諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【折り紙から人工筋肉】人類はその想像力の限界を如何に乗り越えてきたか?

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斜張橋(Cable-stayed bridge) - Wikipedia

橋の形式の1つで、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造のものである。ケーブルを利用し吊って支えることから、広義には吊り橋の一種と言えるが、狭義には(すなわち土木工学分野、橋梁工学分野では)吊り橋と区別され、それに次ぐ支間長(スパン、塔と塔の間隔)を得られるとする。

近代的な斜張橋は戦後、ドイツでライン川に架けられたものとされる。少ない材料で建造するのに適していたが、ケーブルにかかる負荷の計算など構造解析が難しく、永らく小規模なものに止まっていた。しかし、20世紀末期からコンピュータによる構造解析やシミュレーション技術などの進歩により、長大な橋が幾つも建設されている。

人間の発想はどうしてもその想像力に拘束されており「特定の技術革新を経た後でないと思いつかなかった事」を多数抱えています。

その点、数学や物理学の世界は、いとも容易く既存の常識の延長線上では絶対に思いつけない様な様々な発想を人類にもたらし続けてきました。その意味合いにおいては「事象の地平線としての絶対他者」の条件を満たし続けてきたのですね。

査読学術誌の米科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された報告書によると、「アクチュエーター」として知られるこの人工筋肉は、金属製コイルまたはプラスチック製シートの骨格を基に作られており、製作費用は1個当たり約1ドル(約110円)。

折り紙という発想は一部の筋肉でも見られるジグザグ構造に由来している。この構造は、操作に応じて真空装置を使った空気圧や水圧によって伸縮する。骨格には「バネ、折り紙状の折りたたみ構造、ヒンジ状または伸縮する隙間」といったものが考えられると論文は述べている。

応用可能な使用法としては、火星での拡張可能な居住空間、極小の外科装置、人間が身に着けて使うロボット外骨格、深海探査装置に加え、変形可能な建造物まで挙げられている。

このロボットは、2.6グラムの人工筋肉で重さ3キログラムの物体を持ち上げることが可能で、これは「マガモが車を持ち上げるのに相当する」という。

一部の筋肉でも見られるジグザグ構造」 という事は、そもそも「折り紙」と「生体」の背後に共通して潜む物理の模倣に成功したという事でもあります。

生命の謎といえば、以前にイアン・スチュアートのこの本で、数学的な見地から生命の仕組みについて書かれているのを読みました。 

数学で生命の謎を解く

数学で生命の謎を解く

 

 生命の成り立ちには、多くの数学的な裏付けがなされるという事実を様々な事例を取り上げて説明する本で、今回読んだ「生物と無生物のあいだ」と同じく、とても勉強になりました。

生物と無生物のあいだ」でも同様に、生物の形を決める要素には、根本的な部分に物理的な制約が関係している部分がある点を紹介しており、数学と物理学の差はあれ、私達生命を形作る要素は、遺伝子などの設計図だけではなく、数学的な必然性や、物理学的な必然性が大きな要因になっているのだろうなと感じました。

こういうのも「全てが数値化されていく」流れの一貫とも? 

 一方、人類は進化の過程で「類推による安心」や「スノビズムによる価値観倒錯」といった「未知の思考様式に対する恐怖を克服する方法論」も編み出してきたという事になります。そして、この過程を疎かにするなら、概ね「科学的成果なら何でも盲目的に受容する」科学主義(Scientism)とか「あらゆる手段を用いての生産性改善を無批判で肯定する」生産至上主義(Productionism)とか批判を受ける様です。

科学主義 - Wikipedia

フリードリッヒ・ハイエクカール・ポパーなどが、多くの科学者が根底に持つと彼らが考えた態度を指すために用いた。彼らは次のような二つの異なる批判的な意味でそれを用いる傾向があった。

  • 科学を当てはめるべきではないような文脈において科学的な権威を用いていること、を明示するため。

  • 自然科学の手法、自然科学で認められたカテゴリーや概念が、哲学など他の探求分野でも唯一の適切な要素であるという信念(思い込み)。

グレゴリー・ピーターソン(Gregory R. Peterson)は現代の学者がどのような意味で科学主義という言葉に言及しているのかを概説し、二つの大きな用法を特定した。

  • あたかも、科学は全ての現実と知識を記述できる、とでもするような見方、あるいはあたかも現実の性質にかんする知識を得るための唯一の妥当な方法であるかのように見なす見方、を批判する用法。

  • ある一つの科学分野の理論や方法が、他の異なる分野(それが科学分野であれ科学以外の分野であれ)に不適切に用いられていることを指摘する用法。

第二の用法は、(「人間の価値」というのは、伝統的に倫理学の領域であるのだが)その「人間の価値」を測る唯一あるいは主要な源として科学を見なそうという試み、また(伝統的に「意味」や「目的」というのは、宗教あるいは(哲学的)世界観の領域であるのだが)その「意味」や「目的」を測るために科学を用いようとする様々な試みを指すために使用される。

『科学と宗教の百科事典』の著者マイケル・ステンマルクによると、科学主義と呼ばれる立場は、多くの形態と様々な程度を持っており一様ではないが、"科学の(中でも自然科学の)境界が、以前は科学の範疇だと考えられていなかった問題にまで拡大できる、または拡大されるべきだ"、としているところは共通している、とのことである。最も極端な形の科学主義は、全ての人類の問題と、人類の試みの全ての側面への対処と解決が、科学"だけ"でなしうるとする信仰である。このような観念は「進歩の神話(Myth of Progress)」とも呼ばれている。ステンマルクは科学主義の同義語として「科学拡張主義(Scientific Expansionism)」という語を提案した。エルンスト・シューマッハはこのタイプの科学主義というのは、人間の価値についての問いかけの有効性をすっかり否定してしまうような、不毛な世界観だと批判した。

Belief in the importance of production; especially belief in an economic and political system in which production forms the basis of wealth.
生産に重きを置く信念。特に生産が富の基礎を形成する経済的・政治的なシステムに対する信念。

語源
1920s; earliest use found in The Times. From production + -ism. Compare earlier productionist.

「生産(production)+主義(-ism)」。1920年代初期のThe Timesが初出。それ以前の生産主義者との差別化に由来する。

いかなる数理も物理も経済法則も、その内容がどれだけ普遍的可能性を有している様に見えたとしても「世界そのものを説明する根本原理」に昇格させたら必ず齟齬をきたすものです。「折り紙」の様なイメージを付加してのハンドリングは、そうした暴走を予防する手段としても有効かもしれません。