外界から隔絶されていく。その隔絶された「聖域」で彼らは思想を先鋭化させ、自分たち以外はすべて敵であると考えるようになり、自分たちはリベラルや無神論者と戦う神の戦士であるという極端な思想を再構築していく。彼らは息を潜めつつも50年代~60年代にかけてテレビ伝道などを駆使してじわじわと勢力を拡大、1970年代に入って一気に反撃をはじめることになる。

原理主義勢力が表舞台から去った後モダニズム一色になったわけではなく聖書を基本とした信仰中心の生き方を望む人達は少なくなかった。聖書の批判的な見方やリベラルな思想に反感を覚えるが原理主義のような過激な前千年王国思想も受け入れられないといういわば穏健な宗教保守思想の受け皿として1930年代以降登場するのが「福音派」と呼ばれる勢力である。彼らは30年代の恐慌という社会不安の中で勢力を拡大し、第二次大戦後から60年代のリベラルの時代の中でもリベラリズムを受け入れられない人びとを中心に着実に支持を集め、いわゆるアメリカの保守本流を形成する。

一方、裁判の実質的な勝者であるモダニストたちもまた、1930年代から第二次世界大戦のかけての暗い時代の中でその楽観的すぎる進歩思想は説得力を失い退潮する。代わってより現実的なリベラリズムが姿を現して行く。それはルーズベルト大統領が大恐慌からの脱却を目指して行ったニューディールという諸政策とそれを支持する「ニューディール連合」とよばれる連邦政府を支持する広範な人びとで長老派などのキリスト教主流派と黒人教会などからなる諸派だ。ルーズベルト政権以降第二次世界大戦終結後から1960年代末までに公民権運動や同性愛者の人権、フェミニズム運動などが一気に活性化しリベラリズムの時代をアメリカは謳歌する。

1960年代後半になると、ドラッグ、ヒッピー、フリーセックス、家族の崩壊、犯罪の増加、伝統的価値観の解体など「行き過ぎたリベラル」という問題を多くの人びとが感じるようになっていった。さらに70年代に入ってヴェトナム戦争の失敗、ウォーターゲート事件に代表される政治腐敗と巨額の財政赤字など連邦政府リベラリズムに対する失望感や社会不安が広くアメリカ社会を覆う中、キリスト教信仰に目覚める人びとが続出していった。彼らは聖書に帰る回心(ボーン・アゲイン)を告白し福音派の勢力が一気に急拡大した。

そのような社会状況の中でテレビ伝道師だった原理主義指導者の一人ジェリー・ファルウェルはモラル・マジョリティという団体を設立し原理主義に限らず広く福音派などの宗教保守派を糾合して2000万人とも3000万人とも言われる巨大な宗教保守勢力(通称:ニューライト)を形成。ロナルド・レーガンの大統領就任を草の根レベルで支援し、政権に強い影響を及ぼした。80年代半ばにモラル・マジョリティは解散するが、一度作り上げられた巨大な保守勢力はその後も共和党と強固に結びつき宗教保守派の考える中絶禁止、同性愛結婚の禁止、学校での祈りの強制、宗教教育といった各種政策を主張する巨大な政策圧力団体と化して両ブッシュ政権を支援しクリントン政権と激しく対立していく。2004年時点の調査では宗教保守派は7000万人とも言われるように、保守とリベラルというアメリカの二つの思想の一翼を担う程に巨大化していくことになるのだった。

 このあたりの話については、町山智浩氏も折につけて触れてますね。もしかしたら彼は、ある意味「めりけん・じゃっぷ」の末裔なのかもしれません。

それではこの話を日本に持ち込むとどうなるか? 困った事に「先進的な都心と後進的な地方の対立図式」みたいな話に矮小化してしまうのです。

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ニューズウィーク日本語版2016年11月22日発売号「この男にアメリカを引き裂かせるな(What We've Learned from the Trump Victory)」

私が懸念するのは、トランプが火をつけた社会の亀裂が一段と広がり、共和党と民主党のアメリカに引き裂かれ、互いに理解も共感も出来なくなる事態だ。肌が白くて大学に行かず、地方に暮らす愛国的で信心深い人々のアメリカと、民族的に多様で大卒、コスモポリタンで世俗的な人々のアメリカ…まるで北アイルランドだ。そこでも信仰や民族の違いが住民を引き裂き、長く武力闘争が続いた。

そういえば、そもそも日本におけるKPOPの流行も、ドサ廻りで地方ファンを掘り起こした東方神起がいて、その人気を継承した少女時代がいて「俺様は本物のスターなんだ。わざわざ田舎娘の相手なんてしてられるかよ」と公然と言い放つチャン・グンソクが全てを台無しにした感がありました。

日本もそのうち同種の問題に悩まされるのは必定?